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2008年11月29日 (土)

すいません

   
実はパソコンが壊れてしまい、後、7日間ほどブログを書くことが出来なくなりました。

この文章はネットカフェで書いています。

休んでいる?間、しっかり充電して又、再開しますので、そのときはよろしくお願いします。

更新していなかった間にも、たくさんの人に読んでいただいたこと、感謝します。

ありがとうございました。



 

 

2008年11月22日 (土)

あなたは普通の人じゃない?

 
「あなたは自分のことをユメユメ普通の人と思わないでください」

これは以前、私がメンターから云われた言葉で、今でも強烈に心に残っています。

メンターから云われるまでは自分は普通の一般の人となんら変わらない人間だと思っていました。

でも、人に対して、常に

「何故、そんなことが出来るのだろう」
「何故、そんな風に想うのだろう」
「何故、そんな人を傷つける言葉を平気でいえるのだろう」

となぜ?なぜ?なぜ?が私の心の中を占めていました。

それを客観的にメンターがおっしゃってくださったのです。

「そうか、自分は普通の人とは違うんだ」

これは何も自慢している訳でも自分を高いところに置いているわけではありません。

あくまでも客観的に言っているのです。

たぶん、地球以外の星からやってきた。

意識レベルがあまりにも違い過ぎるので人のことが理解出来ない。

ただそれだけなのです。

メンターからそう云われたときなんだかすごくホットしたことを覚えています。

今、想い出すだけでも涙が出そうになります。

実は、そのことはみなさんとここで知り合いになってから私が以前にメンターが言ってくださったことと同じことをみなさんに対して想っているのです。

みなさんは普通の人じゃないんですよ(笑)

だって、何の得にもならないのに世界平和の祈りを祈れる

自分のことだけでも大変なのに人のことや地球の平和を祈れる

これって普通ではないのです。

普通の人は損得で考えています、動いています。

神様なんているもんか!と思っています。

平和なんて祈ってなんになる

そんなもんで飯が食えるか!(笑)

と思っています。

その人たちも根本はみんな神様です。

でも魂が幼いので強烈な光が当たらないと目覚めていかないのです。

最後の最後で救われていく人たちなのです。

だからほとんど感情で動いています。

それが赦されるのは地球の波動が低い、荒い波動だからです。

進化した星では感情的になったら大変なことになります。

そのエネルギーが何倍にもなって自分に返ってくるからです。

自分の発したエネルギーがそのまま、それ以上に返ってくるからです。

だから誰もそんなバカなことをしない。

それくらい地球は遅れた星なのです。

太陽系で一番幼い星です。

自分は特別だなんて想わないでください。

ただ自分は普通の人じゃない

地球は幼い星なんだ

人も幼い人が、今はまだたくさん居るんだ

と思ってください。

そうでないとあなたが潰れてしまいます。

あなたは菩薩様です。

世界平和を祈れる人は菩薩行をしているのです。


あなたは本当に 尊い 存在なのです。



世界人類が平和でありますように ぴかぴか(新しい)





 

2008年11月21日 (金)

意識のベース(基本)をどこに置くか?

   
マリナーズのイチローは中学生の頃、猛烈に勉強をした時期があったそうです。
 
学業も優秀でクラスで一番になった、だけど学年でどうしても一番にはなれなかったそうです。
 
そこで

「自分の天命は学問にあるのではない」と気づき、もう一つの才能である野球というスポーツに自分の生き方を集中させたのです。

学業をあきらめたことで野球一本で生きることが明らかになったのですね。

それも3次元のことを徹底してしたからこそ、野球に徹底して集中できたのです。

イチローが日本選手の中で超一流と云われているのは、高い高~い意識にあります。
 
もしかしたらイチローよりも才能がある人がいるかもしれない。
 
 
でもいくら才能があってもそれを自分で認めて意識を高い所に置き続けないと成就しないのです。
 
「あなたには素晴らしい才能があります、天才です」
 
とどれだけ人から云われても

「いえいえそんなたいしたことはないですよ」
 
と自己限定してしまってはせっかくの才能も生かされない。
 
宇宙はエネルギーで出来ています。
 
目に見えるものもみえないものもすべてエネルギー、波動です。
 
そこにエネルギーを集中させることでエネルギーが動くのです。
 
人間一人のエネルギーは大きな山をも動かすといいます。
 
その素晴らしいエネルギーを私たちはどこに使っているか?
 
エネルギーを生みだす意識をどこに置いているか?
 
どうにもならない、ただ消えていくだけの、今、現われて消えてゆこうとしている現象に無駄なエネルギーを使っていませんか?
 
人の感情に振り回されていませんか?
 
意識がマイナスにいっていませんか?

意識をどこに置くかがこれからの自分の人生を決めるのです。

そして地球の行方(いくえ)も決めるのです。



 

● 消えてゆく姿はみ教えの基礎

「消えてゆく姿」こそ、私たちのみ教えのベースとなるものです。

この中に、私たちが生命や人生をどう捉えればよいのかが集約されているのです。
 
苦しみはなぜ存在するのか。
 
なぜそれらを体験しなければいけないのか。
 
そのすべての答えが五井先生の「消えていく姿」の中にあるのです。
 
苦しいことが起きるのは、私たちが原罪を生まれ持っているからではありません。
 
そしてこの世に神様が存在しないからでも、すべてが不公平に作られているからでもなく、今生の自分の責任でもないのです。
 
では、多くの苦しみ、不幸、災難はどこから、そしてどうして起きるのでしょうか。
 
それらは自分が過去世から掴んでいた想いが、現われて消えてゆく姿なのです。
 
そして重要なことは、それらの姿(不調和や災難など)は、本来の自分の姿ではないということです。
 
“あなたは、あなたの目の前に起こる不幸それ自体ではないのです。あなたの身にいかなる苦悩が訪れようと、それは本来のあなたではない!”

五井先生はそれを私たちに教えつづけてくださいました。
 
では、私たちの本来の姿とは何か。
 
それは光輝いた神様と全く一つの分霊であります。

それこそが本来の私たちの姿なのです。
 
ですから、いかなる不幸や苦しみが訪れようとそれを自分だと勘違いをしてはいけないのです。

それは消えてゆく姿なのです。

それは本来の私たちの姿ではなく、私たちの過去世から現在にいたる誤てる想念が現われて消えてゆく姿なのであります。

私たちの想念というものは、その一瞬で消えているようで、消えることはないのです。

想念は蓄積され、それが時と共に形となって現われて消えてゆくのが法則なのです。
 
私たちの間違った考えが、自分たちが今までに発してきた想いが、苦しみとなって出てきているのです。
 
だからといって過去(過去世を含む)の自分を悔いる必要はありません。
 
それらは現われることによって消えるのであるから、これで消えるのだという喜びと感謝を持てばいいのです。
 
でも、もちろん苦しみを目の前に、ただ感謝して待てと言われても、普通は難しいと思います。
 
そういう時は意識を本来の自分の姿に向ければいいのです。

現われている過去の想いを掴むのではなく、本来の自分の姿を掴めばいいのです。
 
本来の、神の分霊である光そのものの自分を。
 
ではどうやってその自分の姿を掴めばいいかというと、世界平和の祈りをすることなのです。

世界平和の祈りと響き、心、意識はすべて光そのものであり、神の響きそのものなのです。
 
ですから、祈り言葉に身を任せると、自然とその祈り言葉にのって光の世界に入ってしまうのです。
 
そして本来の自分の姿を瞬時に取り戻すことが出来るのです。

この法則(真理)を知らない人は苦しみを掴みつづけてしまいます。

そして真理を知らないと、自分が不幸のヒロインになり、世の中、周りの人々、自分・・・・・と、すべてを批判するようになってしまいます。
 
人が信じられなくなり、生きる意味が分からなくなってしまい、惑わされてしまうのです。
 
そして、たとえその苦しみが消えたとしても、今度はその体験によるトラウマに把われてしまうのです。
 
その過去がベースとなってしまい、またいつ同じ不幸が自分の身に起きるか分からないという不安で、せっかく消えたその姿を自らが掴みつづけてしまうことになるのです。
 
自分の生きるベースをどこに置くかで、人生は本当に180度変わってしまいます。


● 生きるベースを真理に置く~消えてゆく姿で世界平和の祈り


しかし、生きるベースを真理に置き、「消えてゆく姿」を実践していくと、不幸や悲しみに把われ、惑わされることがなくなるのです。
 
「消えてゆく姿」は他に頼るものではありません。
 
あくまで自分の力で、努力で、自分の苦しみや迷いと向き合っていくのです。

真理を知り、さまざまな苦悩がなぜ現われるかが理解できたら、今度は世界平和の祈りを通してどんどん真っすぐ天とつながる意識を持ち、光で自分を包んでいき、現われている姿から離れていくのです。

他の誰かに不幸の原因を責任転嫁するのではなく、また誰かに救ってもらうのでもなく、真理と一つになっていくことで、本来の自分の姿に戻り、自らの中に内在するそれらを超えていく力を付けていくのです。
 
