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2008年4月28日 (月)

今の若い人はすごい

 
ある若いスポーツ選手 golf が結果が思わしくなかったときのインタビューで
 
「平常心でプレーが出来ていませんでした、まだまだです」 
 
と言っていた。

すごい・・・・何がすごいかといえば自分を客観視出来ているということ
 
ほとんどの人は肉体に執着があり、把われがあるので自分を外、第三者の立場からみることができない。
 
肉体という限られたところからみていると自己限定が生まれ、知らない間に殻を作ってしまい結果、視野が狭くなる。
 
だからうまくいなかなかった原因を多方面から色んな角度で見ること、離れたところからみることができない。
 
自分が今どんな心の状態なのか?落ち着いているのか?動揺しているのか?マイナスをつかんでしまっているのか?
 
それがわかっていないと心の立て直し、修正、調整もできない。
 
私たちがスポーツをみて感動する瞬間とは
 
それは周りに流されずに自分のプレーをしている姿なのです。
 
 
それが本当のプロといわれる人なのです。






  

強くなったなぁ

 
何のことかと申しますと自分の精神力なのです。
 
去年まで、いやつい最近までは現われてくる現象が自分にとって辛いものであると動揺していました。
 
なぜなんだろう? 何かいけないことをしてしまったかな?
  
反省は必要だけど必要以上に考えたり、相手の人の心の中を推測したり自分や相手の人を責めていた。
 
同窓会のことをしていると色んな人の感情を受けることになる
 
なぜか怒っている人、迷惑がっている人
 
招待状も8割が欠席の返事・・・。
 
起ることはネガティブになることばかり・・・。
 
 
だけど最終的には必ずいい同窓会になる
 
素晴らしい交流が生まれる
 
そのゴールがみえているので全然心が揺れなくなった
 
みんなが参加してしまったら多すぎたら規模が大きくなり過ぎて会がなりたたない
 
だから来る縁のある人だけが来るんだ、来てくれたらいいんだ

だから欠席もありがたい知らせなんだ

ほんとにそう思える
  
マイナスなんてないんだ
 
そう思える自分は 強くなったなぁ って客観的に思えるのです。






  

人はマイナスを探している

  
人は95%よいところがあっても、5%のマイナスを探してそれを大事にして(笑)どんどん大きくしていっている。
 

だから人に認めてもらおう、人に褒めてもらおうとか期待しない方がいい
 
人が認めて、褒めてくれなくても神様は必ずあなたを見ている
 
人が知らないところで努力していること

陰徳を積んでいることもちゃーんとわかってくれている
 
だから意識をマイナスでいっぱいになった人に向けずにプラスをたくさん与えてくださる宇宙へ、神様へ、守護霊、守護神に向けよう

釈迦様はそのことを教えてくださったのです。
 
お釈迦様は空になって宇宙と悟った仏様に繋がる方法を教えたのです。
  
肉体人間の努力ではどうしようもないことを教えてくださったのです。





   

ただ今修行中!

 
滝に打たれたり、山にこもって肉体を酷使しなくても日常生活を送っているだけで立派な修行になっている。
 
今現在の仕事、家族関係、友達関係は過去において何かが間違っていたことをやり直しをして、解決をし、きれいさっぱり消していく為にある。
 
目に見えていること、現われていることは過去において解決されていない、消えていない想念が影のように写ってきているのです。
 
想念とは想ったり、念じること、それはなんらかの執着、把われがあるのです。
 
お金、地位、名誉、色欲、愛情、人間関係などをまだ極めていない、悟っていない
 

それらのことが心の中に残っているからまた影絵のように現われてくる
 
輪廻転生(りんねてんしょう)とは想念を浄化させるために肉体を纏って生まれかわることを言うのです。
 
だから家族の中にはウマの合わない苦手な人がいる。
 
職場の中にも学校の友達の中にも・・・・。
 
過去において仇(かたき)どうしだったのかもしれない
 
その人に殺されていたのかもしれない
 
または自分がその人をいじめていたのかもしれない
 
もちろんそんな人ばかりでなくて良いこともたくさんして来ているのでウマの合う人もいますよ(笑)
 
そんな縁のある人があなたの周りに集まって来ているのです。
 
過去を清算するために・・・。

 
 
未来はどうしたら変わるのか?
 
今の現状は過去の想念行為が写ってきている
 
だから今の想念行為が未来の自分の環境を作るのです。
 
想念をいつもポジティブに明るくしているとそれが返ってくるのです。
 
人は何のために生れてきたか?
 
それは想念を明るいものにして過去を浄化し現在をそして未来を輝かしいものにしていくために生れてきたのです。
 
神様はそのチャンスをくださっているのです。
 
肉体を持っているということは想念を消しやすいのです。
 
夢で消してもらったり、守護霊、守護神が応援してくれてたくさん消してもらっているのです。
 
そして自分の努力でもどんどん消していけるのです。
 

だから今はその修行中なのです。



 

2008年4月26日 (土)

自分の発した言葉には・・・

 
自分が発した言葉、言霊(ことだま)は宇宙を充満しやがて又、自分に返ってくる。
 
あの山彦(やまびこ)のように・・・。fuji
 
例えばあなたが誰かにひどいことを言って傷つけられたとします。
 
あなたは相手を恨んだり、傷ついた自分を弱いとか強くなりたいとか想う。
 
でもその両方とも必要はないのです。
 
ひどい言葉を発したその人はそのマイナスのエネルギーを後から必ず自分で受け取ることになる。
 
自分の発したエネルギーは山彦のように必ず戻ってきてその処理は自分でしなければならないのです。
 
宇宙は実にシンプルなのです。
 
だからあなたは傍観していればいいのです。
 
ただ、その人の天命がまっとうされることを祈ってあげればいいのです。
 
そしてあなたはその人の言った言葉の意味を感情を入れずに受け入れたらいい
 
あなたに非があったのなら素直に謝ればいい
 
すべきことをしたならば後はもうその人の問題なのです。
 
そこに巻き込まれたり、感情を移入してはその人の為にもならないのです。
  
自分がすっきりしていれば相手の人は自分の発したエネルギーをまともに受けることになります。
 
殴ろうとした人は自分の拳で自分を殴ることになります punch
 
それは自分が相手の鏡になったからです。
 
山彦がすぐに返ってきたのです。
 
自分の発したエネルギーは必ず自分に返ってくる

 
面白いですよね happy01




 

本当の幸せとは?

