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2007年11月29日 (木)

守護霊の声

 
羨望の心が湧くのも致しかたない。
 
嫉妬心にもだえるのもまたこれ仕方がないではないか。
 
そして人の幸福を妬み人の不幸を心ならずも喜ぶのもまた致しかたない。
 
人の心は感情によって左右されるものであるから、感情を無くさない限りこのようなことはすべて人の心の中に起こり得る現象である。
 
この世は物質肉体の世界、完全なる霊なる世界と違って不自由な束縛ある世界、よくないことだと充分にわかっていながら、正しいことではないと充分に理解していながら、神から反している行為だと充分に納得していながら、やはり現れてくるのが現実なのである。
 
おさえる必要はない、出すだけ出すがよい。

だが、出来るだけ人に迷惑がかからないように出してゆくのだ。
 
相手にまともにぶつからず、声を出して私にぶつけなさい、私にどなりなさい、私に非難をあびせかけるがよい。
 
私はあなたの心が充分にわかるだけに、あなたが愛しくて可哀相でならない。
 
私の大きな翼であなたを包んであげよう。
 
癒してあげよう。
 
心の中にある鬱憤をすべて私に吐きすてるのだ。
 
私が聞いてあげよう。
 
私が代わって祈ってあげよう。
 
あなたがあなた自身で祈れる時がくるまでは。

 偽善者 になるよりはよほどよい。







解説



浄土宗の開祖である法然は


人間に対して、「罪悪深重の衆生」 「妄想顛倒の凡夫」 などという表記が数多く見られるように、まず自分を含めた衆生の愚かさや罪といったものへの深い絶望があり、そこから凡夫である衆生の救済への道を探り始めている・・・

  

とあるように肉体人間だけでは悟りどころかどうにもならないことを徹底して識った。
 
 
そこから初めて、神仏の存在や守護霊、守護神の助けがなければ救われない、幸せにはなれないことを悟る。
 
 
実は、
悟る とは難しいことではなく、このことが完全にわかったとき悟りへの第一歩が開かれたのではないかと思う。
 
 
人が幼き時代を懐かしく、幸せだったと想うのは父や母の大きな存在に守られ愛されていたことによる。
 

成長するに従い、身体は大きくなるが精神的に安心立命できないのは自分(肉体人間)よりもずっとずっと大きな存在に包まれているという気持ちがないからだ。

 
人は成長すると自分で何でも出来る、自分の力で生きて行けると錯覚する。
 
 
その錯覚から目が覚めるまではそれこそ
 夢の中 をさ迷う。
 
 
 
守護霊、神は目覚める日が来るまで、いつまでもいつまでも待っていてくれる。 







  





  



  

2007年11月28日 (水)

頭で考えないこと(以前書いたブログより)

 
今の私の課題は頭で考えないようにすることだ。

普通聴いたら
 「えっ」 と人は驚くかもしれない。

わかりやすく云えば頭で考えたことは不自然で、心から出たことは自然だと云える。

スピーチでもあらかじめ用意してきた通りに話す言葉は人の心を打たない。

どんな名文であったとしてもただの棒読みでは心がこもらないし、伝わらない。

だったら何も準備をしなければ良いのか?と云えばそうではなく、準備してきた内容をその時の雰囲気で、その場に合った自分の言葉で話すことが大切だ。

ブログを書いていていつも不思議に思うのは以前感動したことをそのままの気持ちで書いたつもりでも改めて読んでみると違うものになってしまっている。(感動しない)

その時の感動はその瞬間だけのものであって次の瞬間にはもう異物になっているのだ。

リアルタイムでなければ過去の残骸になっている。

だから過去はどうでもよい、よい過去であろうと悪い、嫌だった過去であろうと関係ない。

今が光輝いていればそれがなによりも素晴らしい。

頭で考えて出た言葉はフィルターがかかってくすんでしまっている。

くすんだ分だけずれて伝わってしまう。

人と人とのコミュニケーションがうまくいかないのは心で話していないからだ。
 

心で話せないときは何もしゃべらないほうがいい。







  

