« 2008年4月 | トップページ | 2008年6月 »

2008年5月29日 (木)

幸せになってほしい

  
同窓会のことは、もう書かないって書いたけど決めつけないで、やっぱり書きます(笑)
 
同窓会には82歳になられたF先生(女性)が来てくださいました。
 
その当時からマイナスの言葉を発しない生徒を勇気づけてくれる先生でした。
  
そのお姿は変わることなく

「あなた達は素晴らしい、あなた方はこれからの日本を背負って、善くしていく特別な人たちなんです」
 
「だから自信を持って堂々と生きていってください」
 

そこには私たち生徒に対する想いだけではなく、日本の、世界の幸せを願う高い志(こころざし)がありました。
 
みんなシーンとしてその情熱のこもった声に聴き入っていました。
 
会が終わり、お礼の電話をしたときに、F先生は

 
「みなさんには、ほんとに幸せになってほしいのです」 と言われたのを聴いたとき、先生の愛の深さに感動しました。

どれだけ人に無償の愛を与えられるか?それがその人の生きてきた証(あかし)ではないのか?
 
先生と再会して、そんなことを感じました。
 
 
先生、感動をありがとうございました。



  

淡々と・・・。

 
今、私の中で心がけていることは何事も感情を入れずに淡々と行うこと
 
これは簡単そうでなかなか難しい
 
仕事においても普通にしているつもりでも、気がついたら何かにイライラしていたり、何かを期待していたり、何かにとらわていたりする。
 
「機械のように淡々と出来たらいいのに」
 
これは冷酷(れいこく)になれという意味ではなく、冷静で落ち着いているという意味です。
 
テレビのニュースを聴いているとアナウンサーの人は淡々と事実だけを伝えている(そうでない人もいますが)
 
どんな悲惨な事件でもどんなにエキサイティングな出来事でも感情を入れずに目の前の紙面に集中して、語っている。
 
テレビの前で聴いている人、観ている人はその冷静さに影響されて必要以上に興奮しなくなる。
 
アナウンサーの役割は、ただ事実を伝えることだけであって、それ以上のものではない。
 
受け取る側がどう判断するかには関知してはいけないのだ。
 
 
物事の成功、成就には必ず冷徹と呼ばれるようなどんなときにも冷静で的確な判断のできる人が必ず存在する。
 
 
しかし周りのほとんどの人はそれに気づかない


そんな人はほんとに貴重で、尊い存在だと思う。




   

ちょっといい話

     
いい指導者に恵まれるということは、その人にとって多大な影響を受けることになり、計り知れない宝を受け取ることになる。

自分の今の幸せは素晴らしい指導者に巡り合えたことにある。
 
いい指導者ってどんな人なんだろう?

それは、自分の天命、自分の人生をひたむきに一生懸命に生きている人だと思う。
 
そして自分と縁のある人に愛を注ぎ、決して成果、結果を求めない、人の幸せを我事のように喜ぶような人

人の幸せとは自分の足で歩けるようになること、つまり自立することだと知っている人
 
 
我母校のHPのブログに、ガイダンス部の部長さんが新入生に送った言葉が書かれていました。

読んでいてその先生の熱意が伝わってきて、後輩たちは幸せだなぁ、素晴らしい先生だなぁと思いました。

 


  

ガイダンス部部長の話から。3年後どの進路を選ぶにしても大切なこととして3つのポイントをあげました。
 
①人の話をきちんと聴くこと。学校という場は基本的には勉強する場。嫌いなこと嫌な授業もあるかもしれないが、それを我慢し耐える練習をしよう。50分間静かに授業が受けられる人は、どこに行ってもやっていける人です。授業はある意味、修行の場なんだよ。
 
②学校は集団の場を学ぶところです。マナーを含め、人とどうつきあうかを学んでほしい。自分の個性や主張を通すばかりでなく、他者とどう折り合っていくかが大切。自分を尊重してほしければ他人もまた尊重しましょう。他人もまたその人生の主人公なのですから。
 
③自分の可能性をとことん追求してほしい。生きたい進路をつかむにはただ待っていてはダメです。クラブにせよ趣味にせよ、99%の努力を傾け、自分の可能性(才能)を発見してほしい。

 
 「○○○を選んでくれてありがとう」と語りかけた広報生徒活動部長のN先生。

聴いていたこちらまで熱くなるお話ばかりでした。
 
これからの未来が広がる新入生。
  

自分探しの旅は始まったところです。





   



   
  

2008年5月28日 (水)

音楽っていいですよね♪

 
理屈抜きで音楽っていいですよね♪
 
不思議なことに音はその人の心の中が現われてくる
 
だからいくら声量があって、いい声をしていて、上手かったとしても人を感動させるとは限らない。
 
カーペンターズの歌はもうかなり昔だけど今でもテレビのコマーシャルや有線でも流れています。

なにか、ほっとするような、懐かしいような・・・・。
 
その中で今、私が気に入っている曲があります。
 
よかったら、聴いてみてください♪

http://www.youtube.com/watch?v=VaxkSA49svw&feature=related



 




  

謝ってしまおう

 
息子が朝からどうでもいいことで絡んできました(笑)
 
いつもだったら言い返して感情のキャッチボールがあるのだけど
 
「そうか、ゴメン」 と謝った
 
息子が急に冷静になった
 
「うん」
 
それで、もう嫌なエネルギーが消えていった
 
どうでもいいことで良い、悪い、正しい、間違っていると議論しても無駄なエネルギーを使うだけだ。
 
それよりさっさと謝ってしまって明るい、プラスのエネルギーを出したほうがいい
 

 負けるが勝ち って言葉がある
 
 
そんな意味なのかなぁ~






 

肉体から意識を外す

   


「肉体から意識を外すのです」
 W先生がレッスンのときによくおっしゃっていました。
 
どういうことかと申しますと、人間はインターネットに繋がったパソコンのようなもので頭の中を色んな想い、想念が交錯しているのです。
 
だから一日の中でも躁になったり鬱になったり、元気になったり元気でなくなったり、落ち着いていたり不安になったり、・・・・そして、その違い、落差に振り回されて疲れ切ってしまう。
 
「助けてくれ、なんとかしてくれ~」 と叫びたくなる
 
でも誰も自分の心の中に入って助けてくれる人はいない
 
このしんどさは何なんだろう?
 
それは肉体に意識があるから・・・。
 
不思議なことに寝ているときは苦しいことはない
 
起きているときのあの頭を駆け巡る雑念が消えている
 
それは寝ているときは肉体から意識が外れて心の奥へ入っていっているからなのです。
 
心の奥には穏やかな落ち着いた、不動心の自分がいるのです。
 
そこが本当の自分の居場所なのです。
 
 台風の目 ってご存知ですか?
  
