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2008年2月29日 (金)

私をささえた母の一言

 
私をささえた母の一言(39人の母たち)というタイトルの本を読んだ。
 
有名人がお母さんとの想い出を綴った単行本です。
 
私は今息子にどう対処し、どう接したらいいのか?わからなくなっていたので、ここで答えが見つかるかな?と秘かな期待を寄せていた。
 
だが、各有名人の母の教育方針?哲学?子に対する考え方?は千差万別で、結局、これと言った答えはないとわかった。
 
ただ、

「親は一生懸命に生きている姿を見せるだけでいい」 3次元的にはそれが一番大切なことだと思う。
 

だったらそれ以外は何もする必要はないのか?
 
いや、大切なことが残されているのです。
 
それは息子には素晴らしい守護霊さまと守護神さまがついて見守ってくださっている。
 
だから 「どうぞよろしくお願いします」 と頼んでいればきっといい方向へと導いてくださる。
 
守護霊、守護神とはその人がほんとうに幸せになるようにすぐそばで、いつも付いてくれているのです。
 
お願いすることにより光が守護霊、守護神へ行き、それからその人へと光が流れる。

 
すると直観力が増し、自分の本心に気付くようになる。

 

人の本当の幸せとは本心と繋がることだから、4次元の観点から言えばこれが唯一の方法なのです。
 
子どもは親の思う通りには絶対に育たない。
 
感情で叱っても反発するだけ
 
それはその子の心が納得していないから・・・
  
本心から流れてくるエネルギーではないからなのです。
 
人間の本体は肉体ではなく霊です。
 
霊とは宇宙の根源から流れてくる生命(いのち)のことエネルギーのことです。
 
霊がすべてなのです。
 

肉体とは霊に纏っている物体に過ぎないのです。
 

霊を忘れて肉体でなんとかしようとするのは全くナンセンスなのです。
 
今回、この本を読んでわかったのは実はこのことだったのです。
 
素晴らしい本とはそこに答えが載っていなくても結果的に大事なことに気づかせてくれる。
 
それでいいんだと思います。




私をささえた母の一言 39人の母たち 高橋光子 集英社文庫


尚、この本はもう製本されていません。

よって古本を扱っているサイトを教えて頂き手に入れることが出来ました。

非常に親切で素晴らしいサイトです。
 
この本だけでなく、探しても手に入らなかった本は検索されてみることをお薦めします。
 



スーパー源氏  http://sgenji.jp/






  

2008年2月25日 (月)

今どんなことが現われても

 
今どんなことが現われてもそれは善くなるために膿(うみ)を出しているのです。

どんなに辛いことでも、涙が出るほど悲しいことでも今、すぐに早く出てしまわないと後からになると今よりももっと苦しいことになるのです。
 
神様は人間を幸せにしようとされている、無駄な試練を与えようとはなさっていない。
 
ただ幸せになるには過去からの因縁が現われて、消えていかなければ本当の幸せはやってこない。
 
真実はそうなのです。
 
それがわかっていると試練が試練で無くなる、苦しみが苦しく無くなる、マイナスがマイナスで無くなってプラスに転換される。
 
マイナスと思っていたことが実はプラスだった。
 
このことを識っている人が 本当のプラス思考 の人と云うのです。
 
 
悪いこと、自分にとって辛いことが現われても
 

「あーありがたいなぁ、神様は悪いものを出してくださっているんだなぁ、これから善くなるんだなぁ」


と心の底から思える人、それが本当の幸せな人なのです。





 

物やお金を与えることが

  
物やお金を与えることが親の役目や愛情ではない とここのところ痛感している。
 
何の考えもなく無闇に与えることは欲望という化け物に餌を与えるようなものだ。
  
そのときに子どもに何を言われようと絶対に妥協してはならない。
 
妥協すると元に戻すのに何倍もの時間と無駄なエネルギーを費やしてしまう。
 
どう想われたっていいではないか

子どもを自立させることが親のたった一つの役目なのです。
 
それ以外のことは考えなくていいのです。

世間のお父さん、お母さんもっと自分に自信を持ち、自分の哲学を持ちましょう。




 

日々の指針 25日


なんの理由にせよ、この世に生れたからには、生きねばならない。

生きるためには幸せにならなければならない。

幸せになるためには、誰からも愛されなければならない。

愛されるためには、まずはじめに自分が人を愛することである。

積極的に愛の働きかけを行うことによって、 はじめて愛されるという形を生むのである。

それが言葉でも行為でもなんでもよい、無言でさえかまわない、心の底に変らず流れている思いやりさえあれば。
 



解釈


目に見えるもの、五感で感じるものが無くなってしまえば、最後に残るものは、その人のエネルギーだ。
 

人間はこのエネルギー体に肉体という物質を纏っているに過ぎない。
 
だから相手の心に本当に響いているのはこのエネルギーなのだ。
 
このエネルギーさえ整えていれば、後のことは自然と整ってくる。

 
言葉では厳しいことを言っているのに全然嫌な気持ちにならない人がいる。

それは


    心の底に流れている思いやり があるからなのだ。





 
 

2008年2月24日 (日)

向上心のある人

 
1.大きな目標を掲げそこから意識が外れないように努力している人
 

2.一日を一生と考え、日々成長しようと努力している人

3.気持ちがいつも前を向いている人

4.プロセスに何があろうとも絶対に大丈夫と心を強く持てる人
 
5.お金というエネルギーを自分の成長のために惜しげもなく使える人
 

6.自分の欠点、マイナス、くせを無くそうと日々努力している人
 

7.自分の周りの人は自分を成長させるために存在してくれているんだと日増しに思えるようになっている人





 

2008年2月23日 (土)

向上とは?2

 
今日テレビで

「仕事とは丁寧に丁寧に積み重ねていくことだ」 とある人が云っていた。
 
仕事における向上とは、その丁寧さを上塗りしていくこと
 
丁寧さがより増していくということ
  
何度も何回も丁寧に塗っていくうちにあの漆塗りのように美しい光沢が、輝きが内から顕れてくる。
 
そしてその美しい輝きは永遠に消えることはない。
 

人間の素晴らしさとは何度でも、いくらでも塗り重ねが出来ることだ。


 

   

向上とは?