守護霊の声

 
私はあなたが暗く沈んでいる時、今まで以上に強い希望の光を投げかけている。
 
あなたが自分自身を傷つけ悲しみに浸っている時、すべては許されるのだという真理の光を送り、あなたに語りかけているのだ。
 
そして私の慈愛の光によって次第にあなたが真理に目覚めはじめ、その暗く果てしない入り組んだ道から脱け出してゆくあなたを見た時、私はあなた以上に天の神に感謝しているのだ。



解説



親の心子知らず、というように子どもは親のいうことを聞かない。
 
まるでわざと反発しているようにさえみえる。
 
それでも、肉体人間どうしであれば、言葉で伝えたりすることが出来るが、霊界からでは肉体側がよっぽど素直に耳を傾けているか、霊側がかなり強い光を放っていなければわからせることはできない。

それほど、目覚めさせることは難しいと云える。
 
過去の地球上においてもほんのわずかの人しか目覚めていない。
 
宇宙の神々は人間を目覚めさせるために協力し合っている。
 
現に今の地球にもアセンション(次元上昇)に伴ってたくさんの進化した星の宇宙人が見守り、協力してくれている。
 
そして私たち一人一人の心の中をずっと観察しているのだ。
 
だから真理に目覚めさせることは守護霊、神だけでは出来ない。
  
他の星や力を持った神々の協力が必要なのだ。

 
もちろんそんなことは肉体の人間には知る由もない。






    

2007年11月27日 (火)

地球という星(以前書いたブログより)

 
地球は太陽系のなかのごく小さな星で、他にも無数の星があって、もちろん太陽よりも大きい星がいくらでもある。

人は地球にだけ人類が住んでいて、他の星には誰も住んでいないと思っているが、とんでもない間違いである。

アメリカのハーバード大学ではUFOの研究をしていて、その(宇宙人の)存在を疑う人はいない。

私の子どもの頃にマグマ大使という番組をやっていて、ゴアという宇宙人が色んな怪獣を使って地球を襲ってきたが、実際の宇宙人はみんな友好的で地球の進化を望んでいる。

というのは、地球はこれから生まれ変わろうとしている。
 
幼い星からすこし大人の星になろうとしている。
 
宇宙が絶えず進化し続けているように地球も過渡期にきている。
 
ただその過渡期にはすごい変化を伴なうので人の意識がついていけない。
 

変化とは波動の変化で急に意識が変わったりとか見えないものが観えてきたりとか・・・
 
今までとは違う変化が現れる。

そこで宇宙人が変化についていけるようにいつも見守ってくれている。
 
地球人が出来るだけスムーズに移行できるように手伝ってくれている。


地球という星だけにこだわっているとそんな話は信じられないけど夜になって無数の星を見ているとそれが本当のように思えてくる。
 

自分のことや、物質的なことばかりにこだわっていると感性が鈍くなる。
 

地球という星を客観的に観てみるのも面白いかもしれない。




 
フォトンベルトの謎 渡辺 延朗 三五館








 






 

守護霊の声

 
あなたは常に幸せを願うのだ。
 
あなたは常に神の無限なる能力を信ずるのだ。
 
あなたは常に調和を愛するのだ。
 
私はあなたのその望みにむかって全精力を傾けて、その実現のためにわがエネルギーをフルにあなたの心の中に注ぎこんでいるのだ。
 
だが、あなたの望みが常に暗く悲しく絶望的であるならば、その方向にむかってわがエネルギーを注ぎ込むことは、不可能である。
 
あなたの考えが明るく積極的な希望に満ち溢れたものに変わるよう、エネルギーを注ぎこむのであるが、そのエネルギーの消費量は並大抵ではない。
 
もともと+(プラス)の考え方を更に+(プラス)の方向に導き、この世に実現可能にせしめることは、宇宙の法則通りに実に簡単で無駄なエネルギーを消失しないものであるが、-(マイナス)の思考を+(プラス)に方向転換させることは、前者の何万倍ものエネルギーが消失されるものである。
 