 
自分がふと幸せだなぁと想う瞬間というのは、宝くじが当たったとか、人に好かれているとか、物事がうまくいったときとか物質的なことや精神的なことも勿論あるけれども、心の奥の方からやってくる幸せとは、心がきれいな川のようにサラサラと流れているときをいうのです。

なんの把(とら)われもなく、サーッと流れている状態
 
それが本来の本当の自分の姿なのです。
 
それは目の前の現われてきている現象にはまったく影響を受けない、そして、その現象を傍観者のようにただ見れている。
 
それはあたかも車窓から外の風景を見ているかのように・・・。
 
目的地に行くのに風景に惑わされていちいち途中下車したり、過去を振り返って引き戻ってしまっていてはなかなか着くことはできない。
 
エネルギーがスムーズに流れている、その状態に一瞬でもなったとき、何の理由(わけ)もなく人は幸せを感じるのです。
 
 
でもその幸せ感は本物なのです。


本当の幸せとは現象をいうのではなく自分から発しているエネルギーがスッキリ、爽やかに流れていることをいうのです。empty




  

  

ちょっと不思議な話

 
ちょっと不思議?な話を書きます。sun
 
私のブログを読んでくれている人は神秘的な話が好きなのかなぁ?
 
何に興味を持って読んでくださっているのだろう?
 
なんて時々想うときがあります。
 
遠慮なさらずにコメントくださいね happy01

 
では、本題にいきます。
 
私たちは目にみえる肉体だけが自分だと思い込んでいますが、実は幽界、霊界、神界にも同時にいるのです。
 
不完全でダメな自分だと想っているのは肉体だけに意識がいっているのです。
 
本当の自分は神界、つまり神様の世界、天国に居ます。
 
そこにいる自分は完全な完璧な完成された自分なのです。
 
そこに意識を合わせると肉体の器に完璧な自分が写し出されてきます。
 
だから、不完全な自分を努力によって完全に完璧にしようとするのではなく
 
神界の完璧な本当の自分を肉体界に降ろしてくればいいのです。
 
それは意識を宇宙に合わせたときに出来る
 
  になったときに出来ることなのです flair
 
不動心の、目の前に現われたあらゆる現象にも惑わされない
 
落ち着いた自分がいるのです。dog




  
 

エピローグ(序章)

 
しばらくは同窓会のネタになります(笑)
 
去年、同窓会をしたとき、それまでの苦労?しんどさもあって、もう今年はやりたくないと思った。
 
そこそこ喜んでもらえたし、満足感もあって一仕事を終えたような気持ちになっていた。
 
だけど今年も準備をしていく中でそれはプロセスに過ぎなかったことがよ~くわかった。
 
3時間の映画があるとしたなら、去年したことは、まだ一時間も上映されていなかったのです。
 
必要な電話、準備をしていくと人との繋がりがどんどん出てくる
 
まるで待っていたかのように・・・。
 
私を待ってくれているというのは驕りとかそんなものではなく、人と人とはみんな繋がっているのです。
 
そしてある時期に急速に接近したいと待っていたり、信号を送ってくる
 
接近して交流することで切れかけていた糸が繋がって太い糸に変わっていく
 
交流して太い糸になってそこに目にみえない力(エネルギー)が流れるのです。
 
去年作ったみえない流れは小さな川からちょっぴり大きな川になった。
 
だが、まだまだ海にはたどり着いていない
 
来年、再来年と続けていくうちに大きな源に着くのだと思う。
 
私は先月の4月9日に50歳になった。
 
50歳は半世紀でもある
 
節目なのかな? 変わり目なのかな?

 
そんなことはどうでもいいのだろうけど、まだまだエピローグ


始まったばかりに過ぎない


  


  

交わって流していく

 
今、同窓会に向けて準備をしているが5月25日(日)に向けて気を流していかなければならない。
 
この世は、宇宙もすべて気(エネルギー)で出来ているのでエネルギーが流れていかないことには物事は成り立たない。
 
その為には毎日少しづつでいいからアクションを起こすこと・・・。
 
参加を促す電話、招待状作り、発送、同窓会関連への手配・・・。
 
頭で考えている(机上の空論)だけでは動かない。
 
やると決めたならは、行動に移すことが大切だ。

気功では絶えず自分の中の気を流していくことが大切になる。
 
日常生活を送っていると次々に色んなことが起ってくる、それに対してすべて、あるいはほとんどを心に留めていては心がパンクしてしまう。
 
これがストレスであり、病気の原因の大きな素になる。
 
きれいな川は絶えず水がスムーズに流れている。
 
人の心の中もきれいな川のように爽やかに流れていることが大切なのです。
 
最初は自分の中の流れを良くしていく、そして自分のことが出来るようになったら人との交流をしていく。
 
交流した人はなんだが気持ちが軽くなって爽やかな気分になる。
  

交わって流していく

 
そんな交流が出来たらきっと素晴らしいことになるでしょうね♪




 
  

2008年4月25日 (金)

頭がいい、悪い?