現われれば必ず消えるのであります。
 
その法則を知ることは、本当に大きな救いであります。

必ず消えるのであるから、苦しみが現われている時は意識を世界平和の祈りに戻して、必ず消えるのであると信じればいいのです。
 
そして、現われて消えてしまえば必ずよくなるのです。
 
これはすぐに体得できるものではありませんし、最初はとても難しいことであります。
 
しかし、この真理を本当に掴めた時、言葉では言い表わせぬ喜びと強さを自分の中に見出すのです。
 
そしてどんな困難の中でも、愛を掴み、赦しを掴める、本来の姿をそのまま現わしている自分に出会えるのです。
 
「消えてゆく姿」ほど、自分自身を支えてくれるものはないと思います。
 
み教えの原点がすべてここに存在しているのです。

今、私たちが「人類即神也」と言えるのも、この「消えてゆく姿」の教えがしっかりと自らに根づいているからこそと思っています。

本来の私たちは光そのもの、そしてその時々に暗雲が現われることもある。
 
でも、暗雲が私たちではないし、暗雲を掴んでもそれは実体ではないのであります。
 
だから意識を光に向けて、世界平和の祈りの中に身を任せ、その暗雲が私たちの前を通りすぎるのを待つのです。
 
なぜなら通りすぎてしまえば、それはあとかたもなく消えてしまうものだからです。
 
それが「消えてゆく姿」の真理なのです。



世界人類が平和でありますように



                    
西園寺 由佳




  


  
 

2008年11月19日 (水)

今、目の前に現われているのは・・・・

     
夜空に光輝いている星の光は何万光年も昔に放っていた光です。

もしかしたらその星は、今はもう存在していないかもしれません。

この間、面白いことがありました。

亡くなってもう10年が経った祖母の生前のビデオテープを観ていた父と母が何かショックを受けていたのです。

そのビデオには祖母と一緒に私たちも写っていました。

動画だったので余計真実味があったのだと思います。

「ばあちゃんは生きている」

父も母もそう想ったそうです。

今、見ているもの、起こっていることはもう終わったことなのです。

過去世、過去のことが走馬灯のように流れているだけなのです。

そしたら今、現在の自分はどこにいるのか?

それは過去、現在、未来を超越した光の存在なのです。

光の存在は、時空を超えて時間(とき)は存在していないのです。

今現在の光輝いている自分が未来を創っていくのです。

未来が変わると過去も変わる

ベクトルが現在から未来へと光輝いて向かっていけば ➹ 

すべての過去も輝いていくのです。

過去も今も未来も輝いたものになるのです。

だから未来を創っている今が大切なのです。

今を光輝いた素晴らしい瞬間にしていきましょう ぴかぴか(新しい)




  
 

俗っぽい云い方ですが(笑)

   
全財産が10万円の人が、5万円を落としたら、すっごいショックですよね(笑)

どこに落としたのか必死になって探します。

でも、そんな人も買った宝くじが3億円当たった後では、落とした5万円は気にならない。

「誰かお金に困った人に拾われたらいいな♪」くらいに気持ちに余裕が出てきますよね。

同じ5万円を落としたのに、そのときの心の状態によって捉われ方が全然違います。

10万のマイナス5万と、3億円のマイナス5万とでは違うのです。

例えは悪い?のだけど

自分の心の中を3億円のようにプラスのエネルギーで一杯にしていれば

マイナス5万であろうと100万であろうとすぐに立ち直れるようになるのです。

ひどいことを云われても、その人の天命が祈れたりする。

困ったこと、ショックなことが起こってもなんとかなるさという気持ちになれる。

マイナスの現象に動じなくなるのです。

祈りとは天に宝を積むことなのです。

陰徳を積んでいくことなのです。

心の中にプラスのエネルギーを蓄えていくことなのです。

祈りはお金がかかりません。

宝くじを買う資本もいらないのです。


どんなマイナスにも負けない自分になりたいですよね 
わーい(嬉しい顔)


 
世界人類が平和でありますように ぴかぴか(新しい)

日本が平和でありますように

わたくしたちの天命がまっとうされますように

守護霊さまありがとうございます

守護神さまありがとうございます



 

真理も基本が大切です。

    
私たちが住んでいる地球、そしてその中の日本の状況は、今どうなっているかというと、強烈なマイナスの想念で覆われているのです。

ちょっと気づきがあったとしても、善いことがあったとしてもすぐに飛んでしまうくらい強くなっています。

だから自分が常にプラスの想念で充ちていないとすぐにマイナス想念(カルマ)に心を奪われてしまうのです。

そうなると文中にあるように

自分が不幸のヒロインになり、世の中、周りの人々、自分・・・・・と、すべてを批判するようになってしまいます。

マイナスの想念、人類の集合意識、業(ごう)というものは光の無い状態なのです。

人間の悩みとは闇が波のように来ている状態なのです。

これをなやみというのです。

しかし人間の本体は光そのものなので、自分の本来の姿を想い出したら悩み=波闇 は消えていくのです。

でも今はマイナスの想念エネルギーが強いので、自分の光をもっと強くしていくしか自分も地球も守る方法がないのです。

自分の光を強くしていれば、少々のマイナス想念のエネルギーは平気です。

人間はやはり、強くならないとまともには生きていけません。

幸せにはなれません。

宇宙と一体となって光の柱に入ると何故か悩みは消えていきます。

理屈ではないのです。

人間を活き活きさせる方法は、祈りしかありません。

祈りとはいのちがのり出すという意味です。

そのことを理解された上でもう一度真理の基本を読んでみてくださいね。


 





● 消えてゆく姿はみ教えの基礎

「消えてゆく姿」こそ、私たちのみ教えのベースとなるものです。

この中に、私たちが生命や人生をどう捉えればよいのかが集約されているのです。
 
苦しみはなぜ存在するのか。
 
なぜそれらを体験しなければいけないのか。
 
そのすべての答えが五井先生の「消えていく姿」の中にあるのです。
 
苦しいことが起きるのは、私たちが原罪を生まれ持っているからではありません。
 
そしてこの世に神様が存在しないからでも、すべてが不公平に作られているからでもなく、今生の自分の責任でもないのです。
 
では、多くの苦しみ、不幸、災難はどこから、そしてどうして起きるのでしょうか。
 
それらは自分が過去世から掴んでいた想いが、現われて消えてゆく姿なのです。
 
そして重要なことは、それらの姿(不調和や災難など)は、本来の自分の姿ではないということです。
 
“あなたは、あなたの目の前に起こる不幸それ自体ではないのです。あなたの身にいかなる苦悩が訪れようと、それは本来のあなたではない!”

五井先生はそれを私たちに教えつづけてくださいました。
 
では、私たちの本来の姿とは何か。
 
それは光輝いた神様と全く一つの分霊であります。

それこそが本来の私たちの姿なのです。
 
ですから、いかなる不幸や苦しみが訪れようとそれを自分だと勘違いをしてはいけないのです。

それは消えてゆく姿なのです。

それは本来の私たちの姿ではなく、私たちの過去世から現在にいたる誤てる想念が現われて消えてゆく姿なのであります。

私たちの想念というものは、その一瞬で消えているようで、消えることはないのです。

想念は蓄積され、それが時と共に形となって現われて消えてゆくのが法則なのです。
 
私たちの間違った考えが、自分たちが今までに発してきた想いが、苦しみとなって出てきているのです。
 
だからといって過去(過去世を含む)の自分を悔いる必要はありません。
 
それらは現われることによって消えるのであるから、これで消えるのだという喜びと感謝を持てばいいのです。
 
でも、もちろん苦しみを目の前に、ただ感謝して待てと言われても、普通は難しいと思います。
 
そういう時は意識を本来の自分の姿に向ければいいのです。

現われている過去の想いを掴むのではなく、本来の自分の姿を掴めばいいのです。
 
本来の、神の分霊である光そのものの自分を。
 
ではどうやってその自分の姿を掴めばいいかというと、世界平和の祈りをすることなのです。

世界平和の祈りと響き、心、意識はすべて光そのものであり、神の響きそのものなのです。
 
ですから、祈り言葉に身を任せると、自然とその祈り言葉にのって光の世界に入ってしまうのです。
 
そして本来の自分の姿を瞬時に取り戻すことが出来るのです。

この法則(真理)を知らない人は苦しみを掴みつづけてしまいます。

そして真理を知らないと、自分が不幸のヒロインになり、世の中、周りの人々、自分・・・・・と、すべてを批判するようになってしまいます。
 
人が信じられなくなり、生きる意味が分からなくなってしまい、惑わされてしまうのです。
 
そして、たとえその苦しみが消えたとしても、今度はその体験によるトラウマに把われてしまうのです。
 
その過去がベースとなってしまい、またいつ同じ不幸が自分の身に起きるか分からないという不安で、せっかく消えたその姿を自らが掴みつづけてしまうことになるのです。
 
自分の生きるベースをどこに置くかで、人生は本当に180度変わってしまいます。


● 生きるベースを真理に置く~消えてゆく姿で世界平和の祈り


しかし、生きるベースを真理に置き、「消えてゆく姿」を実践していくと、不幸や悲しみに把われ、惑わされることがなくなるのです。
 
「消えてゆく姿」は他に頼るものではありません。
 
あくまで自分の力で、努力で、自分の苦しみや迷いと向き合っていくのです。

真理を知り、さまざまな苦悩がなぜ現われるかが理解できたら、今度は世界平和の祈りを通してどんどん真っすぐ天とつながる意識を持ち、光で自分を包んでいき、現われている姿から離れていくのです。

