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2008年1月12日 (土)

続・如是我聞 24

  
   
正しいことを認識できる頭をいい頭という。学校の成績がよいだけでは、いい頭とはいえない。


  

解釈


  
いくらいい大学を出ていたとしても社会的な常識や人としての優しさがなければ宝の持ち腐れだと思う。
 

よい子悪い子の判断基準として、偏差値が高い子を頭の良い子、そして頭の良い子が人としても良い人と言われるような風潮がまだ残っている。

 
確かに他の子どもが遊んでいるなか、ある時期勉強に一生懸命集中して、成績という結果を出すことは褒めてあげたり、自信をつけさすことにおいてはよいと思うが、過大な評価は本人を誤解させてしまう。

 
勉強さえ出来ればあとのことは大目に見てもらえる、優遇してもらえると思わせるのは周りの大人の責任である。

 
人として、当たり前のことがきちんと出来る、自分のことは自分でする、人に迷惑をかけない、それらが基礎となって、はじめて色んな才能が生きてくる。






   

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