 
今日、ラジオを聴いていたら中国では受験戦争が激しくて、お金持ちの子どもやいい暮らしをしたいと望んでいる親の子どもは寮に入れられて朝から晩まで缶詰状態で勉強をしているそうだ。
 
日本の最高レベルの東京大学でも世界のランクは17位だとか言っていた。
 
私が通っているスポーツジムの横でも低学年専門の学習塾で子どもたちが勉強している。
 
私はその光景を不自然なものを見るようにいつも眺めている。
 
「外で遊びたいだろうになぁ」 「勉強が好きな子っているのかなぁ」

と思いながら・・・・。

勉強とは本人が自分にとって大切なものを見つけてそれを極めたい、それをすることで人の役に立ちたいと強い意思があって、そこから初めて始まるものだと思う。
 

その目的がしっかりしていないときは自分の内からの力は出てこない。
 

学校の勉強は中学までで、ほとんど基礎的なことは学べる。
 
それさえ身についていれば後の勉強は必要のない贅肉に過ぎないと私は思う。
 
身につければ付けるほどいらないものになっていく。
 
それはただの知識の詰め込みだから、テレビなどで学校で習ったこと、雑学等を多く知っている人が自慢しているが真実ではない嘘の知識、情報も多い。
 
嘘の知識、情報を持っていても、又は人に伝えても混乱させるだけだ。
 
小さい頃から詰め込められた頭は許容量をオーバーすると疲れてしまい意欲が無くなってくる。
 
パンパンに詰まって頭に入っていかない。
 
だが、目的がしっかりしていれば無限の容量が出来ていくらでも入っていく。
 
それは有限の頭に詰め込んでいるのではなくて、無限の心という頭に入れているからだ。
 
その目的も金持ちになりたい、いい暮らしがしたいという物質的なことではなく、精神的な心を満たそうとするものに関してならば目にみえない力が応援する。
 
世の中が善くなるための勉強ならば神様の応援が入ってくる。
 
それがわかっている人が本当の頭がいい人であり、いらない知識をたくさん持っている人が頭がいいわけではない。

そもそも頭がいい、悪いとはなんの意味もない表現方法だと思う。



  
  

2008年4月24日 (木)

本当に偉い人

  
人はみんな自分を守ろうとする、よそから攻撃をされると守るために戦う。
 
守るためだけでなく自分の生活を良くしていこうと思ったら相手に非があるなしに拘わらず攻撃する。
 
そして自分に非があったとしても人に責任を転嫁することもある。
 
みんながほとんどこんな考えだったら世の中が善くなるわけがない。
 
私も仕事などで失敗をしてそれを責められると自分を守ろうとして責任の転嫁はしないまでも回避したい気持ちになる。
 
そしてその失敗が自分ではなく他人のものであればどこかでホットしたりしていた。
 
どうしてそんなに自分を守ろうとするのだろう?
 
自分というものが無ければどんなにか心穏やかに生きていけるだろうに・・・。
 
ここに私が読んだ本で感動した話があります。
 
よかったら読んでみてください。
 


白隠さんと赤ん坊
 


昔、白隠(はくいん)さんというお坊さんがいたそうです。
 
或る時、檀家の娘が、男にだまされて妊娠し、赤ちゃんを産んでしまいました。
 
娘は、父親に叱られるのがこわさにに、白隠さんのような偉いお坊さんの子どもであるといえば叱られ方が少ないと思い、実は白隠さんの子であるといったのです。
 
父親は激怒して、白隠さんにくってかかりました。白隠さんは、その時少しも顔色を変えず、赤ちゃんを産んだご本人が、そういうなら、私の子でしょう、と赤ちゃんを引きとりました。
 
その話を聞いた村人達が、今まで偉いお坊さんだと思って尊敬していたのに、とんでもないやつだ、とお寺をおいだしてしまいました。
 
白隠さんは追われるままに、何の言い訳もせずに、赤ちゃんをだいて村を出て行きました。
 
後に、娘が真実のことを白状して、白隠さんの冤罪(えんざい)が晴れ、また再び寺に帰るようになり、白隠さんの名望は更に一段を上がったのであります。
 
 
現在のように自分のしたことでも、人のせいにしてしまう人が多いのに、僧侶としては、最も恥ずべき事柄をおしつけられて、そのまま罪を背負っていたという、白隠禅師の大人物さは、その話をしたり聞いたりするだけで、人々の心を高めます。



 

感想
 
この話を聴いて、自分を守るとかいう問題ではなく事実は違うのだから本当のことを言えばいいじゃないか?という意見、考えもあると思います。
 
しかし白隠さんのこの行為は檀家の人達をどれだけ感動させたか?

心を浄化させたか?
 
そして白隠さんは何の利害も考えずに不動心で自然にしているのです。
 
人に尊敬されようとか、軽蔑されたらどうしようとかいう想いが全くないのです。
 
自分という想いがまったく無い
 
私は素晴らしいと思います。







  

2008年4月21日 (月)

最後には成功するのだから

 
実は先週の土曜日に自己を見つめにある場所に行って来ました。
 
そこでは5時間もの間ずっと瞑想して自分の本心と向き合うのです。
 
そこで浮かんでくるのは雑念ではなく本当の答えだけなのです。
 
10個ほどのアンサーがあったのですがその中で印象深かったのをご紹介します。
 
 

1.最後には成功するのだプロセスはどうでもいい



これをわかりやすくいうと、
 

「最後は必ず成功(成就)することは決まっているのだ、プロセスが多少思い通りに行かなくてもそんな枝葉のことはどうでもいい、絶対に大丈夫だという気持ちで事に当たれば必ず最後の最後にはうまくいく、自分を信じ神様を信じなさい、神様はいつもお前のことを応援しているよ」
 
 

私は今、成就させようとしていることがいくつかあります、どれも一筋縄ではいきません。
 
 
何度か嫌になるときもあります、だけどこの信念、気持ちがあればきっと乗り越えられるのです。
 
 
そんなありがたい啓示でした。






  





  

2008年4月16日 (水)

アインシュタイン

 
かなり前にアインシュタインについてのログを書きました。
 
その時の文章ですが真実が述べられています。
 
真実の文章は時空を超えて生き続けます。
 
是非、読んでみてください。

                        2006年10月某日
 

アインシュタインは相対性理論が有名ですが、私には難しいことはよく判りません。
ただ、ある書物で宇宙観を述べた文章が私の心を打ちました。ご紹介します。

「人間は宇宙と呼ばれる全体を構成する一部であるが時間と空間の枠に閉じ込められているために独立した自分が考えたり感じたりするものと理解する。
 
この理解は想念に生じた一種の幻像であって、我々の意識に対して牢獄のような作用をし、我々を自分の欲していることにのみに気を配ったり、身近の人々のみ愛情をそそぐようにしてしまう。
 
