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2008年3月30日 (日)

平常心と不動心

 
人として何が難しいかといえば、平常心であることだ。
 
どんな時にも心を安定させることは日常生活を送っていく上で最も大切なことだと思う。
 
山奥で厳しい修行をしてきた修行僧が街中に出てしばらくするとどうしようもなく心が乱れてきたという。
 
どんなに厳しい修行もそれは自分と自然に対してだけのものであり、対、人とではない。
 
家庭生活や仕事、その他の人間関係で調和が取れてこそ、意味がある。
 
そして、そこで自分の心が動揺しない、感情が乱れないことが大切だ。
 
人との調和をとるには、その前に自分の本心と繋がらなければならない。
 
自分の本心と繋がるとは、自分の守護霊、守護神と交流することである。
 
すると、自分の守護霊、守護神は相手の守護霊、守護神との交流を始める。
 
そして、相手の守護霊、守護神が肉体のその人に直観という形で司令を与える。
 
なんとなく親しみを感じたり、相手の人を大切な人だと感じたりするのは守護霊、守護神どうしのエネルギーの交流があるからなのだ。
 
仕事が思いもかけずうまくいったり、奇跡的なことが起ったりするのは、守護霊、守護神の働きであることはいうまでもない。
 
それを信じて、目に見えない力にすべてを任せられたとき、平常心や不動心になれることが出来る。
 
 
そして、全托(ぜんたく)、すべてを託すとはこのような心の状態をいう。



 



 

夢と現実の現実も夢?

 
今日、お金のトラブルに巻き込まれている夢を見た、目が覚めかけたときに夢か?現実か?を確認しようとしたがハッキリわからないままに二度寝をしていまい、次にハッキリと目覚めたときに現実のものではないとわかった。

でも私たちが現実と思っているこの世界は本当の、現実の世界なんだろうか?
 
仏教ではこの世のことを写し世といい本当の世界が写ってきているという。
 
この世は本当の世界ではないといっている。
 
では、本当の世界はどこにあるのか?
 
本当の自分はどこにいるのか?
 
今、あなたはテレビを観ていますか?
 
テレビに人が映っていますね。
 
でもテレビの中には人はいません。
 
人はテレビ局にいてテレビジョンには電波を通じてその人が写ってきているだけです。
 
例えば、テレビが壊れて写っている人が画面に映らなくなっても、その人には何の影響もない。(テレビが壊れることを肉体界の死という)
 
実は、あなたがあなたと想っている自分はテレビ局にいる本物のあなたではなく、画面に映っている写しだされている方を本当の自分だと思っているのです。
 
テレビ局での本当のあなたがそのまま、ありのままに映し出されていれば何の問題もありません。
 
テレビ局のあなたは不動心で、心穏やかで、安心立命している、本心が輝いた素晴らしい人なのです。
 
しかし電波に乗ってテレビジョンに映し出される前にカルマ(業)、業想念(ごうそうねん)に心が奪われ、映し出される時にはテレビ局とは全然違うあなたになってしまっているのです。(本来の持っている力のほんの数%しか出せていないとはこういうことなのです)
 
本心のあなたを現そうと思ったら、テレビ局の本当のあなたに意識を合わせ続けるしかないのです。
 
空になるとはテレビ局からの電波をそのまま届くように、邪魔な、歪んだ波(電波)を遮断しているということなのです。
 
宇宙にある進化した星は、本心からの波がそのまま自分に伝わってきているということなのです。
 
人間は宇宙意識にならないと本当に幸せになれないのです。

宇宙意識になるためには意識をテレビ局、天(天国)に合わせないと本心に繋がらないのです。

なぜなら本心は宇宙にあるから、天界にあるからなのです。
 
肉体の親は両親ですが、心の魂の親は天にあります、宇宙にあります。
 
お釈迦様は宇宙の教えを説いています。
 
宗教とは宇宙を示す教えという意味なのです。
 



補足
 


肉体界の自分と天界の本当の自分を繋げるには障害が多過ぎる、人間を助けるために、文字通り守るために使わされたのが守護霊であり守護神なのです。
 
守護霊、神は幽界、霊界、神界のことを熟知していてこれから人間に起こることが手に取るようにわかっている。

そして天界(天国)に意識が通じるためには天界は遠過ぎる、だからその中継を守護霊、神がしてくださっているのです。
 
天界を意識しなくても守護霊、神を想えば天界に通じる。

これから起こる出来事を祖先の子どもであり孫たちにメッセージを送って知らせてくれるのです。
 
直観はこのメッセージなのです。
 
守護霊、神に感謝して心を向けていれば天界(自分の本心)にも通じ、安心立命して生きていけるのです。
 
そして守護霊、神を頼るのは他力ではない。
 
なぜなら、守護霊、神は自分自身でもあるのです。






  

 

2008年3月28日 (金)

真理とは何か?

