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2007年12月31日 (月)

如是我聞 25

 

あまり人のことに気をつかい過ぎて、自分が疲れてしまう人がいるが、そういう人には図太い神経というのが必要だね。人がどう思おうと、どう云おうと、そういうことは一切気にしないことだ。気がやさしい人はそれくらいで丁度いいのですよ。
 


 
解釈

 
いつも疲れて気が休まる暇もない人というのはたぶんこのような人だと思う。
 
という私もそうだった。
 
自分の気持ちを大切にして自分の本心を大事にすることは、人のことを思い遣っていないことではない。
 
 
人はあなたが想うほどあなたのことを考えていないし、想ってもいない。
 

そして、自分では気づいていないだろうけど、自分が疲れる、気にし過ぎるというのは人も疲れさせ、気を重たくさせている。

 
そういう意味では、もっと自分本位でいい。


自分を大切にしないと人も大切に出来ない。







   




  

如是我聞 24

 
 
心配や悩みは毒素となって身体にたまるが、生命力が下痢や痰に出させて消してくれる。



解釈
 

台風や地震の天変地変は人間の汚れた想念を浄化するための波動調整なのです。
 
台風が去った後、爽やかな気持ちになるのは浄化されて綺麗な澄んだ空気になっているからです。
 
人間の身体が西洋医学では小宇宙と云われているのは、地球を含めた大宇宙に対し人は地球そのもの、宇宙そのものであるからです。
 
台風や地震と同じように心配や悩みの不調和なものは身体にたまっては生命(いのち)にかかわるので毒素になって下痢や痰になるのです。
 
だから病気は正常な状態にするための波動調整なのです。
 
波動調整とは本来の姿に戻すために波を整えることです。
 
 
宇宙のなかのすべてのものは波動で出来ています。







   

如是我聞 23

  
 
素直な性質は宝である。



解釈

 

漢字ってほんとに真実を表しているなぁと実感するのがこの素直です。
 
素直の素は元と同意語であり、源(みなもと)、余計なものを剥ぎ取ったもとの美しいものを云います。
 

そしていつも云う本心であり真実であり宇宙の根源でもある。
 

すべての素(もと)になるものです。

 
その素(もと)に直に繋がっているということなので、真理がわかる、本当のことがわかる素質があるのです。

素直な人、素直に生きている人は、わかりやすいので人から信用され、好かれる。
 
正しい判断fが出来るので人を導くことが出来る。
 
そして真理を貫く勇気があるので人類を救っていける。
 
あのキリストやお釈迦様のように・・・
 
だから素直な性質の人は貴重なのです。
 
居るだけで人を癒すことが出来る人なのです。
 
素直な人はそれだけで才能であり財産なのです。






 

如是我聞 22

 
 
小聖は山にかくれ、大聖は街にひそむ。汚れに住みして汚れに把われず、生命そのままに生きられる人は大聖である。



解釈

 

山にこもって修行して来たという人を私はすごいとも素晴らしいとも思わない。
 
その人が街中で立派に自立して、色んな人間関係にも出来事にもキチンと対処出来たり、人との調和がとれたりしていれば別であるが、世間が嫌になったと逃げていて、それで厳しい修行によって悟りを開きました。は違うと思う。
 
街中に住んで、仕事をして、家族があれば家族を整えて、人ともうまく付き合っていけている人を私は尊敬する。
 

自分も含めて(笑)、素晴らしいなぁと思う。







  




  

  

如是我聞 21

 
 
何事もそうだけれど、心を緊張させて固くなってはいけません。力むということは、やはりそれだけ自分がやる、という 「自分」 が残っているからです。



 

解釈

 

「自分」があってはなぜいけないのか?
 
よく自我があった方がいい、自分を主張しなければ駄目だ、と云いますが本当にそうでしょうか?
 
今の競争社会が人々を幸せにするのでしょうか?
 
なんて評論家みたいなことを述べてしまいました(笑)
 
私も普通の人間ですよ♪
 
オリンピックでインタビューを受けた時、「頑張ります、必ず金を取ります」 と力(りき)んでいる人はなかなか本来の力を発揮することは出来ない。

 
人間は本来持っている力の数%しか出していないと云われています。
 
力むと肉体の力の数%しか出せず、本来の力は奥に閉まったままになっている。
 
自分や我を出そうとする人は宝の持ち腐れをしていまっている。
 
 
リラックスして謙虚な気持ちになったとき、奥からの本来の力が出てくる。








  





  

如是我聞 20

 
 
どんな人も馬鹿にしてはいけません。
 
その人の中に、どんな立派な素質がひそんでいるかわからないから。




解釈


たくさんの才能を持っていて、顔立ちもよく、友達もたくさんいて、お金もあって、何不自由なく生活している人が自分で幸せだと思っているとは限らない。
 
反対に今のところ、自分の才能に気づかず、普通の人以下の生活をしている人、何の取り柄もないと自分も周りも想っている人がいたとしても、ある時、一瞬で素質が開花して素晴らしい人に変身することがある。
 
 
人はどうしても目先の現象に惑わされやすい。
 
 
目に見えるその人ではなく、その奥に居る真実のその人に意識を合わせるとその人の立派さが見えてくる。
 

人はどんな人に見えようと、その奥には立派な素質を持った人がいる。






 

如是我聞 19

 

苦しみが多ければ多いほど、深ければ深いほど、のちにくる喜びも多くまた深い。
 

 
解釈

 

人は 「何事もないのが一番、平凡なのが幸せ」 と云っているが、あまりに何も無さ過ぎると 「何か起こらないかなぁ」 と勝手なことを思ってしまうものです。
 
 
同じ経験をしていてもある人にとってはたいしたことでもないのに、違う人には苦しい耐え難い経験になるのかもしれない。
  
 
そして、耐え難い経験をした人はそのことに免疫がついて心が強くなっていく。
 
 
決して、無駄な経験はない。

 
心が強くなると少々のことでは苦しまなくなる、動揺しなくなる。

 
人の幸せは平常心になることなので、強くなればなるほど喜びになっていく。

 
苦しみの多さは喜びに比例する。

 
自分や家族、人の苦しみを嘆き悲しむことは違う、ということがわかる。






  

如是我聞 18

 
 
自己をじっと見つめなさい。
  
澄み切っている自分が真の自分。
 
汚れているもの、不安動揺しているもの、不明朗なものは、すべて真の自分の前を通り過ぎてゆく雲である。



 

解釈


 
牢獄に入れられた人が長い期間ずっと一人でいることで真の自分と出会い、自分と対話して悟る人がいる。
 
忙しさに振り回されて自分を見失っている人がほとんどのなかで、しっかりと自分と向き合うのは難しいのかもしれない。

でも、それをしなければ本当のことや本当の幸せがわかることは出来ない。
  
自分をずっと見つめていると偽者の自分と本物の自分がわかるようになる。
 
忙しいとは心を亡くすという意味だそうです。
 
いくら忙しくても、一日に一回は自分を省(かえり)みることが大切です。
 
 
このことを反省という。







   




  

如是我聞 17

 
 
思う通りに生きようと思うのなら、まず想いをなくすことだ。


 

解釈

 

気功の先生であるW先生は私が想いから言葉を発すると
 
「思うのはいくらでも思えるのです。思いは重いのです」 とおっしゃっていた。
 
人がしゃべっているのでも、私は思う、思います、思うのですけど、思ったからを連発しているのを聴くとこちらまで重たくなってきます。
 

心から出ている言(ことば)は爽やかだけど、頭で混乱した中から出た言葉(ことば)は同じようで全然違うものになっている。
 
想いをなくした 「空」 の状態が本心から出た、真(まこと)の言であり、姿であり、行動なのです。
 
 
人は普通想ってから行動する。

 
しかし本当は行動してから、後から考えが付いてくるのです。
 

少し難しいですよね?