我々の使命は自分の意識をこの牢獄から解放し、すべての生物やすべての自然をあるがままの美しさで抱擁するまで自分の愛念の及ぶ範囲を拡げることである。

これは非常に難しい仕事で誰にも成就できないがその努力は自分を解放する道を歩むことであり、心の落ち着きをつちかうことである。」

私たちは自分と他人は別々に存在していていると信じて、対立したり、争ったりしていますが、本当は空が一つであるように意識(こころ)もつながっていて一つなんですね。
 
私たちが何かに感動する時、こころが一つになって目にみえない宇宙のエネルギーが動きだす。
 
私たちが忘れて眠っていた遺伝子が目覚めて喜んでいるのですね。

これから地球は分離の時代から融合の時代へと変化していきます。
 
宇宙はこの分離と融合の繰り返しで進化しているそうです。
 
素晴らしい時代がもうすぐ来ます。楽しみですね。♪


  

2008年4月15日 (火)

以心伝心(いしんでんしん)

 
32年前の高校時代の同窓会の準備で、その当時の先生に電話をかけた。
 
その先生は私の1、2年の担任で50歳手前の私たちから見れば母親よりもお年をとられた人だった。
 
その時のあだ名が○○ババ(先生ごめんなさい)
 
もう81歳になられたそうだ。
 
私は自分がおとなしかったこと? 先生もご高齢なこと、32年の間何の連絡もしていなかったこと、たくさんの生徒を送りだされていること等から絶対に私のことは覚えておられないと思っていた。
 

「突然の電話で失礼します、私は某高校の卒業生で○○と申します」
 

「あ、○○君、元気、あなたのことハッキリ覚えていますよ」 と若々しいお声が聴こえてきた。
 
うそ、覚えてくださっていた・・・。
  
実は電話にでられた瞬間、エネルギーというか目にみえない力が流れたのは感じていた。
 
だから先生も一瞬で私のことを想い出されたのか?
 
これも以心伝心というものなのか?
  
それからその当時の想い出話しをして、来て頂きたいとお願いした。

幸いにもその日は空いていて心良く快諾してくださった。

実は、もうご高齢なのでほとんどの同窓会に呼ばれても断っておられると聴いていたのでそれも諦めていた。
 
「先生とお会いできるのを楽しみにしています」 と言って電話を切ったが何ともいえない喜びが湧いてきた。
 

時間は関係ない、心と心は繋がっている・・・。
 
 
同時に幹事をしていることへのありがたさを実感した
 
 
昨年大変だったので今年はあまり気が進まなかった。
 
 
気功のことが忙しくなっていたので来年以降にしたかった
 
 
でも同じ気功をしているある方に相談すると
 
 
「嫌なこと、苦手なこと、しんどいことから逃げてはダメですよ」 と言って頂いた。
 
 
そしてその日の後に集まった仲間の顔を見て決心した。

この仲間は昨年気持ちを一つにして同窓会をしたそれこそ

以心伝心の素晴らしい仲間なのです。

 
 
そして今はどちらも順調に流れている。
 

人を幸せにするエネルギーは決して滞ることはない・・・。



  

追伸



○○先生に 「身体を大切にね、ご家族を大事にするのよ」 といって頂いた。

こちらが気遣わないといけないのに反対に優しい言葉をかけて頂いた。

ありがとうございます、先生の優しさが今になってわかります。
 

私はほんとに幸せ者です。



 

 

 
  

2008年4月13日 (日)

答えはもうわかっている

 
カウンセリングは、意見を言ったり、答えを教えたり、その人を導くことでもなくただ話を聴くことにあるという。
 
肯定も否定もしない、 
「ふーんあなたの考えはそうなんですね」 とただ認めることだけ
 

「でも、私はこう思いますよ」、「その考えは違うと思う」、「私と同じ考えです」 もいらない、ただひたすら聴いていくだけ・・・。
 
なぜならその人はもう自分の中に答えを知っている、どうすればいいのか?決めているから・・・。
 
だからその人の鏡になればいい

鏡は問いかけに答えたりしない。
 
その人の姿をそのまま映し出しているだけ、鏡と違うところは姿、形を写すか心を写すかの違い。
 
聴く人は自分を無くしてその人そのままの心を写してあげればいい。
  
その人は自分の写し出された心をみて答えをハッキリ知ることが出来る。
 
「やっぱりそれでよかったんだ」 と確信が持てるようになる。
  
カウンセリングをするとは自分を限りなく無くしていくこと
 
自分を限りなく無くして  になったとき、自分と相手の人との心が一体となる。






 

同窓会は過去を振り返るのではなく

 
昨年、32年前の高校の同窓会をした。
 
11クラス、471名、男女共学、新設高で一期生、ここでの高校生活は楽しいこと悲しいこと色んなことがあったけど充実した日々を送っていた。
  
そしてそのときの友は今でも私の大切な財産になっている。
 
同窓会は現高校教頭先生のお話で始まり、食事をしながらのみんなのスピーチ、当時の先生の教室での授業、楽しい時間はあっという間に過ぎていった。
 
同窓会が終わった後、ある同窓生の女の子?が言ってくれた。
 
「今日はほんとに楽しかったです、ありがとうございました、明日からまた、元気で頑張れます」
 
私の中で大きな感動が走った。
 
同窓会はただ過去を振り返って懐かしむだけではなくて活力になるんだ。
 
過去を振り返るのと原点に帰るのは違う、原点には輝いている本当の自分がいる
 
原点に戻るとそんな素晴らしい自分に出会えるのだ。
 
今がどんなにくすんでいようと、輝きを失っているように想えても心のずっと奥深くは光輝いている自分がいる。
 
楽しいときは心が生き生きしているときで心が光輝いている。
 
その人にとって高校時代には自分の原点があったのかもしれない
 
その同窓会が終わったとき、出席して頂いた先生がおっしゃっていた。

「あなたたちには素晴らしい力が宿っています、その素晴らしい力を形にしていくためにも、来年も同窓会をしてください」  ・・・と 

 
 
過去へ戻るのではなく、原点に戻って明日を明るい日にする素晴らしい同窓会

 
来月の25日(日)、私にとって大切な大切な同窓会が未来からやってくる・・・・・・・。





  
     

2008年4月11日 (金)

素直とは?