他の誰かに不幸の原因を責任転嫁するのではなく、また誰かに救ってもらうのでもなく、真理と一つになっていくことで、本来の自分の姿に戻り、自らの中に内在するそれらを超えていく力を付けていくのです。
 
現われれば必ず消えるのであります。
 
その法則を知ることは、本当に大きな救いであります。

必ず消えるのであるから、苦しみが現われている時は意識を世界平和の祈りに戻して、必ず消えるのであると信じればいいのです。
 
そして、現われて消えてしまえば必ずよくなるのです。
 
これはすぐに体得できるものではありませんし、最初はとても難しいことであります。
 
しかし、この真理を本当に掴めた時、言葉では言い表わせぬ喜びと強さを自分の中に見出すのです。
 
そしてどんな困難の中でも、愛を掴み、赦しを掴める、本来の姿をそのまま現わしている自分に出会えるのです。
 
「消えてゆく姿」ほど、自分自身を支えてくれるものはないと思います。
 
み教えの原点がすべてここに存在しているのです。

今、私たちが「人類即神也」と言えるのも、この「消えてゆく姿」の教えがしっかりと自らに根づいているからこそと思っています。

本来の私たちは光そのもの、そしてその時々に暗雲が現われることもある。
 
でも、暗雲が私たちではないし、暗雲を掴んでもそれは実体ではないのであります。
 
だから意識を光に向けて、世界平和の祈りの中に身を任せ、その暗雲が私たちの前を通りすぎるのを待つのです。
 
なぜなら通りすぎてしまえば、それはあとかたもなく消えてしまうものだからです。
 
それが「消えてゆく姿」の真理なのです。

 


世界人類が平和でありますように



                      西園寺 由佳




 
 

2008年11月18日 (火)

湯川れい子さんの末期ガンが治ったのはなぜ?

  
 


先日、新聞を読んでいたら作詞家の湯川れい子さんという人の体験談が書かれていた。
 
外国で生活しているとき、ガンを宣告された、それも末期の・・・。
 
治療を受けるために帰国しようとしたら、別の国での仕事を依頼された。
 
その仕事はやりがいのある自分のやりたいことであった。
 
無謀と云われたが帰国をやめ、仕事に没頭した。
 
そして仕事を終えて帰国し、再度、診断を結果を聞くとガンは消えていた。
 
こういう奇跡は頻繁には起きないが何度か耳にすることである。
 
何故、ガンは消えたのか?
 
病気とは気が病(や)むと書きます。

気とはエネルギー、つまりエネルギーが正常に流れていない状態なのです。
 
エネルギーの流れは川の流れに似ています。

ストレスや、思い悩むことなく、想いをサラサラと流して、平常心でいるとエネルギーは滞ることなくスムーズに流れていく。
 
だが、何かに捉われたり、何かに意識が奪われたりすると川の流れに大きな石を置くように流れをせき止めてしまいます。

これが気(エネルギー)が病んでいる状態なのです。

湯川さんは仕事に没頭することで病気のことを忘れるくらいだった。

想いを放って、川から石を取り除いたのです。

もちろん、意識してしたのではなく、結果的にそうなったのですが昔、著者は忘れましたが 「患者よガンと戦うな」 という本がありました。

ガンに捉われるな、過剰に意識するな、ということではある意味、的を得ていると思います。

ポイントは問題点に執着、固執するのではなく、想いをそこから離すこと、放つことなのです。

放つと流れはよくなって行きます。

心配事は誰にでもあります。

でもそこに意識を集中させてもなんの解決にもならないどころかかえってマイナスを引きつけてしまうのです。

だったらどうしたらいいんだ?
 
目に見えることも目にみえないことも人の心のことも、肉体人間ではどうしようもないのです。

「自分ではどうしようもない、神様、どうぞ、あなたさまのいいようにしてください」と諦めてまる投げしちゃえばいいのです。

自分でなんともならないことをなんとかしようとするから辛いんです、ストレスが溜まるのです、気が病んで病気のような状態になるのです。

悪循環の繰り返しです。

悟りを開いた親鸞さんは肉体人間はどうしようもないバカで、絶対に救われることはないと確信したのです。

心の底からわかったのです。

だから安心して神様に全托できた。

自分でやろうやろうしている間は、苦しみます。

もうあなたは、肉体人間として、3次元を精一杯、頑張って、努力してきました。

もう、頑張らなくていいのです。

なんとかしようと苦しまなくてもいいのです。

祈りによってエネルギーを流すことだけしていればそれが一番いい方法なのです。

自分の重たい思いを自分を創ってくれた宇宙に神様にすべて返してしまいましょう。

そしたら神さまはきっと一番いい状態にしてくれますよ
 わーい(嬉しい顔)




世界人類が平和でありますように
 
日本が平和でありますように
 
わたくしたちの天命がまっとうされますように
 
守護霊さまありがとうございます
 
守護神さまありがとうございます





最近、健康についてのブログを書き始めました。

目に見える肉体とみえない気(エネルギー・精神)との調和が取れてほんとうの健康が得られるのです。

どのページにも健康について大切なことが書かれています。


『健康と調和波動気功法 1~』

http://goodmoon51.cocolog-nifty.com/blog/2016/11/post-6b36.html




「ガンが治る人 治らない人」

 http://goodmoon51.cocolog-nifty.com/blog/2011/06/post-31a4.html



「病気を治す3つの方法」


http://goodmoon51.cocolog-nifty.com/blog/2010/06/post-47a8.html


 

2008年11月17日 (月)

自分のことは自分で癒す

 
マッサージで人を癒す商売が流行っています。
 
身体を触って人を癒すことは出来るのか?

私は出来ないと思っています。

例えばマッサージで気持ちがよくなったとする

それは一時的なものであったり、気持ちが良くなったと思い込んでいるだけで実際はそうはなっていないのです。

身体を触るということは相手の人の気=エネルギーをもらうことになります。

人間はエネルギー体で出来ているので自分のエネルギー体に別のエネルギーが入ってくるのです。

みなさんは人ゴミに行くと疲れることを知っていますよね。

人間は肉体だけではなく光を放っている存在なのです。

オーラを撮ったときに実感するのですが、人間一人の光の大きさは影響を受けやすい範囲だけでもビル一棟分くらいあるのです。

ビル一棟分の中に人が100人いたとしたら100人分のエネルギーを受け取るのです。

その人たちが暗いマイナスの想念のエネルギーを放っていたらあなたも憂鬱な気持ちになります。

人ゴミで疲れるというのはとりつかれるという意味なのです。

身体と身体同士が触れるということはもっと大きな影響を受けるということです。

マッサージをしてくれる人が滝のように爽やかな人で自分のエネルギーも相手のエネルギーも流してくれる人だったらよいのですが、そんな人はいません。

実はマッサージを受けた人だけでなく、している人も影響を受けるのです。

してもらおうという人はマイナスのエネルギーをたくさん持っています。

そんな人の身体を触るということはやっぱり受け取っているのです。

お金の代わりにマイナスのエネルギーをもらうのです。

だから癒しの仕事をしている人で元気で爽やかな人は少ないです。

自分で気=エネルギーを流していく方法を知らないからです。


自分を癒せるのは自分しかいないのです。

それが出来て始めて自立したことになるのです。

人に楽にしてもらおう、癒してもらおうは甘えているのです。

自分のことを自分で癒せるようになって

はじめて、人を癒せるようになるのです。

 
気功とは気の働きのことです。


自分が放っているエネルギーに責任を持つことが人としてとても大切なことなのです。

 

 

2008年11月16日 (日)

想念停止

  
ついにこのことを書くときが来たか!
 
という心境です。
 
私たちはいつもわかろうわかろうとしている。
 
そしてちょっと考えてわからなかったら
 
「ポイ」と捨ててしまう
 
それでいいのだけど、中には大切なものがありますよね。
 
でも毎日すごい量の情報量があるからなんでもかんでも「ポイ」する。
 
又はなんでも取っておく
 
波動がわかってくると細かくなってくると

その莫大な情報量の中でも「キラリ」と光る宝物を見つけることが出来るのです。
 
私の好きな言葉で
 
「情報において大切なのは、その量ではなく、それに振り回されないことである」
 
があるのですが、ほんとにその通りだと思います。
 
あ、話がズレちゃった(笑)
 
では、本題に戻ります。
 
タイトルの「想念停止」

これはね、頭を空にしたな~んにも考えないということなのです。

進化した宇宙人はいつもいろんなことを考えているか?
 