 
常にあなたの考えを+(プラス)の方向に向けて生きて下さい。




解説


よくプラス思考と云うが、何か自分に不都合なことや予期せぬことが起こったとき簡単にマイナスに落ち込んでしまう人が圧倒的に多い。
 
自分ではマイナスと思っていたことが実は長い目でみたらプラスであったことは枚挙に暇が無い、だったらその時にプラスに受け止められるかというとこれがなかなか難しい。
 
大げさかもしれないが、人生とはマイナスをすべて感謝で受けとめられるか?に尽きると思う。
 
これが出来た時点でその人にとってのマイナスは存在しない。
 
 
宇宙の法則に乗る とはプラスの波動にいかに自分の想念を合わせていくかである。
 
なぜならば、マイナスの想念、エネルギーは人間が勝手に創り出したものであり、宇宙には存在しないものだからである。
 
以前、私が失意で沈んでいる時、W先生に云って頂いたことがある。


「それは、プラスから出たマイナスですね」






  

2007年11月25日 (日)

守護霊(以前書いたブログより)

 
もし、自分が今死んでしまって、家族が残されたとする。
自分は死んだはずなのに意識はあって上から地上を見渡すことができる。
そして、これから起こることがすべて判る、家族だけでなく縁のある人すべての未来が手に取るように判る。
だが自分の肉体は無くなってしまったので肉声で伝えることが出来ない。

自分の子どもが今、道を渡ろうとしている。
トラックがスピードを出して近づいてきた。
このままでは轢かれてしまう。
上から一生懸命危ない、渡るなとメッセージを送る。
子どもはハッとして足を止める。(忘れ物を思い出させて引き返すように頭に働きかけることもある)
そして、目の前を猛スピードでトラックが通り過ぎていく。
私たちは気づかなくても日常茶飯事、守られている。


守護霊は祖先の悟った霊のことで、文字通り人間を守る為に存在している。
人は亡くなった後、守護霊になることもある。(悟りの段階で)
どんな人にも必ず2人はついていて、その人に必要なメッセージを常に送っている。
守護霊は仕事についても指導していて経営者や総理大臣など重要な役割を持っている人にはたくさんの守護霊がついている。

聖者はその存在を識っていて、守護霊と一体となって動く。
自分の我ではなく、直感のまま素直にメッセージを受け取る。

ほとんどの人は目に観えないものはないと思っている。
守護霊、守護神もいないと思っている。


目に観えないものを信じられる人は素直で幸せな人だ。

守護霊に感謝すると守護霊は守りやすくなる。







テレパシー(以前書いたブログより)

   
 ある日、電車に乗っていて改めて気づいたことは、携帯メールをしている人が多いなあ・・・だった。

若い人は一人だったらほとんどの人がしている。
 
もう見慣れて異様には感じなくなったが、打っている様子は余裕がないように映る。

なにかに追われているような・・・・

使っていない年配の人は静かに本を読んでいる。

宇宙人は、意思の伝達を言葉でも、文字でもなく、テレパシーでおこなう。
 
テレパシーは心と心の通じ合いで、一瞬で、相手の人の想っていることがわかる。
 
そして、遠く離れていてもわかり合える。
 
人も昔は五感(見る、聞く、かぐ、味わう、触れる)に頼っていない時は、テレパシーに近い感覚(直感、第六感)を持っていたが、ものに頼るようになってからは鈍ってきた。
 

宇宙人はなんでそんなものがいるのだろう?と不思議に思っているに違いない。



 

守護霊の声

 
頭のよくない人ほど中途半端な聞きかじりをし、自分の知識をひけらかしたがるものである。
頭がよくないから善悪の批判力が無くすべて受動的に自分に吸収してしまうため、その人の潜在意識の奥にすべてそれらの中途半端な知識は溜めこまれてしまう。
 
さて、本人が病気になったり、挫折したり、失敗したりした時、これらの中途半端な知識が次から次へと頭を擡げ(もたげ)はじめ、自分自身の下らない知識で自分自身をがんじがらめにしばりつけ、また、自分自身の暗い思考力で自分自身を暗示にかけてしまい、どうしようもなく救われがたき状態においこんでいってしまうのである。
 
