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2008年2月11日 (月)

日々の指針 11日

 
正岡子規は 

「さとりとは、いかなる場合でも平気で死ぬことかと思っていたのは間違いで、さとりとは、いかなる場合にも平気で生きていることであった」 といっている。
 
全くその通りであって、完全に生を完うすることによって、はじめて死をも完う出来るものである。
 
生を逃避することによって、死への恐怖を拭いさることは不可能である。
 
生への恐怖を乗り越えることによって、死への不安はまったく無くなる。
 
生と死は別なものではなく全く一つのものである。



        日々の指針  西園寺 昌美  白光出版





  





  

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