実はな~にも考えていないのです。
 
考えるというのは前にも云いましたように
 
自分と違う人の想いを掴んでいるだけなのです。
 
人の想いとはほとんどがマイナスのことなので、自分もそれに同調するのです。
 
このマイナス想念をお釈迦様は業(ごう)とかカルマとおっしゃいました。
 
「そこに自分の意識を合わせるのではない。

自分の本心、宇宙にあるプラスに充ち溢れた素晴らしい自分に意識を合わせるのですよ 」
 
ということなのです。

私たちは朝起きてスッキリしていても、起きているうちに頭に色んなことが浮かんできます。
 
その浮かんできたことを掴んでそれをどんどん大きくしていくのです。
 
最初はちいさな雲だったのに暗雲になって頭の中はその暗雲で一杯になる。
 
そして文字通り
 
「いっぱい、いっぱい」になってしまっているのです。

そうですよね。

ほんとうに考えることとはそんなことではないのです。
 
私たちは頭でものを考えるくせがついています。
 
「あたり前だろうそんなこと、だったら、どこで考えるんだよ」

と思いますよね。

いいんですよ、別に頭で考えても、悪いとは言っていない

でも頭で考えるとは、人の集合意識の考えであり、自分の本心から外れた人の想いであり、宇宙のプラスのエネルギーとは違うものを掴んでしまうということなのです。

地球の集合意識がプラスの想念であり、愛と平和と調和に充ちていればそれでいいと思います。

でもそうじゃないでしょ

頭に浮かぶことととは地球人類の集合意識なのです。
 
だからお釈迦様は 「空」になれとおっしゃいました。
 
「空」とはむずかしそうだけど
 
「何も考えるな」ということです。
 
もっとわかりやすく言えば

「余計なことはなにも考えるな!」

なのです。

なにがどれが、余計なことなのか?大切なことなのか?
 
わからないですよね。
 
だから全部の想念を自分の根源である宇宙に返してしまうのです。
 
宗教とは宇宙を示す教えという意味なのです。
 
お釈迦様は宇宙へ帰れ、宇宙にすべてがある
 
と説いておられたのです。
 
宇宙に返してしまうとどうなるか?
 
そこからインスピレーションとして直観として叡智として
 
必要なものが与えられるのです。

考えるとは、想うとはそれを邪魔しているのです。
 
はっきり言えば、
 
「何も考えないこと」
 
「想念停止」
 
なのです。

でもそんなこと急に言われても無理ですよね。
 
だから出来ることからやっていきましょう。

1.何かを考えそうになったら祈りに切り替える(これが基本です)

2.本当の頭は下丹田(かたんでんへそ下3.5センチ)にあります、これを腹脳というのですが、そこに脳があるとイメージしてそこで考えてみる(不思議と何も思い浮かびません)

3.すっきり、何も思い浮かばない状態が人間の本来の姿なのです。
これから人間はそうなっていくんだとイメージしてください。




何かを考えそうになったら祈りに切り替える祈り言葉 (笑)



世界人類が平和でありますように

日本が平和でありますように

わたくしたちの天命がまっとうされますように

守護霊さまありがとうございます

守護神さまありがとうございます





 

2008年11月15日 (土)

本当の自分はどこにいる?

    
いつも書いておりますように

肉体人間の、今、自分だと思っている自分、目に見えている、鏡に写っている自分はほんの先端に現われた一部の自分であって、自分の本心は肉体と違うところにあるのです。

わたしたちは肉体界の他に幽界、霊界、神界にも同時に生きているのです。

幽界は人間の想念がつくった世界、想いの世界です。

霊界は幽界と神界の間にあって天国に近いところではあるのだけれどまだ完全に整った世界ではないのです。

そして私たちの本心、つまり本当の自分は神界にいるのです。

そこには本当の自分がいます。

落ち着いていて感情想念に振り回されていない、すべてのことがわかっている悟っている自分がいるのです。

その本当の自分が霊界、幽界をへて肉体界に写ってきている。

判りやすく言えば、本当の自分はテレビ局の撮影所にいる。

それが電波を飛ばして家のテレビに写っているのですが、テレビに写ったときには神界の自分とはまったく違う自分になってしまっているのです。

それは霊界、いや特に幽界の影響を受けて感情想念に流されて本当の自分とはかけ離れた自分を演じてしまっているのです。

苦しいのは、悩んだりするのは本当の自分が現わせていないからなのです。

神界にいる本当の自分が

「そうじゃないんだ」とダメ出しをしているんですね。

地球が今おかしいのは、神界ではなく、幽界が写っているからなのです。

人間がつくった想いの世界、ほとんどの人がマイナスの想いを発しているのでマイナスの世界が現われているのです。

アセンション(次元上昇)するとは、幽界の世界が浄化されて、つまり消え去って、本当の世界が現われるということなのです。

神界ではライオンがねこと仲良く遊んでいるそうです。

ライオンは人間の感情想念がつくりだした動物なのだそうです。

私たちは今、幽界に意識を合わせるのではなく、本当の自分がいる神界に意識を合わせるときにきているのです。

進化した星は神界がそのまま現われている。

私たちの地球は幽界がそのまま現われているのです。

意識を本心、神界に合わせましょう。

そうすればきっと近い将来、素晴らしいことが起こってきますよ 
わーい(嬉しい顔)


神界と意識を合わせる祈り言葉


世界人類が平和でありますように ぴかぴか(新しい)
 
日本が平和でありますように
 
わたくしたちの天命がまっとうされますように
 
守護霊さまありがとうございます
 
守護神さまありがとうございます




 

感情ではなく感動で動くようにしよう

  
先日の気功セミナーで于(う)先生は

「感情ではなく感動することで生きてゆくようにしてください」と言われていました。

そして

「今、自分は感情で動いているのではないのか?をチェックすることが必要です」・・・・と

感情とは銭勘定(ぜにかんじょう)、つまり、損得勘定も含まれます。

私たちは無意識に生きているとついつい損得で考えてしまう。

そして、感情的になってそれをそのまま行動に起こしてしまいます。

相手を怒ってしまう
 
冷静な判断ができなくなってしまう
 
自分や相手の人の気持ちを傷つけてしまう

そうです、感情で動いているときはロクなことはありません。

後悔することとは感情で動いたときのことです。


一方、感動しているときは、心が 魂が 震えているときです。

心が自分の本心と繋がっている 瞬間(とき) なのです。

人間が一番輝いて美しい状態のときです。

そんな素晴らしい状態のときに行動を起こしたら

きっと周りの人も感動してくれるだろうし、人々の心を動かします。

今、気づいたんだけど、感動とは心が動くことなんじゃないかと思います。

人間が一番幸せを感じる瞬間(とき)

それは心から感動したときだと思います。


感情ではなく感動したことで動いているか?

そうですね、いつも感動している自分でありたいですねわーい(嬉しい顔)



 
世界人類が平和でありますように  ぴかぴか(新しい)


2008年11月14日 (金)

輝き続けること

 
テレビを観ていると、役者さんとか歌手の人とかタレントさんが輝き続けていくことの難しさを感じます。
 
「あの人、以前は輝いていたのに・・・」
 
「ピカッと光るものがあったのに・・・」
 
一瞬であれば瞬間的に「空」になったときに光ることは出来ます。
 
「空」とは頭に何も浮かばないこと
 
雲一つないスッキリ爽やかな心の状態のこと
 
人はそんな爽やかな姿をみたくて 「スター」 にそれを託す。
 
「スター」は、それに応えようと輝き続けようとする。
 
でも、輝き続けるには自分を磨き続けないと光ることは出来ない。
 
自分に付いた余計な想念を取り除いていかないと
 
すぐに業(ごう)引き寄せて
 
くすんでしまう、濁ってしまう
 
こんなとき
 
世界平和の祈りを知っていたらどんなにいいのだろうに って想う。
 
祈ることでずっと光の中にいられる
 
画面を通して人に光を送り続けることが出来るのに・・・・
 
これからきっとそんな素晴らしい人がメディアにもでてくるのだろうなぁ
 
そんな時代になるのだろうなぁとひそかに思っています。
 
でも、その人は自分が無い人なので
 
ただ温かい光を放っているだけ
 
誰も気づかない
 
祈っていることも知らせようともしない

そんな奥ゆかしい人が 本物の人 のように思います。

これから本物の人がたくさん出てくる

それは、神様が一番望んでいること

宇宙が一番望んでいることなのです 
ぴかぴか(新しい)



世界人類が平和でありますように

無限なる光
 ぴかぴか(新しい)



 




2008年11月13日 (木)

人間関係で不可解なのは?

   
人間関係では、理解しようにもどうしても理解できないことが起こります。

ちょっとしたことがきっかけで関係が空々しくなる
 
壁ができる
 
距離を置くようになる

話すときに考えてしまい自然に話せなくなる

そして、嫌われてしまうことがある げっそり


以前は、あんなに仲が良かったのに
 
信頼関係が築けていたのに

自然体で話せていたのに

原因を探ろうとしてもわかりません。

無理に話そうとしても元に戻ろうとしても不自然になるだけです。

なんで人間関係にはそんな周期のようなものがやってくるのか?

たま~にしか会わない友達だったら放っておいてもそんなに気にはなりません。

でもそれが家族であったり、毎日のように会う仕事の仲間であったならその人の気持ちの変化を放置することは出来ない。

そこで当然、悩む、振り回される・・・・・。

そして、その原因を追求して相手を責めるか、自分が至らないからだと自分自身を責める。

原因を分析することは、お互いの心が離れていくこと、分かれていくのです。

愛と逆のことをしてしまっている。

愛とは合い、相いであり一つになることをいいます。

なんでだろう?