浅はかというより他にいいようがない。
 
知識ならどんなものでも入れていいというものではない。
 
本来ならば自分の心が勇気づけられ、希望に満ち溢れ、生きることの幸せが鼓舞(こぶ)されるような知識なら徹底的に入れこめよ。

自分の心を暗く不安恐怖に陥らせる知識は意識して取り払うべきである。





解説


今迄の守護霊は何もわかっていない人間に対して優しかったが、ここでは少し怒っている。

 「いいかげん目覚めよ」 「同じ過ちを何度も繰り返すな!」 というような言い方になっている。

特に頭がよくないを何度も繰り返している。

一般に頭がいいとは、知識が多いとか、試験の点数の取り方を知っているがそうであるが、本当の頭がいい(利発)とは素直である、自分の本心に忠実であるという意味である。

テレビのクイズ番組でも問題が出題されているが無闇やたらに意味のない知識を多く持っている人を賞賛している。
 
神の目には愚かしく写るのであろう。
 
そしてその知識とは特定の人が多くの人を欺くために都合のよいように作られてたものなので役に立つどころか、邪魔になるものがほとんどである。
 
ネガティブなマイナスの知識、思考を頭に叩き込んだところで何になろう。
 
知識を詰め込むエネルギーを自分を磨く、意識を向上させることに使え!
 
自分の生命を生き生きさせよ!

と云っておられるように聴こえてくる。
 
厳しい文章ではあるが、私には愛のムチのように聴こえる。





  



    

2007年11月23日 (金)

縦書きと横書き(以前書いたブログより)

 
新聞や本は縦書きである。

横書きは見出しや箇条書きに適しているそうだ。

気持ちを伝えるにはやはり縦書きになる。

縦書きは心に浸透していく感覚がある。

パソコンで打った文章でもなぜか縦のほうが心に残る。

映画、「手紙」 のなかで罪を犯した兄に弟が書くワープロの文章もやはり縦書きだったそうだ。

なぜかというと人は天(上)からエネルギーを頂いて地球の中心(下)へ流している。

意識しているしていないに関わらずそうなっている。

だから縦のものに本能的に反応する。

だが、今書いているブログは横書きだ。

だったら気持ちや云いたいことが伝わらないかと云えばそんなことはない。

携帯メールであってもブログであっても必ず伝わる。

愛の波動はどんな形に変わろうとも必ず相手に伝わる。




 

守護霊の声

 
私は常にあなたに真理を語りつづけている。
 
あなたの心が全智全能の創造主と同じような強い力を握っているのだということを。
 
あなたは自分の心で、自分自身を幸せにも不幸せにもすることが出来るのだということを。
 
自分自身を、傷つけ暗く悲しいものだと思ったら、その通りの人生が展開されてゆくであろうということを。

そして自分自身を神の分け生命として認め、明るく大いなる希望をもってゆくならば、またその通りの人生が展開されてゆくであろうということを。
 
心はすべてのすべてである。
 
なぜならば、心は自分自身の運命の支配者であるからだ。


 
 
解説
 


W先生のレッスンを受けているとき、質問をされたことに対し頭で考えて答えを言うと
「今、どこで考えていましたか?」 と問われていた。

人間の本体は肉体や頭にあらず、心に在る。
 
ほとんどの人は心は肉体のなかにあって、肉体の消滅(死)をもって心も無くなると思っている。
 
実は、心が主で肉体が従なのだ。
 
従の肉体が無くなっても主である心が無くなることはない。
 
目にみえる世界は心のなかに描いた、イメージしたことを写し出す。
 
心はすべてのものを創り出す。
 
あなた自身は心そのものなのだ。
 
そして心は創造主の神そのものである。
 
心で考え、心で感じ、心から言葉を発するとそれは純粋な神そのものとなる。
 
どんな状況にあっても自分は神の分け生命であることを認めたならば、思い通りの運命を切り開いていくことが出来る。
 
 
進化していくとは、そのことが心でわかるようになることを言う。



  

 

2007年11月22日 (木)

相手を怒らせること

 
ちょっと危険?な言い回しかもしれないが、今のあなたに対して怒っている人がいるとしてもあなたには何の関係もない。
 
怒るという感情は相手の人が怒る火種を持っていて、それが何かに触れたとき爆発したことによる。
 
爆発させるか、抑えるか、プラスに受け取るかはその人の選択であって、あなたには関係ない。

 
というより感知してはいけないのだ。

 
 
意味もなく謝ったり、感情で返したりするとその人は人のせいにして自ら反省することや我に帰ることをしなくなる。
 
 
台風や嵐が時を経て去っていくように見守っているだけでいい。
 
 
その人が真理に気づくように心の中で祈ってあげればいい。 
 
 
無責任でも、冷たいのでもなんでもない。





 
 