台風の渦の真ん中はほとんど動いていない
 
外側がどれだけ荒れ狂っていても真ん中は静かでいる
 
肉体から意識を外すとは、その中に近づいていることになるのです。
 
肉体から意識を外す簡単な方法があります。
 
運動をする、ストレッチをするといいです。
 
運動をすると意識は肉体から離れて動かしている身体の一部に移ります。
 
結果的に肉体から意識を外したことになる
 
雑念をシャットアウトしたことになる
 
そして身体には色んな人の想いがこびり付いている
 
人ゴミに行くと疲れるのは色んな人のエネルギーをもらってしまっているのです。
 
疲れるとは、とり憑かれるという意味なのです。
 
運動、ストレッチはそのエネルギーをとり払うことが出来るのです。
  
調和波動気功ではストレッチのことを動功(どうこう)と言います。
 
運動とは運が動くって書きますよね
 
マイナスの想念から離れて、運気が上がるって意味だと思います。
 

だから動功をすると訳もなく(本当はあるのだけど)うれしくなる、幸せな気分になるのです♪




  



  

私たちはみな自分の考えを

    
この文章はまだ言葉のわからない自分の娘さんが新幹線のなかで大声を上げて遊んでいるのをイライラして 「静かにしなさい」 と叱ってしまったあるお母さんの手記です。
 


私たちはみな自分の考えを持っています。固定観念を持っています。
 
そんな中で相手の考えを100%理解することや、自分の気持ちを相手に完璧に理解してもらうことは非常に難しいことであります。
 
従って、自分の気持ちを相手に伝えるためには、相当な努力と忍耐力が必要となってきます。
 
娘は今は言葉が理解できないために私の気持ちがなかなか伝わらないのですが、言葉が分かる者同士でも、これ以上に理解し合うことが難しいことがよくあるのではないかと思いました。
 
その時に自分を見失わず、努力と忍耐力を維持し、お互いの固定観念の壁を乗り越えられるかが何よりも大切だと痛感しました。
 
また私は、娘が私の言っていることを理解できないために、同じことを何度も何度もやり続けることに対して、だんだんイライラしてくるのです。
 
そんな自分の心の変化を自分で客観的に見ながら、おそらくこのような態度を私は他の人々に対しても取っているのだろうな、と娘に対する自分の態度を振り返り、反省したのでした。
 
自分がふとした時に示す反応は、自分の日頃の思いや習慣がつくるものであります。
 
私は自分の気持ちが理解されない時、それを理解してもらおうと努力と忍耐力で乗り越えようとするよりも先に、イライラする、という反応が出てしまうということを知りました。
 
この反応が私のとっさの行動であることを知ったことで、自分の悪い習慣に気が付くことが出来ました。
 
そして、ふと私の祖母が私たちに話してくれたお話を思い出しました。
 
祖母は、犬が家の畳をかじろうが、家の中のお花を食べようが叱らないそうです。
 
「犬は何も悪いことをしていないのに叱ったらかわいそう」 というのが祖母の考えなのです。
 
どういうことかと申しますと、犬は興味のあるものをかじったり食べたりするのが仕事だし、そういう習性をもっているので、人間の都合でその行為を叱るのは祖母には出来ないというのです。
 
そんな祖母の話を思い出し、おそらく祖母は私のように、大声で遊んでいる娘を叱ったりはしないのだろうな、と思ったのでした。
 
娘と過ごすことで私は自分を知ることが出来ています。
 
子どもを育てることで親も成長するとよく聞きますが、この言葉は本当だな、と改めて感じたのでした。
 
もっと努力し、忍耐力をつけ、日々の習慣を見直しながら、祖母のようにおおらかな気持ちで、多くの方と接することが出来るようにならなくてはいけないと痛感した一日でした。




 
わたしたちが日常生活で人に対してイライラする、感情的になることはほとんどこのようなことだと思います。
 
私はついこの間、「人は自分の鏡だといいますが、どういうことですか?」とある生徒さんから質問されました。
 
そのとき言葉に詰まって即答できなかったのです。
 
それが何だったか今、わかったように思います。
 
人は自分を成長させるために存在してくれている

ほんとにそうだなぁと思います。






  
 




  

同窓会が終わって・・・

 
同窓会が終わった・・・。
 
何か私にとって、今は、嵐が過ぎ去った後のような気分なのです。
 
みんな喜んでくれたし自分でも満足しているのだけど、前回の時とはどこかが違う、何かが違う
 
前回は同窓会前後に色んなことをブログに書いた。
 
今回は前回よりもドラマティックだったのに、感動もたくさんあったのになぜかそのことを書こうという気にならない
 
それはたぶん自分の心の中でやるだけやったという充実感があって、何も浮かばないのだと思う。
 
そう、もう過ぎ去ったことなんだ
 
余韻に浸る間もなく、次にすることが待っている
 
気功への関心も強くなって、求めている人も増えてきた
 
だから、余韻を楽しんでいる暇はない
 
同窓会に来てくれた人たちも、もう忘れているだろう
  
それでいいんだ
 
祭りの後の寂しさっていうけど、寂しいことなど何もない
 
この世のものはすべて消えていく
 
目に見えるもの、みえないものも常に新陳代謝して新しいものへと代わっていく
 
新しいものは次の瞬間、もう古いものとなっている
 
今はそのスピードが早い (以前と比べて)
  
善いこと、悪いことも、目の前や、心の中を次から次へ通り過ぎ、消え去っていこうとしている

その後に素晴らしい時代が来ようとしている
 

素晴らしい時代が出番を待っている

 
そう、もうそこまで来ているのです・・・。






 

2008年5月27日 (火)

気功教室オリエンタルウインド

 
 
私たちがお伝えしたいのは、
「すべての人は自らで自らをいやせること」

本来人間は完全円満に機能するよう、生まれついています。
ですが、現代に生きる私たちは薬や病院、学校や
「何か自分を治してくれる所」に治してもらわないと
自分を癒せないと思っています。
その「何かにいやしてもらえる」という思いが
実は結局自分を不調和な状態にしています。

私たちの気功レッスンは、
レッスンにきて「治って」いただくのではありません。
自分で自分を整え自然治癒力を高め、
本来の自分自身に戻っていただくための気功法をお伝えしています。

心配されなくても大丈夫。
お伝えしたことを毎日の生活で実践していただければ、
必ずどなたでも変わります。
少しずつでも続けていけば、
ある日悩みがすっかりいやされていることに気付く日が必ずきます。
私たちもそうでしたから…

私たちが幸せになれたように、皆様にも幸せになっていただきたい

それが気功教室 Oriental wind の願いです

2008年5月23日 (金)

ごめんなさい

  
すいません、同窓会が明後日に迫っていてその準備でブログが書けていません。
 
にもかかわらず、毎日たくさんの人がアクセスしてくださっています。
 
終わりましたらまた書いていきますのでよろしくお願いします。
 
ところでみなさん運動してますか?
 
スポーツと運動の違いってなんだろう?
 
って思いますが軽い運動、ストレッチは気分転換にもなりますし、していると身体の中の細胞が喜んでいるのがわかります。
 
受験勉強をしている息子にもこの記事を見せてすすめてみようと思っています。
 
みなさんもいかがですか?