 
でも、近い将来、人間はこうなっていきます。








  

如是我聞 16

 
 
現れて来た事柄、想いをつかまえて、いい悪いと分別しているうちは、心の平和は得られない。


 
解釈

もしかしたら私が調和波動気功を学び始めたのはこのことだったのかもしれない。
 
どんなときにも平常心でいたかった、不動心になりたかった。
 
正義感のようなものが良い悪いを分別して自分で勝手に苦しんでいた。
 
W先生は 「ジャッジしないこと、分別心をなくすこと」 を教えてくださいました。
 

おっしゃられる通り、分別する気持ちが少なくなってから幸せを感じることが多くなりました。





  

如是我聞 15

 
 
人間とは面白いもので、偉くない人ほど人に偉ぶって見せようとする。本当に偉い人は自分を見せようとはしないものだ。



解釈

この文章は、宇宙の進化した(地球よりも)星の人が地球の上から見た感想のような気がする。

「幼いなあ」 とバカにしたりするのではなく、優しい暖かい目で見ているような・・・
 

自分をわかってもらおうとするときは、多弁になるのではなく、自分から醸し出される雰囲気が一番相手に伝わる。
 
 
偉い人はそれがわかっているので無用なことは言葉を発したり、見せようとはしない。





  

如是我聞 14..5

 
 
寛容の心を養おう。ひろい心、すべてを受けいれる心。

 

 

解釈
  

私がいつも感心するのは空気や水のこと。
 
空気はタバコを吸っている嫌な場所でも、どんなに汚れた場所にでも必ず存在している。
 
水はどんなに汚いうんこも流すし、生き物の身体を癒し、すべての生命の源(みなもと)になっている。
 
決して反発したり拒否をしたり、嫌がったりしない。
 
そして与えるのみで見返りを期待したりなんかしない。
 
だが、人間はすぐに損得を考えて自分の利益ばかりを求める。
 
自分の気に入らないことがあると怒ったり、相手を傷つけたりする。
 
 
寛容の心は空気や水に通じると思う。

 
水や空気に触れたり感じたりするだけで気持ちがスッキリしてきます。






   






   

如是我聞14

 
自分の気に入ることばかり得ようとすれば、いつか気に入らないことをやらされることになる。
 
だから気に入らないことでも、それに耐えて、自分にないと思うものを進んで求めていくことが、自分をどんどん大きくひろげていくことになる。



 
解釈

自分の苦手とすることをするべきか?する必要がないのか?悩むときがある。
 
すべきときとは、しなければ自分の天命が成就しな場合であり、必要のないときとは天命に関係のないときである。
 
ならば天命とは何なのか?どうすれば天命がわかるのか?

 
天命とは自分の本心が求めていて、それを行うことによって生命(いのち)が生き生きしてくること、目標や仕事であったりライフワークであるかもしれない。
 
 
ただ、それは自分だけでなく人を愛で包んで幸せにするものでなければならない。
 
人間の本心は皆、それを望んでいるけれど、それが何かわからない人がほとんどだと思います。
 
天命、天職をみつけるには今を一生懸命に生きて、自分が日々向上していくを続けていればふとしたことから与えられるものだと思う。
 
 
決して奪い取る、自分でつかみ取るものではない。









  

如是我聞 13

 
 
自己満足、自己陶酔しているうちは、本心を開くことは出来ない。


 


解釈


自己満足、自己陶酔していると綺麗な輝いている心をこの虚栄心が覆ってしまうからなのです。
 
謙虚さが美しいと云われるのはこの虚栄心を剥ぎ取ってしまうからなのですね。
 
人は生活しているうちに人に褒められたり、認められたり、持ち上げられたりすると、もう自分はここでいいと満足してしまう。
 
すると成長が止まってしまって、心がどんどん汚れていってしまう。
 
怠惰(たいだ)とは怠けてものぐさにしているのを云うのではなく、自己満足、自己陶酔している状態を云うのだと教えて頂いたことがあります。
 
 
ちょっと油断すると止まってしまいやすいものです。
 
 
宇宙が絶えず進化しているように、人間も進化し続けることが大切ですね。






  

如是我聞 12

 
 
結婚に夢を求めてはいけない。
 
結婚生活はお互いの魂の磨き合いの場であり、業(ごう)を消し合う絶好の場なのである。





解釈



業(ごう)とはキリスト教ではカルマなどと云われているが、わかり易く云えば汚れ、不純物のようなもので、この業が、本来美しく輝いている心を覆って苦しめているのです。
 
人間の幸せとはこの業のないスッキリ、爽やかな状態になった時に感じる?ものなのです。

人間は平々凡々の生活をしていたらぬるま湯につかってしまって魂が磨かれることが難しいけど、大きな試練や経験、体験は人を大きく成長させます。
  
結婚する相手は相性の良い、仲の良い人とよりもむしろ反発する人同士の方が摩擦が多くなってより磨かれることになる。
 
  
伴侶となる人は前世において、敵対していた人が多いといわれている。 
 
 
家庭をうまくやっていける人はどこに行っても大丈夫とは、そういうことなのです。







  

如是我聞 11

 
 
感謝は光



解釈


「ありがとう」 「ありがとうございます」 の言葉は人の心を暖かくする。 
 

屈ではなく、この言霊(ことだま)は光輝いている。
 
「ありがとう」 を毎日言っていると良い事が起こる、運が付いてくると云われるのは光輝いたプラスエネルギーが次々に、プラスエネルギーと共鳴することによるのです。
 
 
人は元々、光り輝いている存在だから感謝すると元の姿、本来の姿に戻っていくのです。
 
 
すべてのことを愛や感謝で受け入れられるようになることが、人として生まれてきた目的なのです。






  

如是我聞 10

  

思いやり深く柔和で、暖かな人であって下さい。
 
相手の心を痛めず傷つけない人であって下さい。
  
その人の前に座れば、何も云わなくても、暖かく明るくなるようなそんな人に。
 
たとえ自分に不利なことをしようとしたり、自分を傷つけ殺そうとするような人の心さえも、傷つけ痛めてはいけません。
 
何故なら自も他も一体なのだから。





解釈


この文章は最後の 何故なら自も他も一体なのだから。 にすべてが入っている。
 
時代が変わる、次元上昇するとは、実は一体となる、一つになることなのです。
 
宇宙の進化とは集合と離反を繰り返している。
 
一つになったりバラバラに別れたりする、人の心も元は一つのものから分かれたのです。
 
だからあなたも私もない。
 
太陽のような一つの光がたくさんに分かれた光を放っている。
 
その分かれた光が個人個人になって見えているだけなのです。 
 
人と人同士で気持ちが一つになると大きな喜びとなるのは元に戻って魂が喜ぶからなのです。


 

余談ですが男女の別れ、人や色んなことからの別れも実は自分が進化、成長するためにあったのです。
 
だから、別れは辛く、悲しいものではないのです。





 





 










2007年12月30日 (日)

如是我聞 9

 
 
潜在意識と表面の意識とが全く一つにならなければ、人間は本当に幸せになれない。



解釈


人が思い悩むのも、迷うのも心の奥の自分の本心と頭で考えた表面の意識が違うことによる。
 

よく天使の心と悪魔の心に例えられる。
 
 
この潜在意識と表面意識のどちらに比重を置くかによってピュアで純粋で素直な自分になれるか、周りの業想念に振り回されて幽界の魔物にとり憑かれてしまうかが決まる。

 
幽界の魔物とは穏やかではないが、今の地球は想いの業(カルマ)の世界の中でうごめいている。
 
 
表面の意識でいることはこの影響を受けやすい。


潜在意識の本心に意識を合わせ続けると表面には意識がいかなくなり、本当の自分が顕れてくる。
 
 
本心はいつも不動心であり、安心立命であり、光輝いている。
 
 
そのとき、人間は本当の幸せを体得できる。






   

如是我聞 8

 

幸せな時にも感謝を忘れるな。なれてしまうと忘れがち。


 
解釈

 昔はそんな人ではなかったのに・・・と言われるのには偉くなったり金持ちになったことによって謙虚さを忘れてしまう。

だから病気になったり、貧乏になったり、不幸と思われる状態になった方が心の状態は良いことになる。
 
幸せなときに「ありがたいなぁ」と感謝の気持ちになれば心が汚れていくことがないのだけれど肉体人間には難しいのかもしれない。

そんなとき、想い出す言葉がある。
 

 
実るほど頭(こうべ)をたれる稲穂かな


昔からある言葉だけど真理の言葉は時代を経ても生き続ける。







  








  

如是我聞 7

 
 
人の話は親身になって聞いてあげなさい。

 
 