   
真理とは何か、というと、いつもいっているように、人間には肉体の他にそれを生かし働かせている肉体以外の自分がある、ということを信じることなのです。直霊、守護神、守護霊、分霊、それが真実の自分であることを知ることです。

肉体を動かしているものは、肉体以外の自分であるとわからなければ、不幸は絶えません。肉体以外の世界、神の国を想わなければ、この世界に真の平和は来ないし、個人個人がそう求めなかったならば、肉体界には幸福は来ないのです。

本当をいえば、不幸というものは、自分が創ったもので運命というのもやはりもとは自分が創ったものなんです。
 
或る宗教家に、「先祖のさわりで子孫自分が不幸になり、苦しむなんて不都合ではないか」と私に質問してきたんですが、先祖というのは、結局、自分の過去世であるわけで、そその時の誤った想いや行動が、現在の自分に帰って来ているんであり、先祖のさわりというのも、実は自分が創ったものなんです。




解釈


なんのことかさっぱりわからないですよね(笑)
 
先祖は自分自身であった、そして守護霊、守護神も自分である。
 
自分の周りにいる人たちはみんな自分の過去世が影絵のように写っている。

他人?をみて腹が立つのは自分の過去をみているから

その答えは自分も他人?も元は一つ、一つの光から分かれた分霊であることから理解出来ます。

空がどこまでも繋がって切れ目がないようにすべては一つなのです。

だからあなたと私もないのです。

これからすべては一つであることがわかる時代になるのです。




  

気功サロンにお越し下さい♪

 
気功サロン 継続中!

 

日時:4月12日(土)13時30分~20時

   4月17日(木)13時30分~20時

5月10日(土)13時30分~20時

   5月15日(木)13時30分~20時
 

この時間帯の間のお好きな時間にお越し下さいね。
出入り自由ですので、
いつ来ていつ帰っていただいても結構です!
 

場所:浪速区民センター 
大阪市浪速区稲荷2丁目4-3
電話 06-6568-2171
地下鉄千日前線桜川駅より徒歩3分
http://osakacommunity.jp/naniwa/index.html
 

参加費:500円
 

気功ってどんなものかな?と思っても、
なかなかレッスンにくるのは敷居が高い、
という方、是非気功サロンにお越し下さい
オリエンタルウインドの講師がわかりやすくご説明いたしますよ
お茶とお菓子もご用意していますので、
雑談しに遊びがてらお越しくださるのも大歓迎!
楽しく、和気あいあいとご一緒に過ごしませんか(●^o^●)
 

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2008年3月26日 (水)

情愛、真の愛、崇高なる愛

   
1.強き者、富める者、ゆとりある者が、弱き者に同情し、助けを施すのは、真の愛の行為ではない。情愛である。
 
 
2.真の愛とは、そこに一切の差別感なく、常に一体感に裏打ちされている行為である。
 

3.さらに崇高なる愛、神々しい愛とは、いかなる人の上にも神そのものを見、その人(善人悪人にかかわらず)の上に生じた現象を見ず、内在せる神意識を呼び覚ませてゆく行為である。


 
解釈
 


世間一般で言われている愛は、1.の同情の愛である。
 
しかし同情の愛はその人、その人たちの自立を遅らせ、依存させることになる。
 
自己満足だけの見せかけの愛であり、本物の愛ではない。
 
 
2.愛は合いであり、心が一つになることをいう、慈愛であり、素晴らしい愛である。
 
 
3.はどんな人でもその人の奥の奥にあるその人の本体、本当の姿は神そのものであると強く信じて、業(ごう)に覆われた現象のその人を真実とは見ず、寛容の愛でその人の行為を許さなければ出来ないことである。
 
これが出来たとき、人は神そのものとなる。




  



  
 

人と人間

 
人と人間は違う。
 
人間の間(あいだ)とは何なのか?
  