 

通常、タイトルに「超重要」なんて書かないようにしてるんですが、あえて書きました。
受験生にとって、軽い運動は大切です。というか、必須だとすら言えるかも。
教材を紹介するこのカテゴリーとは、関係無い記事ですが、重要なので書きました。

大学受験と運動は関係が無いように思えますが、実はそうでもないんです。

というか、運動をしないで、勉強ばかりしていると
頭の働きがニブくなって、勉強の能率が下がります。

一日中勉強するスケジュールを組み込むよりは、
勉強の合間に軽い運動を組み込んだスケジュールのほうが
最終的な勉強の能率は、絶対に上がります。絶対に。

一応、自分なりの()科学的根拠を述べておきますと

脳というのは、体内の器官の中で最も酸素を消費します。
特に、頭脳労働である受験勉強は、その脳を激しく使うため
たくさんの酸素が必要になってくるんですね。

ところが、勉強ばかりしていると、酸素の消費量は膨大になるのに、
血行は悪くなっていくので、酸素の供給量が落ちていってしまいます。

その結果、充分な量の酸素が脳に届かなくなるため、
頭の働きが鈍くなり、勉強の能率が落ちてしまうわけです。

これは、多かれ少なかれ誰でも経験していることですね。

ところが、その中に、軽い運動を組み込んでやると、
血行が改善されるので、頭の働きがよくなります。

その結果、受験勉強の能率が上がるわけですね。

で、軽い運動と言っても、どんな運動をするかですが、
ジョギングやランニングに代表される、有酸素運動が最もいいと思います。

有酸素運動をすることによって、体内の血行が良くなり、
脳にたくさんの酸素が供給されるようになりますし、ストレスの解消にもなります。

あまり頑張りすぎて、クタクタになるほどやってしまうのは、困りものですが、
軽い負荷で運動した後、少し休んでから勉強すると、
かなりいい感じで、受験勉強を進められると思いますよ。

受験勉強は頭脳労働なので、意外と見落とされがちですが、
軽運動が勉強の能率アップに与える影響は無視できません。

ぜひ、一度試してみてください。




 
 

2008年5月20日 (火)

受験勉強

 
息子は今、浪人中です。
 
毎日どんな心境で勉強をしているのか?私は知る由もありません。
 
勉強が好きな人っているのだろうか?
 
モチベーションを維持するにはどんな工夫をすればいいのだろう?
 
下記の対策には見習うことが含まれています。
 
毎日、受験生に送られてくるメールになるほどとうなずく文章があります。
 
そこには真理がちりばめられています。



【ルーチン化とマンネリ化】

●受験に勝つ為には、毎日同じ様に勉強をするしかありません。
同じ事をひたすら
 繰り返すだけで、つまらない。と感じるでしょう。
私もそうです。仕事をしてい
ても、やはり、毎日同じ事ばかりです。
飽きまくってしまいます。

●しかし、同じ事を繰り返してるのに、毎日楽しそうな人も沢山います。
「朝から
 花に水をやる仕事」を考えましょう。
通常、晴れていたら水をやり、雨の日は何
もしない、で事が足ります。

●ところが『隣の花はきれいに咲いて、うちの花は元気がない』と言うことは良くあります。これはたまたまの事もありますが、たいてい原因があります。
ただ水
をあげただけなら、変わりはないはずです。

●隣の花がきれいに咲いたのは、ちゃんと理由がありました。
曇りになりそうな日
には水を加減してあげました。
お水は前日から、汲み置きして、冷たすぎない温
度にしました。
日当たりも気にして鉢の位置も1日に何度も変えました。

●そうですね。工夫をしているんです。だから、差が出ました。勉強も同じです。

 毎日単語を覚えました。
ある人は、毎日ただ10回ノートに書きました。もう一
人は、声に出して、『語呂合わせ』を考えて、歩いて歌って覚えました。

●毎日同じ事をすることを、「マンネリ」「ルーチン」両方の呼び方をします。
じ事を繰り返す、ということでは、どちらも同じです。
でも「マンネリ」は嫌な
響きで、「ルーチン」心地よい響きがします。

●両者の違いはなんでしょう。そうです。毎日同じ事をやるのは「ルーチン」ですが、これをなんの工夫もしないで続ける事を、「マンネリ」と呼ぶのです。
では、
あなたの今の学習はどうでしょうか。

●ちゃんと工夫していますか。マンネリ化させていませんか。
勉強の内容はあなた
が工夫しなくても、同じ事にはなりません。
しかし、せっかく違う内容もただの
単純暗記に変換していませんか。

●私からの工夫の提案です。毎朝5時から勉強する。しかし、マンネリ化を避ける為、場所をたまには変える。
自分の机、兄弟の机、リビングのソファー、食堂の
テーブル、単語帳をかかえての30分の朝散歩。

●毎日数学を10問解く。マンネリ化を避ける為、朝2問、学校の休み時間に3問、通学で2問、駅のベンチで1問、トイレで1問、寝る前1問。これで合計10問。毎日やっている。

●毎日同じ勉強です。しかし、本来勉強は内容が毎日違うので「飽きる」はおかしいのです。しかし、実際は飽きます。であれば対策を練る必要があります。上の例は、あくまでも参考です。

●工夫といっても、場所と時間と環境しか変える事は出来ません。ここにポイントをおいて工夫して下さい。
あと200日ルーチン化して毎日続ければ、できない
ことは何もないでしょう。

●このメルマガがマンネリ化しているって?嘘でしょう。
毎日工夫して、これだけ
 がんばっているのに「マンネリ」だなんて・・・。





 




 



  

 

本当の自分

 
禅問答のようだけど、今、あなたが想っていることは本心の本当のあなたが考え、思っていることだと思いますか?
 
おもうという字は思うと想うとも書きます。
 
想うは相手の心と書く。
 
例えばあなたはある人のことが気になってしかたがない、寝ても覚めても脳裏にその人のことが浮かんでくる。
 
なぜなんだろう?
 
それは相手の人があなたのことを絶えず気にしている、想っているからなのです。
 
ただし、恋愛などで、 
「自分のことを思って欲しい、好きになって欲しい」 と執着で相手を想い続けるのは相手の想念ではありません。
 
自分の想念です。
 
そこは混同しやすいところです。
 
 
自分の心の中を覗いてみるとそれはもうあらゆる考え、想いが交錯している。
 
さっき思っていたことと、今、想っていることは全然違うなんてそれこそ日常茶飯事です。
 
パソコンでもさっき書こうとおもって書いた内容と今書いていることはまったく違うことがあります。
 
 
「どうなっているんだ私の頭の中は?」


それは自分の本心と他人の心が交錯しているのです。
  
おもいは思い、想いの他に重いにもなる。
 
W先生は、私が頭でものを考えていると
 
「想いはあなたの本心ではない、想いは重いのです」
 
そうか、想えば想うほど、考えれば考えるほど気持ちが重たくなっていく

いつの間にか人の気持ちをもらってしまって、それを自分だとおもっている
 
爽やかなスッキリした状態から遠のいていく
 
本当の自分から離れていく
 
お釈迦様はそのことがわかっていたので人々に 
 になれ
 
気を沈めて頭で考えることをやめなさいと説かれたのです。
 
このことを想念停止といいます。
 
 
人は頭で考えるのが常識だとおもっています。
 
頭以外で考えることなど出来ないとおもい込んでいます。
 
でもそれは違うのです。
 
では、どこで考えるのか?
 
 
それは 
 で考えるのです。






 
 

2008年5月19日 (月)

不調和な人には

 
『不調和な人には穏やかに接すること』

これは先日行われたセミナーでう先生がおっしゃられたお言葉です。
  
最近つくづくそうだなぁって思います。
 
不調和な人とはひらたく言えば感情的になっている人
 
平常心でない人のことをいいます。

気が落ち着いていないときは本来のその人ではなくなっているのです。
 
相手の人が明らかに怒っているとき、怒られている方は最初は冷静に観ている。
  
なんで怒っているんだろう?
 