どうして人の気持ちって一つになったり離れたりしていくのだろう?

そのことが消えてゆく姿を何回も読んでいるうちにわかってきました。

それは過去世に於いて、仲のよかった時期とそうでない時期があったということ。

そのことがときを経て、繰り返し、今、現われているのだと・・・・・。

だから相手の心の中を推し量らなくていいのです。

気にしなくていいのです。

それは現われて消えていこうとしている姿なのです。

過去のことが写ってきているだけなのです。

だから仏教では今生のことを写し世といいます。
 
人間関係が必要以上におかしくなるのは相手の態度によってこちらが変わってしまうことです。

勝手に振り回されて感情的になってしまうことです

相手との壁を作ってしまうことです

自分や相手を責めてしまうことです

消えていくのを待てずにそれを掴んでしまうことです。


大切なのは、変わってしまったと思ってしまった相手をみるのではなく、光輝いている本心の自分をみるのです。

そうすれば相手の人に光がいって心と心が一つになっていきます。

過去世の因縁が早く消えていきます。

現われて消えてしまえばもう繰り返すことはないのです。

掴むから何度も繰り返してきたのです。

周りがどれだけ変わろうとどんなことが起きようとそれはすべて消えてゆく姿です。


自分の本心、光輝いている自分の本体だけを見つめるようにしましょう。




世界人類が平和でありますように ぴかぴか(新しい)

人類即神也



 

消えてゆく姿でわかりにくいところ

 
「今、起こっていることは過去(過去世)のことで、今現在のことではない」 と言われても

「今は今でしょ?なんで過去のことなんだ?」 って思いますよね。

たぶん、消えてゆく姿でここがわかりにくいんじゃないかと思います。

では例文を書いてみますね

AさんはBさんからすごいいじめを受けていた、Aさんは
 
「いつか仕返しをしてやろう」と毎日のように自分にいい聞かせていた。
 
その恨み言葉の残像は、消えることなく、次々とAさんの潜在意識の中に蓄積されていった。

年月は流れ、AさんもBさんも亡くなった。

そして輪廻転生してA、Bさんは生まれかわって再会した。

もちろん記憶は消されていてどちらも何も覚えていない。

ただAさんはBさんを見るたびに何故かむしょうに腹が立ち、いじめてやりたいという衝動にかられる。

AさんはわけがわからないけどBさんにひどいことを言うと心の中のモヤモヤが消えてゆくのを実感している。


たぶん、スッキリし終わるまでいじめは続くだろう。


だから今起こっているいじめは、いじめている方に原因があるのではなく過去世からの続きがあるのです。

「私は悪くない、悪いのはあいつだ」ではないのです。


ちょっと辛いかもしれませんが、相手のいじめが始まったということは過去の誤まった想念行為が今、現われてきた。

想いというエネルギー体が消えずに残っていた、潜在意識の中に潜んで録音されていた想念が

今、再生されて現われてきたのです。


でも、今のあなたは人をいじめてやろうなんて気持ちはサラサラない。

二昔前の過去世から、一昔前の過去世において人をいじめることの無意味さに気づいて改心していたのです。


でも、今起こっていることは二昔前の想念が消えていなかったということです。

実は、今起こっていることはいつの過去世で起きたものかわからないのです。

中にはあなた自身のものだけでなく、あなたの先祖の想念行為も背負っていることもあるのです。

「そんなの関係ねぇ」と怒りたいところですが(笑)

今、今生に生まれてきているのは、あなたが先祖の代表として一番大きな器であり、過去世での誤まった想念を消せるだけの魂を持っているからなのです。

だから、「何でこんなことが起こるんだろう?どうしてこんな目に遭わなければならないんだろう?」はいらないのです。


今、起こっていることはね、早く消えてゆこうとしているのです。

早く消えていくか、なかなか消えていかないかの違いは、その消えていこうとしていることを掴むか掴まないかの違いです。

あなたは太陽なのです、光そのものなのです。

それを暗雲(不幸、不調和)を今の自分の姿だと思っているのです。

目の前に現われた暗雲にとらわれて掴んでしまったらその暗雲はなかなか目の前から消えることは出来ないのです。

「ああ、この暗雲は過去のもので、今の自分とは何の関係もないんだな」

「消えた後は素晴らしい青空を見ることができるんだな」

「暗雲が自分ではない、スッキリ晴れわたった青空が自分の本心なんだ」

とはっきりに分けてしまうことが大切です。

どうですか?

消えてゆく姿、少しわかりました。


なんとなく・・・・?

まだ、よくわからない・・・・・?

でもいいですよ

世界平和の祈りを祈っていればいつかふとしたときに

わかるようにきっとなりますから・・・・




世界人類が平和でありますように わーい(嬉しい顔)

日本が平和でありますように

わたくしたちの天命がまっとうされますように

守護霊さまありがとうございます

守護神さまありがとうございます







2008年11月12日 (水)

宇宙からのエネルギー

  
私たちは当たり前のように息を吸って、止めて、吐いています。
 
でも、これってすごいことなんですよね。
 
自分が息をしている
 
心臓や肺が動いている
 
手や足が自由に動いている
 
あるとき、鏡に写った自分の手が動いているのを見たとき
 
なんだか不思議な気持ちになりました
 
「あ、動いている」 って
 
心があってそこに肉体という器を纏っているんだけど
 
肉体が無くなった後も心は生き続ける
 
じゃあ、肉体ってなんだろう?
 
って考えたとき不思議な存在に思えてきます。
 
肉体は、笛やフルートのようなものなのだそうです。
 
息を吹きかけると筒に空気がながれて神秘的な音色を発する
 
肉体も宇宙からのエネルギーが入ると身体が動きだす
 
だから肉体も神様のエネルギーが流れやすいように空胴になって

神様が働きやすい器になることが大切なんだそうです。

あたり前のようにただ呼吸をするのではなく
 
宇宙から素晴らしいエネルギーを戴くという気持ちで息を吸うと
 
ほんとに幸せな気持ちになります。
 
そして吐くときは、身体の中の老廃物、そして自分の中のすべての想念を全部出してしまう気持ちで吐いてゆく・・・・


意識して呼吸をしてみたら新しい発見がありました 
わーい(嬉しい顔)


 

  

お金を転がす?

   
最初、お金を転がすという意味がわからなかったんだけど、それは雪だるまのように始めは小さなカタマリから転がしていくうちに雪を巻きこんで大きなカタマリになっていく姿だと思いました。

そのときに巻き込んだ雪はいびつになっているので、手で押さえてそして丸くなるように形を整えていきます。
 
大きくみえたカタマリは押さえていくとかなり小さくなる。

今のお金はこの手を加えて形を整えたり丸くしていくという工程が抜けているんだと思います。
 
膨らませるだけ膨らませる大きくするだけ大きくする
 
儲けるだけ儲ける
 
取れるだけ取る
 
転がすだけ転がして巻き込むだけ巻き込む
 
お金の本来の姿とは人に喜びを与えてそのお返しとして与えられるものですよね。
 
家で肉じゃがを作った、うまくできたけどたくさん作りすぎて残ってしまった。
 
「そうだ、お隣りさんにわけてあげよう」

お隣さんは旦那さんが失業中で食べるものにも困っていた。
 
お隣さんはその行為に涙がでるほどうれしくて感激した。
 
そして旦那さんは就職をあきらめかけて、自暴自棄になっていたが次の日、必死に頼み込んで仕事を得ることが出来た。
 
仕事が落ち着いてきたとき
 
そのお返しにお隣さんを自宅に食事に招待した。

テレビでそんなドキュメントを放映されていたけど人間の本来の物の交換とは物々交換だと思います。
 
それも愛のこもった
 
その愛の代わりにお金が使われるようになっただけなのです。
 
だから愛がないのにお金を転がすのは全然違うと思う。
 
そんなもので増えていっても愛は大きくなっていない
 
だからそんな不自然な姿は長続きしないのです。
 

そんなお金が大勢を占めているのなら

自然淘汰という形で無くなっていくのです。
 
お金はすぐにはなくならない
 
でも、お金を転がしている人たちから無くなっていくそうです。
 
これから本物の時代がやって来ます。




世界人類が平和でありますように ぴかぴか(新しい)





 

かもめはかもめ

 
先日、気功のセミナーで同じ年齢の人(女性)と音楽の話になって、若い頃?どんな音楽を聴いていた?という話になりまして、そのときにその人が
 
「私、かもめはかもめが好き」 と言っておられました。

私もひそかにそう想っていたので思わず頷いたのでした。

たまには、しっとりと昔の歌に耳を傾けるのもいいですよね♪



http://jp.youtube.com/watch?v=hzrxrtg4wDM&feature=related






 

2008年11月11日 (火)

消えてゆく姿はみ教えの基礎

 
● 消えてゆく姿はみ教えの基礎
 


「消えてゆく姿」 こそ、私たちのみ教えのベースとなるものです。

この中に、私たちが生命や人生をどう捉えればよいのかが集約されているのです。
 
苦しみはなぜ存在するのか。
 
なぜそれらを体験しなければいけないのか。
 
そのすべての答えが五井先生の 「消えていく姿」 の中にあるのです。
 
苦しいことが起きるのは、私たちが原罪を生まれ持っているからではありません。
 
そしてこの世に神様が存在しないからでも、すべてが不公平に作られているからでもなく、今生の自分の責任でもないのです。
 
では、多くの苦しみ、不幸、災難はどこから、そしてどうして起きるのでしょうか。
 
それらは自分が過去世から掴んでいた想いが、現われて消えてゆく姿なのです。
 
そして重要なことは、それらの姿(不調和や災難など)は、本来の自分の姿ではないということです。
 
“あなたは、あなたの目の前に起こる不幸それ自体ではないのです。あなたの身にいかなる苦悩が訪れようと、それは本来のあなたではない!”