普通の人は神のような純粋で素直な自分と、業(ごう)に覆われた動物のような(動物さんごめんなさい)理性のない欲望を持った自分がいる。
 
人間とはこの神と動物の2つの心を持っていることを言う。
 
つまり神と動物の間が人間なのだ。
 
一方、人とは本心が顕れている(神そのもの)、本来の姿をいう。


「あの人は」 というのと 「あの人間は」 というのでは響きが全然違うでしょ。
 

だから言葉を発するときには、意識して  を使うようにしましょう。



 





  

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2008年3月24日 (月)

無我夢中と無念無想は違う

 
無我夢中と無念無想は似ているようだが、全然違う。
 
一生懸命に何かをしているとき、意識をどこに置いているか?
 
無我夢中は自分の意識がどこにいるのかわからない状態
 
迷いの世界の幽界なのか、本心に近い霊界なのか、本心そのものの神界なのか?自分の立ち位置が見えていないのだ。

無念無想は意識的に我を無くし、何も考えない 
 の状態にしていくことである。
 
空とはからっぽで何も無い、虚しいのではない
 
心は本心、宇宙に繋がっているのだ
 
本心とは本当の自分のいる所、安心立命した不動心の本当の自分がいるところである。
 
そこと繋がっていれば何の心配もない、恐怖もない。

人間は一日の中で、無我夢中の状態がほどんどだが、一瞬 空の状態になるときもある。
 
それは本当の世界を守護霊、守護神が見せてくださっているのだ。
 
「あの爽やかな清々しさはいったいなんだったのだろう?」 と思うが繰り返し見ることは出来ない。

だが、無念無想(何も念じず、何も想わない)になれば絶えず清々しいスッキリした状態でいられる。
 
W先生は 「何も想わない考えない努力をしなさい」 とおっしゃいました。
 
「何も想わないでどうやって生活を送っていくんだ」 と普通は思いますよね。
 
でも、実は何も念じない、想わないことが人間の幸せに繋がっているのです。
 
それが自分の本心と繋がる方法なのです。
 
そしてそれが人間の進化した未来の姿なのです。





  

2008年3月23日 (日)

流す、外す、消す

 
調和波動気功では、波動=気(エネルギー)を 
流す、外す、消す という言い方があります。
 
日常生活、人間関係を送っていたら心に引っかかる、忘れてしまえないことがたくさん起る。
 
でも心に留めていたら、次のことに100%エネルギーを注ぐことが出来ない。
 
だから失敗する、だからスッキリしない
 
なぜ、そう思うんだろう(相手の人が)
 
なぜ、そうしないんだろう(人に対して)

人の心はコントロール出来ない
 
そして、流されることなく、滞ったエネルギーは行き場を失って、どんよりとした重たいエネルギー体となり、目にはみえないが消えることなく溜まり続ける。
 
これが仏教で言われる業(ごう)、業想念(ごうそうねん)であり、キリスト教のカルマです。
 
私たちはこれ(業、カルマ)をまともに受け取らず(外す)、スルーしていかなければならない(流す)、そして流したままだと他に移るだけだから消さなければいけない。
 
これが出来て初めて責任を果たしたことになるのです。
 
腹が立ったからと誰かに当たったり、勢いで物を壊してスッとした気分になったとしてもそれはエネルギーを浄化したことにはならないのです。
 
宇宙はエネルギーで出来ています。
 
波動で出来ています。
 
人はエネルギーがわかって一人前なのです。

波動がわからなければ何にもわかったことにはならないのです。






  

2008年3月21日 (金)

マイナスをつかむ前にプラスに・・・

 
プラスの言霊(ことだま)をずっと唱えているとマイナスをつかみそうになる前に消していくことが出来る。
 
そして、それはプラスへと転換されていく。

災い転じて福となす とは意味が違うが今までマイナスと受け取り、悪いことをイメージしたり、相手に対して怒ったり、反応してしてしまっていたことが、自分の中をプラスのエネルギーで一杯にしているとそのようなことに振り回されることはない。
 
マイナスに反応する 
火種 を残さないのだ。
 
あったとしてもプラスのエネルギーが強ければ、
火種 マイナスも消すことが出来る。
 
そのプラスの言霊(ことだま)とは


無限なる愛、無限なる調和、無限なる平和
 
世界人類が平和でありますように
 


この言葉を心の中でも、声に出してもいいがずっと繰り返し唱えていると気持ちが明るくなってくる
 
マイナスをはじき返すパワーが付いてくる
 
騙されたと思って(笑)やってみてください。
 
理屈よりも実践です。

やれば必ず効果がわかります。





   

愛すること

 
愛する人の為に出来ることは何か?
 