自分に何か落ち度があったかな?
 
でもそこで、自分は悪くないと判断すると、悪いのは怒っているあんたの方だ、なんでそんなことで怒られないといけないんだと別の怒りが生まれ、その怒りは考えれば考えるほど増幅してくる
 
自分の心の中に怒りの火種がほんの少しでも残っているとその怒りは爆発する。
 
逆ぎれされた相手は怒っているのは自分の方だ、謝るのが本当なのになんなんだこいつはと二つになった怒りの波動はすごいエネルギーになってしまう
 
ほんの些細なことから怒りの感情は広がり、収拾がつかなくなると果てには殺傷事件にまでなることがある。
  
不調和な人、怒っている人に怒りで返しても何の解決にもならない

 
 
だが、穏やかに接していると鏡の役割をすることになる
 
 
その人は相手を通して自分の姿をみることになる
 

「なんてくだらないことに感情的になってしまったんだろう、それに引き替えこの人は冷静に自分のことをみている、ああ恥ずかしい、もう怒ることなんてやめよう、ごめんなさい」
 
 
不調和な波動、波がやってきてもこちらが穏やかな波動を出していると荒い波動は落ち着いたキメの細かい波動に変わっていく。
 

自分の発している波動と相手の波動はいい意味でも悪い意味でも共鳴し合うのです。
 
 
すごくシンプルですよね♪
 
 
目に見えるものを大切にしようとしたらみえないものを意識しよう
 
 
みえないエネルギーが整えば見えるものは自ずと整ってくるのです。





 




 

2008年5月14日 (水)

素顔のままで

 
最近、音楽を聴きたくなることが多くなってきました。
 
特定の人やジャンルに関係なく聴いていて気持ちがスッキリ、爽やかになる曲が好きです。
 
人間にとってリラックスすることはとても大切です。
 
緊張していると自分本来の力が出てこない
 
緊張しているときは自分の我でなにかをしようとしている
 
頑張るとは我を張ることです。とW先生に教えて頂きました。
 
ずっと自然体でいることは難しいものです。
 
それを助けてくれるのが心地良い音楽♪
 
聴いているときは素直な自分になっているような気がします。

 
ビリージョエル 素顔のままで  



http://www.youtube.com/watch?v=-jhFs0GHmBs&feature=related





 




 

2008年5月11日 (日)

イメージすること(想像力)

 
ある方に教わったことなのですが、スポーツ選手にとっても、教師にとっても、イメージ力がとても大切なのだそうです。
 
最近のオリンピック選手のコーチは、実際に運動する時間よりもイメージ・トレーニングの時間のほうを長く選手に取らせつつあるといいます。
 
アメリカのテニス選手を育成する子どものキャンプでは、一年間ラケットを持たせず、ひたすらコートに立ってテニスをしている自分の姿をイメージさせる方法が取られているそうです。
 
そしていろいろな場面を頭の中で想定させて、それに対応する自分の姿をイメージさせ、意識に植え込んでいくそうなのです。
 
そういう練習を繰り返した子どもたちが初めてコートに立ちラケットを持つと、そのフォームの美しさといい、上達の早さといい、他の比ではないそうです。

また新米の教師が行なっていることでは、教壇に立つ前に、いろいろな生徒を頭の中でイメージするそうです。
 
あくびをしている生徒、腕を組んで、授業を全く聞いていない生徒、教室の後ろでケラケラと笑っている生徒・・・・・。
 
頭の中で生徒たちのいろいろな状況を想定し、その都度うまく対処する自分をイメージすることで、実際にそういう場面に遭遇した時も、感情的になることもなく、冷静に対応できるようになるそうです。






                          西園寺 由佳さん



感想


この文章はこのまま読んだだけでもとてもいいことを書いているなぁと思うのですが実は深い意味が含まれているのです。

今、現実に起っていることは過去、過去世において想っていたことが時間を経て現われてきていると以前、書いたことがありましたが、このことは現在想っていること、イメージしていることが現実になるということです。
 

イメージすることは未来にその姿を植え付ける、姿を刻印することなのです。
 

すると時間を経てその刻印した姿が写ってくるのです。
 

だから日頃の想念、イメージすることがいかに大切かがわかりますよね。

 
世界人類が平和でありますように という祈りも同じことで刻印された平和が未来から天下ってくるのです。



 

 

日々の指針

 
 
  
1.誤った情報、捏造(ねつぞう)された数字、歪められた真実に惑わされるな。






 

解釈
 

大変厳しい、カミナリを落としてカツを入れられたような文章だと感じます。

 
人はテレビで言っていることを本当だと信じる
人はたくさんの人が言っているのを信じていれば安泰だと思っている
人は疲れていて、それが嘘が真(まこと)かを探究するだけの気力がない


ちょっとマイナスのことを書いてしまったけど人はもっと自分をスッキリさせて直観で正しいもの間違っているものを判断できるようになりたいって思うことが大切なんじゃないかな?
って思います。
 
テレビを観ていていつも思うのは人が亡くなったとき、永眠(えいみん)っていいますよね。
 
これほど人の心を暗くさせる言葉はない
 
肉体は滅びて無くなるけど心は永眠どころか永久に生き続けるのです。
 
今の次元では、死んだらどうなるのかをほとんどの人はわかっていない
 
わからないのならわかりません、だから亡くなりましただけでいいですよね
 
 
わからないことにはわからないっていう勇気、謙虚さが必要だなぁって自分に言い聞かせています(笑)






 

幸福の定義


 
幸福、幸せを感じる瞬間(とき)とは人それぞれ全部違うと思います。
 
だから人の幸せ感を聴いてもしかたない?のかもしれません。
 
でもたまには人はどんなときに幸せを感じるのかを客観視してみるのもいいかな?


 





一生の仕事を見出した人には、ほかの幸福を探す必要はない。
カーライル

「幸」も「不幸」も存在し... 小林正観>>

「幸」も「不幸」も存在しない。そう思う自分の"心"があるだけ。
小林正観

幸せな人生は『鳥肌が立つ... 渡邊美樹(ワタミ創業者)>>

幸せな人生は『鳥肌が立つぐらいの感動に何度出会えるか』にかかっている。
渡邊美樹(ワタミ創業者)

労を惜しめば、その果実は... ギリシャ神話>>

労を惜しめば、その果実は少なし。人の幸運は、その人の苦労に宿る。
ギリシャ神話

幸福の便りというものは、... 太宰治>>

幸福の便りというものは、待っている時には決して来ないものだ。
太宰治

多く笑う者は幸福にして、... ショーペン・ハウエル>>

多く笑う者は幸福にして、多く泣くものは不幸である。
ショーペン・ハウエル

目の見える人間は、見える... ジイド(フランスの小説家)>>

目の見える人間は、見えるという幸福を知らずにいる。
ジイド(フランスの小説家)