五井先生はそれを私たちに教えつづけてくださいました。
 
では、私たちの本来の姿とは何か。
 
それは光輝いた神様と全く一つの分霊であります。

それこそが本来の私たちの姿なのです。
 
ですから、いかなる不幸や苦しみが訪れようとそれを自分だと勘違いをしてはいけないのです。

それは消えてゆく姿なのです。

それは本来の私たちの姿ではなく、私たちの過去世から現在にいたる誤てる想念が現われて消えてゆく姿なのであります。

私たちの想念というものは、その一瞬で消えているようで、消えることはないのです。

想念は蓄積され、それが時と共に形となって現われて消えてゆくのが法則なのです。
 
私たちの間違った考えが、自分たちが今までに発してきた想いが、苦しみとなって出てきているのです。
 
だからといって過去(過去世を含む)の自分を悔いる必要はありません。
 
それらは現われることによって消えるのであるから、これで消えるのだという喜びと感謝を持てばいいのです。
 
でも、もちろん苦しみを目の前に、ただ感謝して待てと言われても、普通は難しいと思います。
 
そういう時は意識を本来の自分の姿に向ければいいのです。

現われている過去の想いを掴むのではなく、本来の自分の姿を掴めばいいのです。
 
本来の、神の分霊である光そのものの自分を。
 
ではどうやってその自分の姿を掴めばいいかというと、世界平和の祈りをすることなのです。

世界平和の祈りと響き、心、意識はすべて光そのものであり、神の響きそのものなのです。
 
ですから、祈り言葉に身を任せると、自然とその祈り言葉にのって光の世界に入ってしまうのです。
 
そして本来の自分の姿を瞬時に取り戻すことが出来るのです。

この法則(真理)を知らない人は苦しみを掴みつづけてしまいます。

そして真理を知らないと、自分が不幸のヒロインになり、世の中、周りの人々、自分・・・・・と、すべてを批判するようになってしまいます。
 
人が信じられなくなり、生きる意味が分からなくなってしまい、惑わされてしまうのです。
 
そして、たとえその苦しみが消えたとしても、今度はその体験によるトラウマに把われてしまうのです。
 
その過去がベースとなってしまい、またいつ同じ不幸が自分の身に起きるか分からないという不安で、せっかく消えたその姿を自らが掴みつづけてしまうことになるのです。
 
自分の生きるベースをどこに置くかで、人生は本当に180度変わってしまいます。



● 生きるベースを真理に置く~消えてゆく姿で世界平和の祈り


 
しかし、生きるベースを真理に置き、「消えてゆく姿」を実践していくと、不幸や悲しみに把われ、惑わされることがなくなるのです。
 
「消えてゆく姿」は他に頼るものではありません。
 
あくまで自分の力で、努力で、自分の苦しみや迷いと向き合っていくのです。

真理を知り、さまざまな苦悩がなぜ現われるかが理解できたら、今度は世界平和の祈りを通してどんどん真っすぐ天とつながる意識を持ち、光で自分を包んでいき、現われている姿から離れていくのです。

他の誰かに不幸の原因を責任転嫁するのではなく、また誰かに救ってもらうのでもなく、真理と一つになっていくことで、本来の自分の姿に戻り、自らの中に内在するそれらを超えていく力を付けていくのです。
 
現われれば必ず消えるのであります。
 
その法則を知ることは、本当に大きな救いであります。

必ず消えるのであるから、苦しみが現われている時は意識を世界平和の祈りに戻して、必ず消えるのであると信じればいいのです。
 
そして、現われて消えてしまえば必ずよくなるのです。
 
これはすぐに体得できるものではありませんし、最初はとても難しいことであります。
 
しかし、この真理を本当に掴めた時、言葉では言い表わせぬ喜びと強さを自分の中に見出すのです。
 
そしてどんな困難の中でも、愛を掴み、赦しを掴める、本来の姿をそのまま現わしている自分に出会えるのです。
 
「消えてゆく姿」ほど、自分自身を支えてくれるものはないと思います。
 
み教えの原点がすべてここに存在しているのです。

今、私たちが「人類即神也」と言えるのも、この「消えてゆく姿」の教えがしっかりと自らに根づいているからこそと思っています。

本来の私たちは光そのもの、そしてその時々に暗雲が現われることもある。
 
でも、暗雲が私たちではないし、暗雲を掴んでもそれは実体ではないのであります。
 
だから意識を光に向けて、世界平和の祈りの中に身を任せ、その暗雲が私たちの前を通りすぎるのを待つのです。
 
なぜなら通りすぎてしまえば、それはあとかたもなく消えてしまうものだからです。
 
それが「消えてゆく姿」の真理なのです。




  世界人類が平和でありますように



                      西園寺 由佳



  

2008年11月 9日 (日)

マイナスの言葉を発しないようにしよう

    
言(ことば)はすなわち神なりき

とキリストの言(ことば)でありますが、これは言がそのまま現象を創っていることを言っています。

言には言霊(ことだま)というエネルギーが宿っていて、発している言には創造する力があるのです。

私たちは言葉は目には見えないので、発した言葉はすぐに消えて無くなると思っています。

しかしその言葉の残像は消えなくてずっとエネルギーとして残っているのです。

そして地球という生命体にも蓄積され、発したその人の潜在意識にも記憶されます。

個人が発した言葉がマイナスであったなら、マイナスが溜まっていって時間を経てそのまま発した言葉の状態が現われるのです。

「俺はもうダメだおしまいだ」と毎日マイナスの言葉を唱えていたら本当にダメになってしまう。

例えば、会社の社長が周りの人たちに

「俺の会社はもうダメなんだ」 としょっちゅう言っていたらいつかは絶対に潰れるのは想像出来ますよね。

そんなこと言う人はいないか(笑)

でも口癖で

「絶対無理」 とか 「そんなの不可能」とかを簡単に言ってしまっている人が結構います。

反対にどんな状況にあっても

「絶対に大丈夫、絶対善くなる」と毎日プラスの言葉を唱えているのでは結果は全然違ってきます。

エネルギーは言葉の通りになろうとするからです。

みんなすぐに結果に現われないので、不用意に、簡単にマイナスの言葉を発してしまっているのです。

それが自分のみならず、地球の人類の想念をもマイナスで汚しているのです。


これをカルマとか業(ごう)と言います。


人間は自分の発している言葉で自分自身も私たちの地球も破滅寸前まで追い込んだのです。


これがほんとの自業自得(じごうじとく)ですよね。


人間は今こそ言葉の影響力の大きさに気がついて改めていかないといけないと思います。

 
それにはまず、自分がマイナスの言葉を発しない、出さないことを意識することです。

 
マイナスを発することが日常化していることもあります。
 

人が発するマイナスに同調してしまうこともあります。
 

そこを意識して気をつけてやめていくのです。
 

人は関係ありません。


一日をほとんどマイナスを発しないで巻き込まれないで終われたらどれだけスッキリさわやかな気持ちになれるか?


自分のこともそうですが地球に新たな業(ごう)を積まなくて済むのです。


この世を善くしていくキー(鍵)は気づいた人からアクションを起こしていくことだと思います。




  

2008年11月 4日 (火)

人生は素晴らしい

 
幸せはどこにでもある。
 
自分のすぐ近くに、自分のすぐ手の届くところに。
 
幸せは私達の周りをいつも取り囲んでいる。
 
いつも用意されている。
 
決して遠くにいるのでも、逃げるものでもない。
 
もっと端的にいえば、自己の内に幸せは存在しているものなのである。

幸せを求めても得られない人は大勢いる。

求めている人のすぐ近くに存在しているにもかかわらずなかなか得られない。
 
幸せを得られない人は幸せということが一体どんなものであるのか、本当に理解していない人である。
 
幸せとは或る特殊な特別な状態をさすのではない。

幸せとは平凡の中に一際輝いて、いつも存在しているものである。
 
さて、幸せを求めても得られない人は、自分の心の中に幸せな心を自覚していない人である。

幸せな心とは日常茶飯事、どんな些細なことに対しても、心から感謝が出来、また感謝が湧き起こってくる心である。

日頃、感謝の心の無い人に幸せが訪れる筈がない。



     
                 日々の指針 西園寺昌美



 

2008年11月 3日 (月)

イメージは奇跡を生む

  
先ほどの日記で、イメージすることの大切さ の中で人間は思ったこと想像したことが現実になる、ほんとうになると書きました。

つまり、自分ですべてのものを創りだすことが出来るのです。

それはすなわち、人間は創造主であるということです。

創造主のことを神といいますね。

だから人間は創造主である神そのものなのです(人類即神也)

人間は神から分かれた分霊(わけみたま)なのです。

肉体を纏ってはいるけど肉体を剥ぎ取ったら心、つまり霊そのものになる。

その霊は神から分かれた霊なのです。


だから、人間は思ったことを創造、創りだすことが出来る。


地球の今の現実も人間の想念が創り出したものなのです。
 

善いものをイメージすればいいのに

悪いことをイメージしてしまった

だからこんなになってしまったのです。

でも、これから善いことを想い、善いことをイメージしていけば

必ず素晴らしい地球になっていくのです。
 

キリストは何故、たくさんの奇跡を起こせたか?