真理を実践する

 
国の賢人、老子は自分が実践している、云っていることは常人、つまり、一般の人から理解されない、わからないと云われるくらいでないとダメだと云っている。
 
 
般若心経がほとんどの人に理解されていないように、あれは一番弟子である舎利ほつに説いた教えであって、そこまで意識が高くなければ理解できなくなっている。
 
 
ただ、肉体のその人はわかっていなくてもずっと奥の本体の自分はわかっているから写経をしたり読経をしたりしたら、意味はわからずとも心はわかっている。
 
 
すると意識には関係なく、すっきりした、さわやかな心境になってくるのだ。
 
 
だから、真理を実践していくこと、愛を貫いていくことは並大抵の忍耐ではない。 
 
 
愛は忍耐とW先生はおっしゃった。 
 

 
「忍とは心の上に刃と書きます。それくらい厳しいものなのです」・・・と
 
 
あまりにも厳しい、峻厳(しゅんげん)の愛である。 
 
 
でもその奥には暖かい無限の愛が流れている。 

 
そして、そこには本物の愛がある。
 







  

愛を貫くこと

 
本当の愛とは目先のことでなく、その人の魂を成長させることに注がれなければならない。
 
その場合、相手はほとんど理解できていない。
 
 
人は自分が理解できないことに反発し、怒り、避けようとする。
 
 
相手に好かれよう、受け入れられようと媚をうると本当の愛を貫くことは出来ない。
 
 
ただ、肉体のその人はわかっていなくても、潜在意識の奥の奥、その人の本体はわかっている。
 
 
そこだけ観ていればいい、肉体のその人がわからなくてもその人を守っている守護霊がわかってくれていればそれでいい。
 
 
生きている間もわからなくて、死んでしまって、魂、つまり心だけになったとき初めてわかるのかもしれない。
 
 
でも、それでいいんだ。
 
 
自分は本物の愛を与える為に生まれてきた。 
 
 
人の為とかでなく自分が愛を実践するために生まれてきた。 

 
そのことがわかって求める気持ちが段々薄れてきた・・・

 
優しい愛と峻厳な愛がわかってきた。 

 
どちらが正しい愛とは限らない。 
 
 
自分の中を愛でいっぱいにしていればどちらの愛が必要かは自ずとわかってくる。

 
いつも愛深い自分でありますように・・・







毒リンゴ(以前書いたブログより)

 
最近つくづく、言葉の威力ってすごいなあと思う。
 
特に相手の人をネガティブにさせるエネルギーには驚かされる。
 
油断していると一気に自分のなかに入ってくる。

今日、ある人に 
「おまえの言うことは信用できない」 と言われた。
 
言われた私はショックを受けて過去を振り返る。
 
何か信用をなくすことをしたかなあ?あの時のことかなあ?・・・と
 
思い当たるふしがなくても自分は信用されていないと思ってしまう。
 
そして、自分は人に信用されない、自分はダメな奴だと思い込んで、ダメな自分が本当の自分だと信じてしまう。
 

だから惑わされてはいけない。
 
毒りんごをもらっても決して食べてはいけない。
 
まして、人に毒りんごを渡しては絶対にいけない。
 


反対に、「私はあなたを信用しているよ」と言ってあげたらどうだろう?

全然ちがうエネルギーが流れて地上に天国が訪れる。




   
  

守護霊の声

 
あなたが私から離れてどこへ逃げようとも、隠れようとも、またどんな罵詈雑言(ばりぞうごん)をあびせかけようとも、それでもなお私は常にあなたの側を離れず、怪我がないよう、苦しまないよう、痛まないよう、見守りつづけているだけである。
 