 
向上とは日々の生活のなかで昨日よりも今日、今日よりも明日が少しずつでも確実に進歩、進化していることだと思う。
 
W先生は私に
 
「人間の唯一持っていい欲は向上心です」 と教えてくださいました。
 
「私は成長したい、立派になりたい」
 
そう思えるのが人間の素晴らしいところ

人は自然と知らないうちに、無限に進化創造していく自分の姿を心に描いている。
 
そして、その描いたとおりに自分が成長していくことが無上の喜びとなる。
 
宇宙は常に進化創造し続けているといいます。
 
人は小宇宙であり、大宇宙と共に常に前進している。

向上とは、どんなときにも前を向いて、心が、魂が、進化していくことだと思います。




 

 

日々の指針 23日

 
打ちよせる波のバックには大海が控えている。
 
一枚の木の葉のバックには大樹がそびえたっている。
 
一人の人間の背後には、偉大なる守護霊様、守護神様が見守っていて下さる。
 
波と海、木の葉と樹とは一つのものであって、決して切り離して考えられるものではないと同じように、人間と守護霊様守護神様との関係も全く同じことで、つねに我々が想像もつかないエネルギーでもって、我々をバックアップして下さっている。



 
解釈


 
実は、守護霊守護神について書くことは私にとって少し勇気のいることでした。
 
目にみえないことでもあるし、今の段階(認知度)ではないと思っている人がほとんどなので、読んだ瞬間、疑問?疑惑?の波動が私に押しよせてくるのです(笑)
 
だから、「あるのです、守護霊守護神はいらっしゃるのです」と強調するつもりはありません。
 
ただなんとなく「ありそうだなぁ、守って下さっているのだろうなぁ」でいいと思います。
 
でも、誰からも守られていない、たった一人で生きていくんだとずっと思っていた人には 嬉しい知らせ? ですよね♪
 
わからなければ信じたほうがいいと思う。
 
 
聖書にもありますよね。

 

「信じるものは救われる」







  

2008年2月22日 (金)

日々の指針 21日

  
知識はあくまでも知識だ。
いくら知識を人よりもたくさん蓄えたとしても、それを身に修め、自分自身の人格や行いに現わしてゆかなければ、何ら意味がない。
只の肥満児と同じことだ。肥満児がたくさん食べて食べまくっても、それを完全に自分自身で消化し切れなかったならば、食べた分だけ全く無駄になる。
食べた分だけ輝くような健康体と美しいプロポーションにエネルギーを変えていかなければ、不完全燃焼に終わってしまう。
肉のかたまりや脂肪のかたまりが身体のあちこちにつき、醜い身体と化してしまう。
知識もそれと全く同じで、スマートにこなしてゆかないと知識のみを鼻にかけた醜い人物に化してしまう。




 解釈
 


ずっと日々の指針をサボっていたのでかなり抜けてしまいました。
 
コメントを頂いた通り、無理をしないで自分のペースで書いていこうと思います(笑)
 
さて、今日ではなく、昨日の指針ですが、思わずうなずく文章です。
 
テレビのクイズ番組は知識のオンパレード、いかに雑学を知っているか?記憶力がいいか、学生時代に知識を詰め込んだかを自慢し合っている。
 
そしてそんなことに意識を置かなかった人をみんなでバカにしている。
 
本当に知識があることが必要か?
 
その知識は誰かが自分に都合のよいように考えたどうでもいいことではないのか?
 
一生懸命覚えたところでいざとなったらなんにも役に立たない、そして何年かしたらかえって邪魔になるような、贅肉のようなものではないのか?
 
それならいっそのこと知識なんて詰め込めないほうがいいのではないのか?
 
私は素朴にそう思う。
 
そんなことより自分の本心から流れてくる直観に耳を傾ける方がよほどよい。
 
知識をいくらたくさん持っていても人間は幸せになれない。
 
幸せになるとは自分の本体、本心、宇宙と繋がること・・・
  
知識が多くなると頭がボーとしてきて直観が働きにくくなる。
 
いらない無駄な知識は意識して取り除くべきだと思う。


私がインターネットをする上でいつも心に留めている文がある。
 


情報において必要なことはその量ではなく、それにいかに振り回されないかである。
 

情報を知識に置き換えてもいいと思う。





  

2008年2月21日 (木)

すいません

 
いつも読んでくださってありがとうございます。
 
ここ何日か、急に忙しくなって、ブログを書けていません。
 
明日は溜まっている分(書きたいこと)、書こうと思っています。

よろしくお願いします。



  

 

2008年2月17日 (日)

親切って?

 
親切って親を切ってなんで親切なのか?
 
と言った人がいる。
 
私は今、我息子と情(じょう)を断ち切ろうと思っている。
 
縁ではなく、情の方だ。
 
息子は一人で生きていこうとしている、誰にも頼らずに・・・
 
親はよかれと思うことを助言する、口に出す。
 
その言葉が素晴らしく、また適切であったとしても情があっては伝わらない。
 
わかって欲しい、よくなって欲しい、親の愛を感じ取って欲しい
 
もちろん、愛情が必要な 
時期 はある。
 
しかしいつまでも愛情はいらないのだ。
 
子どもが産まれた瞬間、親(特に母親)は子どもに無償の愛をもらう。
 
純粋などこまでも美しいクリスタルな愛を・・・
 
だが、子どもが成長するにつけ愛に情をくっつけて自分よがりの自己愛にしてしまう。
 
親は余分についてしまった情を取らなければならない。
 
そうでないと本当の愛ではなくなってしまう
 
今、私はそんな状況にあります。

親切って情を断ち切る峻厳な愛だったのですね。







   





 

結果よりもプロセス

 
「結果がすべて、結果が出なければプロセスをどれだけ努力しても意味がない」
 

そうだろうか?
 