 
素直とは、素(もと)に真直ぐ(まっすぐ)と書く、つまり源(みなもと)と繋がっているということ・・・。

人間の素(もと)ってどこにある?
 
目に見えるもの目にみえないものすべては宇宙から成り立っている。
 
この世のものすべての源泉は宇宙にある。
 
人間の原点をずっとたどっていくと必ず宇宙にたどり着く
 
たどり着く前に寄り道をした分だけ迷いや悩みになる。
 
どれだけややこしいことも原点に帰ると必ず答えがそこにある。
 
自分探しの旅は原点にあることに気づく
 
原点は自分の故郷であり、自分の素があるところ
 
ここと繋がって初めて安心出来る
 
だから素直な人は堂々としている、素と繋がっているので心が揺れ動くことがない
 
天と地を意識すると自分が宇宙と地球の中心の間にいることがわかる
 
光の柱の中にいることがわかる
 
生命(いのち)のエネルギーは頭のてっぺんから入って地球の中心に流れていく
 
人は素直であることほど素晴らしいことはない
 
業(ごう)、カルマに素直であってはいけない、真理に素直に生きていこう




 

子どもへの愛

 
息子に対してやさしくするのが良いのか?厳しく接するのが良いのか?がわからなくなったことがある。
 
17歳という年齢は思春期で、子どもの部分と大人になろうとしている部分の両方が交錯している。
 
どうしても自分が息子と同じような年齢だった頃と比べてしまう。
 
そして、考え方や言動がおかしいと思うと注意し批判もしていた。
  
鉄は熱いうちに打て の格言通り、親の接し方が大きな影響を与えると信じていた。
 
やさしくしては自立出来なくなるのではないか?厳しくしては私から心が離れていくのではないか?委縮してしまうのではないか?どっちを選んでも不安で切羽詰まっていた。
 
う先生のレッスンのとき
、「何か質問ありませんか?」 という問いかけにめったにしない質問をさせて頂いた。
 
率直に、「何も云わない方がいいのか、云ったほうがいいのかわかりません」 と云うと 

「パチンコをしようがタバコを吸おうが何も云ってはダメです」
  
息子は受験に失敗していた、浪人することが決まっていた。
 
「息子さんは充分ショックを受けています、それ以上責めてはいけません」
 

その言葉でスーッと気持ちが楽になった。

「そうか何も云わなくていいんだ、云わない方がいいんだ」
 
実は云うことがしんどかった、云うことが嫌だった。
 
自分が云いたくないことを聴かされている息子はもっと嫌だったに違いない
 
自分から嫌なエネルギーを発していたんだ
 
もう自分が息子をなんとかしようとするのはやめよう
 
そして、息子のことは心の親である守護霊様にお願いしよう。
 
守護霊様は息子がどうしたら幸せになれるかを識っている。
 
肉体人間が何千人かかっても太刀打ち出来ないほどの智慧を備えていらっしゃる。
 
だから今は息子の心が自由になるように、守護霊様が指導しやすいようにすることのほうが大事なんだ。
 
それがわかってから息子に対して何も云わないことにした。
 
云わなくても私の中には安心感がある。

その安心感はきっと息子に伝わって善い方向へ導かれるだろう
 
やっと一端(いっぱし)の親になれたのかなぁと想う。



  

 

愛とは包み込むこと

 
母親のことをお袋さんという、語源は子どものことを大きな愛で包みこむから・・・。
 
私の母はお陰さまで健在なのですが先日一緒に食事をしたときに自分の母親(私からいえば祖母)のことを話していた。
 
出不精の祖母はめったに外に出ることはなかった、その祖母が一度だけ娘である母を訪ねたことがある。
 
その時私は幼稚園くらいだった。
 
私の兄(当時小学2年生)と私と母と祖母とでお弁当を持ってハイキングに行ったらしい(私は覚えていなかったが)、その最初で最後のハイキングで食べたときのおにぎりの味が忘れられない、あんなに美味しいおにぎりは食べたことがなかったと言っていた。
 
母は若くして結婚して兄と私を産んだので祖母は母のことが気がかりだったらしい。
 
祖母は愛そのものの人で私たちをやさしく包んでくれた。
 
そのときのおにぎりは祖母がにぎったという。
 
きっと愛がいっぱい入っていたんだろう。
 
その愛の波動がおにぎりに伝わって最高の美味しさになったに違いない。
 
しみじみと語る母ももう73歳になる。
 
祖母が亡くなった歳に近づいている。
 
最近の母は祖母に似てきたように想う。
 
私に対して一切の批判をしない(今だに心配をかけているが)
 
大きな愛で包んでくれている
 
私は肉体の母と心の母(宇宙、神)の両方から愛されている。
 
内と外から・・・。
  
母の祖母を想う気持ちを聴いて母の偉大な愛を感じた。




 

2008年4月10日 (木)

人の心が読める

 
人の心の中が読めるときがある、そして自分の心の中がみえるときがある。
 
だが、人の心も自分の心もきれいなものではない。
 
なぜなら感情に振り回されて汚れてしまっているから
 
そんな汚れた心をみて、そこでまたその汚さに振り回される。
 
「あいつはなんて根性の腐った奴なんだ」
 
「自分はなんて情けない考えを持っているんだろう」

しかしそう考えている人や自分は本当の姿ではないのだ。
 
本心から離れてしまっている偽物の姿なんだ。
 
だから人の気持ちが読めても自分がどんな感情を持っているのかがわかってもそんなことはどうでもいいんだ。
 
読めても読めなくてもどっちでもいい
 
心の分析なんてしなくていい
 
それより、そんな表面的な心よりもその奥にある美しい心に意識を合わせよう。
 
素晴らしい、本心そのものの心に意識を合せていると浮かび上がってくる
  
その人の素晴らしさが出てくる、神そのものの自分が現われてくる。
 
そうなって初めて地上に天国が訪れる。







  