1. 困ったときに助けてあげる
 
2. 相手の喜ぶことをする(必要以上に物やお金を与える)
 
3. 相手の傍(そば)にいて世話をやく

 
 

こんなものだろうがこの三つで相手は本当に心から喜んで、又その人の為になるのだろうか?
 
 


1.は困ったときに助けてしまってはいつまでも頼りにされてその人が自立出来なくなる、自信が持てなくなる

2.は相手の喜ぶことを考えてしてあげるのは一見よいことのように思われるが、頭で考えてする行為は喜んでもらいたいという計算、欲があるので純粋なものではない、もし喜んでくれなかったときは相手への怒りに変わる。お金や物は本来自分で働いて得るのが本当の姿なのでその人の為になることはない。

3.も同じく相手の自立心を奪うことになる、余計なおせっかい、そしてうっとうしく感じるようになる。


 
この三つはいずれも愛情であって愛ではない、情が絡むと不純なものとなる。
 
それは相手に喜んでもらいたい、感謝されたい、ありがとうと言ってもらいたいという欲があるから・・・

だったら本当の本物の愛ってなんだろう?
 
私は相手の心を自由にしてあげることだと思う。
 
人間は本来自由でいたい!

強制されること、押し付けられること、説教されること、恩着せがましくされること、否定されること、自分のしたいこと、進む道を規制されること、自分の心の中に入って来られること・・・・・これらのことは人の心を縛りつける。

 
代わりにどれだけたくさんのお金や欲する物をもらってもそこに自由が無いならば、うれしくも楽しいこともない。
 
 
だから、相手がどれだけ苦しい、辛い状態であっても決して心を縛ってはいけない
 
 
その人はその状況にあって自分で、自分自身の力で乗り切ろうとしているのだ。


何もしてはいけない、助けてはいけない、その人の力を信じて、見守ってあげるだけでいい。
 
人間の真の喜びは自分の力で乗り切ることにある、自立することにある。

 
愛って自分の心も相手の人の心も自由にしてあげることだと最近、気づきました。
 
 

みなさんの愛はどうですか?







  

 

2008年3月20日 (木)

すべてのものは生きている

 
僕らはみんな生きているという歌がありました。(今でも歌われているのかな?)
 
ミミズだって、オケラだって、アメンボだぁっ~て~、みんなみんな生きているんだ友達なんだ~という歌詞でしたが、生き物だけでなくすべてのものは生きているのです。
 
例えば硬い石などは変化をするのがとてつもなく遅いので死んだもののように思えるが、分子や素粒子からもっと細かい世界へゆくとそこには波動の波があるそうです。
 
人間の肉体も波動が分子や原子よりももっと細かい粒子を引きつけて物体を造っているのだそうです。


波動とはエネルギーの基、何らかの意思が働くとそこに波が集まってくるのです。
 

この素粒子よりも細かい波は絶えず新陳代謝をして生き続けているのです。
 
目に見えるものも、空気などの目にみえないものもすべての存在は波動なのです。
 
だから身の周りの電気製品、机、コップ、家、建物、自動車、パソコンあらゆるものは生き物と同じように生きている。
 
物を大切にする人の持ち物は長持ちするというのは、持ち主が大事に感謝して使うのでその感謝の波動が物に伝わって物が喜ぶのです、そして持ち主との時間を長く共有したいと思うのです。
 
長く使ったものが使えなくなって最後にお別れするときは、人との別れに近いような気持ちになります。
 
思わず、「今までありがとう、今度あなたが違うものに生まれ変わっても大切にするからね」 と語りかけたくなります。
 
物は生きている
 
そして人間やすべてのもの、宇宙のために働いている。
 
人間と同じように疲れもすれば、リラックスも必要となる。
 
パソコンも電源を入れっぱなしにしないで、使わないときは切って休ませてあげよう。
 
紙も生きている樹木から生まれ代わって生きているんだ。
 
だから感謝して大切に使おう、そうすれば生命(いのち)が活き活きと生かされる。
 
すべてのものをそう捉えると、とても愛おしくなってくる
 

自分が生きていることにも感謝の気持ちが湧きあがってくる。





 

2008年3月19日 (水)