人は結果を早く求めたがる、だからその行程,道のりを軽視する。
 
プロセスは目にみえにくい、人にわかりにくい、評価しようがない、微妙なニュアンスはその本人にしか理解できない。
 
だからじれったい、早く成果を見せたい、アピールしたい、目立ちたい、認められたい
 
こうなるとプロセスはどうでもよくなる。
 
プロセスを大事に育てあげてこそ本当の成功があるのに、結果重視の成功は地に足がついていないので、何かあるとすぐに脆く崩れ去る。

だが、プロセスを踏んでいくには勇気、忍耐力、信念、並大抵の精神力では出来ない。
 
だから希少価値があるのだ。
 
誰でもがすぐに出来る事だったらそれはどうでもいいことに過ぎない。
 
どんなプロセスになろうと、どんなに辛いことになろうとも最後まで諦めない努力が大切だ。
 

その努力に対してしか神さまは何も与えようとはなさらない。
 

結果よりもプロセス と自分にいい聞かせている。






 

人間ウォッチング

 
人間が人間をウォッチングする観察するのもおかしなことかもしれないが時々、ふぅーと
 
「あーそうなのか」 と腑に落ちることがある。
 
それは、

人は心の中で気にしている、解決しようとしている、潜在的に持っているものに出逢うと必ず反応する。
  
反応の仕方は様々でほとんどの人は、心では、魂では喜んでいるにもかかわらず、怒ったり、避けたり、受取ろうとはしない。
 
でも出逢ったことは潜在意識の中に確実にインプットされる。
 
そしてチャンス(機会)が又、巡って来たとき、以前よりも前進(心の成長)する。
 
素直でスッキリしている人はそんなまわりくどいことにはならず、即反応する。
 
そして、瞬間で自分の糧とし、目にみえない財産を積むことが出来る。
 
その人にとって大切なことに光がいく、そしてそれに反応する。

その反応の仕方に振り回されてはいけない。
 
人間の奥深いところでは本心が輝いている、その素晴らしいところだけをみて、イメージして人と接すればいい。
 
表に現われている業(ごう)の部分、汚れたところに意識を合わせてはいけない。
 
そこに合わすと本当のその人がわからなくなってしまう。
 
人間ウォッチングをしていると色んなことに気付くことが出来る。





  

素直

 
自分で自分の性格をみてなんて素直なんだろうと感心するときがある。
  
自分で自分を客観視したら底抜けに素直で愛らしい自分がいた。
  
自分で自分を評価するのはおかしいかもしれないけど、たまには自分ってどんな奴なんだろう?
 
自分という友達がいたなら好きになっていたかな?と診てみるのも面白い。
  
私は私が大好きです。
 
ピュアなところ、正直なところ、常に明るくいようと努力しているところ、そして素直なところ
 
以前、W先生に言って頂いたことがある。
 
「あなたは真理にも素直ですけど、業(ごう)、カルマにも素直ですからね」 と
 
つまり色んな色に影響されやすいということ
 
しかし、真理に素直なところのほうが強いので、業にさらわれそうになっても持って行かれることはない。
 
それは宇宙の根源としっかり繋がっているからなのです。
 
素直とは宇宙(素)に直と書く。
 
自分の性格がありがたい。

 
自分の性格に感謝、感謝!



 

愛は忍耐

 
心と心が通じ合っているときはいいけど、気持ちを伝えよう、大切なことを言わなければない人に限ってその想いは伝わらない。
 
想いは相手の心って書くけどどうしてうまく伝わらないのだろう?
 
自分に押し付けがあるからか?
 
相手にその準備が整っていないからか?
 
時々、むしょうに虚しくなりそうになるときがある。
 
でもそれは考えても、分析しても答えの出ないことなんだよね。
  
だから考えるよりも相手の天命を祈ってあげるほうがいい。
 
 
「○○さんの天命がまっとうされますように」






  
 

2008年2月15日 (金)

日々の指針 15日の1

 
一つの不安、一つの問題、一つのトラブル、一つの悩みに心が把われている時、又いつまでもそのことにだけ心を奪われていると、解決どころか、ますますその不安、悩み、問題は自分の心の中で大きく成長していってしまう。
 
その一番の解決方法は、出来るだけその問題から心をそらすことに専念し、逆にその問題が解決された後の、未来の素晴らしいこことか、明るいこととか、楽しいこととかを心に描くように試みるのである。
 
すると、いつの間にかその問題は自然に解決されてゆく。


 


解釈

  


心の中に楽しいこと、問題が解決された後のよい状態をイメージするとなぜ、その通りになるか?
 
それは、心の内にあるものは外、つまり3次元に具現化しようとするからだ。

エネルギーは内から外へ流れてゆく。
 
逆に、悪いことを心にイメージするとやはりその通りになってしまう。
  
イメージすることを大切にしなければならない。
 
ということは心の中をいつでもスッキリ爽やかに、きれいにしておくことだ。



 
 

タオルと雑巾

 
ここに一枚のタオルがある、それを身体を拭くものとして使うか、床を拭く雑巾として使うのかは使い手が決める。

するとその時点でそのタオルは何であるかが決まってくる。
 
見た目は同じでもその人がそうだと思えばその通りのものとなる。

「これはタオルだ」 「いや、雑巾だ」 と議論しても何の意味もない。

世の中にはどうでもいいことに白黒をつけたり、善悪を決めたり、相手を理論でねじふせたりすることが多すぎる。
 
たいがいはこのタオルと雑巾のようにどちらでもよいことなのに・・・
 
毎日毎日の日常を送っているとどちらかに決めないといけないように思ってしまう、敵か味方を決めないと優柔不断のように思われると想ってしまう。
  
だがほとんどのことはニュートラルでいいんだ、中庸(ちゅうよう)でいいんだ。
 
そう思うと 「ねばならない」 が無くなる、心が自由になる。
 
そして自然のまま、「これでいいんんだ」 と思えるようになる。

 
分別心を無くそう、決めつけることはやめよう。




 

日々の指針 15日

 
人生とは選択と決断の連続である、といわれている。
 
自分のつちかった経験や知識、情報に基づいて行っているが、ほとんどの場合直観で決めてしまう場合のほうが多い。
 
ただ単に好き嫌い、良い嫌だ、といったフィーリングの方が経験や知識よりも先行する。
 
又、その方がずっと自分の思った通りの人生を歩むことが出来る。
 
直観とは神から流れてくる答えだからである。


 


解釈



自分の直感が正しかったのか?それでよかったのか?
 
