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2007年11月29日 (木)

守護霊の声

 
羨望の心が湧くのも致しかたない。
 
嫉妬心にもだえるのもまたこれ仕方がないではないか。
 
そして人の幸福を妬み人の不幸を心ならずも喜ぶのもまた致しかたない。
 
人の心は感情によって左右されるものであるから、感情を無くさない限りこのようなことはすべて人の心の中に起こり得る現象である。
 
この世は物質肉体の世界、完全なる霊なる世界と違って不自由な束縛ある世界、よくないことだと充分にわかっていながら、正しいことではないと充分に理解していながら、神から反している行為だと充分に納得していながら、やはり現れてくるのが現実なのである。
 
おさえる必要はない、出すだけ出すがよい。

だが、出来るだけ人に迷惑がかからないように出してゆくのだ。
 
相手にまともにぶつからず、声を出して私にぶつけなさい、私にどなりなさい、私に非難をあびせかけるがよい。
 
私はあなたの心が充分にわかるだけに、あなたが愛しくて可哀相でならない。
 
私の大きな翼であなたを包んであげよう。
 
癒してあげよう。
 
心の中にある鬱憤をすべて私に吐きすてるのだ。
 
私が聞いてあげよう。
 
私が代わって祈ってあげよう。
 
あなたがあなた自身で祈れる時がくるまでは。

 偽善者 になるよりはよほどよい。







解説



浄土宗の開祖である法然は


人間に対して、「罪悪深重の衆生」 「妄想顛倒の凡夫」 などという表記が数多く見られるように、まず自分を含めた衆生の愚かさや罪といったものへの深い絶望があり、そこから凡夫である衆生の救済への道を探り始めている・・・

  

とあるように肉体人間だけでは悟りどころかどうにもならないことを徹底して識った。
 
 
そこから初めて、神仏の存在や守護霊、守護神の助けがなければ救われない、幸せにはなれないことを悟る。
 
 
実は、
悟る とは難しいことではなく、このことが完全にわかったとき悟りへの第一歩が開かれたのではないかと思う。
 
 
人が幼き時代を懐かしく、幸せだったと想うのは父や母の大きな存在に守られ愛されていたことによる。
 

成長するに従い、身体は大きくなるが精神的に安心立命できないのは自分(肉体人間)よりもずっとずっと大きな存在に包まれているという気持ちがないからだ。

 
人は成長すると自分で何でも出来る、自分の力で生きて行けると錯覚する。
 
 
その錯覚から目が覚めるまではそれこそ
 夢の中 をさ迷う。
 
 
 
守護霊、神は目覚める日が来るまで、いつまでもいつまでも待っていてくれる。 







  





  



  

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