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2008年3月 4日 (火)

日々の指針 4日の3

 
幸せはどこにでもある。自分のすぐ近くに、自分のすぐ手の届く所に。幸せは私達の周りをいつも取り囲んでいる。いつも用意されている。決して遠くにいるのでも、逃げるものでもない。
 
もっと端的にいえば、自己の内に幸せは存在しているものなのである。幸せを求めても得られない人は大勢いる。求めている人のすぐ近くに存在しているにもかかわらずなかなか得られない。幸せを得られない人は幸せということが一体どんなものであるのか、本当に理解していない人である。
 
幸せとは或る特殊な特別な状態をさすのではない。幸せとは平凡の中に一際輝いて、いつも存在しているものである。さて、幸せを求めても得られない人は、自分の心の中に幸せな心を自覚していない人である。
 
幸せな心とは日常茶飯事、どんな些細なことに対しても、心から感謝が出来、また感謝が湧き起こってくる心である。
 
日頃、感謝の心の無い人に幸せが訪れる筈がない。

 
解釈
 
 


幸せな心とは日常茶飯事、どんな些細なことに対しても、心から感謝が出来、また感謝が湧き起こってくる心である。
 

どんな些細なこととは、自分にとって都合の悪いこと、嫌なこと、腹の立つこと、悲しいこと苦しいことも含んでいる。

うれしいことや楽しいことであれば感謝は出来る、しかしそうでない場合になぜ感謝が出来るのか?

それはこの世で目の前に現われているすべての出来事は前世での因縁を消す為に起こっていることで、現われたらすぐに消えて行き、その後は善くなるようになっているからだ。

因縁は肉体の人間では消せない、人間を守っている守護霊、守護神が消してくださる。

寝ている間でも夢に出させて、そこで消してくれているのだ。

それも大難が小難になるように、人間が痛まないよう、苦しまないようにしてくれている。

幸せを早く現そうとしたら膿(うみ)は出来るだけ早く出すにこしたことはない。

この膿が出る時が不幸に見えるのだ。

不幸と思える出来事をほんとの不幸と捉えるか?消えていくありがたい現象なんだと捉えるか?

人の幸せは真理を識っているか否かによる。

真理を知らなければ、本当のことがわかっていなければ感謝できない。
 
人は生きていく術(すべ)として真理を 学ばなければならない。


 
  

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