人に振り回されない

 
八方美人(はっぽうびじん)という言葉があるが、人と仲良くなりたい、嫌われたくない、友達を大事にしたい・・・など気持ちの優しい人は相手に合わせる。
 
そして、自分と考えが違ったり、納得できないことが出てきてもスルー、つまり流すことが出来なくなる。
 
心はエネルギーなので絶えず流し続け、サラサラ状態にしていないと滞(とどこお)ってしまう。
 
これがストレスであり、病気の原因となる。
 
病気にならなかったら怒りになったり、身体に湿疹が出来るなど他の何かに変調をきたす。
  
人にやさしいことは一つの才能だと思う。
 
人を癒し、心地よい気持ちにさせる
 

それは素晴らしいこと
 


だが、エネルギーの流し方を知らないと段々しんどくなってくる
 
人はみんな自由でいたい
 
自由とは自分にも人にも束縛されないこと

いい顔をするには相手に対して納得出来ないことにも妥協しなければならない。
 
賛成しなければ、反対したら人が離れていくのではないか?
 
ここで違う意見を言ったらこれまで築き上げてきた関係が崩れるのではないか?
 
そう想ったら自分を抑えるしかない
 
相手に合わせるしかない
 
これはとてもしんどいこと
 
だけど優しいく我慢強い人は自分が極限状態になるまで我慢する
 

我慢して心が悲鳴をあげるまでいってしまう
 
人は土壇場にならないと目覚めない、
目覚めようとしない
 
どうしようもなくて 「神さま助けてください」 と心の底から絞り出す状態にならないと気づかない
 
どれだけ親しい友達であろうと親であっても、尊敬している人の言葉で

「自分をもっと大切にしたほうがいいよ」 と語りかけられても
 

だから放っておくしかない
 
見てるのが辛くても、身体や心が病んでいくのがわかっていても
 
時期がこなければ、自分の心が気づかなければ本当にわかりはしない
 
 
以前は振り回されている人を見ると助けたくなっていた。
 
だが今は、振り回されることを経験することは大切だなぁと思っている。
 
 
振り回されて初めて、その人は 

   自分を見つめることの大切さ を知る。




  




 

2008年3月14日 (金)

天と地を結ぶ

 
人間はなぜ生きているのか?
 
その原動力(エネルギー)はどこから来ているのか?
 
不思議だと思いませんか?
 
エネルギーは宇宙から来ています
 
宇宙は心、魂の故郷、自分の根源、自分自身です。
 
そこから来たエネルギーは頭のてっぺん(びゃくえという)に入って、体中を駆けめぐり、足の裏を抜けて地球の中心に流れていくのです。
  
天に向かって真っすぐに伸びている樹木や植物はそれを見事に現わしている
 
天と地を意識するだけでエネルギーが流れやすくなる
 
そして身体に入ったエネルギーは血管や神経を通る
 
神経が神(宇宙)の経(みち)と書かれているのは真理なのです。
 
エネルギーがスムーズに滞ることなく流れていれば病気になることはない

 
天地を意識して宇宙に感謝していればすべてが整ってくるのです。






 


最後は自信

 
どれだけいい師匠がいても、どれだけいい話を聴いても、どれだけいい環境にあっても、どれだけ素晴らしい考えを持っていても自分を100%信じることが出来なければそれは無い(ゼロ)に等しい。
 
逆に言えば周りのことは何も関係ない、自分がすべてだと言える。
 
世界中、宇宙を敵?にまわしても、自分が神様のように信頼している人が言ったことでも自分が違う、そうじゃないと信じたら自分を信じ貫き通す、そしてどんな結果になっても責任の転嫁をしない。
 
幸せは自分の自信によって自分でつかむものだ
 

最後の最後は自分を信じ切ることだと思う



 


 

2008年3月11日 (火)

続々・如是我聞 13

  
人が失敗した時、それを責めてはいけない。泥棒に追銭ということはそういうことだ。
 
責めても何にもならない。
 
宇宙の運行からみれば、失敗したことなどたいしたことではない。
 
失敗したら 「また新しく出直そうよ」 とサラッといって励ましてあげよう。



 
解釈
 


仕事を一生懸命している人ほど自分にも人にも厳しい。
 
失敗は誰もしようとしてする人などいない
 
してはいけないと緊張すればするほどしてしまうことがある。
 
それは意識をすればするほど失敗を引きつけてしまうのだ。
 
オリンピックの選手が緊張し過ぎて大事なところで失敗することなどは枚挙にいとまがない
 
人の生死にかかわる失敗は別として、普通いわれる失敗ってそんなに悲観することなのか?

