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2007年11月17日 (土)

老子のいう無為になすとは・・・1

  
無為とは一言にして申しますと、為にしない、ということなのです。何をしよう、かにをしよう、というように、肉体人間の頭脳でとやかく想いめぐらさないことが無為なのです。
  
そう致しますと、無為を為すとは一体どんなことをするのかという疑問が当然起こってまいります。
 
頭脳で考えないで一体なにができるのであろう、普通の人はこう考えるのが当たり前であります。
 
ここが凡夫と聖者との違いであり、道に乗った人と外れている人との相違なのであります。
 
凡夫は当然のように、この肉体をもった人間を、唯一無二の人間と想っています。
 
しかし聖人は、人間とは生命そのものであって、肉体は一つの生命の道具であり、生命の現れる一つの場所であることを知っています。
 
それは頭で知っているのではなく、事実として承知しているのです。
 
そして自己という一つの生命の流れは、奥深いところから、浅い狭いところまで、無限の段階において働きつづけていることも知っているのであります。
 
ですから、浅い狭い肉体頭脳という場所だけを駆け巡っているような想念や知識をいくら振りまわしていても、大宇宙の法則に乗り切ることはできない。
 
大宇宙の法則に乗って生きてゆかなければ、この狭い肉体世界での生き方さえ正しく行じてはゆけない。と自らの体験で昔からの聖者たちは知っていたのです。
 
そこで、老子は無為と説き、釈尊(お釈迦様)は空(くう)と説き、イエスは神のみ心のごとく、といって全托と説いていたのであります。
 

               つづく






   

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