疑問に思ったことがあった。
  

結果がかんばしくなかったから、そして思ったことと違ったから・・・
 
だけどなんとなくスッキリしている、これでいいんだという満足感がある。
 
そして時間が経ったある日

「あーやっぱりそれで良かったんだ、直観が正しかったんだ」とわかることがある。

 
だから自分の直感を信じよう、直観を信じるとは自分を信じること、神を信じること・・・

 
そして直観とは好きに通じる
 

「好きなことをする」 とは直観のままに素直に生きること
 
そんな生き方は人を活き活きさせる、輝かさせる。
 
私はいつも直観のままに素直に生きていたい。




 

2008年2月14日 (木)

日々の指針 14日

 
人間は、本来、どんな人に対してでも、一つになれる。その為には、己れというもの、我というものを自分の中から、自分の枠からはずさなければならない。
 
そうすることによって、はじめて相手の人の心が手にとるごとく、自然に読みとれるようになれる。
 
他の人の心がわかった時、はじめて本当の自分を知ることが出来る。

 



解釈

 


仏教でいわれる  は自分を空(むな)しくすること、無くすことをいう。
 
自分が無くなると心が自由に動き出し、相手の心と合い、一つになることが出来る。
 
この合いは 愛 に通じずる。
 
実は、今の私にとって、この自分を無くすことが一番の願いなのです。
 
仕事場に於いても、家庭に於いても、その他の人間関係に於いても、波長が合わない、苦手な人がいる。
 
そんな人を見るとついイライラしたり、接触を避けようとしたりする。
 
その時点で、自分の枠をつくっている、壁をつくって拒絶している。

なぜ、空気のようになれないんだろう?
 
なぜ、どんな器の形にも変化対応出来る水のように、心が柔軟にならないんだろう?
 

それが出来たらどんなにか自由で楽しくなるだろう♪
 

近いうちに必ず出来る、必ずやってやる。
 
 
なんの根拠もないけれど、自分の中の本心が、そうなる、必ずなる、いやもうなっているんだ。と盛んに
云ってくる。
 

こんなにうれしいことはない


これほど幸せなことはない・・・
 



 

  

2008年2月13日 (水)

日々の指針 13日

 
実際にやってもみないで、やる前から、やれない、だめだ、出来ない、と断を下すことほど愚かなことはない。
 
自分の頭の中だけで判断し、行うのであれば、今のあなたからは一歩の進歩もあり得なければ、大きくもなり得ない。
 
体験のみが人間、成長してゆくため課題である。
 
今までに経験や体験がないからこそ、躊躇してしまう。考えてしまう。
 
自分の一定の枠内で決めてしまうのである。
 
ならば一つの新しい経験を積むために、一歩前進すればよい。前に飛びこめばよいのである。
 
必ず道は敷かれている。開かれているのである。

 



解釈

 


どれだけ本をたくさん読んでも、誰よりも豊富な知識があったとしても、前に前進する勇気がなかったら宝の持ち腐れにしか過ぎない。
 
今の世の中は知識が豊富な頭でっかちな人を 「頭のよい人」 「賢い人」 と呼び、重要なポストに置きたがる。
 
果たしてそうだろうか?
 
経験のない知識だけの人はいざという時には何の役にも立たない。
 
かえって、周りを動揺させ、不安にさせるだけだ。
 
前に進む勇気は誰にでも平等に与えられている。
 
そして誰にでも平等に、道は開かれている。




 

2008年2月12日 (火)

日々の指針 12日

  
気の小さな人間は少し批判されただけでも、すぐに立腹する。
 
生真面目な人間は、少しの過ちでも人をとがめ、許そうと思ってもなかなか人を許そうと思ってもなかなか人を許すことが出来ない。
 
ましてやそれが自分の過ちとでもなれば、自分を一生責め裁き、救われることはない。
 
いずれも小さな善人の典型的なる姿である。
 
だが、大きな人物は、自分を批判した者も、自分に背いた物もすべて許し、よしとし、すべてを受け入れてゆく度量がある。
 
そういう人間になりたいものだ。



  


解釈



テレビを観ていていると、あることで立腹して相手を過剰に批判している人がいる。
 
テレビを通すとその人の心の状態が鏡のように写ってくる。
 
明らかにイライラしている、落ち着いた精神状態ではない。
 
テレビは誤魔化しが利かない、その心の影が写ってしまう、怖いなと思う。
 
そして、どんな理由があるにせよ怒ること、相手を非難することは正しいことではない。
 
もし叱るとしたら本当に相手のことを想い遣った、心から出た言葉でないとただの批判に過ぎない。
 
「そういう理由(わけ)だったら怒るのは無理はない」 と一見、同調するようなことをいう人がいる。
 
そうだろうか?同じ状況であっても怒るどころか笑って済ませられる人もいる。
  
であれば怒るのは当然だ、は成り立たない。
 
器の大きさ、度量の大きさは理屈ではない、持って生まれたもの?のような気もするし、努力によっても身に付くものだと思う。
  
なんでも許せる、どんなことでも受け入れられるような人物になればどんなに生きていることが楽しくなるだろう。
 
逆も又、真なりで、生きていることが楽しくなることは、度量が大きくなることに比例するのかもしれない。



 


2008年2月11日 (月)

日々の指針 10日

 
無駄と思われる一切のことも、己れの心の向け方によって有益に変わる。
 
いわゆる無駄な時間、無駄なお金、無駄な遊び、無駄な心の満足のために使い果たしたとしても、それは、その時点において一瞬の流れの出来事にすぎない。
 
永遠の生命からくらべれば、すべてが些細な枝葉のことである。
 
今迄、数かぞえきれないほど作りあげて来た沢山の失敗や無駄なことも、いざという時にそれを生かすことが出来れば、今迄の失敗や無駄なように見えていたことが、無駄でなくなり益となるのである。

  

解釈

 


死ぬ間際まで、不幸に見舞われ不遇の人生を送ったとしても、死ぬ直前に本当の幸せがわかったとすれば、それまでのその人の人生はすべてが正しかったことになる。
  
なぜなら本当の幸せを識ることが生まれてきた唯一の目的だから・・・
 
本当の幸せとは何か?
 
それは自分で探し、自分で見つけるものです。





  

日々の指針 9日

  
どうして人々は無益な無価値なものを求めて、いつまでも、あくせくと働かねばならないのであろうか。
 
最も複雑に思えて困難と捉えていた道のりが、想いのベールをすべて取去ったのちに、いかに単純にして容易であったかを知るのである。
 
地位、権力、名誉、金などが、すべての人生を複雑に且つ困難なものへと仕向けている。
 
利欲と栄華ほど人生にとってむなしいものはない。

  




解釈
 
 


人が死んで残るもの それは、財産でもなく、家でもなく、家族でも友達でもない。
 
目に見えるすべてのものは、3次元のこの世に置いてこなければならない。
 
 
ならば、目にみえない心もそうか?
  