人ごとかもしれないが大概の失敗は後から振り返ってみるとほとんどがたいしたことではない
 
だが人は自分のことでも他人の失敗にも異常に反応する
 
あたかもその人の運命を左右するかのように・・・
 
そうだ、どんな失敗だって宇宙の運行から見ればたいしたことはないんだ
 
そう思えばすごく気持ちが楽になる
 
落ち込んでいる人がいたら、笑って言ってあげたい♪

 
「あなたの失敗なんて宇宙から見ればたいしたことではないですよ」 って





  


2008年3月 6日 (木)

気功サロン

 

気功サロン 始めます!

 

日時:3月13日(木)13時30分~20時

   3月15日(土)13時30分~20時



場所:浪速区民センター 
大阪市浪速区稲荷2丁目4-3
電話 06-6568-2171
地下鉄千日前線桜川駅より徒歩3分

http://osakacommunity.jp/naniwa/index.html


参加費:500円


気功ってどんなものかな?と思っても、
なかなかレッスンにくるのは敷居が高い、
という方、是非気功サロンにお越し下さい

オリエンタルウインドの講師がわかりやすくご説明いたしますよ

お茶とお菓子もご用意していますので、
雑談しに遊びがてらお越しくださるのも大歓迎!

楽しく、和気あいあいとご一緒に過ごしませんか(●^o^●)




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私のブログの原点はこの調和波動気功から来ています。
 
みなさんと気軽にお話出来る交流の場を設けました。

気功に興味のある人、グッドムーンはどんな奴か(笑)?と思っておられる人は是非お越しください。

楽しい時間を共有しましょう。(女性2名男性1名が居ます)



オリエンタルウインドとは?気功とは?

http://orientalwind.info/
  





  









   

2008年3月 4日 (火)

幼い命

 
今日、テレビで小児ガンに罹って亡くなっていく子どもに対し親が愛を注いでいく感動のドラマを放送していた。
 
私の息子も幼稚園と中学生のとき、手術を2回しており、そのときのことを想い出して妻と共に涙した。
 
子どもがなんらかの病に冒されて幼い命を閉じるのは親にとってとても辛いのは痛いほどわかる。
 
ただ、真理を知っていればもっと前向きに死を受け入れられたのに、子どもに死をしっかり認識させて安らかに往生(おうじょう)させてあげれたのに・・・と思ってしまう。
 
 
死は永遠の別れではない。
 
死は違う世界へ生きて往く(往生)のであって魂、心が無くなるのではない。
 
子どもは死んでも違う世界で元気に暮らしている。
 
後4年ほどで死んだ人と逢える世界がやってくる。


 
このことを死んでいく子どもに言ってあげれたらどれだけ安心するだろう?
 
どれだけ笑って別れる(一時的に)ことができるだろう?
 
今はまだ、波動的にわかる時代には至っていない。
 
だが、一般的には未だ知られていないが、自分が努力することで真理を得ることは出来る。
 
しかし自分が求めないと誰も積極的に教えてはくれない。
 
 
自分や愛する人が本当に安心立命して生きて(死も)いくには、真理の勉強は不可欠だと思う。


真理無くして真の人生はあり得ない。





 霊界へ行った子供達1.2 村田 正雄 白光出版  




  






   

いい時代

 
小麦の値段が上がってパン、うどん、インスタントラーメン等食品の値上がりが始まる。
 
値上げに伴って収入が増えればいいけどそれはほとんど見込めない。
 
だとすれば支出を減らすしかない。
 
無駄な支出は身体で言えば贅肉のようなもの、健康な理想的な身体になるためには贅肉を削ぎ落としていかなければならない。
 
点けっぱなしにしていた照明、テレビ、炬燵、水道の節水、長時間のシャワー等無駄にしていたことはたくさんある。
 
今読んでいる本(私をささえた母の一言)で昔の女性は物を大切にしたことが書いてあった。
 
「しまつというのは始めと終わり(始末)と書くのではなく、仕末、物の命を末(すえ)を全うさせ仕(つか)まつると書く」

物の少ない時代では物を大切にし、物に愛情を持つことで、そこから大切な色んなことを学んだ。

愛情、愛着から物は生きている、植物、動物だけでなく動かない物も同じように生きていることを感覚で感じ取った。

そして、大切にすることで物が喜んで持ち主に応えることを知った。
 
物の値段が上がり、仕末をする必要性が生じるということは人間として大切なことを学び直すよいきっかけとなる。
 
 
昔の良き習慣は現在にも共通する。
 
 
今は本当にいい時代だと思う。





 

