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2007年12月 5日 (水)

あだ討ち

 
日本は、ついこの間の江戸時代まであだ打ちが認められていた。
 
自分の愛する人を殺されたら誰でも仕返しをしたいと思うだろう。
 
やられたらやり返すその繰り返しが個人的なものから国どうしの戦いになっていった。
 
今の国どうしも過去からの恨みつらみがその根底にある。
 
最近、鳳凰(ほうおう)という映画を観た。
 
一昔前の中国で、人に重症を負わせた若い男が何十年も服役する物語だった。
 
その男は自分の恋人にいたずらしようとした相手の男を許さなかった。
  
その後、恋人は自決し、母親は嘆き悲しみ男は牢獄のなかで自暴自棄になる。
 
だが、自由のない牢獄で囚人どうしで恋をして、服役を済まして一緒になることを誓い合う。
  
しかし、晴れて自由になったのは年老いた老人になった後だった。
 
男は相手の男を探し出し仇を討とうと試みる。
 
しかし、孫に囲まれて幸せそうに暮らしている姿を見たとき、男はそっと刃物を置いた。
 
男は牢獄にいる間に愛と許しを学んでいたのだ。
 
この世は因果応答で原因と結果を繰り返す。
 
殺す原因があって、殺人を起こし(結果)、またそれが原因になって殺される。
 
どこかで断ち切らなければ何度も同じことを繰り返す。
 
どちらかが、大きな許しをもって消さないと恨みの因縁は永遠に続いていく。
 
人間の美しさは無限の愛、許しで相手を包み込み溶かしていくことだ。
 
決して我慢するのではなく、頭で納得するのではなく、自分が愛を学んで恨みの感情を溶かしていくのだ。
 
この映画は一度も笑う場面がなかった。
 
あまりにも辛い、悲しい、暗い、とことん気持ちが落ち込んでいく内容だった。
 
だが、観終わったとき爽やかな空気が館内を包んでいた。
 
愛の凄さ、愛の峻厳さ、愛の素晴らしさを訴えていた映画だった。




 
鳳凰 我が愛)  角川映画 中井貴一主演





  





   

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