いや心、魂は死んだ後もずっと生き続ける。

 
心がどれだけスッキリ、爽やかであるかだけが、死後の住む世界を決定させる。
 

この心の心境が天国になり、地獄となる。

  
肉体を纏っている時間は永遠の生命(いのち)からみればほんの一瞬に過ぎない。

 
その瞬き(まばたき)に過ぎない瞬間のために心を汚して、本心に嘘をついて生きてなんになるだろう?

 
そんな疑問に気付いて、本心を求め続ける人だけが本当の安心立命を手に入れる。
 

本当の幸せを得ることが出来る。





 

人の評価はどうでもいい

 
パソコン等で人の悩みを読んでいるとほとんどの人が自分の生き方に自信がなくて、人の評価を気にしている。
  
自分がどう思うかよりも人がどう思うかに重点を置いている。
 
だからその狭間で悩む、どちらにしたらよいか?
 
私は人に理解してもらいたい、わかってもらいたいと思っていた頃に、う先生にこんな話をして頂いた。
 
 
ある相撲取りがいた、小柄だったが気が強く、精神力で他の力士を圧倒していた。
 
横綱、大関をも手こずらす存在だった。将来はもちろん横綱を目指せる逸材だった。

周りの期待は高まるばかり、後援会の人は将来を疑わなかった。
 
ところが本人が急に力士を辞めると言い出した。

 
理由は 「ちゃんこ屋をやりたい」


周りは当然止める、「ちゃんこ屋なんて引退してから出来る、今はもっと上を目指せ」
 
「なんてもったいないことを言うんだ、もっと冷静になれ、大人になれ」
 
だが、その力士は何を言われても動じなかった。
 
「自分の夢は美味しいちゃんこをたくさんの人に食べてもらい、喜んでもらうこと」
 
「それは今やらなければ意味がないんだ」
 
誰が止めても無駄だった。
 
決意が変わることはなかった。
 
私はこの話を聴かせて頂いて、気付いた。

 
「人の評価はどうでもいいことだ」 


それからの自分は気持ちが安定し、穏やかになることが出来た。





  

日々の指針 11日

 
正岡子規は 

「さとりとは、いかなる場合でも平気で死ぬことかと思っていたのは間違いで、さとりとは、いかなる場合にも平気で生きていることであった」 といっている。
 
全くその通りであって、完全に生を完うすることによって、はじめて死をも完う出来るものである。
 
生を逃避することによって、死への恐怖を拭いさることは不可能である。
 
生への恐怖を乗り越えることによって、死への不安はまったく無くなる。
 
生と死は別なものではなく全く一つのものである。



        日々の指針  西園寺 昌美  白光出版





  





  

2008年2月10日 (日)

滝のような人

    

過去にあったことをいつまでも覚えていて、それを忘れられない
 

そんなカルマのようなものを背負っては、苦しくて生きていくのがしんどくなる。
 

前に進みにくくなる。
 

いいことでも悪いことでも把われずに、どんどん後ろにスルーしていく。

そのことがとても大切であると最近、つくづく感じる。
 

幼子が大人の心を癒すのはすぐに忘れること、忘れるというよりも想いを溜めることなく一瞬一瞬を本能のままに生きている。
 

叱られたことも瞬間に忘れて今、興味のあることに意識を集中させている。
 
 
なんて爽やかなんだろう、なんて潔いのだろう。
 

キリストは民に 幼子のようになりなさい と説かれた。
 

大人が幼子のような純粋な心に戻ったならば、そこに地上天国が顕れる。






 
 

友達

 
今まで50年近く生きてきて 
「友達っていいなあ」 なんて想ったことは無かった。

なぜかというと、ほんとに気持ちが通じ合えることが無かったからだと思う。

自分が心を閉ざしていたわけではないのだけれど、通じそうになるといつの間にかブレーキを踏んでいた。
 
この間、同窓会の忘年会で指摘された。
 
「○○君て、仲良くなれそうだと想っていたらスーッと離れていくし、離れていると想っていたらいつの間にか傍にいたりしたんだよね」
 
あまりにも的確に客観的な感想を言われたので
 
「うー、鋭い」 と唸ってしまったのですが、そこまでちゃんと見てくれていた女友達に感謝というかうれしい気持ちになりました。
 

もしかしたら親でも兄弟でも家族でも、そして自分でも気付いていなかったことなのに・・・
 
今頃になって、友達に対してそんな温かい気持ちを感じるのはとても不思議な感じがします。
 
  
でも今が私にとってそんな時期なんでしょうね。

 
これからも友達と積極的に交流を深めて行きたい。
 

そして、人の心はバラバラではなく、みんな一つに繋がっていることを感じていきたいと想っています。




 

2008年2月 8日 (金)

日々の指針 8日

 
何事も難しいというのは、易しいというのがわからないからである。
 
考え過ぎて、すべてを複雑化して捉える習慣が身につき、単純に考える方法を忘れてしまっているからである。
 
どんなに難解のように見えても、又、思えても、原点は実に単純明解そのものである。
 
宇宙の運行大自然の法則も、決して複雑なものではなく、単純そのものである。
 
世の中が進むにつれて、ますますすべてが複雑になってゆく。
 
これは人間が勝手に作りだしているものである。
 
すべて事に当たる時、まずやらねばならぬことは唯一つ、これは必ず自分に出来る、と思うことであり、易しいと思うことである。

 

解釈

 

人はすぐに 「無理、ダメ、不可能、嫌だ」 と否定語を使ってしまい、出来るものまで出来なくしてしまっている。

 
なぜ、 「出来る、大丈夫、いいよ、必ず成功する」 と云わないのだろう?
 
失敗した時にかっこが悪いからか?
 