海と人間

 
海の波は人の心に似ている。
 
穏やかなときもあれば嵐のように荒れ狂っているときもある。
 
波は海の一部であってすべてではない
 
海の中は底に近づけば近づくほど穏やかな波動になっている。
 
そして、海の底は深海(しんかい)という
 
その場所は平和で穏やかで、表面の嵐などの影響はまったく受けていない
 
人間も肉体に現われている姿は本当の自分ではない
 
本当の自分は神界(しんかい)にいる
 
神界→霊界→幽界→肉体界
 
神界の細かい波動は肉体界にいくに従って段々荒くなる。

荒くなればなるほど本心から遠ざかっているのだ。
 
今、感情的になっている自分は本当の自分ではない
 
本当の自分は神界(深海)にいて、心は平安そのものなのだ。
 
人は波を自分だと思っている。
 
だが波は海の一部であって海そのものではない。
 
どんなに荒い波もいつかは消えていく
 
私たちはただ見守っているだけでいい、静観して消えていくのを眺めているだけでいい。
 
じっと心を沈めていると海の底の深海(神界)の中へ入っていくことが出来る。
 
そこは天国であり、自分の本心があり、永住の地である。





 

進化創造

 
宇宙ってどうやって進化創造していくのか?
 
それは集合離反、つまり離れたり一つになったりを繰り返しているのだそうです。

人間も出逢いと別れの繰り返しをしている

人は出逢いは歓迎するが、別れに対しては悲観する

肉親の死、動物の死、人との別れ、そこには悲しい涙が伴う
 
しかしその別れの辛さを乗り越えたとき、人は確実に強くなっている

経験することで以前の自分よりも別れに対して把われがなくなっている

心が自由になっているんだ
 
進化とは心が軽く、自由になっていくことをいう
 
外はどんより曇っていたり雨が降っていても心は晴れやかになっていく
 
別れは神様がくださったプレゼント♪
 
世の中には悲観することなど何もないことがわかる





  



奇跡は愛そのものになった瞬間

 
奇跡は自分が愛そのものになった瞬間に起こる
 
愛とは自分の心と相手の人やものと心が一体となることをいう
 
ものとは動物、植物、鉱物、自然、物質、なんでもそうなのだ
 
自分と対するものがたまらなく愛おしくなったとき、それと同化する、一つになる。
 
人との愛は異性であったり、家族であったり、友達であったりする
 
私は奇跡とは目にみえるものが変化したりすることだけだとは思っていない
 
心と心が通じ合ってそこに温かいものが流れるとなんとも云えず幸せな気持ちになる
 
その幸せな気持ちが奇跡を起こす

のエネルギーは留まることなく、宇宙に拡がる
 

心が交流すると無限のエネルギーが動き出す
 
目に見えるものにもみえないものにも・・・・・。
 
宇宙は愛で出来ている
 
神様は愛そのものである
 
そして人も愛そのものなんだ

だから人って素晴らしい



  

 




 

2008年4月 8日 (火)

大宇宙と地球という星

 
大宇宙にはさまざまな星があって、地球人類よりはるかに進化している人類が生活していることは、近来かなり多くの人々に、そういうこともあるだろうな、というような肯定の仕方がなされております。
 
常識的に考えてもこの厖大な大宇宙の中のたかが地球という、小さな場だけにしか人類が生存していなくて、あとの無限の数の星座や星々が、このちっぽけな地球人類のためだけに輝いていたり、存在価値を持っている、というようなばかげたことを、大智慧大能力の神様がなさるわけがないと考えられるのです。
 
太陽も月も星々も、ただ地球人類のためにだけ存在している、というような思い上がった考えを、思い上がってはいないかもしれないが、当然のこととしていたということは、地球人類の考えが幼稚であった、という他はありません。
 
地球人類は大宇宙生命の一環を担う生物であって、大宇宙を離れた、単なる地球人類というのは、その存在価値を持たないのであります。
 
そういう大きな視野に立って考えてみますと、地球上において、お互いに争い合う国家や民族があるというのは、実におかしな、つまらぬことになるのです。
 
自国の権威がどうのこうの、自民族のプライドが汚される、とかいって争ったり、たいして違いもしない思想の相違を、いかにも大げさに、思想的な相違で友好関係は結べない、というような政治論争から、武力闘争にまでなりかねない、ということは、大宇宙の真理を知らないところから起ってくるのです。


  
 

2008年4月 6日 (日)

人をみて法を説け

  
人をみて法をとけ っていわれるけど、人をみてのみては、見てもあり、観て、診て、視て、看て、など色んな意味があって簡単なことではない。
 
 
その人の魂にとって何が一番大切なことかがわかっていないと軽はずみに意見するものではない。
 

言葉にはエネルギーが宿っているので多かれ少なかれ相手の人に影響を与える。
 
 
自分の我を無くし、空にならないと本当にその人にとって必要な言葉は出てこない。
 
 
空になるとは自分が自分の本心と一体となり、相手の人を守っている守護霊、守護神とも一体となること。
 
 
これが出来て初めて洞察力が出てくる。
 

この洞察力がなければ自分のことはおろか人のことなど絶対にわからない。
 
 
人をみて法を説けとは空になったとき、洞察力が出てきたときに出来ることである。
 

だから答えは相手の人によって全然違うことになる。
 
 
同じような環境で育っていても同じような性格であったとしてもその人に必要なことや天命は違う。
 

人をみてとは肉体人間のそのをみるのではなく、霊体の、本体のその人をみることである。




  

人に迷惑をかけなければ・・・

 
親が子を想うとき、
人に迷惑をかけなければなにをしてもいい が率直な考えだと思う。
 
人は心が自由であることが一番幸せだと知っている。
 
心が自由とは、生命(いのち)が活き活きとすること、いつも自分に素直で、朗らかに生きていることだと思う。
 
又、そんな姿は傍で見ていても幸せな気持ちにさせてくれる。
 
職業は何でもいい、親の意見など聴かなくていい、好きなことを存分にして楽しんだらいい

 
ただし、そこに唯一留意する部分があるとするなら人に迷惑をかけないこと・・・。
 
自分の信念を貫こうとしたら結果的に人を誤解させることになるかもしれない、納得させれないかもしれない・・・でもそれはいいんだ。
 
ただ、迷惑をかけなければ・・・・。
 
迷惑とは相手の人が自分に対してどう想うのか?ではなく自分が自分の本心に対して後ろめたい気持ちになるか?だと思う。
 
本心に照らし合わせて、心が曇っている、そして相手に対して心から申し訳ないという気持ちになるということは相手だけでなく自分の心も痛めることになる。
  
自分の心と相手の人の心は繋がっている。
 

それさえしなければ人はもっと自由でもっと大らかでもっと楽しく生きていけばいいのだ。

 
自分の生命(いのち)を生き生きさせることは、天命を果たすことに繋がる。






  