解釈
 

これも耳の痛い言葉であり、自分のなかに余裕がないと親身どころかせっかちになって話半ばで話の大筋をつかもうとしたり、わかったつもりになってしまう。
 
話をきちんと最後まで聞くには忍耐力と愛がいる。
 
愛は忍耐だというが本当にその通りだと思う。

本物のカウンセラーとは答えやアドバイスを言ってあげる人ではなく、話を聴ける人だそうだ。
 
言葉が省力されたりスピードが求められている現代だが、心から人の話を聴ける・・・そんな自分でありたいと思う。


   
 

如是我聞 6

 
  
最悪の状態は、これから善くなるという前兆である。
 


 

解釈
 

 
若い人が特にたいしたことでもないのに 「最悪」 と云っているのを聞くが、言葉はエネルギーを持っていて言葉の発する通りになろうとする。
 
だから 「最悪」 と発することはその状態に近づいていっているのだ。 
 
宇宙の法則はすごくシンプルでわかりやすい。
 
同じ状況であっても 「最悪」 と考えるか、善くなる前兆と考えるかによってまったく違う結果が出てくる。
 
目の前に現れる現象は心の中に想ったことが外に出てくるのだ。
 
夜のなかで一番暗い時刻は夜明け前だそうだ。
 
このことに気づくと最悪は最良の状態に変わっていく。







  

如是我聞 5

 
   
今生(こんじょう)で何もかもやろうとするから、あせって骨が折れる。何生もかけてやろう、とのんびりとせよ。



解釈
 


人は何千回、何万回も輪廻転生(りんねてんしょう)、つまり生まれ変わっているので今生での生が100年でもトータルでみればほんの一瞬に過ぎない。
 
まばたきにもならないくらいなのだ。 
 
宇宙は悠長であり無限の拡がりがある。
 
その中で肉体人間の生活を焦ってどうにかしようとしても空まわりをするだけだ。 
 
焦るとは焦げる(こげる)という意味だそうだ。
 
焦げ付いてしまっては生命(いのち)を生かすことは出来ない。 
 
大器晩成(たいきばんせい)とは大きな器になるためには時間が掛かると云っているのだ。
 
小さく中途半端にまとまらず、大きな人物になろう。





   
 



  

 


 

如是我聞 4

 
どんなにつまらぬ仕事でも、素直にやっていれば、後からよい仕事が与えられる。

 

解釈

どんなに素敵で素晴らしいと思っていた人であっても会社や同僚の悪口を言っているのを聴いてしまうとがっかりしてしまう。 
 
そしてどれだけ有能な人であっても上司をバカにしたり、あの人は仕事が出来ないと非難したりすると、この人はどんな仕事をしても同じことを言うのだろうなぁと勘ぐってしまう。
 
愚痴を云うことでその人の値打ちを下げてしまい、ツキや運までも逃してしまう。
  
世の中にはつまらない仕事はなくて、素直に一生懸命にやっていればきっと仕事の深さや面白さも見出せるのではないか?と私はそう思っている。
 

そして、その仕事を極めれば、もうやる必要がなくなって、次のステージが用意されている。




  
 
 

如是我聞 3

  
人はその言葉に感心するのではない。その人の行いに感動するのだ。



解釈 

まったくその通りで、言葉で感動するのもまず、行いが先にあって、行いが素晴らしいから言葉が言霊(ことだま)になっていくのだろう。
 
つまり、行いのエネルギーが言葉にエネルギーを与える。 
 
 
聖パウロの言葉を想い出した。 
 

心に愛がなければ、どんなに美しい言葉も相手の心に響かない
 

 
まったく同じことを言っているのだと思う。







  

如是我聞 2

 
女性は自分の我がままな意見だけを通そうとすると不幸になります。
 
相手のいうことをまずきいてあげなさい。
 
そうすれば相手も自分のいうことをきいてくれます。



解釈

 
これは女性でなくても耳が痛い言葉です。
 
特に、自分の我がままな意見だけを通そうとすると不幸になります。の不幸になります。は幸せにはなれないという意味が含まれています。
 
たぶん、どんなに顔が綺麗で、みんなにちやほやされていたとしても時が経てば誰も相手をしなくなる。
 
そんな寂しい人生を送りますよ。と云っているようです。
 
人は褒められたり祭り上げられると自分が人より優れている、偉いんだ、すごいのだと誤解する。
 
そしてその誤解していることが表面に出ると、周りの人には鼻持ちならないくらい嫌な気分にさせる。
 
誤解している人を見ると、早く頭を打って気づけばいいのになぁと思います。
 

自分をわかってもらおうとしたらまず、相手を受け入れることが先ですよね。
 
 
私も日々反省です。






  

如是我聞(にょぜがもん)

 
仏教の経文の最初は如是我聞で始まっているそうです。
 
つまり悟りを開いた仏様のお言葉らしいのですが、先日のセミナーでこの如是我聞という本を読むように先生に言われました。
  
言葉は言霊(ことだま)と云って、エネルギーがあり、
真実、真理を語っているものは人の心を打ちます。
 
私が心に響いた言葉を書き写して、私なりの解釈をしてみたいと思います。
 
文章にすることは、文の意味を理解する上で非常に有効なので、どうかお付き合いください。
 


自分の立場から見て行動するを 「我」 といい、他人の立場をのみ想って行動するを   「愛」 という。それさえも超越してすべて神さままかせにするを 「空(くう)」 という。



人間において美しい行為は2番目の 「愛」 だと思いますが、最初は純粋な愛であっても、見返りを期待したり、執着の愛、情が絡んだ愛情になると人の心を苦しめる、醜いものへと変化していきます。

最初の 「我」 へ戻ってしまうこともよくあることです。
 
そこが愛の難しさであり、本物の愛とは一切、相手に期待しない(ありがとうの言葉さえも)チャリティー、慈愛だと云われています。
  
しかし愛がもっと深くなると自分が愛を行っていることさえ意識をしていない、つまり 
「空」の状態がそうです。
 
まったく自然に何も考えていない状態で、知らない間に愛の行為をしていた。
 
 
そしてたとえ、感謝されたとしてもそのことにも把(とら)われない。 
 
 
そんな人になれたら、どんなにか素晴らしいだろうなぁと思います。






   








  

2007年12月28日 (金)

時空を超えて

 
今年の5月に卒業して32年経った高校の同窓会を行った。
 
そのときに32年もの歳月が流れているのに逢った瞬間にその頃の学生だった頃に戻っている自分たちに驚いた。
 
タイムスリップしている・・・
 
宇宙には過去も現在も未来もないという。
 
つまり時間と空間がない。
  
例えば、夜空に輝いている星は何万光年も離れた星だったら、今見ている星の光は何万光年も前の星ということになる。
 

過去と現在が同時に在る。
 
そして10秒先の未来はもう現在になって瞬間、過去になっている。
  
時間と空間の不思議さを感じる。
  
今、目の前に現れていることは過去のことが写って来ているって意味、わかります?
 
つまり、今見ている星が何万光年も前の星の光だとしたら、自分の目の前に起きていることは何万年も前の過去の出来事なのです。
 
過去の結果が現在、現在の結果が未来に現れる。
 
ということは今、現在と思っていることはすべて、過去のことばかりなのです。
 
今、あなたが大金持ちであるのも貧乏であるのも幸運でついているのも何をやってもうまくいかないのも過去のあなたがそのまま写ってきているだけなのです。
 
同じように努力しているのに結果が違うのは過去世にどうしていたか(原因)の結果なのです。
 
今、一生懸命努力して立派な医者になろうとしている人は未来は医者になっている。
 
現在の結果が未来に現れてきますよね。
 
だから現在のことは過去に関係している。
 
もちろん生まれてから今までのの考えや行為の結果が現れることもあるけど、何万年も前の前世での想念や行為が現れることが多い。
 
だからどうしようもないことが多い。
 
自分で運命を変えよう、良くしようとしても結果としてすぐに現れることもあればずっと先に現れることもある。
 
そして今起きていることはどうすることもできない過去のことばかり。
  
運命の良い人はいいけど悪い人はどうしたらいいの?
  
それは今の運命はどうしようもないと諦めること。(自暴自棄になるのではなく)
 
そして、未来の自分は現在の自分が創造していくのだとしっかり自覚すること。
 
 
それから過去を塗り替える、浄めることは出来るのか?
 