やりもせずに諦めてしまうことのほうがよっぽどかっこ悪いと思うのだが・・・
 
言葉にはエネルギーが宿っている。
 
だからプラスの言霊(ことだま)は成功に向かって流れていく。
 
ただ、途中で不安になってもマイナスを語ってはならない。
  
「やっぱり無理だったか」 「最初に大きなことを言わなければよかった」
 
この弱音を吐くかそこで踏んばるかによって結果は違ってくる。
 
心の中で思ってしまうのは多少はしかたない、だが言葉に出したり、ため息をついてはせっかくの成就が逃げていく。
 
宇宙の法則は難しいものではない、エネルギーが全てなのだ。
 
 
エネルギーは嘘をつかない。





  


 

2008年2月 7日 (木)

日々の指針 7日の1

  
なぜ、人間には二つの耳と一つの口があるのだろうか?
 
それは自分の話すことの二倍聞くためである。
 
目はなぜ前の方についているのだろうか?
 
それは自分が常に未来に向いて突き進んでゆくものであって、決して過ぎ去った後ろを振り返って生きるものではないということだからである。


 
 
解釈
 


人間の肉体も自然も全て私たちに真理を教えてくれています。

心を静かにしているとその叡知が心の中に入ってきて教えてくれる。
  
そんなとき上のような文章に出会うと、腑に落ちて自分の糧となってゆくのです。
 
まったく無駄がない。
 
「人間とはなんてありがたくて素晴らしいものなんだろう」 と思う。 


 
 


   

日々の指針 7日

   
薬も、運動も、食事療法も、鍼も、灸も、マッサージも健康を維持してゆく為には、ある程度必要かもしれない。
 
が一度不安や恐怖心が湧き上がって来たら、果たして今まで続けて来た健康療法で乗り越えることが出来るであろうか。
 
身体を鍛える前に、心や精神を鍛える訓練をするほうが先決である。
 
つねに小さな些細なこと、取るに足らないことにさえ、いちいち自分の心が傷つき、イライラさせられ、心配や不安にかられていたならば、健康療法などなんの意味もなさない。
 
まず、どんなことが身のまわりに起っても、自分の心を痛めず、傷つけず、それに対して常に適切な対処が出来るように、心を養う必要がある。
 
心が常に一定し、明るく光明に輝いていさえすれば、身体はいつも何もしなくて健康そのものなのである。
 
肉体のコンディションはまず、心に起因しているものだということを知ることが大事である。




 
解釈
 


心を纏っている肉体、身体は大切です。
 
でも、心が病んでいたらどんなにお金をかけてケアをしてもなんの効果もない。
 
人間はそのことがわかっているはずなのに、あえてそこには触れず外部からの健康療法に頼っている。
 

勇気を持って自分の心を見つめていかないと、自分の弱い心に正面から向かい合わないといつまでも自分の心から逃げることになる。
  
 
自分が強い人になりたかったらまず、自分をさらけ出して客観視することだと思う。


 




 

2008年2月 6日 (水)

後悔とは?

   
後悔とは過去を振り返って、そのときのことを悔いるのではなく、その経験を生かして、これからどう航海していけばいいか?を前向きに考えることである。



解釈


この文章は私が今、即興で作ったものです(笑)

なかなかいい出来でしょ♪


  
   

日々の指針 6日の2

  
自然がわれわれに働きかけてくる。太陽が、水がわれわれに惜しみなく無限のエネルギーを注ぎこんでくる。
 
われわれは一体何を、自然に、太陽に、水に返し、与えているのか?
 
自然と一つにとけあい、調和してゆくことが大事であるのに、今は全くその逆を行っている状態である。
 
自然を破壊し、傍若無人に自然を征服しようとしている。
 
それでも自然は黙っている。
 
なすがまま、されるがまま、されるがままにじっと堪えている。
 
果たしてそれですむものだろうか?一旦自然が爆発すると、人間の持っているどんな英知を駆使しても手に負えなくなる。
 
天変地変ほど恐ろしいものはない。
 
天変地変を起こさせるのは他でもない、われわれ人間の想念行為そのものである。


 

解釈



長文になると著者は一番どこを強調して言いたいのか?どこがポイントなのか?を考える。
そして読んでいくとある部分だけが光って、心に残る部分がある。

それは最後の
  

天変地変を起こさせるのは他でもない、われわれ人間の想念行為そのものである。

の箇所である。 

一般論では例えば地震は地核のプレートの歪みが原因とされているが、そうではない。
 
人間の想念行為の汚れを浄化させるために、波動調整の為に起こっているのだ。
 
私たちは腐ったものを口に入れ身体に入ってしまうと下痢やおう吐によって身体の調和を保とうとする。
 
 
それが波動調整だ。
 
 
自然も人類を地球を保つために波動調整をおこなう。
 

今、人間の考えていること、行っていることは汚れている。
 
 
人間はもっと自然の声に耳を傾けなければいけない。



  




 

日々の指針 6日

  
宇宙の波動と自己に宿る生命のエネルギーを共鳴させることにより、肉体の緊張や疲れをやわらげると同時に、物事に集中させる力が湧き上がってくるものである。
 
自然に還れ。自然とともに生きよ。自然の中に神は宿っている。




 
解釈

  


W先生は風に意識を、波長を合わせなさいとおっしゃった。
 
自然は私達の身近にあり、いつでも大きく包んでくれている。
 
しかし、その存在をしばし忘れ、自分たちの勝手で、自分たちの都合で動いてしまう。
 
私たちは果てしない宇宙の中の地球の中の日本の中に住んでいる。
 
そして日本の中の地域の中の職場、家族の中で生きている。
 
そして家族や自分という範疇の中でうごめいている。
 
振り回されている、もがいている。
 
自分をちっぽけな存在にしてしまっている。
 
  
もっと大きな存在に目を向けよう!