人生はつねに幸福でない、... セネカ>>

人生はつねに幸福でない、善き人生のみが幸福なのだ。
セネカ

人は自分が幸福であること... ドストエフスキー>>

人は自分が幸福であることを知らないから不幸なのである。
ドストエフスキー

幸運に恵まれるために知恵... ユダヤ格言>>

幸運に恵まれるために知恵はいらない。しかし、この幸運を活かすためには知恵がいる。
ユダヤ格言

幸福は対抗の意識のうちに... ジイド>>

幸福は対抗の意識のうちにはなく、協調の意識のうちにある。
ジイド

幸運がもたらされても、... コンフューシアス>>

幸運がもたらされても、その全てを使ってはいけない。
コンフューシアス

少しの悲しみもない純粋な... ハイネ>>

少しの悲しみもない純粋な幸福なんて、めったにあるものではない。
ハイネ

陽気な心は薬のように人の... ソロモン>>

陽気な心は薬のように人のためになる。
ソロモン

『最もよく人を幸せにする... 立石一真(実業家)>>

『最もよく人を幸せにする人が最もよく幸せになる』
これが人生七十余年に及ぶ人生を振り返って得た結論であり、同時に私の信条信念である。
立石一真(実業家)

なんと大洋の美しいことよ... リンドバーグ>>

なんと大洋の美しいことよ!なんと大空の澄んでいることか!点のような太陽。この先どんな困難がおころうと、もう生きているだけでたくさんだ!
リンドバーグ

自ら訪れた福をすぐに使い... 幸田露伴(作家)>>

自ら訪れた福をすぐに使いきってしまうのではなく、二、三分残しておくことによって、そこからまた新しい福が育まれる。これを惜福という。
幸田露伴(作家)

我々は、自ら幸、不幸をつ... ジョンソン>>

我々は、自ら幸、不幸をつくって、これに運命なる名称をつける。
ジョンソン

幸福はまず何より健康の... G・W・カーチス>>

幸福はまず何より健康のなかにある。
G・W・カーチス

人生における無上の幸福は... ユーゴー>>

人生における無上の幸福は、自分が愛されているという確信である。
ユーゴー

日本人のように、幸せに... ラフカディオ・ハーン>>

日本人のように、幸せに生きていくための秘訣を十分に心得ている人々は、他の文明国にはいない。人生の喜びは、周囲の人たちの幸福にかかっており、そうであるからこそ、無私と忍耐を、われわれのうちに培う必要があるということを、日本人ほど広く一般に理解している国民は、他にあるまい。
ラフカディオ・ハーン

未だかつて、自分は本当に... ショウペンハウエル>>

未だかつて、自分は本当に幸福だと感じた人間は一人もいなかった。もしそんなのがいたら、多分酔っぱらってでもいたのだろう。
ショウペンハウエル

幸福とはそれ自体が長い忍... カミュ>>

幸福とはそれ自体が長い忍耐である。
カミュ

人生の最大幸福は職業の道... 本多静六>>

人生の最大幸福は職業の道楽化にある。富も、名誉も、美衣美食も、職業道楽の愉快さには比すべくもない。
本多静六

運命は我々に幸福も不幸も... モンテーニュ(フランスの哲学者)>>

運命は我々に幸福も不幸も与えない。
モンテーニュ(フランスの哲学者)

充実した一日が幸せな眠り... レオナルド・ダ・ビンチ>>

充実した一日が幸せな眠りをもたらすように充実した一生は幸福な死をもたらす。
レオナルド・ダ・ビンチ

楽しみに金のかからない人... ヘンリー・デビッド・ソロー(米国の思想家)>>

楽しみに金のかからない人が最も幸福である。
ヘンリー・デビッド・ソロー(米国の思想家)

この世で幸福になる道は一... オグデン・ナッシュ(作家)>>

この世で幸福になる道は一つしかない。澄み切った良心を持つか、それとも全然良心を持たないか、いずれかである。
オグデン・ナッシュ(作家)

いちばん幸せなのは幸せな... ウィリアム・サローヤン(米国の作家)>>

いちばん幸せなのは幸せなんて特別必要でないと悟ることだ。
ウィリアム・サローヤン(米国の作家)

喜びを人に分かつと喜びは... ティートゲ(ドイツの詩人)>>

喜びを人に分かつと喜びは2倍になり、苦しみを人に分かつと苦しみは半分になる。
ティートゲ(ドイツの詩人)

コロンブスが幸福であった... ドストエフスキー>>

コロンブスが幸福であったのは、彼がアメリカを発見した時ではなく、それを発見しつつあった時である。幸福とは生活の絶え間なき永遠の探求にあるのであって、断じて発見にあるのではない。
ドストエフスキー

一生を終えてのちに残るの... ジェラール・シャンドリ>>

一生を終えてのちに残るのは、われわれが集めたものではなくて、われわれが与えたものである。
ジェラール・シャンドリ

大抵の人は自分が幸福にな... アブラハム・リンカーン>>

大抵の人は自分が幸福になろうと決心した程度だけ幸福である。
アブラハム・リンカーン

幸福の度合いは自分がどれ... アブラハム・リンカーン>>

幸福の度合いは自分がどれだけ幸福になりたいかで決まるのだ。
アブラハム・リンカーン

机越しに交わす賢人との問... 中国の格言>>

机越しに交わす賢人との問答は一ヶ月間の読書と同じ価値がある。
中国の格言

幸福というものは、一人で... アルブーゾー>>

幸福というものは、一人では決して味わえないものです。
アルブーゾー

幸福人とは過去の自分の生... 萩原朔太郎>>

幸福人とは過去の自分の生涯から満足だけを記憶している人々であり、不幸人とはそれの反対を記憶している人々である。
萩原朔太郎

幸せは経験するものではな... オスカーレバント(米国の作曲家)>>

幸せは経験するものではなくて、あとで思い出してそれと気づくものだ。
オスカーレバント(米国の作曲家)

人間の幸せとは、金でも地... 小島直記(作家)>>

人間の幸せとは、金でも地位でもない。天職についているという気持ちで、元気に働いている満足感である。
小島直記(作家)

人類五十五億の中で、一生... 中村天風>>

人類五十五億の中で、一生に何人の人と出会えるか考えてみても、他人とともに居ることは、これまた感謝の対象になろう。千年さかのぼってみると、あなたの両親、各々の両親とたどっていくと五兆人を超えるという。いまここに生きていることじたい奇跡ではないか。ありがたいことだ。
中村天風

何も知らぬことは最も幸福... 西洋の諺>>

何も知らぬことは最も幸福である。
西洋の諺

我々は、幸福になるために... ラ・ロシュフーコー(フランスの思想家)>>

我々は、幸福になるためによりも、幸福だと人に思わせるために四苦八苦しているのである。
ラ・ロシュフーコー(フランスの思想家)

幸福の話をこれほどまでに... シャルドンヌ>>

幸福の話をこれほどまでに聞かされていなかったら、人間はもっと幸福だったろう。
シャルドンヌ

誰もが幸福についてしゃべ... マダム・ジャンヌ・ローラン>>

誰もが幸福についてしゃべる。しかしそれを知っている人はほとんどいない。
マダム・ジャンヌ・ローラン

幸福とは、縁ある人々との... 森信三(教育者)>>

幸福とは、縁ある人々との人間関係を噛みしめて、それを深く味わうところに生ずる感謝の念に他なるまい。
森信三(教育者)

自分自身を幸福だと思わな... サイラス>>

自分自身を幸福だと思わない人は、決して幸福になれない。
サイラス

あなたが他人の利益を一番... バックミンスター・フラー(米国の思想家)>>

あなたが他人の利益を一番に考えて自分の時間や心をささげているなら安心してよい。
バックミンスター・フラー(米国の思想家)