肉体人間の力では霊的なことはどうすることも出来ない。
 
それが出来るのは人間を絶えず守ってくださっている守護霊、守護神なのです。
 
  
守護霊、守護神に意識を向けて感謝していると過去世が浄って現在、未来が善くなっていく。
 
これが本当のことなのです。
 

でも、守護霊、守護神って云われてもピンと来ませんよね。

 
なんとなくそうなのかなぁと思っていただけたら、それでいいですよ♪







  

2007年12月27日 (木)

男女の愛

 
熟年離婚が増えているが、異常でもなんでもなく、しごく当たり前の現象だと思う。
 
先日のセミナーでう先生は
  
 
「夫婦の危機は新婚旅行の時から始まっている」 とおっしゃっていた。
 
私の勝手な考えだが、一緒に住むのが苦痛になってきた頃(倦怠期)に子どもを授かり、しばらくは子育てに意識が向くようになって、その間は忘れている(苦痛を)。
  
しかし、その頃にはすでに愛は無く、伴侶は同居人に近い存在になっている。
   
子どもが大きくなって独立する頃になると、たいがいの夫婦は離婚を考えると思う。
   
この場合、女性が自立心があり、経済的に一人で生きていける状態であったならかなりの確率で離婚するだろう。
  
男も家事や自分の身の回りのことが出来れば離婚後も困ることはない。
 
一昔前は、奥さんに離婚したい旨を伝えられると、うろたえる人が多かったようだが、今はかなり冷静に受け止められるようになったと思う。
  
というより覚悟が出来ている、もしくは夫もその方がいいと思っているのではないか?
 
一人になった時、ふと心の中をよぎるのは 
寂しい の文字ではないか?

寂しくなければ、人は一人のほうが自由でいいのではないか?
 
アメリカインディアンの言葉で
 
 人間は一人で生まれて、一人で死んでいく
 
がある。


人は本来、寄り添って生きるのではなく、一人で輝いているものなんだ・・・
 

 
これまでは家族や友達が自分の周りにいないと寂しい人生であると思い込んできた。
 
 
そのために結婚をし、子どもをもうけ、無理をしてででも人との交流をして人間関係を構築してきた。
 
そのための結婚でありそのための恋愛がいかに多かったであろう。 
 
 
恋愛の延長は結婚であった。
 
 
男女の愛は純粋なものではなかったのかもしれない。
 

お互いを成長させる 本当の愛 でなかったのかもしれない。
 
 
どこの国かは忘れたが
、『結婚は人生の墓場である』 ということわざがある。
 
私は離婚を肯定し、勧めているわけではない。 
 
だけど孤独になったとしても、周りに誰もいなくても、寂しさを感じたり、落ち込むことなく、凛として生きていけるようになることは人としてすごく大切なことだと思う。



 

 
 

2007年12月25日 (火)

言葉は少ないほうがいい

 
携帯、メール、インターネット近い将来すべて不要となる。
 
なぜなら必要でなくなるから・・・
 
人と人はすべて繋がっているので自分に自問自答するように相手の人との会話、対話コミュニケーションは本来いらないものなのだ。
 
生まれたばかりの赤ちゃんとお母さんに会話はいらない。
 
心と心が繋がっているのでただ抱きしめているだけでいい。
 
だから心から出た言(ことば)でないと相手には伝わらない。
 
そして言(ことば)以前の響き(波動)でわかり合えるようになると話す必要すらなくなる。
 
以心伝心は心と心の繋がりを云っている。
 
言葉や文章は誤解を招きやすい。

 
言葉は足らないくらいでちょうどいい。





   

神って?

 
いいかっこうをするわけではないが最近思うことは世の中は 「愛がすべてだなぁ」 なのです。
 
愛がなければむなしいし、楽しくない、ワクワク、ドキドキもない。
 
愛がなければ感動も涙を流すこともない。
 
仕事も愛がないただ作業をしているだけでは心が満たされない。
 
それも人に与えられる待っている愛はかなしい。
 
自分が積極的に動いてこそ愛はやってくる。
 
積極的に動いていると与えていることが与えられていることに等しいことに気づく。
 
喜んでもらえるとこちらも嬉しくなる。
 
すると 「ありがとう」 とお礼が云いたくなる。
 
人と自分は実は一つの生命(いのち)で繋がっている。
 
だから自分への愛は人にも連鎖し、人への愛も自分へと返ってくる。
 
すると損をすることなど ない ということがわかる。
 
愛は神へと繋がる。

 
かーぁ みーぃ







  





 

気功とは?

 
気功とはなんですか?
 
幽気、霊気、神気の気の働きであり、神様の働きである。
 
日本語の 「気を付けて」 は英語で 「Good bye」=「God by you 」 であり、
 
スペイン語で 「Adio's」 の dio's は神の意味である。
 
「気」 とは神の意味である。



  

 

 

ネットで商売をするのも同じ

 
友達に不要になったものをオークションで売ってもらったことがある。
 
友人は綺麗に見えるように丁寧に写真を撮って、売れやすいように文章を考えたり見ている人の気持ちをとらえるように一生懸命やってくれた。
 
そして文章の中身と実物との違いがないように細かくチェックして縁のあった人に親切に対応し、そして商談が成立した。
 
ネット販売であっても昔からの商売のやり方と何ら変わりがない。
 
信用を落とさないように人に喜んでもらえるように、することは全く同じだ。
 
ただ、対象となる人が桁外れに増えているだけだ。
 
 
ネットで楽に儲けられる、誰でも出来る。
 
身体を使わなくても家にいるだけで何百万も儲かる。
 
なんてうたっているが、実際はそうではない。
 
地道な努力と誠意を持ってやらないとすぐに淘汰されてしまう。
 
相手が見えない、不特定多数を相手するという意味ではむしろネットの方が難しいかもしれない。
 
 
人間関係の基本はいつの時代も変わることはない。






 
  

自立すること

 
自立するとは?
 
経済的なこと?精神的に人に頼らなくなること?
 
人として一人で生きていけるようになること?
 
先日のセミナーで先生に質問をした人がいた。
 
「私は人に頼っています。自立出来ていません、どうしたら自立できるのでしょう?」
 
それに対してう先生は
 
「リラックスすることです」 とおっしゃいました。
 
リラックス? どういうことなのか?
  
人は170cm体重65キロがその人ではない。
 
目にはみえないが人は大きなビル一棟ぶんくらいの大きさであると思ったらいい。
  
オーラ写真を撮ると身体から気が出ているのがわかる。
 
この気がエネルギーでありその人の雰囲気をかもし出すことになる。
 
心の中が穏やかであればその人の周りには心地よい空気が流れる。
 
反対に怒りで満ちていれば息苦しく、イライラしたどんよりした空気が流れる。
 
人は自分が発している気(エネルギー)に責任を持たなければならない。
 
その気(エネルギー)が自分と自分の周りの環境を造っていく。
 
お金を儲ける、地位を上げる、出世する、人から認められる等はエネルギーが整ってそれから後から付いてくるものなのだ。
 

お金をたくさん持っていても出している気が人を嫌な気分にさせるマイナスのものであったならその人は真の意味で自立したことにはならない。
 

リラックスした、落ち着いたエネルギーはすぐ近くの人たちだけでなく地球中に素晴らしい影響を与えるという。(宇宙までも波動は行く) 
 

 
地球のある場所でおこった津波は地球の反対の地域にまで影響を及ぼす。
 
 
目に見えることだけに意識を持って行かずに自分の出している気に気をかけることが大切だ。









  

失神

 
先日、気功のセミナーでう先生が

「実は失神するのは気持ちがいいのですよ」 とおっしゃっていた。
 
ボクサーがノックアウトされてマットに沈むとき、苦しいのではなく、幸せな表情になっていると云うのだ。
 
実は私も状況は違うが、以前手術を受けたとき、麻酔をかけられて意識を失っていく途中がなんともいえない気持ちの良さだったのを覚えている。
  
もしかしたら麻薬、大麻、覚せい剤はこの部類に入るのかもしれない。
  
人はどんなに辛く悲しいことがあっても寝ているときにはその感情はない。
 
と云うのは意識が肉体から離れて違うところに行っているからだ。
 
それと同じように失神しているときも肉体から意識が離れて違う世界へ行っているのだ。
 
麻薬、大麻、覚せい剤は現実から離れて、恍惚の迷いの世界へ行く手段になっている。
 
 
意識を違うところへ向けることで現実から逃避しているのだ。
 
人は肉体界以外にも幽界、霊界、神界にも多次元に生きている。
 
自分の意識を合わせた位置が自分の居場所となる。
 
低次元に合わせれば幽界になり、高い意識であれば神界、つまり天国となる。
 
同じ場所にいてもある人には地獄界となり、またある人にはどんな環境であってもそこは天国になる。
 
失神しているときは自分では天国を感じているのかもしれないが、意識は天国に居るのではなく中途半端な世界をさ迷っているのだと思う。
 
失神は神を失うと書く。 
 
本当の神様は失神しているときには顕れない。





  

神秘的なこと

 
私のブログのテーマは感動することと神秘的なことです。
 
感動することはわかりやすいけど神秘的とはなんぞや?
 