日々の指針 4日の3

 
幸せはどこにでもある。自分のすぐ近くに、自分のすぐ手の届く所に。幸せは私達の周りをいつも取り囲んでいる。いつも用意されている。決して遠くにいるのでも、逃げるものでもない。
 
もっと端的にいえば、自己の内に幸せは存在しているものなのである。幸せを求めても得られない人は大勢いる。求めている人のすぐ近くに存在しているにもかかわらずなかなか得られない。幸せを得られない人は幸せということが一体どんなものであるのか、本当に理解していない人である。
 
幸せとは或る特殊な特別な状態をさすのではない。幸せとは平凡の中に一際輝いて、いつも存在しているものである。さて、幸せを求めても得られない人は、自分の心の中に幸せな心を自覚していない人である。
 
幸せな心とは日常茶飯事、どんな些細なことに対しても、心から感謝が出来、また感謝が湧き起こってくる心である。
 
日頃、感謝の心の無い人に幸せが訪れる筈がない。

 
解釈
 
 


幸せな心とは日常茶飯事、どんな些細なことに対しても、心から感謝が出来、また感謝が湧き起こってくる心である。
 

どんな些細なこととは、自分にとって都合の悪いこと、嫌なこと、腹の立つこと、悲しいこと苦しいことも含んでいる。

うれしいことや楽しいことであれば感謝は出来る、しかしそうでない場合になぜ感謝が出来るのか?

それはこの世で目の前に現われているすべての出来事は前世での因縁を消す為に起こっていることで、現われたらすぐに消えて行き、その後は善くなるようになっているからだ。

因縁は肉体の人間では消せない、人間を守っている守護霊、守護神が消してくださる。

寝ている間でも夢に出させて、そこで消してくれているのだ。

それも大難が小難になるように、人間が痛まないよう、苦しまないようにしてくれている。

幸せを早く現そうとしたら膿(うみ)は出来るだけ早く出すにこしたことはない。

この膿が出る時が不幸に見えるのだ。

不幸と思える出来事をほんとの不幸と捉えるか?消えていくありがたい現象なんだと捉えるか?

人の幸せは真理を識っているか否かによる。

真理を知らなければ、本当のことがわかっていなければ感謝できない。
 
人は生きていく術(すべ)として真理を 学ばなければならない。


 
  

2008年3月 2日 (日)

怠慢

 
先日のセミナーである人が 
 
「よく眠たくなるのです、なぜでしょう?」 と質問していた。
 
う先生は一言 「怠慢なんです」 とおっしゃった。
 

私も人のことは云えない、よく眠くなる。
 
 
やるべきことをやらずに睡魔に襲われて撃沈している。
 
今の世の中(3次元)はちょっと油断するとその隙にカルマが襲ってくる。
 
人の業想念が容赦なく頭の中に入ってくるのだ。

入ってくると本当の自分からどんどん遠ざかっていく
 
あなどってはいけない
 
自分は大丈夫とたかをくくってはいけない。
 
今考える暇がないほど忙しい人は余計なことに意識がいかないのでよい状態なのだ。
 
よくないのは目的もなくただ怠惰にしていること
 
することがあるのに身体が楽なほうに逃げること
 
自分の中に隙を作らないようにすることはとても大切なことだと思う。




 

鏡になるには?

  
自分が透明感のあるクリスタルなピュアな鏡になろうと思ったら?
自分の我があってはいけない
自分の考えもあってはならない
自分という存在を消さないといけない
自分の感情もあってはならない
自分、自分、自分という意識があってはならない
 


こうなって初めて人間は自由自在心となる
 
なんの把われもなくなる
 
苦しみがなくなる
 
そして、本当に幸せになれる
 
お釈迦様はこのことを  と言った
 
キリストはこの心境を 幼子のようになりなさい
 

老子さまは 無為に為せ(何々の為にしようとするな)
とおっしゃた。
 

自分が無くなる、そこからすべてが始まる。




 
 
 

カウンセラー

 
「カウンセラーの仕事とは黒子に徹して相談に来た人が冷静に自分をみつめ、自分の中から答えが出るように導いてあげること」 
 
とある本に書いていた。
 
私は気功の講師をしている、真理についての勉強や本もたくさん読んで答えの引き出しはたくさん持っているつもりだった。
 
だけど一番大切なことは相手の鏡になること・・・ 
 
人は自分のことを客観視できない
 
自分自身との対話がへたくそだ。
 
だから自分の中に答えがあるのに他に依存して他から解答を得ようとする。
 
自信を持つとは自分から答えを引き出せるようになること
 
そして、その答えを疑うことなく信じられることだと思う。
 

答えを引き出したところで信じられないならば何にもならない。
 
自分から出た答えはどこから来ているのか?
 