もっとも平安な、そして純... カント>>

もっとも平安な、そして純粋な喜びの一つは、労働をした後の休息である。
カント

本当に僕は幸福でした。も... ワイルド>>

本当に僕は幸福でした。もし快楽が幸福であるならばね。
ワイルド

最上の幸福は一年の終わり... トルストイ>>

最上の幸福は一年の終わりにおいて、年頭における自分よりもよくなったと感ずることである。
トルストイ

今この瞬間にあなたが無常... アントニー・デ・メロ>>

今この瞬間にあなたが無常の喜びを感じていないとしたら、理由は一つしかない。自分が持っていないもののことを考えているからだ。喜びを感じられるものは、全てあなたの手の中にあるというのに。
アントニー・デ・メロ

幸福は香水のごときもので... エマーソン(米国の詩人)>>

幸福は香水のごときものである。人に振りかけると自分にも必ずかかる。

エマーソン(米国の詩人)



 

  

さみだれ

 
さみだれを変換すると五月雨になります。
 
キーボードを触っていると色んな発見があって面白い、そして日本語、漢字の奥の深さを感じますね。
 
今日も外は雨が降っている
 
肌寒いのか、ちょっと蒸すのか、半そでの人もいれば、長そで、ジャケットを羽織っている人もいます。
 
この季節の雨って初めて意識したけど不思議ですね。
 
 
目線を上に向けると桜が散った後の樹が鮮やかな緑の葉をたくさん茂らしている。

ほんとにきれい

私はこの季節の緑が好きです

去年同窓会をしたとき、校舎の3階の窓から外を観ると鮮やかな新緑が私の目に飛び込んできました。
 
それがとてもあったかくて癒された

それまで花を見てもきれいだなぁって感じたこともなかったのに・・・
 
もしかして五月は私にとって特別な月なのかな?


と想う私でした






 

2008年5月 9日 (金)

自己の本体を知る 4


肉体人間がいくら栄華をつくし、権力を得たところで、瞬々刻々変滅してゆくのだからやがては消えてしまう。
 
いくら総理大臣だの大統領だといってみたところで、或る事変がくれば、一介の庶民よりも辛い想いをしたりして果ててしまうわけです。
 
そういうものではあきたらないものが人間の中に誰でもあります。
 
ただ業(ごう)に覆われていると気がつかないのです。
 
そんなことには見向きもしない、想いが行かないだけなのです。
 
想いが行った人が宗教的になって、心霊の研究をする人もあるでしょう。まともに宗教に入る人もあるでしょう。社会事業の面に出る人もあるでしょう。
 
あらゆる面で本当のものを求めてゆくわけです。
 
自分の本体を知れば、本当の仕事、いわゆる天命が完うできるわけです。
 


 

ここまでの感想


現われているものを求めることの虚しさは昔からいわれていますよね。

国破れて山河あり、栄枯盛衰、夏草や兵(つわもの)どもが夢の跡、花の色は移りにけりないたずらに・・・、祭りの後の・・・等
 
いくら華やか時代を送ってもいつかは衰退するのは個人も国家も同じことです。
 
その華やかな頃が心地よいかと云えばそうではなく、いつ足を引っ張られるか、いつダメになるかと不安との戦いなのです。
 
目に見えるものを追いかけていても心は納得しない、むなしくなるだけ
 
人生を何年か送ってきた人は誰しも感じることだと思います。
 
もっとしっかりしたものに繋がっていたい
 
身も心も大きなものに包まれて癒されたい
 
でもそれがどこにあるのかわからない
 
それは自分の本体がわかっていないから
 
わからないから不安でいつまでも安心立命できないのです。

先のことが読めなくて不安だけがつのるのです。
 

これからは本物の時代です。
 

本物の時代とは自分の本体が、 でわかってくるということです。
 
 
なんだかわくわくしてきませんか?



 

  


 

2008年5月 8日 (木)

自己の本体を知る 3

  
本当の人間は何かというと、神様のみ心の中で光輝いている霊なる人間なのです。
 
その光がそのまま真直ぐ地上界に現われるために、過去世から誤まった想い、業想念が病気になったり不幸になったり、災難に遭ったりいろいろ変化して消え去っていって、最後にはきれいな霊なる神なる人間の姿がここに現われるわけなのです。
 
人間の本体は神のみ心そのものであり、神の分生命(わけいのち)そのものであるのですから、どうしても、本体のほうから、自分というものはこういうものだということを、知らせずにはおかないのです。
 
ですから、どんな人間でも遅かれ早かれ、自分の本体はいかなるものか、本体とは思わなくても、自分というものは一体どういうものなのか、ああ自分を知りたい、自分のことが本当にわかったらそのまま死んでもいい。
 
「朝に道を聞かば夕に死すとも可なり」という言葉がありますが、朝本当に道を聞いてわかったならば、もうその時死んでもいいんだ。自分の本質を知り、自分自身の本体がわかったならば、もうそのまま死んでも悔いはないということです。




               我を極める 五井昌久





ここまでの感想
 


ここまでを書いてきて改めてこの文章を見直すとここにはとてつもなくすごいことが書いてあります。

ふむふむなるほどそうかと納得している人は変な言いかただと思うかもしれませんが、今のあなたがすごいのではなく、過去世においてかなりの修行をしてきたからなのです。
 
ふむふむと聴いてられるのはもう過去において知っていたからなのです。

経験のない人が読むとチンプンカンプンで後の文章を読もうという気にはならないのです。

話を元に戻して、

『本当の人間は何かというと、神様のみ心の中で光輝いている霊なる人間なのです』


この文章が真理を人間をすべて現わしています。 

このことが心の底からわかる為に私たちは今、生きているといっても過言ではないと私は思っています。
 
頭でわかること、心でわかることは違うのです。 

私も偉そうにいっていますが、まだ、本当にはわかっていません。
 

これからみなさんと真理を探究していきたいと思っています。 
 

よろしくお願いします dog





 





 
 

気功サロンに是非!!


気功サロン 継続中!


5月10日(土)13時30分~20時

   5月15日(木)13時30分~20時

この時間帯の間のお好きな時間にお越し下さいね。
出入り自由ですので、
いつ来ていつ帰っていただいても結構です!