人は知らず知らずのうちに神の領域に入ることを求めている。
 
神業(かみわざ)とは肉体人間を超えた所にある。
 
ピアノの演奏やスポーツなどで人間業(にんげんわざ)とは思えないものを見たり聴いたりしたとき何ともいえない憧れと尊敬の気持ちが起こる。
 
そしてなぜか感動する。
 
どうしたら自分もそんなことができるのだろう?
 
同じ人間なのだから出来ないハズはない。
 
そして人間が神業を使えるということは人間は神になれるのかもしれない?
 
神ってなんだろう?
 
神社は神の社(やしろ)と書く、本当に神様が住んでいるのだろうか?
 
お正月に神社にお参りするのはなぜ?
 

八百万(やおよろず)の神と言うがそんなにたくさん神様はいるのか?
 
人は窮地に立たされて、絶対絶命のとき、必ず神様を呼ぶ。
 

「神さま、助けて!」
 

 
それは潜在意識の奥の奥では神を識っているからだ。
 
 
これからしばらくは私の知っている範囲で神について書いていこうと思っています。





 
 
  

2007年12月22日 (土)

ごめんなさい


  
実は12月12日からパソコンが潰れてしまってログの更新ができませんでした。


24日に修理から戻ってくるので再開します。


よろしかったら又、覗いて下さい。





   


  


     

2007年12月12日 (水)

仕事について・・・

 
仕事は楽しくみんなで和気藹々(わきあいあい)とするものだ と云う人がいる。

だが、私は違うと思う。
 
リラックスをすることと楽しいことは違う。
 
リラックスは身体の中の硬直している力んだ部分をほぐして本来のありのままの力が出るようにするためにある。
 
そして、仕事で集中するには緊張感とリラックスが必要となる。
  
このバランス感覚がミスを少なくする。
 
仕事中に他のことを考えていればいるほど、ミスは増えていく。
 
私が今までにミスをしたときを顧みるとほとんど他のことを考えていた。
 
 
真面目な考えかもしれないが、会社に拘束されてその時間を働く、その拘束時間は会社に対して

「私は、お給料を頂く代わりに一生懸命集中して仕事をします」 と約束していることだと思う。
 
以前、気功の先生であり、眼科の先生でもあるW先生が


「医者がついうっかり手術を失敗しました、誤診をしましたとかは許されないのです」
 

とおっしゃっていたことを想い出す。
 
その先生は自分にも厳しかったが指導している看護婦さんにも厳しかった。
 
仕事中に他のことを考えている看護婦さんに容赦なく叱った。
 
厳しくてかなりの人が辞めていったが、それに比べて世間一般の仕事社会はかなり甘い。
 
 
プライドを持って善い仕事をしている人は自分にも人にも厳しい。
 
 
 
でもその厳しさは優しさの裏返しでもある。






  

2007年12月11日 (火)

心の中にいつもいる

 
以前、大変お世話になった人とは今ではほとんど交流がなくなっている。
 
だから又、逢いたいかと言えばそうではない。
 
その頃は逢ってその人から大切なことを学ぶ必要があった。
 

そして、その時期に必要なことを学んだら、又教えて頂く時期が来ない限り逢うことはない。
 
学生時代のように懐かしいからと同窓会はいらないのだ。
 
人と人がなぜ逢うのかは、進化するためだと私は思っている。
 
ただなんとなく逢って、たいした話をしていないように見えても必ずなんらかの影響を受けている。
 
逢う必要がないならば・・・逢わないほうがいい場合は、絶対に逢わないようにされている。
 
自分の意思で自分の思い通りに動いているつもりでも実は動かされているのだ。
 
 
一つの約束が成り立つ時、そのときはお互いの守護霊どうしの合意がある。
 
守護霊どうしが 
逢う必要はなし と判断すればどちらかが急に行きたくなくなったり、急用が出来たりして逢えなくなる。
 
 
だから逢えないのならば逢わない方がよかったのだ。
 

最近、ほんとにそうだよなあと思うようになった。
 
ただなんとなく逢いたいでは駄目なんだ。
 
相手にとっても有意義で為になることでないと逢わせてもらえない。

 
だから人と人が逢うということはすごいことなんだ。
 

そして、逢わないと交流が出来ないかと云えばそうではない。
 
逢っていなくても心の中でその人に語りかければ必ず応えてくれる。
 
 

大切な人は私の心のなかにいつもいる。










 

借金は成功報酬の前借り

  
人は自分に都合の悪い?ことが起こるとそれを捉まえて離そうとしない。
 
病気になる、貧乏になる、恋人と別れる、経営している会社が潰れる、愛する人が死ぬ、だがこれらのことは決してマイナスではなく、自分が今よりもよりよく成長、進化していくためのプロセスなのだ。
 
終わりではなく、今起こっていることは全て素晴らしい未来にするためのプロセス・・・
 

ミクロに見るのではなくマクロに観ていくと全ての経験は幸せになるための過程だと気づく。

 
 
「実は私には借金があるのです」
 

 
「大丈夫ですよ、借金は成功報酬の前借りなのですから ♪ 」
 
 

これをほんとうのプラス思考と言う。





 

情報において大切なことは・・・

 
情報において大切なことはその量ではなく、それに振り回されないことである。

  


もう何年も前に読んだ文章だったが今でも私の脳裏に刻み込まれている。
 
パソコンの前に座って、調べたいことや興味のあることを検索し始めるといつの間にか何時間も時間が経ってしまっている。
 
そして、その情報が自分にとってどんな意味があったのか?と客観的に考えてみると不要な無駄な情報がほとんどである。
 
つまり振り回されていたのだ。
 
人は貴重な時間を無意味に過ごしたとき、何とも云えない空虚感に襲われる。
 
反対に感動したことに触れたときは何とも云えない充実感がある。
 
勿論、よい情報、感動する情報もある。
 
パソコンのなかには、清濁併せ呑んだ莫大な情報が入っている。
 
しかし、余程心を澄ましていないと濁流に巻き込まれてしまう。
 
 
振り回されない不動心の自分になれたとき、必要な情報は非常にシンプルな形でいつの間にか目の前にやってきている。
 


     
 

2007年12月10日 (月)

絶対に大丈夫

 

99%駄目でもあとの1%があれば絶対に大丈夫なんです。

 
 
以前、レッスンの時に、う先生に言って頂いた言葉だったが、このときすごい勇気が湧いてきたことを覚えている。 
 
どんな暗闇であっても一筋の光明があればそこから光が拡がっていく。
 
それは自分の心に明るい気持ちがあればどんなことが起こっても大丈夫だということ
 
自分を信じてさえいればどうにでもなる。
 
それくらい素晴らしい力が宿っている。

 
無限のプラスは有限のマイナスをプラスに変える。



 

 

  



 

もったいないなぁ

 
仕事場は自分という個性を表現する舞台だと思う。
 
プロ野球の選手や芸能人が高い給料を貰っているのはそこで人を感動させたり心を動かせたりしているから・・・
 
だけどほとんどの人はその桧舞台(ひのきぶたい)に立たずに暗いところで嫌々働いている。
 
仕事とは嫌なことを我慢して苦労してお金もらうものだと・・・
 
自分には何の才能もないからこんなことしか出来ないんだと・・・
 
なんてもったいないことなんだろう
 
人を喜ばせる感動させるすごい感性を持っているのに
 
誰でも必ず他の人にはない特別の才能を与えられている。
 
それを個性という
 
ただ、それに気づいていないだけだ。
 
周りの人がどれだけ言ってあげても本人がその気にならなければ宝の持ち腐れだ。
 
 
本当にもったいないなぁと思う。






  

どんな自分でありたいか?