空即是色 2

 

ここに(現象界)現われているのは色というのです。
 
そして色はものと解釈するわけです。そこで色即是空というのは、現われている五官で見えているものは一遍空にしないと、空と断じ切らないと、本当のものが現われてこない。
 
だから目に見えるもの、耳に聞こえるもの、鼻にかぐもの、すべてこの世に現われているものは空なんだ。そして空だと断じ切った時、はじめて本当の光輝くものが現われる。
 
五官に感じられ、六感に感じられるものはすべて空なんだ、それに把われてはいけない。
 
あるものではなく、あるように見えていて、空なんだ、と空を断ちきって、それに把われなくなると、空の奥に神仏の実体があるので、空から本当のものが現われてくる。
 
空から現われてくるものが本当の光であり実体なのだ、そこで色即是色、空即是色と並べてあるわけです。
 
五官六感に現われている色(ものごと)を空と断ちきって、空になったところから今度は実体の光即ち色が現われてくる。
 
こういうことで、同じことなら、何も二つ並べることはないのです。




 

空の極意 『空即是色 般若心経の世界』 より 五井昌久






  

般若心経

 
般若というのは深い智恵、大智恵という意味です。ですから般若心経というのは深い智恵の本当の教えというのです。
 
この世界には永遠の生命が神界から霊界を通して、この肉体界に現われている。
 
ところが肉体界現われるまでに、霊界もあれば幽界もある。幽界というのは光明波動と暗黒波動が両方混合している所なのです。それが肉体に現われてくるわけ。
 
だから肉体といういうのは玉石混淆(ぎょくせきこんこう)して、生命の実体もあれば、仮の姿の肉体が幽体の想いで作った想念波動の世界もあって、まざっている。ですから玉石混淆の汚れた石のほう、肉体人間が作ったほうのすべてをなくせばいいわけです。
 
しかしなくせといってもむずかしい。
 
それだけでは困るから、選り分けることです。

そこで玉石混淆をそのまま消えていく姿として、神様のみ心の中で自然に分けてもらって、汚いものは消してもらっていい光だけ出てくるようにするわけです。

 
 

空の極意 『空即是色 般若心経の世界』 より 五井昌久






  
  

消えて行く姿

  
よく、ありがとうというプラスの言葉を使い続けたら善いことが起こるという話やそれに関する本が出ているが、消えて行く姿 がわかっていないとせっかくの善い行為がもったいないことになってしまう。
 
コップの中に想いという水が入っているとする。
 
この想いという水には過去において、プラスの言霊(ことだま)もあったが、マイナスの言葉や否定的な想念もたくさん入っている。
 
そのコップの中にプラスの言葉を入れていくとコップから圧し出されるように水が溢れてくるようになる。
 
そして溢れ出た水は自分の周りを汚す。
  
これが現われてくる現象だ。
 
この汚れは病気であったり、貧乏であったり、人との不和であったり、自分にとって不都合なことかもしれない。
 
しかし、以前(過去世、前世を含む)に想ったことや行為したことが現象として現われて消えて行かないことには、次なる現象は起らない。
 
これを人間の身体に例えると、今まで散々身体に悪いもの(毒)を口にしてきて、急に良いものを食べ始めたとしても体調はすぐには良くはならないのと似ている。
 
毒素は外に出ようとする、その現象が下痢になったり、吹き出物になったりする。
 
これは悪いものが現われて消えていこうとする姿なのです。
 
下痢は毒素が出切ってしまうまで出す方がいい。
 
下痢は辛いし痛いし、お漏らしをして下着を汚すかもしれない、でも薬で抑え込んでは後でもっと辛いことが起ったり、苦しむことになる。
 
この消えていくときには、過酷な試練があるかといえばそうではない。
 
現われてくるときには前世でしたことの何十分、何百分、何千分の一ので済ませてくれているのです。
 
守護霊や守護神様が浄めて、大難を小難にして下さっているのです。
 
だから、善い言葉を言ったり、善い行為をして結果がすぐに現われなかったり、反対に悪いことが起こったとしても諦めてはいけない。
 
何が起こっても善くなるために今、膿が出ようとしているんだ、出てしまえばきっと善くなると信じてやり続ければいいのです。
 
今の時代も悪いものを出して、善い時代になろうとしているのです。
 
それを信じて、今の現象に振り回されてはいけないのです。
 

 絶対に善くなる、絶対に大丈夫 だという信念が必要なのです。





 

 



 

2008年4月 5日 (土)

4月の指針

   
1.人は人と比べるから苦しいのだ。


1.逆境という想いが、逆境を呼び寄せている。
 

1.生涯をかけて多くのことをする必要はない。ただ一つのことを貫けばよい。


1.自分が自分の人生の主人公であることを忘れるな。
  人生とは決して人真似ではない。


1.難しい言葉は必要ない。人々の心に光を点(とも)す一言があればよい。




 





2008年4月 4日 (金)