場所:浪速区民センター 
大阪市浪速区稲荷2丁目4-3
電話 06-6568-2171
地下鉄千日前線桜川駅より徒歩3分
http://osakacommunity.jp/naniwa/index.html

参加費:500円

気功ってどんなものかな?と思っても、
なかなかレッスンにくるのは敷居が高い、
という方、是非気功サロンにお越し下さい
オリエンタルウインドの講師がわかりやすくご説明いたしますよ
お茶とお菓子もご用意していますので、
雑談しに遊びがてらお越しくださるのも大歓迎!
楽しく、和気あいあいとご一緒に過ごしませんか(●^o^●)

お問い合わせはこちらから






 

2008年5月 7日 (水)

自己の本体を知る 2

 
ただ、人によって前に会った時そうだったから、現在もそうかというとそうではない。
 
昨日会ってくだらない者が明日、明後日に会って立派なほうに向いていることが随分あります。
 
例えばここに五十になる人がいるとします。五十になるまでには脱皮したり、業をつけたりいろいろと変転して、立派な人が立派でなくなる場合もあるし、立派でないように見えたのが実は、中の何某(なにがし)と名前がついているから同じ人間かと思うと同じ人間ではないのです。
 
肉体人間として顔形としてそう違いはしないけれど、年々歳々、瞬々刻々変化しているのです。そして最後に一番の大変化をとげた時、それは本心の自分、本体の自分がそのまま現われてくるのです。
 
赤ん坊はみな可愛い顔をしています。なんて可愛いんだろうと思います。
 
あどけない、何の悪意もない、見ているだけでも気持ちがいい。
 
ところが、十五になり二十になると嫌な子になる場合があります。一体どこからそれが出てくるのか、赤ん坊の頃の可愛い感じが本当なのか、嫌な人間のほうが本当なのか、どこに一体その子の本質があるのか。
 
また三十才の頃は嫌な奴だったのが、五十になって立派になってきて、六十になってさらに立派になるかもしれない。
 
ですから名前は同じだけれど、本当に同じものではないのです。現われている肉体人間というのも、年々歳々変わっているのです。細胞組織は瞬々刻々新陳代謝しています。そして何年かすれば身体の細胞は全部変わってしまうのです。

だから肉体を持った人間というのは本当のものではないのです。
 
消え去ってゆく姿です。




ここまでの感想


この文章でそうだよなぁと納得するのは、誰にでも赤ちゃんのかわいい頃があったということです。
 
不調和な人を見るにつけ、どこで変わってしまったんだろう?と不思議に思います。
 
そして、純真な子どもを見ると「このまま真っ直ぐに大人になってほしいなぁ」と願わずにはいられません。
 
どうして変わってしまうかというと業(ごう)の波、人の想念とか自分の過去世が本心を覆ってくるのです。
 
だから、変わってしまった人、不調和な人は本当のその人ではないのです。
 
本当のその人は奥のほうでキラキラと輝いているのです。
 
そこで肉体は人間の本当の姿ではない、ほんの先端の部分、一つの現われに過ぎないことがわかりますね flair
 
人とはもっと奥深い、神秘に溢れた存在なのです。




 






 

2008年5月 6日 (火)

自己の本体を知る 1

 
人間は、物心がついて、いわゆる考えることが出来るような年齢になったならば、一番最初に「自分はどういうものなのか、人間というものはどういうものなのか自分はどうしてここに生れて来て、どういうようにして生きてゆくのがよいか」ということが心に浮かぶのが本当なのです。
 
ところが世の中では、死ぬまで自分自身が何にもわからないで、自分自身のことを探求もしないで、ただ目の前の利害損失や、つまらない喜怒哀楽だけを追っている人がほとんどです。
 
一番始めの望みであり、最後の究極のものであるのは、やはり自分自身を知ることなのです。それを知ることによって、人間として本当の生き方、働きが出来るのです。
 
知るといっても頭で知るということではないのです。心で知ることです。
 
心の中でハッキリ知っていて、それが行ないに自然に現われているお婆さんやおじいさんがいます。理屈はわからないけど、自分は今日生かされているままを生き、そのまま有り難く感謝して生きている、という人がいます。
 
そういう人は確かに自分を知っているのです。
 
ところが少し学問をしてくると、ますます自分がわからなくなってくる、それでいて自分を知ろうと思わない。ただ現象の利害損失、地位とか権力とかお金とか、そういうものだけを追うようになっていきます。
 
肉体の自分というものの満足感だけを追い求めて生きてしまうわけです。




                       
我を極める 五井昌久


                                つづく



ここまでの感想

私がこの文章を読んだとき、本当にその通りだなぁと思いました。

 
私のブログのテーマが実はこのことなのです。
 
人は仕事やその他のことで忙しくなるとその忙しさを言い訳に自分を見つめるかえりみることを怠ってしまう。
 
忙しいとは心を亡くすと書くように人にとって一番大切な心を魂を無くしてしまうのです。
 
何が自分の心を不安にさせるかというと何もわかっていないから
 
死んだらどうなるのか?お金がなくなったらどうしよう、病気になったらと不安ばかりを想っている。
 
そのことの答えは自分とは何か?がわかれば、自分の原点を知れば解決することなのです。
 
それを知らなければどんなに今、お金があっても健康であったとしても心が納得しないのです。
 
本当の幸せにはなれないのです。
 
今の自分を知りたい、本当のことをわかりたい、探究したいと思う人がたくさん出てくれば地球は早く進化します。
 
そんな日が一日でも早くくればいいなぁと思います。



  

2008年5月 5日 (月)

除霊と浄霊は違う

 
昔、エクソシストという映画があった。
 
ある女の子が悪霊に憑依(ひょうい)されてしまい、神父さんがそれを除霊しようとした内容だった。
 
この女の子は人間のカルマ(業)という人間の汚れた想念で出来た世界へ行ってしまった。
 
このカルマ、つまり人間の想念は凄まじいもので次から次へと襲ってくる。
 
神父さんがこれを取り除こうとするのだが、消しているわけではないので取っても取ってもまた戻ってくる。

取れたとしてもその悪霊は他の人に憑依する。
 
このカルマは肉体人間が作ったものだから有限のエネルギーで出来ているのだが、神父さんも肉体の念力(これも有限)で除こうとするから凄まじいカルマの力には適わない。
 
 
つまり除霊(じょれい)は出来ても浄霊(じょうれい)は出来ないのだ。
 
 
日本でも悪霊に取り憑かれた人をお坊さんが除霊をしているが浄めてはいない。
 
 
本当に浄霊できる人とは宇宙意識を持った人、肉体意識を超えて神意識を持った人でなくては出来ない。
 
つまり、お釈迦様、キリストレベルの意識の人でないと浄めることは出来ない。
 
そんな人が神父さんやお坊さんにいるか?
 
いないから地球は今、カルマに覆われている。 
 

だが、悲観することはない
 
お釈迦様、キリスト意識を持った人がたくさん出てきている
 
これから産まれてくる子供は天使の子だという
 
進化した星の宇宙人も応援してくれている
 

世界の平和を祈る人々は光輝いている、浄化をしているのです。
 
 
今は夜明け前なのだ

夜明け前が一番暗いのです。 
 
でももうすぐ新しい時代がやってくるのです。


 

 世界人類が平和でありますように








 

  

念力の恐さ

 
例えば、必要な時にお金が入ったり、家が出来たりするにはどうしたらよいか、という答えの中で、

「もし百万円ほしいなら、もうすでに百万円さずかったと思って、百万円さずかってありがとうございますと常に思いなさい。そうすれば念の力で百万円集まってくる」
 
といったり、家がほしいなら、自分の必要とする図面を書いて、「もうすでにこの家が自分にさずかっているのだ」と強く思いなさい、そうすれば心の力で家がさずかる、というように、念力を強めて、念力によって、自己の欲するものを得る、という方法を教えているのです。
 
そしてこの方法があたかも神への信仰であり、祈りでもあるような思い違いをさせてしまうのであります。
 
これはとんでもないことなのです。
 
念力はあく迄、肉体人間の自我でありまして、神への信仰でも神の援助でもありません。
 
そういう方法によって自己の望みが叶ったとしても、それは信仰の勝利ではなく、我を通しただけでありまして、その場は得をしたように思いますが、一生の間に得ることになっていた富を、一時の念力によって前借りしたようなものなので、後になってその分だけ運命の中で返済しなければならなくなります。



                     
                『人類の未来』  五井昌久


感想
 


私たちはお正月に神社に行って神様にお願いする、家内安全、交通安全、健康、受験等頭に浮かんだあらゆることに・・・・。

神社は神の社(やしろ)と書く、つまり神様がそこに住んでいるという意味だ。
 
ならば、そこに神様がいて人間がもってきたお金を引き換えにして、願いを叶えてくれているのか?