それは自分が創造主であることを知っていたからです。

だから創造主の神の力がそのまま宿っていた

キリストは本当に奇跡を起こしていました。

病気の人も治したし、山を動かしたり、海の上を歩いたりもした

民衆はキリストに会えば助かると思っていた

ある盲目の人はキリストに会ったら必ず自分の目は見えるように

なると信じていました。

そして目の前にキリストが現われたと聴いたとき

一瞬にしてその人の目は見えるようになった

でも、それはキリストが治したのではなかったのです。

キリストに会うと目が見えるようになるという

絶対の信念が奇跡を起こしたのです。

その人は、キリストに会う前に、未来に自分の目が見えるようになるというイメージを刻印していたのです。

エネルギーが臨界点寸前まで行っていた。

そしてキリストと会ったことでその臨界点を超えたのです。

キリストだけでなくその人も創造主だったのです。

近い将来において病気が治る、無くなっていくのは人間が自分が創造主であることに気づく、いや思い出すからなのです。


世の中には病気の人がたくさんいますよね

歩けない人

目のみえない人もたくさんいます。

その人たちに是非、イメージすることの大切さを知らせていただきたいのです。

「歩けるようになりたい」ではないのです。

「歩けるようになりたい」では歩けるようになりたいと思っている自分で止まってしまうのです。

ではなく、もうすでに歩いている自分です。

外をさっそうと歩いている

元気に歩き回っている自分です。

盲目の人が見えるようになっている自分をイメージしたのと同じです。

エネルギーをね、過去から現在、未来に流すのではなく、イメージした未来から今に流すのです。

今までの考えは原因があって結果があるという因果説(いんかせつ)だったのです。

だから原因(今)がマイナスだったら、結果(未来)はマイナスにしかならない

全然楽しくないですよね(笑)

これからの考え方(進化した宇宙の法則)は果因説(かいんせつ)なのです。

未来に刻印した素晴らしい未来を今に引き寄せてくる

プラスからプラスをひき寄せてくるのです。


これ以上のプラス思考はないですよね わーい(嬉しい顔)


そして、この考え方は世界平和の祈りそのものなのです。

宇宙の法則そのものなのです。

私たちは宇宙人なので宇宙の法則に乗ることが一番なのです。




世界人類が平和でありますように

日本が平和でありますように

わたくしたちの天命がまっとうされますように

守護霊様ありがとうございます

守護神様ありがとうございます



 

「なんでこんなことを想ってしまうんだろう?」はいらない

    
朝、起きてから夜寝るまでの間、私たちは色んなことを想います。

「さっきまですごく良いことを想っていたのに今はなんでこんなどうでもいいこと、しょうもないこと、くだらないこと、下品なこと・・・・etc・・・・」 と想ってしまいます。

そしてその想ったetc(エトセトラ)をつかまえて、

「なんて自分はこんなことを想ってしまうんだろう、情けない」

と自己嫌悪に陥ります。

でもね、これは自分の考えではないのです。

本心とは全然違っているのです。

想うというのは相手の心って書くでしょ

つまり相手の心に思ったことが写ってきて自分がさも思ったようになっているのです。

この相手とは話している相手だけでなく、あなたと縁のある人、今周りにいるたくさんの人を含めてです。

おそらく、何万人にも及びます。

その人たちの考え、想っていることがあなたの頭脳に容赦なく入って来ているのです。



なんの断りもなく(笑)

だから

「何でこんなことを想ってしまうんだろう?」

はいらないのです。

そんなこと何~にも気にしなくていいのです。

祈っているとね

あなたが輝いていると

たくさんの人が光を欲しくなって

救って欲しくなって

あなたの救う力が強くなって

あなたの波動圏が大きくなって

今まで何万人の想いが写ってきていたのが


何十万人になっているかもしれません。

そしたら今までよりももっ低級な人の想いも入ってくるのです。

それを自分の考えだと想ってしまって

前よりも以前よりも意識が下がったと思ってしまうのです。

下がったのではないのです。

あなたがそれだけ立派になったのです。

これまでの聖賢はそのことで相当悩んできました。

苦しんで来ました。

そして、そのカラクリが判った人が本当の悟りを開いたのです。

お釈迦様が 空 になれ

キリストが 幼子のように 何も考えるな

老子様が 無為になせ  何々のためにしようとするな

と皆、同じことをおっしゃっていたのです。



だからね、今自分が 頭で考えていること、想っていることは100%自分でないと想って、じゃなくてわかってください。

でも、あまりそのことにこだわると窮屈になるので

暗いこと、不安になること、マイナスのこと、どうでもいいこと、どうしようもないこと、たくさんの人が想っているだろうなぁと思われること(集合意識)は、

「これは自分じゃないんだ」 とおもってください。

自分の本心と人の想いがハッキリわかるようになるとす~ごく楽になります わーい(嬉しい顔)

だったら、わかるようになるにはどうすればいい?

自分の中の色んな入り混じった想いを分けるなんて面倒くさいでしょ

「あれは人の想い、これは自分の本心」なんて

だから面倒くさいからすべての想いを宇宙に返すのです。

そしたら本心だけが返ってきます。

これがす~ごく楽しいのです♪

もう迷うことが無いのです。

祈りによって、自分の想いをすべて自分のふるさとの宇宙に返してしまうのです。

そしたら生命が活き活きと輝いて来ます。


祈りとは、いのちがのりだすという意味なのです。



本心だけが光輝くということなのです。



世界人類が平和でありますように ぴかぴか(新しい)


 
    

善いことのみをイメージする

   
私たちは過去や現在の状況から未来のことを想像します。
 
想像は創造になって現実になります。

だから今、想っていることがとても大切なのです。
 
心の内が外に現われる
 
想ったことが現われるのだけど
 
肉体界と幽界、霊界、神界との違いは肉体界は想ったことは想ってから現実に現われるのに時間がかかるけど、その他の世界は即、現われるのです。
 
だから

「あいつ腹立つなぁ、殴ってやろうか」と想ったらその想いは即相手に

届いて、パンチがすぐに返ってくる。

自分の想ったことが鏡になって自分に返ってくるのです。

だから肉体界は楽なのです。

「あいつ腹立つなぁ、殴ってやろうか」と想ったのを

「あ、いけない今のは違います、○○さんごめんなさい、殴るのやめます」

と反省すれば、パンチが返ってくる前に消してもらえるのです。

今はね、実は、ほとんど幽界の世界になっているのです。

だから相手の想っていることがわかったり、想ったことが早い時間で現われるようになっています。

地球がアセンション(次元上昇)するというのは肉体界から幽界、霊界
を経て神界が現われてくることなのです。

つまり最後には地上天国が訪れるのです。

今はそれまでのプロセスです。

霊界、神界は素晴らしい世界なんですが幽界は人間の想い、つまり想念が造ったマイナスの想いの世界なのです。

今、人間はほとんどの人がマイナスを想っている。

するとそのマイナスが地球の潜在意識の中に溜まって、時間を経て顕在意識に顕れてくるのです。

個人もまったく同じです。

だから、その幽界に溜まったマイナスの想念を消していかないと肉体界の現実は善くなっていかないのです。

今、いろんな暗い事件や信じられないことが起こっているのは人間が想いでつくった幽界が写ってきているのです。

だから今、私たちに出来ること、すべきことは2つあります。

まず、もうこれ以上幽界に潜在意識の中にマイナスの想念を溜めこんでいかないことです。

そのためには、善いことのみをイメージするのです。

家庭においては、家族が明るく楽しそうにしているイメージ

子どもが笑っているイメージ

病気が治って健康になっているイメージ

善いことをイメージすると病気も治るのです。

アセンションすると病気というものが無くなるというのは病気が治るのではなく、人間がマイナスをイメージしなくなるということなのです。

地球規模で言えば、地球が平和になっていること

戦争が無くなって争いが無くなってみんなが幸せになっていることをイメージするのです。

そして2番目は幽界のマイナス想念を消していくことですが、目に見えない世界、霊の世界は肉体人間にはどうすることも出来ません。

消すことができるのは、私たちを守ってくださっている守護霊様守護神様なのです。

だから消してくださっている守護霊様と守護神様に感謝するのです。

感謝は光なのでその光は守護霊守護神に届いてマイナスの想念が早く消えていくのです。


今まで書いたすべてのことが叶う祈り言葉が世界平和の祈りなのです。




世界人類が平和でありますように  

日本が平和でありますように         

私たちの天命がまっとうされますように  

守護霊様ありがとうございます

守護神様ありがとうございます





 