大きなものに守られている幸せ

 
幼い頃が一番幸せだった。
 
しなければならないこともなく、何の責任を感じることもなく、ただ毎日を笑顔で、自由で楽しく過ごせた。
 
そして親の大きな愛があった。
 
どんなことがあっても自分を愛してくれる、そして守ってくれる、その大きな愛の中ですくすくと育っていく幸せ、何の心配もいらない。
 
死の恐怖もなければ病気や貧乏になること、人との人間関係に悩むこともない
 
大人が経験することを未だなにも体験していない
 
そのままの心の状態で大人になれたらどれだけいいだろう
 
無邪気な子どもの姿を見ているとほんとにそう想う。
 
人は大人になるにつれ、怖さを身に付けていく
 
いらない知識、誰が決めたのか勝手な常識、競争社会
 
それについていけないと取り残される、親からも見放される と思い込んでしまう
 
そして一番の怖さはありのままの自分では愛してくれないのではないか?という恐怖
 
大人も子供の頃のように無邪気でいたい、自分の気持ちに素直でいたいんだ
 
幼い頃は自分の親が精神的な頼りとなる
 
自分のすべてを受け止めてくれているという安心感がある
 
大人になると親はそんな大きな存在ではないと知る
 
そしてどこを見渡してもどこにもそんな大きな存在はないと思ってしまう
 
一人で生きていかなければならない
 
誰に頼ることも寄り添うことも出来ない、甘えることも許されない


 
だがそうではないんだ
 
肉体の親ではなく、心の親がいる
 
肉体は滅びても(死んでも)心は永遠に生き続ける
 
そして自分の本当の故郷は宇宙にある
 
宇宙に本当の自分がいる
 
肉体の自分は本当の自分のほんの一部にすぎない
 
そして守護霊、守護神が四六時中寝ることもせずにずっと守ってくれている。
 
人はどれだけお金があっても、家族や多くの友達に囲まれていたとしても真理がわからなければ不安は消えない、安心することはできない。
  
人はとてつもなく大きいものに守られている

それを真実に識ったとき、本当の安らぎと幸せをかみしめることができる




 

物事は諦めたときに・・・

  
物事は諦めたときに成就する・・・。
 

私は今、気功のレッスンをさせて頂いています。
 
そのレッスンのなかで相手の人にわかってもらいたい、理解して欲しいという願望があったときには、なぜか心が通じ合えないのです。

それは自分がやろうとするから、目にみえない力(神様)を信じず、我の自分がやろうとするから・・・。
 

「あーダメだ、通じていない、どうしよう」 と切羽詰ってどうしよもなくなって諦めたとき、不思議なことにエネルギーは動き始めるのです。

 
 諦めるとは、明らかにすること W先生に教えて頂きました。
 
 
「あなたがするのではないのです、すべては守護霊、守護神がされるのです、あなたは何もしてはいけないのです」
 

 
何度もいわれ続けてきた、潜在意識の中に何回もいい聞かせてきた。
 
 
全托が出来ないときは諦める形でしかうまくいかなくなっている。
 
 
諦めるとエネルギーが流れるようになって何も考えなくても必要な言葉が次々に出てくる。
 
 
そしていつの間にか相手の人が納得している。
 
 
結果は同じでも、全托して成就するのと、諦めて成就するのでは雲泥の差がある。
 

神様にまた オマケ をして頂いた。

 
未熟な私ですが、これからもよろしくお願いします(笑)




 
 

自分を無くせ

 
自分を無くすとは、我の自分、欲望深い本心から遠ざかった自分を無くせという意味である。
 
人間の苦しみは本当の素晴らしい自分と、どうしようもなく情けなくておバカな自分とが心のなかに同居していることにある。
 

何かをしようとすると、「やれやれ、やってしまえ」 というささやきと、「そんなことをしてはダメだ、何を考えているんだ」 と止めようとする二人の自分がいる。
 
 
そして二人の自分のどちらが正しいのか?がわからなくなって来るので、今度は信頼?出来る人に相談する。
 

すると三人の違う考えに余計に惑わされることになる。
 
 
どの考えが一番正しく、自分の魂の成長に役立っていくのか?
 
 
魂の成長を一番考えてくれているのは誰か?
 
 
それは、自分のことを生まれる前から知っていて、これから何が起こるのかをわかっていて、誰よりも自分のことを愛してくれている守護霊、守護神なのです。
 
 
守護霊、守護神はいつも見守ってくれていて直観というメッセージを送り続けてくれている。
 
 
人間が意識してもしなくても必ず守ってくださっている。
 
 
バカな人間をまっとうに生きれるように絶えず指導してくれているのです。
 

だからもう三人の自分に振り回されることなく、守護霊、守護神に繋がっていればいいのです。
 
 
すべてを託して(全托)、神様のもとへ飛び込んで行けばいいのです。
 
 
自分を無くすとは、自分でどうこうしようと考えを巡らすのではなく、守護霊、守護神と一体となって自分の本心と繋がることをいうのです。




  

思慮分別をしない

 
よーく考えよう~お金は大事だよ~♪というコマーシャルがあるが、人間にとって考える、そして分別する(善い悪いを判断する)ことは必要なのだろうか?
 
お釈迦様は 空になれ、思慮分別心を無くせ と説かれている。
  
空とは、頭を空っぽにすること、そして空っぽとはただ、ボーとすることをいうのではなく、自分の意識を仏(自分の本心)に繋げた状態で何も考えないということである。
 
人間の頭はどうしようもなく バカ だ、そんなところに意識を合わせていたらロクなことはない、マイナス思考になるだけだ、不安になって本心の自分からどんどん遠ざかっていくだけだ。
 
だから本心に合わせなさい、安心立命した本当の自分に合わせ続けなさいとおっしゃっているのです。
 
その為にはどうしたらいいか?
 
それにはまず、思慮分別をしないこと・・・。
 

でも、これは長い間習慣になっていてなかなか難しいのです(笑)
 
 
しかし、これが出来るとほんとに心が軽くなるのです。




 
   

2008年4月 1日 (火)

空になったときから全てが始まる

 
人間と人とは違うと以前書いたことがある。

人間とは業(ごう)にまみれたさ迷っている部分と神そのものの自分が交錯している様(さま)をいう。

人は神そのものの様
 
地球は今、人間から本当の 人 になる過渡期にある。
 
3次元から4次元へとアセンションをしようとしている。
 
人になるとは神になること、宇宙意識になることを意味する。
 
そんなことを書いているとずいぶんたいそうに聴こえるかもしれないが、人になるとはスッキリ爽やかな様をいう、そして頭で考えず、心で判断する、人と人とは心で通じ合えるようになる(テレパシー)こと・・・。
 
 
つまり当たり前の状態(空)になることなのです。

 
人はこの状態になって始めて人としての第一歩が歩めるのです。
 
 
それまではオシメをした赤ちゃんと同じなのです。

 
 
宇宙の☆から観たら遅れた★といわれているのはそういうことなのです。



 
    

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