 
自分よりも大きな存在に意識を合わせたとき、その存在と一体になれる。






  

日々の指針 5日の2

  

どんなに虐げられた人間でも、どんなに身体の弱い人間でも、どんなに才能に恵まれない人間でも、必ずそこから這いあがることが出来る。
  
だがしかし、自分があくまでも自分に対し

「いつまでもこんな状態でいいわけが無い。どこかが間違っている。他人か?自分か?」
 
と気づいた時に限る。
 
その時にあくまでも、その理由を他人のせいにもってゆく人は、ああ哀しいかな、一生救われ得ない人である。
 
自分の責任に答えを見出した人のみ、今までの境地から這いあがることが出来る。

 
  

解釈
 

この文章を書いた西園寺昌美さんという人は非常に自分に厳しい人です。
 
そしてその厳しさの中からわかり得た人生のエキスを説いてくださっています。
 
そのエキスは誰にでも出来ることではないと思います。
 
だからこの本を読んでいる縁のある人、手ごたえのある人に是非、実践してほしい、そして、後に続く人達にやさしい道に変えてほしいと言っておられるように思います。
 
誰にでもわかる、面白い、楽しい本はたくさんあります。
 
でも人の心を変える厳しい本は少ないのです。
 

そして、すべての出来事を潔く、自分の責任に出来る人

そんな人が本当に人類の指導者になり得る人だと思います。




   

日々の指針 5日の1

 
人のことはどうでもよい。
 
人が何をやろうと自由ではないか。
 
なぜそんなに人のことが気になるのか。
 
自分はどうせ人とはあまり大差がない故、人のことが気になるのである。
 
自分に自信があり、自分の哲学がはっきりあり、自分の方針の定まった人は、決して人のことは気にせず、堂々と胸を張って生きているものだ。
 
要するに人のことばかりが気になる人はそれだけ自分に何もない人だ。


 
解釈

 
私は人のことが気になるよりも、人が自分のことをどう思っているかが気になる方だった。
 
どちらにせよ、自分に自信があったなら、自分に哲学があったならどうでもいいことである。
 
今でも時々人の意見、評価に一喜一憂してしまう 
癖(くせ) が出ることがある。

 
そのたびに 「いかん、いかん」 と反省することしきりです(笑)






  





 

日々の指針 5日

 
一人でいるから孤独なのでない。
 
家族の中にあっても、友人の中にあって、恋人といてさえも孤独な人は結構いる。
 
孤独とは心が充たされない状態をいう。
 
一人で住んでいても何らか人の為に役立っている人々は、心にいささかの孤独感もない。
 
孤独になりたくなければ、どんなことでもよい、人の為に尽くすことだ。





解釈



ほんとその通りですね。

何も言うことはありません。






   

2008年2月 4日 (月)

志し(こころざし)

    
あなたの志しは高いので周りの人には理解できない。
 
それはあなたが観ている景色と人の観ている景色が違うから・・・
 
だから、あなたがいくらその景色の素晴らしさを語ったところで視点の違う人にはわからない、理解できない。

志しが高ければ高い程、理解者は少なくなる。
 
逆に理解者が多いのはどうでもいいことを言ったりやったりしてるだけです。

 
「わからない」 「理解できない」 「そんな馬鹿な!」 「やめたほうがいいよ」 「その考えはおかしい」 「人に相談してみたら?」 
  
など、否定的なことを言われたときは、


「しめた、間違いない」 と思えばいい。


真理や本当に正しいことは、今の世の中では、まだ、ほとんど理解されない。
 
 
人に否定されるくらいでないと本物とは言えない。
  
 
飛行機や凧は逆風が強くないと舞い上がれない。

 
人はなだらかな風を受けているだけでは成長できない。



  
   

自由

 
今を精一杯生きよう、一生懸命生きよう、そう思うことは素晴らしいことだ。
 
だけどそれは自分がすればいいこと、自分が自分自身にいい聞かせたらいいこと・・・
 
それを人に強要してはいけない。
 
自分の考え、自分の立場、自分の生き方を人に押しつけてはいけない。
 
どれだけ立派な考えでも、どれだけ為になることだとわかっていても、人には自由がある。

 
人は人の言うことや考えに影響されるのではない。
 

その人の度量(器)の大きさに影響されるのだ。




  
  

日々の指針 4日の2

  
私達は常に進歩し、前進しつづけているのである。
  
いかなる悪い状態、困難な状況に立たされていようとも、あたかも現われている状況が誰の目から見ても明らかに後退しているようにみえようとも、私達は必ず神に姿に向って前進、進歩しつづけている。
 
それが本来の私達の姿である。
 
迷い道、遠まわりの道、危険な道も終局は、本道につながっているのである。
 
であるから、何事に対しても心痛めず、自信を持って前進し進歩していると、自分自身で思うことである。






解釈



目の前に自分の見たくないものが現われたとき、私達はマイナスを想い、マイナスをつかむ。
 
そしてため息と共に 「昨日よりも、以前よりも悪くなっている」 と嘆く。
 

しかし、今、目の前に現われているのはサクセスストーリィーのプロセスなのだ。

 
どんな映画もドラマも最初から最後まで順風満帆でいくことはない。

 
必ず悪い状態、困難な状況が出てくる。
 

そのときが大切なのだ。

 
絶対に大丈夫だ、必ず成就するという信念が鍵となる。

  

心を痛めずに 心を天に向けよう。







  

日々の指針 4日

     
何故、いつまでそうイジイジしているのだ。
 
何故いつまでもそうくよくよしているのだ。
 
もっと問題点から心を離せ。

何故もっと大きく物事を考えられないのか。
 
何故もっと広く物事をみられないのか。

いつも小さな下らないことにこだわりつづけ、暗く沈んでいるなんてナンセンスだ。

だからこそ、いつまでたっても問題が解決しないのだ。

本当の解答は天にある。

天に心を向けた時、すでに問題は解決されている。




解釈


私たちは一日の中で何回イジイジするだろう?くよくよするだろう?
 
小さなことに一喜一憂しては、心が安定することがない。
 
それは自我があるから、自分が常に不満があってそれを満たそうとしているから・・・
 
肉体の小さな頭で悩んだってそこに答えがあるはずはない。
 
小さなことを小さな頭で考えても解決することはない。
 
意識を天に向けよう、天に意識を合わせよう。
 

そうすればあなたの心を天がやさしく包んでくれる。




  

2008年2月 3日 (日)

日々の指針 3日の4

  
あなたを心から必要としている。頼りにしている。なくてはならない人。素晴らしい。明るく輝かしい。優しい。美しい。頭がいい。才能がある。寛容な心。思い遣りがある・・・・・こういった積極的な言葉をどんどん子供や夫や妻に向かって使いなさい。
 
すると、相手はどんどんそのような言葉にふさわしい人となってゆく。

 

解釈

 
言葉にはエネルギーがある。
 
プラスの言葉は言霊(ことだま)となって相手の心に響き、伝わっていく。
 
ほんとに相手が変わるのか?
 