それは自分の源、根源である宇宙から来ている。
  
宇宙は自分の故郷でもあり、魂の父、母でもあり、自分自身でもある。
 
人は宇宙のことを神、仏と言った。
 
宗教とは宇宙を示す教え と以前書いたことがある。
 
自分自身と対話することは宇宙との対話、神との対話である。
 
そのことを実践できるカウンセラーは素晴らしい仕事だと思う。

 



   

2008年3月 1日 (土)

宇宙のなかに自分がいるのではなく

 
自分の存在とは宇宙の中に地球があって、地球の中に日本があって、その日本の中のある地域の中に私という存在があると思っている。
 
だが、本当は自分の中に宇宙があるのだ。
 
昔、中村天風の本で、「月を見ている自分は月よりも大きいのだ」 という文を読んでそーなのか~と感心した覚えがある。
 
自分の中に月がある、宇宙があるというのは
 
「自分と月、宇宙は繋がっている、自分は月であり、宇宙そのものである」 ということだ。
 
そして自分と他人はなく自分も人も元は一つに繋がっている。
 
3次元は二元対立の世界、あなたと私が分離されていると思っている世界
 
4次元から先の多次元は融合、一つになっている世界
 
これから地球は4次元へと突入する。
 
自分と人とが一つであると実感できる、素晴らしい時代になっていく。
 
 
「いい時代に生まれたなぁ」 と感謝、感謝!




  





 

日々の指針 29日の1

 
人はみな頼りにはならない。頼りになるのは神と自分のみである。
 
人に裏切られたと嘆き悲しむ人があるけど、人にすべてを託し頼む方が悪い。頼まれた方も又、大いに迷惑なことである。
 
人事を尽くして天命をまつ心境こそ、すべてがうまくゆくコツである。安易に人に頼む前に、人事を出来る限り尽くすことである。
 
すると自分自身が頼もしく思えて来、自分自身の力で乗り切れる自信がついてくるものである。
 
 


解釈
 


人間関係でなにがしんどいか?と云えば自分が期待したことに対し相手がその通りにならないことである。
 
その通りにいかないと自分がイライラし、相手にも不信感の重いエネルギーがいく。
 
人は関係なく、自分一人しかいない、自分一人でもやるのだと決意し、行動しているとそのひたむきさに対して周りの人が反応し、手伝いたいと言って来る。
  
ひたむきな姿は美しく神々しいのでその波動に触れたくなってくるのだ。
 
何かを成就させるとき、それは孤独だけど自分が素晴らしく思える瞬間(とき)でもある。




  

日々の指針 29日

 
人間の優劣は、その人がどれだけ精一杯努力してきたかによって決まる。
 
どんな分野でも、目標をめざして精一杯努力したならば、あとはすべて天に任せればよい。
 
必ず道は開けてくる。
 
なんの努力もせずして、すべてを天に任せたといっても、それは土台無理である。



 
解釈

 


過去の栄光をひけらかす人がいるがそんなことは今のその人と何の関係もない。
 
大事なことは過去ではなく、今がどれだけ輝いているか?である。
  
輝くとは今を一生懸命に生きるということだ。



 
  

日々の指針 28日

  
誰かを操ろうとすると、いつか必ず自分も誰かに操られることになる。
 
人はみな自由に生きるものである。
 
自分がつねに自由でありたいと願うならば、人の自由を尊重し、何らの束縛もしないことだ。



 
解釈
 


ヤンキースの松井秀喜が周りの雑音に惑わされそうになったときにこんなことを云っていた。
 
「人をどうにか黙らせようとコントロールすることは出来ない、しかし自分の気持ちは落ち着かせたり、冷静になることは出来る」 
 
う先生は、「自分の奥にある本当の自分と対話しなさい」 とおっしゃいました。
  
本当の自分と対話を始めると人のことが気にならなくなる。
 
自分の中にはすべての答えが入っている。
 
だから自分との対話は楽しくてしょうがないのだ。

自由とは本当の自分と出逢ってウキウキすることなのだと思う。






  

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