2008年11月 2日 (日)

空即是色

 
目に見えるもの、形のあるものはどんなものでも必ず消えて行きますよね。

もちろん人間の肉体も・・・

そして最後に残るのは 心 だけ

そして心は人それぞれ、別々に分かれているのではなく、元は一つの光から来ている。
 

だから、あなたも私もない


自分もわたしというものもないのです


それがわかると今、目の前で何が起ころうと怖いものは何にもない


消えていくべきものがただ、自然に消えていくだけだから


あたり前のことが起こっているだけだから


これから心だけで生きていく時代になる


なんて素晴らしいことなんだろう
 ぴかぴか(新しい)



 

心を全開せよ

  
何をそんなに思い煩っているのだ。
 
何もかも自分一人で背負うとするから混乱してしまうのだ。
 
あなたは一番根本なることを忘れている。
 
それはどんな人にも守護霊様守護神様がついておられるということだ。
 
そしてその守護霊様守護神様が必ずその人の運命をよくしようと、日夜努力し導いて下さっておられることだ。
 
あなたのすることといえば、ただその人の為に、その人の天命を祈ってあげさえすればよいのだ。
 
夫の為に妻の為に、愛する子供達のために、友人知人の為に、両親、祖父母の為に、ただそれだけでよい。

だがあなたはその人の心をあまりに思うあまり、その人の為をあまりに考えすぎる為に、すべての責任を自分一人で背負うことが正しいと想いこんでしまっているのである。
 
その人の運命はその人でなければ切りぬけられないものである。

思い違いをするな!
 
思いあがるな!




              日々の指針   西園寺昌美 



 



 

不安はちいさいうちにつみとれ

 
一つの不安、一つの問題、一つにトラブル、一つの悩みに心が把われている時、又、いつまでもそのことにだけ心を奪われていると、解決どころか、ますますその不安、悩み、問題は自分の心の中で大きく成長していってしまう。

その一番の解決方法は、出来るだけその問題から心をそらすことに専念し、逆にその問題が解決した後の、未来の素晴らしいこととか、明るいこととか、楽しいこととかを心に描くように試みるのである。

すると、いつの間にかその問題は自然に解決されてゆく。




                  日々の指針  西園寺 昌美





 

精神的に落ち込んでいるときの方が自然体・・・・

   
人間って順調に行っているときよりも、精神的に落ち込んでいるときの方がその人らしさというか人間らしさが出ていると思います。

「この人にもこんなに弱いところがあるんだな、かわいいな」

と思ってしまいます。

調子に乗っていけいけどんどんのときは感謝を忘れたり、自分の力を過信したり人を見下したりしやすいのです。

でも落ち込んでいるときは、自分の無力さに自己嫌悪にも陥る。

その自己嫌悪の状態とは自分を客観的に見れているし謙虚になっているので真理(本当のこと)に素直に聴けるのです。

謙虚とは自分の我(想い)ではどうにもならないと気づくことです。

まともな状態なのです。

だから落ち込んでもいいのです。

そしてそのときが守護霊、守護神がメッセージを送りやすいときなのです。

自分でどうにかしようとしているときは

自分の想いでエネルギーを動かそうとしているのです。

想いは重いのです。

良い方向へ行こうとしているのを止めているのです。


物事は不思議なことにそこから想いを放ったときにうまくいくようになります。

不思議なことに

「もうどうにでもなれ」

と投げ出したときにうまくいくことがあります。


私が行き詰まった状態になったとき

メンターは

「あきらめなさい、あきらめるとはあきらかにすることなのです」


とおっしゃいました。



思い詰めるからしんどいのです。

期待するからしんどいのです。

求めるからつらいのです。


自分でどうこうしようとするから余計にうまくいかないのです。


目にみえない人の心のことは、どれだけ思い通りにしようとしてもコントロール出来ないのです。

出来るのは自分の心を落ち着けて、冷静になって自分の本心に耳を傾けることなのです。


そうするとどうすればいいのか?


心の奥の方から答えが返ってきます。


答えは外にあるのではない、自分の心の内にあるのです。


これからは自分のことは自分で解決していく次元に入っていきます。


自立出来る自分になることが本当の


アセンション(次元上昇)なのです わーい(嬉しい顔)


  
    

本当の愛

   
「子どもは親を選んで生まれてきてはいない」

親が子どもを虐待したり、監禁したりしている事件を目の当たりにすると

「それでも親か、そんな親に育てられた子どもはかわいそうだ、子どもには何の罪もないのに」

と誰でもが想う感想です。

だったらその子どもは不幸なのか?

生まれて来なかった方がよかったのか?

そうではないのです。

神様は人間を不幸にしようとして創ったのではなく幸せにするために、愛を学ばせるために創ったのです。

そして人間は、幸せになるために愛を学ぶために今、地球に肉体を持って生まれて来ました。

でもその子どものように親に愛のない仕打ちを受ける

食べ物の無い地域に生まれたりする

戦争ばかりして平和のない国に生まれたりする

そんなこどもたちに比べて自分や自分のこどもたちはまだましだ、ずっと幸せだと思うのは違うのです。

人間の真の幸せとはどれだけの愛を受けるかではなく、どれだけ魂が磨かれるか、どれだけ試練に耐えて乗り越えて強くなっていくかなのです。

その試練を乗り越えることが本当の魂の喜びなんです。

肉体人間の自分は穏やかで平和で何の苦労もない生活を望むけど

魂の親である守護霊、守護神はどうしたらこの子の魂が磨かれて輝いていくかを考えているのです。

そして、その魂にとって一番ふさわしい場所を選んでそこで魂の修行をさせるのです。

不幸でもかわいそうでもないのです。

神様は、自分の子どもを絶対に不幸になる場所に住まわせたりしないのです。

今は誰の目から見ても不幸な人かもしれない

目を覆いたくなるような状況になっているのかもしれない

でもその人の魂にとっては、その状況は後で必ず、魂にとってプラスになることなのです


だったら放っておけばいいのか?

見て見ぬふりをすればいいのか?

それも違うのです。

魂のこと、心の成長のことは肉体人間の頭、レベルではわかりようがないのです。

もっと自分の心の奥に入っていかないと魂のことも何が正しいのか?

もわかりようがないのです。

魂のことはもっと深いところにあるのです。

だから 空 にならないと自分がスッキリしていないと迷ってばかりいるのです。

本心を繋がるということは相手の守護霊、守護神とも繋がるのでどうしたらいいのか?が瞬時にしてわかるのです。

相手の守護霊、守護神の真意がわかるのです。

そして、そこで行う行為とは自分がしているのではない

神様がそのまま動いた姿になるのです。

だから肉体人間のすること、出来ることなんてなんにもないのです。

自分はただ、自分の肉体の器を神様に渡したらいいのです。

わたしというものはない、ただ神様にわたすだけなのです。



世界人類が平和でありますように

日本が平和でありますように

わたくしたちの天命がまっとうされますように

守護霊さまありがとうございます

守護神さまありがとうございます


我即神也

人類即神也

人即神也

○○さん即神也

 


 

2008年11月 1日 (土)

孤独が好き

  
真理に目覚めてくると、いろんなことが直感でわかってくるようになると、一般の人たち?と接するのがしんどくなるのです。

波長が合わないというか、見ている視点や意識しているところが違うのでどうしても噛み合わなくなってしまう。

精神的なものを求めていけばいくほどそうなっていきます。

だから出家したり、山里にこもったりする人の気持ちがわかるような気がします。

家族には言えませんが

「一人になりたいなぁ」 なんて思うことはしょっちゅうです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


でもね、逃げてはダメなのです。

私の天命はウマの合わない人、波長の違う人と溶け合っていくことなのです。(それだけではありませんが)

その人たちとは前世で相当、えげつない(すいません大阪弁で)仲だったと思います。

だって相当長い時間、家庭や職場で一緒にいるのに心を開放させることが出来ないんですから・・・。

たぶん敵同士だったんじゃないかな(殺し合いをしてた)

私の特技?は、誰とでもすぐに親しくなれることなんですが

相手によるのです。

人によるのです、相性のいい人とは前世でかなり良い人間関係が築けていたのだと思います。

だからそんな人と仕事をするとスムーズに行くし一緒にいて気が休まります。


「このギャップはなんなんだ!」 げっそり


“ 悟りとは、差を取ること ” と聴いたことがあります。

相手と自分との垣根を取っていく、心の隔たりをとっていく

そして、心を一つにしていく・・・・・


それが 愛 なんだとわかっているけど、そんなにうまくはいきません。

そうですよね、みなさん (一部の人かもしれませんが)

でも、焦らずに、逃げずにボチボチとやっていきます。

時間が解決することもありますからね

そんな溜息をつきたくなったとき、前にも書いたのですがお釈迦様の一言が救ってくださいます。



「沈黙しているものも非難され、多くを語るのも非難され、少しを語るのも非難される。世に非難されない者はいない」


この世に生ある限り、何をしても人は非難の目、嫉妬の目をもって他人を見つづけるのである。

人の目を気にして生きていたならば、自分の身が持たない。

天の目を気にして生きてゆくことだ。


                     西園寺 昌美





世界人類が平和でありますように

人類即神也

我即神也



 

 

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