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2008年1月 6日 (日)

続・如是我聞 1

 
如是我聞(にょぜがもん)は仏教の経文の最初にある仏様のお言葉だそうだが今でもじゅうぶん役立ち、私たちの心を打つ、そして気持ちをすっきり、爽やかにしてくれる。
如是我聞は3部にわかれているのでこれから2部に入っていく、引き続き読んで頂けたら幸いです。
 

自分をせめ、人をせめることを止めよ。せめることから自分を解き放つと、生命の光が豊かに流れ入ってくる。


 

解釈



人は一日の間に何回くらい自分を責め、また人を責めているだろう?
 
おそらく、ストレス、イライラの原因は責めることから始まっているのかもしれない。
 
一日だけでもいや一時間だけでもまったく、自分も人も責めることをしなかったらどんなにか健やかに過ごせるか?
 
キリストは、
幼子(おさなご)のようになりなさい と言った。
 
幼子は無邪気で責める気持ちがないからだと思う。
 

せめることなく、生き生きと生きていきたい。





  




 

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