  
どうしたいか?何をしたいか?ではなく自分がどんな人になりたいかが大事だとある本に書いてあった。
 
素晴らしい感性を持った人がいる。
 
だけど何をしたいか、するかにこだわってはその感性が生きてこない。
 
医者になりたいと思う、でもそれは医者は儲かるから、人から一目置かれるから、いいお嫁さんがくるからという理由からであればその人の性格の素晴らしさは死んでしまう。
 
人に優しい人になりたい、いつも感動できる自分になりたいであればどんな職業かは関係ない。

なりたい自分になれる。
 
なりたい自分が先にあって、職業は後についてくる。
 
なりたい自分を実現させるためにはどの仕事がいいか?を選ぶだけだ。

 
いくら医者や弁護士が増えても、なりたい自分を考えなければ善い世の中にはならない。




  

 

 

計画はいるか?

 
これから先、どうなるんだろう?
 
と心配するよりも何も考えずに瞬間、瞬間、直感で感じたことをアクションに移していくほうがいい。
 
これはあくまでも私の考えなのですが、計画を立てて、その通りにしようとしても本心の自分が本当にそうしたがっているのかはわからない。
 
ほとんどの人が年初に計画を立てても途中で立ち消えになってしまうのは自分の我でやろうとしているからだろう。
 
我でやろうとすると念力(ねんりき)を使おうとする。
 
念力は相手をコントロールしようとする相手の人の心を縛りつける不快なエネルギーである。
 
これで最初はうまく行ったとしても後から必ず歪(ひずみ)を生むことになる。
 
マイナスの結果になる。
 

相手の人は無理やりにコントロールされてしまうが苦しくなると、そこから開放されたくなる。
 
念力から逃れようとするのだ。
 
計画通りに行かないと焦る、そしてどうしても無理をする。
 
自分にも相手に対しても・・・
 
イメージをしたりビジョンを持つことはいい。
 
心の中で描かれた絵は外に出て実現しようとするからだ。
 
だけどその絵は自然なプラスのエネルギーで出来た図でなければならない。
 
それは、誰もマイナスの暗い絵を実現させようとは思わないから・・・
 
プラスの図とはみんなが喜ぶ、楽しい、心が温かくなるそんなキャンパスだ。
 
毎日毎日、イメージをしていると夢は実現に向かって動いていく。
  
動き出したらその線路に乗ってしまえばいい。
 
そして、乗ってから現れる出来事にだけキチンと丁寧に対処していけばいい。
 

だからビジョンは持っても、計画はいらない。








 






 

2007年12月 9日 (日)

人を好きになること

 
別れて今は別に住んでいるとしても好きだったという想い出は消えない。
 
心が感じて覚えていることは時間が経っても肉体がなくなっても消えることはない。 
 
だから無理に忘れることはない、というより忘れることなんて出来ない。
 
人を好きになることはいいことです。 
 
それはとても自然なことだから・・・




  

審神(さにわ)

 
これから次元上昇していく過程で審神(さにわ)が大切になってくる。
 
霊的な人がたくさん出てくる。
  
審神とは読んで字のごとく神を審判すること・・・
  
つまり本物、神から、宇宙の根源から来たものであるかどうかを見分ける力量をいう。
 
未来の出来事などは低い意識の人でも幽界に波長を合わせれば知ることが出来る。
 
人から賞賛されたい、すごいと思われたい、目立ちたい、尊敬されたい、等の自我の意識が強い人は幽界の不良霊(いたずら好き)のかっこうの餌食となる。
 
だから霊的であるからと言ってその人を信じてはならない。
 
法外なお金を取ったり、脅したりするのは本物ではない。
 
審神(さにわ)が出来るようになるには方法は一つしかない。
 
自分の意識を高めて低い波長に合わさないようにすること
 
自分が本物にならなければ偽物を見分けることはできない。
 
テレビに出てくる霊的な人たちは幽界の魔物がその人にとり憑いて面白がっているのがほとんどである。
 
 
霊的なことと、その人の人格は関係ない。






   

 

我がことのように・・・

 
我がことのように親身になって心配してくれる人がいる
 
一生懸命相手の気持ちをわかろうとしてくれる人がいる
 
よくなってほしいと応援してくれる人がいる

利害関係抜きで付き合ってくれる友達がいる
 
 
そんな友達はめったに出来るものではない・・・
 

涙が出そうになるほどうれしかった
 

 友達っていいものだなぁ としみじみと思った。




 

    

幸せ

 
お金がなくて借金をしていたとしても
 
病気で身体の自由がきかなくても

孤独で周りに人がいなくても

人が自分のことを理解してくれていなくても

あるとき突然に 
ふっ と幸せだなぁと感じる瞬間がある

 
その瞬間(とき)が 私にとって 本当の幸せ なのです。 







 

  

  



 

2007年12月 7日 (金)

環境

 
前世において私は激寒のなかで生きていた。
 
だから寒さや暑さにも強く、簡単に暖房や冷房をしようとはしない。
 
そして出来るだけ我慢をして節約をしようとする。
 
だが、私の息子は恐らく、前世で四季のない星で育って(そこはいつも春のような気候)気温の変化に弱い。
 
だから、すぐに快適な状態を求める。
 
こんな二人が同じ屋根の下に住んでいるのだから、衝突ばかりをする。
  
お互い相手の考えが理解できない。
  
自分の考えが正しい、当たり前、常識だと思っている。
  
人は今生だけを生きているのではない。
  
過去(前世)の育った環境が今の考え方の基礎になっている。 
  
お互いの考えを尊重して、調和して、許していくには過去世を含めたグローバルな目でみていかないと、どこかで必ず行き詰る、衝突する。

  
だから真理を識らなければ、生きていけない。
 
 
幸せになることはできない。 
 
 
イエス・キリストのキリストとは真理のことだそうだ。
 
 
もうすぐやってくるクリスマスは真理を祝福、歓迎するためにあるのかもしれない。
 




  

霊化するとは・・・

 
人はピュア、つまり純粋になっていくと霊化する。
 
肉体波動から霊波動へ変わっていくのだ。
 
これを聴いてもさっぱりわからないですよね。
 
人には感情的な部分と冷静で心がきれいに澄んでいる部分があります。
 
悪魔の心と天使の心がある。
 
愛に欠ける部分と愛に溢れる部分がある。
 
肉体は目に見える物質、心は目にみえないものですよね。
 
心を主に心を大切に心の命ずるままに素直に生きていると目にみえない細かい波動に変わっていく。(肉体は荒い波動)
 
すると肉体の部分が霊化してきて(波動が細かくなる)、霊波動になっていく。
 
すると現象として、写真に撮ったりしても肉体が写らないことがある。
 
キリストやお釈迦様は恐らく写真には写らない。
 
UFOや宇宙人が人間(地球人)には肉眼で見えないのはそういうことなのです。
 
これから地球の次元上昇に伴って、霊化する人が増えてくる。
 
進化した星の宇宙人の波動に近づいてくる。

 
霊化するとは心がスッキリ、爽やかになってクリスタルになることをいう。






 


   

この世における・・・

  

1.この世における千差万別をすべて在るがままに受け入れよ。


 

今、自分の身に周りに起こっていることは全て必要、必然なことで、無駄なことは一切ないという。
 
 
どれだけ怠惰に見えたり、くだらないと思えることでもその人にとっては掛け替えの無い貴重な経験をしているのだ。
 
 
だから、人を批判、非難、そして、評価をしてはならない。 
 
 
どんな状況であっても愛を学ぶために起こった出来事だから・・・
 
 
人はそれぞれ、その人に必要な状況で愛を経験していく。
 
 
低い愛であっても崇高な高い愛であっても愛を学ぶことには変わりがない。
 

全ての出来事を愛で受け入れることが出来たら心の中に天国が顕れる。






  

総合力

 
人に対して腹を立てているときはある一部だけを見て、そこだけに固執してことが多い。
  
普段は真面目でこつこつ一生懸命やっているのに、たった一つのミスをしたり、欠点があったりするとその人の人格を全て否定してしまうことがある。 
  
例えば、タバコが大嫌いな人は、吸っている人を許せない。(私がそうでした)  
  
