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2008年1月 9日 (水)

続・如是我聞 20

  
  
汚れた人が千人集まっても一人の浄った人の救済力にはかなわない。



 
解釈

 


浄った人、悟った人がいると九族救われるとも言われているそうだ。
 
九族とは自分の祖先、九代のことだ。
 
それだけ浄った人の存在は尊い。
 
今の地球は目覚め始める一番最初のところにあって、業(ごう)やカルマが極限状態、一番ひどい、汚れた状況にある。

 
ほとんどの人が自分を見失って、地に足が着いていない。
 

夢遊病者のように生きている。

 
そんなとき、浄った人の存在は多くの人を目覚めさせる。

 
たくさんの浄った人が現れることで地球が救われ、人類が救われる。






   

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