そんな虫のいい話があるのか(笑)?

私が最近云っている 想いは現実のものとなる は本当のことです。

でもそれは念力ではなく、愛の想念、行為に対して宇宙の神の自然の無限のエネルギーが動くことをいうのです。

自分の欲望を満たすのは我の汚れた有限の力なのです。
 
我を通そうとすると宇宙(神)ではなく、幽界の低レベルの化け物が寄ってきて憑依されるのです。

幽界の化け物の人間を操りたいという欲望と人間の欲望が共鳴するのです。

人間は意識がどこにあるかによって神界(神様の世界)にも行けるし、地獄(化け物の世界)にも行けるのです。

どこに行くにも自分が自分の意識が決めているのです。





  

2008年5月 4日 (日)

運命はいくらでも変えられる

   
人と話をしていると自分が病気になるのは遺伝だからしかたがないとか離婚を繰り返すのは親父がそうだったから俺もそうなんだ輪廻だよ、とか云う人が結構多い。
  
その人はそう言って自分で諦めてしまっている。

自分の体質を変えようとか自分の性格を変えてなんとかしようとはしない。

だからとことん行き着くところまでいってしまわないと気づかないのかなぁと思ってしまう。

 
運命や宿命は変えられるか?
 
 
もちろん、変えることが出来るのです。
 


みなさんは赤ちゃんにも手相があるのを知っていますよね。
 
もみじのようなかわいい手にもちゃんと手相がある。
 
実はその手相をみて何がわかるかといえば、過去世の想念が描かれているのです。
 
過去世に於いてどんなことを想って行動していたか?

過去の結果が現在、現在の原因が結果に現われるので過去に想っていたことが現在に具現化されているのです。
 
だから考え方が過去のまま何も変化していなければ手相を観る人のいうことは当たることになる、遺伝や輪廻は繰り返されることになる。

 
でも自分を変えようと努力して想念を変えた人の未来は素晴らしいものになっていくのです。
 
体質を変えようと想い込むだけで60兆の細胞は変えたいと想う方へ動きだします。
 

目にみえないエネルギーが動き出すのです。


離婚を繰り返している人が相手とわかり合いたい、気持ちが一つになるようにしたいと相手の気持ちになって歩み寄れば結果は別れることになってもスッキリした別れになります。

それは自分の心と相手の心が交流するから・・・・。
 

一番大事なのは自分を変えようとする気持ち、想念なのです。
 
今の自分の環境はすべて過去の想念から来ている
 
今の環境を嘆くより自分の想念を変えよう
 

今の想念は未来の自分と地球の未来を創造する



 

  

2008年5月 3日 (土)

袖すれ合うも多生の縁

 
同窓会のことをしていると縁のつながりに驚かされる。
 
同じ高校を受験して、受かって、3年間同じところへ通ったのは決して偶然なんかではなかった。

みんなの話を聴くと、転職した小さな会社に同級生がいたり、親同士が友達だったとか旅先の小さな旅館で友達に会ったりしたとか数えたらキリがない。
 
雑踏の中で服の袖がすり合った、その場だけの接触でもその人とは前世で必ず縁のある人なのだそうです。
 
袖すり合うも多生の縁 の多生とは、何回も生まれ変わる生(魂)のことなのです。
 

だから32年ぶりに再会した同窓生などは半端な縁ではないのです。
 
 
同窓会で再会したとき、なんとも懐かしく、うれしくなってくるのは魂が心が喜んでいるからなのです。
 
今、巷(ちまた)では同窓会ブームなのだそうです。

決して、ブームを意識したわけではないけど、時期的に昔の仲間たちに逢いたくなる時なのでしょうか?
 
同窓会で同級生や先生方に逢ってどうするのか?
 

それはなんらかのわだかまりや過去に解決していなかったことをきれいに消そうとしているのです。
  

参加する人は自分で意識していなくても魂がそうさせるのです。


 



 

2008年5月 1日 (木)

勘定を受け取る

 
以前書いたことがありましたが、人の感情とお金の勘定は同意語なのです。
 
だから人が感情的になるときとはお金が絡んだときなのです。
 

そして、人はいつも損か得かでものを考えている
 
損得感情も損得勘定もどちらでも使えます。
 
お金を受け渡しをするとき、受取る方は勘定だけでなく感情も受け取ることになります。
 
お金にはいろんな感情、想い、想念が入っている。
 
お金にまつわる色んなトラブル、貧乏、借金・・・・・・・・・等。
 
だから受け取るときは特に気をつけないといけない
 
お金と一緒に感情も受け取るから
 
受け取るときは意識が頭にいかないように足の裏を意識して気が静まるようにすればいいです。
 
そして受け渡しのときお金に 
「このお金が清まりますように」 と唱えるのです。
 
お金は人の想念で汚れているので清まることを望んでいる、 清まりたいのです。
 
だから、清まりたいお金は清めてくれる人のところに集まってきます。
 
「金は天下のまわりもの」 っていいますよね
 
天でまわったお金は清めてくれる場所に降りてきます。
 
「このお金が清まりますように」 と唱える人のところに降りてくるのです。






 

その人の奥にあるもの

 
テレビなどのメディアに出ている人で感極まって泣いている人がいる。
 
涙が出るのにも色んなケースがあって、人の想念を洗い清めるものもあれば汚すものもある。
 
それは泣いている人の心の中の状態がそのまま画面を通して私たちの心に響いてきているのです。
 
感動してきれいな涙を流していれば私たちもスッキリ爽やかになり、悔しさや憤りの涙は共感せず冷めた気持ちになる。
 
「テレビは恐いなぁ」 というのが最近つくづく思うことです。
 
テレビでなくても私たちは接している人の心の中が手に取るようにわかるときがある。

その心の中がきれいなものであればいいが、汚れていたらどんなに外見をとり繕っていても嫌な気分にさせられる。
 
でもそれは、その人の本当の姿なのか?本来のその人なのか?
 
表面に現われているその人は本当のその人ではない
 
業(ごう)に巻き込まれて違う人になってしまっているのだ
 
自分でもわからないうちに違う人格になっているだけなんだ
  
氷山の一角のように海から出ている目に見えている部分だけを山だと思っているのです。
 
本当の姿は海の奥深く入っていかないとその姿はみることはできない
 
だから人も現われているその人を見るのではなく奥で光輝いている素晴らしい本来のその人をみればいい
 
みえなくてもそうだと信じてその人に接していく
 
そうするとその人は光を見い出されて、本当に輝き始めるのです  shineshineshineshineshineshineshine                   



 




  




 

« 2008年4月 | トップページ | 2008年6月 »

最近のトラックバック

2017年10月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        
無料ブログはココログ