吸う人は自分の感情をコントロール出来ない人、そして人に気配りの出来ないダメな人と烙印を押す。
  
 
子どもに対しても勉強が出来なかったらダメな子と決め付ける。 
  
 
人間は無くて七癖と言ってどんな人でも至らないところや欠点は必ずある。
  
 
総合力でみれば能力の差はほとんどない。 
 
 
よいところだけを観てそこを褒めていくと悪いところは小さくなって、そして消えていくという。
 
 
プラスのエネルギーは無限。 
 
 
マイナスのエネルギーは有限なので、プラスがマイナスを包み込んでしまうからだろう。
  
 
学校の成績が1や2ばかりの子どもが 
「成績が悪くてゴメンね」 と謝ったら、育ててくれているおばあさんが 「大丈夫、大丈夫、全部足したら5になる」 と笑い飛ばしたという。 
  

何か心が温かくなる話ですよね。



 
 
 

時間をかければかけるほど・・・

  

1.時間をかければかけるほど、迷いや疑いは拡大されてゆく。



 

物事はじっくり、たっぷり考えて結論を出す方がいいと一般的には言われている。
 
しかし頭でどうのこうの考えていると道がたくさん分かれてきて、どれが良くて正解なのかわからなくなってくる。
  
悩むことと迷うことは違うという。
  
悩みは結論が出るが、迷いはどうどう巡りで同じところを回っているだけなので出口が見えない。
 
それに時間をかけると、迷いが増幅されていくことになる。
 
 
迷っているときには、物事を損得勘定(感情)で考えていることが多い。
 
 
損得で考えているときは平常心でなくなっている。





  

2007年12月 6日 (木)

家庭をうまくやっていける人は

 
「家庭をうまくやっていける人はどこででも通用する」
 

と聴いたことがある。
 
家庭とはリラックス出来て、くつろげる場所だと思っていた。
 
だけど感情的になりやすいのも家、落ち着いていられないのも実は家だった。
 
だったら家庭なんて持たなければいいのに、と思うが、わかったときは後の祭り。
 
というよりそんな厳しい 
 に置かされて修行している。


前世に於いて敵対していただろう妻と同居することで魂が磨かれていく。
 
そして、師匠だった息子には、相変わらずしごかれている。
 
離婚や家族とのトラブルが世間で非常に多いのはそんな訳がある。
  
家庭が少しでも良い場所にするのは自分の心の中を平安にするしかない。
 
我慢するのではなく、怒りを抑えるのではなく、本当は穏やかで優しい本物の自分の姿に帰っていくしかないのだ。
 
前世や過去世抜きには現在の状況を納得することは出来ない。





 

答えは云わない

 
クイズ番組をやっていて答えをすぐに言ってしまうと妻が怒る。
 
「もう、わかっても黙ってて!」
 
すぐに答えが出てしまったら面白くない。
 
なんだったかな?
 
どうしてだろう?
 
なんでだろう?

人間のすごいところは自分で考える力があるところ
 
自分で想像し、創造していけるところ
 
だから含みがなければ面白くない
 
自分で答えを見い出さなければなんの価値もない
 
ほんとうに相手のことを愛しているのだったらすぐに教えてはならない。
 
相手が求めていても必要だとわかっていても最後の美味しいところはその人が味わうのでないとご馳走にはならない。

 
働いた後の食事は格別に美味しい。






  

幸せになるには

 
 
幸せになることはそんなに難しいことではないように思う。

 
それは



すべてのことを自分で決めること・・・
 
自分で責任を持つこと・・・
 
一人で全部すること・・・

 
 

神様はその人の努力をみている。
 
 
そしてその努力によって必要なものが与えられる・・・








  

心の中の映画

  
その人の運命はよくなるに決まっている。
 
自分の本心に素直に生きていれば充実した素晴らしい未来が待っている。
 
だけどそんなサクセスストーリーを過去を振り返って巻き戻しをしている。
 
ストップを押して流れを止めてしまっている。 
 
そしてそこに思いっきりマイナスのエネルギーを注ぎ込んでいる。
 
だから又、生まれかわって、また同じような人生を繰り返す。
 
心の中の映画はどんなことが起ころうと、どんな状況になろうとまわし続けなければならない。
 
 
川の流れのように重たい石でせき止めてはならない。 
 
 
傍観者になろう。
 

結果が決まっている映画を観ているように、自分が主演の映画も淡々と見守り続けるのだ。
 

 
最後まで冷静に傍観することが出来た人だけに素晴らしい未来が待っている。




  



 

2007年12月 5日 (水)

素直であること

 
この世で最高の褒め言葉は 「あなたは素直ですね」 だと思う。
 
素直とは素(もと)にまっすぐ(直)と書く。
 
人間の素(もと)はどこにあるか?
 
人間の素は宇宙にある。 
 
人は両親から生まれたのではない。
 
肉体(身体)的には親の遺伝子を受け継いでいるが、魂、心の根源は宇宙にある。
 
宇宙が人間の故郷である、素である。
 
その宇宙と直(じか)に繋がっている、純粋で汚れがない人を素直という。
 
素直な人は直感を大切にして、ひねくれて考えることがない。
 
わかりやすい性格で裏表がないので人から信用される。
 
無邪気で屈託がないので誰からも好かれ、かわいがられる。
 
周りに騙そうとする人がいても邪(よこしま)な波動と波長が合わないので騙されることもない。 
 
 
そして素直な人は神さまからも愛される。
 
 
そう、素直な人は神様の申し子であり、天使そのものである。






  

  
 

 

情けは人のためにならない

 
簡単に人を助けてあげるのは親切でもなければ愛でもない。
 
スワンのバカというドラマで娘が宿題の鳥の巣箱作りを父親が手助けしようとしたのを妻が止めた場面があった。
 
自分でやり遂げることが大切で助けることは本人のためにならない・・・と
 
娘は少しがっかりしたが、自分でやってみると言った。
 
巣箱は完成して、木の枝にくくり付けた。
 
そして
、「手伝ってもらうより100倍、自分で出来たことがうれしかった」 と言った。
 
人は自立するために生きている。
 
自立して、人に頼らずに星のように一人で輝けるようになるために生まれてきた。
 
だから助けるということは輝こうとしているのを邪魔することになる。
 
余計なお世話どころか進化するのを止めていることになる。
 
私はう先生に 
「20歳までに子どもを自立させなかったら親も子どもも不幸になります」 と諭された。
 
自分の足で立って力強く生きていくことは人間の幸せの原点となる。
 
どれだけお金があって物質的に満たされていたとしても、自力で輝いていなければ死んだも同然である。
 
同情、愛情、情のつくものは独りよがりの自己満足であって、本物の愛ではない。
 
 
身内であっても他人であっても情けは人のためにならない。







 

あだ討ち

 
日本は、ついこの間の江戸時代まであだ打ちが認められていた。
 
自分の愛する人を殺されたら誰でも仕返しをしたいと思うだろう。
 
やられたらやり返すその繰り返しが個人的なものから国どうしの戦いになっていった。
 
今の国どうしも過去からの恨みつらみがその根底にある。
 
最近、鳳凰(ほうおう)という映画を観た。
 
一昔前の中国で、人に重症を負わせた若い男が何十年も服役する物語だった。
 
その男は自分の恋人にいたずらしようとした相手の男を許さなかった。
  
その後、恋人は自決し、母親は嘆き悲しみ男は牢獄のなかで自暴自棄になる。
 
だが、自由のない牢獄で囚人どうしで恋をして、服役を済まして一緒になることを誓い合う。
  
しかし、晴れて自由になったのは年老いた老人になった後だった。
 
男は相手の男を探し出し仇を討とうと試みる。
 
しかし、孫に囲まれて幸せそうに暮らしている姿を見たとき、男はそっと刃物を置いた。
 
男は牢獄にいる間に愛と許しを学んでいたのだ。
 
この世は因果応答で原因と結果を繰り返す。
 
殺す原因があって、殺人を起こし(結果)、またそれが原因になって殺される。
 
どこかで断ち切らなければ何度も同じことを繰り返す。
 
どちらかが、大きな許しをもって消さないと恨みの因縁は永遠に続いていく。
 
人間の美しさは無限の愛、許しで相手を包み込み溶かしていくことだ。
 
決して我慢するのではなく、頭で納得するのではなく、自分が愛を学んで恨みの感情を溶かしていくのだ。
 
この映画は一度も笑う場面がなかった。
 
あまりにも辛い、悲しい、暗い、とことん気持ちが落ち込んでいく内容だった。
 
だが、観終わったとき爽やかな空気が館内を包んでいた。
 
愛の凄さ、愛の峻厳さ、愛の素晴らしさを訴えていた映画だった。




 
鳳凰 我が愛)  角川映画 中井貴一主演





  