疑問に思ったならば自分に置き換えてみよう。
 
人から頼りにしている。なくてはならない人。素晴らしい。明るく輝かしい。優しい。美しい。頭がいい。才能がある。寛容な心。思い遣りがある・・・・・と言われたらうれしくて心が温かくなりますよね。

 
その温かさがエネルギーなのです。

 
愛のエネルギーなのです。





  

日々の指針 3日の3

   
未来のことは人間には知りようがない。
 
これは全く間違いない常識だ、と普通世間一般では考えられているが、果たしてそうだろうか?
 
いやそうではない。

人間誰しも予知能力は潜在的にあるのであるが、現在を生きるにあたって、何もそれらの能力を強いて使わずとも、楽々と生きていかれるので、だんだん退化してしまったにすぎない。
 
その能力を認めて使うようにすると、次第に目覚めてくるのである。

 

解釈
 

私はこのように読んでいて心がワクワクするような文章が大好きだ。
 
特に人間の潜在的にある無限の可能性については興味津々だ。
 
肉体人間のちっぽけな自分が本当の自分ではない。
 
本当の自分は地球よりも大きくて、その影響力は宇宙の果てまで及んでいる。

 
なんて壮大で素晴らしいんだろう♪



  
  

日々の指針 3日の2

 
すべての人間は “神の子” であるから、内に“無限の可能性”を秘めている。
 
一度はこの世の常識に把われず、躊躇(ちゅうちょ)せず、臆せず、退かず、慮(おもんばか)らず、自分のやりたいことを思いっきりやってみよ。
 
自分のまわりに取りまいている常識がすべて足を引っ張っているのである。
 
その束縛から抜け出たならば、すべては難なく切り開かれる。




解釈
 


常識とは誰かが勝手に、その時代に人々をコントロールしやすくするために作ったものに過ぎない。
 
だから自分の本心、宇宙の法則、自然の流れに逆らってまで、従うものではない。
 
もっと自分の直感、本心を大切にしよう。
 
そして自分らしく堂々と生きていこう。




  

日々の指針 3日

   
日々の指針という本があります。

1か月、31日として、一日が始まって一日が終わる。
 
一日一生という気持ちで生きると時間を無駄には出来ない。
 
一瞬、一瞬を輝いて生きるためには意識が必要だ。
 
意識の仕方は人それぞれ、個人差があっていい。
 
ここに日々の指針という本があります。
 
1日から31日まで、1日の中にもいくつか指針が書かれているのですが、私の心に響いた指針を書いていこうと思います。

そして解釈は解説とか生意気なものではなく解釈と少し逃げています(笑)
 
人それぞれ考えかたが違うので共感する部分、できない部分ありますが、スーと流してください。
 
あなたの心の清涼剤になれば幸いです。
 


何故、君は人を頼るのか。頼ったからこそ裏切られたのだ。
 
人に頼るものではない。又、人に頼ったところで何の解決策もありはしないのだ。
 
あるように思えるのは、結果が一時的に解消されたにすぎない。

永遠の解決ではない。
 
人に頼っただけ自分の力が失われてゆくのに、君は気づかないのか。
 
人に頼る心が湧いたら何故自分自身に頼るように持っていかないのか。
 
それだけ自分に自信が持てないからか。

依頼心ほど人間を駄目にすることはない。

自分の本心に頼れる自分になれ。




解釈

 

自立するとはこういう心構えを言うのだと思います。





 



 

続々・如是我聞 12

  
悪いことはすべて引き受けよう、という心でいれば楽なものだ。逃げよう逃げようとするから、苦しんだり悩んだりする。

 


解釈
 


人にはそれぞれ役割がある、器の大きい人は同じダメージを受けたとしても心が強いので辛抱強く、忍耐し、他の人のぶんまで背負ってしまう。
 
そして、それを苦痛、嫌だとは思わない。
 
喜んで受けるわけではないが 「それで人が楽になるなら」 と楽観している。
 
働くの本当の意味は傍(はた)を楽にするという意味だそうだ。
 
私もこれまでに何度か逃げてきた。
 
しかし、勇気を出して目をつぶって受けていれば、大難が小難に小さくなって消えていった。

 
そして、そこには爽やかな風が流れるのです。



  

続々・如是我聞 11

    
 
「単純になることがいい、単純におやりなさい」

 - 思案に行きづまった人へのアドバイス -



解釈

 

同じことを言っていても奥の深い人生の達人が言うと光を放ってその言葉に力が宿っていることがわかる。
 
シンプルイズベスト はよく云われているが、物事のどんなにややこしいことでも、始まりは単純なことなのです。

 
それを頭でこねくり回し複雑多岐にしている。

 
最初は一本の糸がもつれてくると何万本もの糸に見える。

 
元を辿ればたった一本の単純な糸なのです。

 
「単純になることがいい、単純におやりなさい」 と云われると 


「そうか、複雑に難しく考えなくていいんだ」 という安心感が生まれてきます。

  
その安心感が解決策を述べるよりももっと大切なことなのです。






  

続々・如是我聞 10

 
   
現在のいい地位、いい才能、いい性格、いい環境というものは、前の世の徳の結果である。




解釈

 


短い文章だけど、ここにはすごい真理、真実が語られています。
 
今現在、目の前で起こっていることは、今この瞬間のことだと思っていますが、実はもう済んでしまったことが影絵のように写ってきているのです。

 
仏教ではこの世のことを 
写し世 と云います。


このことは前のブログでも何回も述べているけど、何回読んでもおそらく、ピンと来ないと思います(笑)
 
 
ここに、ピアノの天才と云われる7才の女の子が居るとします。
 
大人のプロ顔負けの演奏をする少女・・・
 
この女の子は7年間でその技術を身に付けたのではないのです。
 
過去世において、すでに天才であった。
 
今生、またピアノを弾くようになったのは前世での経験を生かして、より完成度を高め、人々に感動を与えるという天命を与えられているのです。
 

この世でもあの世でも一番大切なことは一生懸命、努力すること、その努力をみて神様が才能を与えてくださる。

 
私はそう思っています。

 
人間は必ずなんらかの才能を持って、与えられて生まれて来ています。

 
才能とは技能だけでなく、性格もそうです。

 
素直な性格、優しい性格、強い性格それらの性格は前世から引き継いだものなのです。

 
そのありがたい性格を磨いてより素晴らしいものにしていく、


よい才能を持つことができた自分の前世に感謝したいです。





 





 

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