   

2007年12月 4日 (火)

男子一生の仕事にあらず

 
今は亡き、石原裕次郎さんの言葉だ。
 
俳優の仕事が意義のある仕事であるかどうかはわからない。 
 
裕次郎さんがどんな心境でこのことを言ったのかはわからないが、自分を省みてそう思ったのはすごくよくわかる。
 
男だったら、人間だったら、真剣に生きていたなら誰でもが考える疑問だと思う。 
 
よく、 
職業に貴賎(きせん)はない というがそう簡単には割り切れない。 
 
仕事のことだけでなく、自分の周りのことを省みてみるのはいいことだと思う。 
 
そこで結論がでなくても、どうどう巡りをしたとしても自分自身に問いかけるのは人に相談するよりもずっといい。 
 
なぜならば、答えは外にはない。 
 
答えは自分の心の内にある。 
 

すべては心が識っている。





 
  

何も考えないとすべてが

 
何も考えないとすべてがご褒美になる。
 
もっと、わかりやすく言えば、何も期待しないとすべてがご褒美になる。
 
人の思考回路は常に感情で回っている。 
 
それも損得勘定(感情)で・・・
 
そして、見返りを期待している。
 
 
自分が相手に対してこうしてあげたからお礼を言ってもらってしかるべきだ。 
 
これだけしたのだからメリットがあってあたりまえだ。
 
何をしても無駄だからやめておこう。
 


ほとんど頭で計算して自分の得にならないことはしない。
 
そしてそんな考えは相手に見透かされているので思った通りにはいかないし、いったとしても後でそのツケが返ってくる。
 
 
それに対し、何も考えていないと、期待していないと思い通りがないので何があっても落胆もなければ、失望もない。
 
 
無欲なので相手の人も気持ちがいいから、よい結果が生まれやすい。 
 
 
そして、よい結果など思いもしていないので、 
「もうかった」 「ラッキー」 のプラスの感情しか出てこない。
 
 
よく、
無欲の勝利 というが、無欲ほど気が楽で、おおらかな精神状態はない。 

  
欲はなくならないとしても欲を少なくしていく努力は出来る。





 

  

メール

 
最近、コミュニケーションの手段としてメールを利用している。
 
一旦、文字に代えて文章を作るが、相手の人の立場になったとき、誤解されやすい文になっていないかを注意深くチェックする。
  
 
すると文章が長くなればなるほど相手の人に余計な考えをさせる可能性が高いことに気づく。
 
 
皮肉なことに相手を気遣う、思い遣る言葉(文)ほど間違って伝わりやすい。
 
 
それは、相手の人がマイナス思考であったなら、どんなにプラスで前向きな文でも逆のマイナスに受け取ってしまうからだ。
 
 
例えば、精神的に参っているとき
、「がんばれ」 の文字を送るのは 「これ以上どうしろって云うのよ」
 
になりかねない。

頑張れには、
無理をしなさい、自分にムチを打ちなさい の意味がある。 
 
だったら、 何も書かないほうがいいのか? となるが

そう、余計なことは書かないほうがいいのだ。
 
自分の気持ちを伝えるのに、直(じか)に話していても誤解される。
 
まして、細かいニュアンスが伝わりにくい、文字が一人歩きしやすいメールに自分の心を伝えることは非常に難しい。
 
 
メールは事務的なことだけにして、余計な枝葉は書かないほうがいい。 
 
 
相手の本心で考えさせる出来るだけ短い文のほうがいい。






 
 

失言

 
今日、テレビで今年の失言の特集をしていた。
 
人はコミュニケーションの手段として言葉を発する。
 
言葉は言(こと)の葉(は)といい、本心がそのまま出ていれば言だけで言(ことば)になり枝葉の葉はいらない。
 
どうして枝葉が付くかというと、人がしゃべる時、周りのたくさんの人の波動を受けて話しているからだ。
 
人の器は受信器なので、頭の中はたくさんの人の想い、考えが交差している。
 
その中でキャッチした、つまり枝にひっかかってきた想い考えを話している。
 
そして、話す人はどこに意識があるかによって共鳴する部分が違ってくる。
 
だが、いくら頭の中を色んな考えが交錯していても意識が高いところにあれば、低いところとは共鳴しない。
 
失言や相手の怒りをかう言葉は意識がもうろうとして自分を失っている言葉から発せられる。
 
自分の言葉、いや言(ことば)で話そうとしたら、意識を頭から下丹田(へその下3.5cm)に降ろさないと心で話すことは出来ない。
 
落ち着いた、平常心でなければ本当の会話、対話は出来ないのだ。

 
自分の発する言葉に責任を持つとは 
本心で話せる ことを言う。






  
 

2007年12月 2日 (日)

人は亡くなっても・・・

 
今、放映されているドラマを出来るだけ観るようにしている。
 
その中で、個人的に好きなのが 働きマン

 
 
菅野 美穂の自然の演技がいい。
 
ドラマにはメッセージが託されている。
 
その瞬間(とき)に人に残したい、伝えたいメッセージがある。

そのドラマのなかでおじいさんが言っていた。
 
「妻(人)が亡くなっても想い出は残り続ける。だから一人でも生きていける」
 
目に見えるものが消えて無くなってしまっても目にみえない心、魂は永遠に生き続ける。
 
そのときに出逢った人は目の前にいないかもしれない・・・
 
でも心の中にはしっかり生きている。
 
心が温まる素敵なドラマだった。







   

怠惰であること

 
怠惰って言われたらドキッっとしますよね。

 
やるべきことをやらなかった。
 
何時間も寝ていた。
 
炬燵の中に入ってテレビばかりを観ていた。
 
身体を動かすのがおっくうだ。
 
掃除や洗濯物が溜まっている。



人それぞれ 
自分は怠惰だなぁ 思う部分がきっとあると思います。
 
そして、家族でケンカになるのは相手の怠惰な姿を見たときが結構多いと思われます。
 
しかし、怠惰に見えるその姿も本人にとっては必要なプロセスかもしれない。
 
そっとしておいても時期が来れば、自分の力で、意思で脱するのかもしれない。
 
云えば逆効果で、反発してもっと遅くなるような気がする。
 
自分は怠惰だなあと感じて何とかしようと焦って、ジッとしていないといけないときに行動してしまい、相手が全然その気になっていなかった、機が熟していなかったことはよくあります。
  
怠惰に思えることもよいタイミングを待っている瞬間(とき)のかもしれない。
 
動かないといけないときは頭で考えるよりも先に身体が動いている。
 
だから気が進まないのに頭で考えて無理に行動するのはやめたほうがいい。
 
 
今日、ある人から怠惰の本当の意味を教えて頂いた。
 

怠惰とは、現状で満足して、もう自分はこれでいいんだと思って、進化すること、向上していくことをやめることだそうだ。
 

 
宇宙は日々進化し続けている。
 
 
私たちも日々進化している。

 
私たちは毎朝、起きたときに 
新しいメッセージ を必ず受け取っているという。
 
 
そのメッセージとは強制されてやらされることではなく、自分の本心が心から欲していることなのだ。

 
そんな日々はきっと楽しいだろうなあと思う。




 
  

 

2007年12月 1日 (土)

守護霊の声

 
私は 
神の子 であるという徹底的なる自覚がいかなる災いからもあなたを防ぎ、いかなる不幸からもあなたを脱出させる。
 
災いにも不幸にも絶対に波長が合わないからだ。




 

解説


自分の中には神のように純粋で神々しい部分と感情に振り回されて劣等感にさいなまれてしまう部分がある。
 
どちらが本当の自分なのか?

 
迷う とは多分、このどちらかがわからないところから来ていると思う。
 
どんなことがあっても自分が 
神の子 であることを信じられれば信念を貫き通して何事も成し遂げることが出来る。
 
しかし、自分はダメだと自己限定してしまっては物事が中途半端になり、いつまでも自信が持てない。
 
何事も徹底することが大切だが、人間が 神の子であること、神と同じように強い力(霊力)を持っているのだと識ることは、何にも益して幸福感が得られる。
 
 
自分が幸せだなあと思う瞬間(とき)とはこの幸福感ではないかと思う。








  

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