私はあなたに嫌われていても、それでも尚あなたが愛(いと)しいし、愛しつづけているのである。



解説


普通人を愛する場合、自分の子どもであったり、親戚や友達など自分のことを理解してくれる、愛してくれる人に限定されている。
 
 
そして、そんな人たちであっても裏切られたり、自分に不都合なことがあると手のヒラを返したように憎み始める。
 
 
最初に愛した分の反動が大きくて
、「かわいさ余って憎さ百倍」 になり自分も苦しむことになる。

 
本当の愛は相手の反応には関係なく、どんな状況、状態でも愛しつづける。

 
この愛の深さは並大抵なことではなく。

 
身内であるとか可愛いからとかそんな半端なものではない。

 
太陽は光を注いでくれても何の見返りも求めない。
 
 
その他の自然も、植物も動物も鉱物、周りにあるすべてのものは決して求めない。
 
 
守護霊、守護神は無条件の本物の愛を四六時中、私たちに注いでくれている。




 

  

2007年11月21日 (水)

人は受信器(以前書いたブログより)

 
ラジオは聴きたい番組があれば、放送局から発している周波数に合わせると電波をキャッチして、聴くことができます。
 
テレビも同じです。
 
人はラジオやテレビと同じように受信機(器)です。
 
ただ、違うところはテレビがNHKにチャンネルを合わすと他の番組は写らないのに対し、人には色んな番組が入ってきて頭のなかを駆け巡ります。
 
真面目なことを考えていたかと思えば次の瞬間、みだらなことを考えていたり・・・
 
午前中は気分が良くて、僕は幸せだなあと思っていたのに、午後は、昨日の嫌な出来事を思い出して腹を立てたり考え込んだり頭のなかはいつも大忙しです。
 
先日、人は波動体であると述べましたが、人と人は発している波動、つまりエネルギーが影響し合って自分の中に人の思いが入って(写って)くるのです。
 
人ゴミのなかに入るとたくさんの人の影響を受けるので、疲れます。
 
群集心理(ぐんしゅうしんり)とは、たくさんの人の波動を受けて自分の考えが大勢の人達の考えに変わることをいいます。


1000人の人がマイナスのネガティブな考えを持っていたとしたら、そこは何かどんよりとした暗いイメージの場所となりますが、一人でも、強いプラスのエネルギーを放っている人がいれば、そこは温かい明るい場所になります。
 
マイナスのエネルギーは有限ですが、プラスのエネルギーは無限なのでそこを浄化することができるのです。
 
プラスのエネルギーは宇宙のエネルギーであり、マイナスのエネルギーは人間の想念が作ったものだそうです。
 
自分のエネルギーをプラスにするとそれに共鳴してよい人が集まってきて、良いことが起こるようになります。

宇宙と共鳴してプラスの波動を出すことを、宇宙法則に乗る といいます。





  

守護霊の声

 
すべてを見知っている私の前ですら未だ嘘、偽りでもって自分を覆いつくし、隠しだてをするつもりなのか。情けない。
私はすべてを許そうと思っているのに。
私は大神様(宇宙の法則)から絶対なる権限を与えられている。
あなたのすべてをゆるし、あなたのすべてを愛するのが私の働きである。



解説
 


昔は悪いことをすると祖母などから 「誰も見ていないと思っていてもお天道様がちゃんと見ているよ」 と云われ、戒められた。
 
お天道様とは太陽のことだけど神様でもあり宇宙の法則でもあり、守護霊でもあり、そして自分自身でもある。
 
話が少しややこしくなりそうだが、例えば客観的に少し離れたところから自分を観るということをイメージしてみると自分を見守っている守護霊と同じ視点に立てる。
 
実は太陽も神様も宇宙も自分と一体なのだ。
 
一体でわからなければすべては一つに繋がっている。
 
だから自分の行為を責めることも、人を責めることも違う。
 
自分を責めるとは絶対者を責めることと同じなんだ。
 
自分や人間の偉大さに気づいたとき無条件の愛で満たされていることがわかる。








 
 








   
 

2007年11月20日 (火)

父親は子どもにどう対したらいいか?



1.口で説教してもだめ (意識がそこまでいってないと)
 
2.子どもの話を聴く (自分の考えを押しつけるのではなく)
 
3.判らすのではなく、判るまで待つ (時期を)
 
4.叱る(怒る)のは奥さんに任す
 
5.褒めることを無理にでも探す、なければ黙る
 
6.子どものことは置いといて、まず、自分のことをしっかりする
  
7.子どもを変えようとするのではなく、自分が変わる
 
8.聞いてくるまでしゃべらない (無駄なアドバイスはしない)
 
9.言えばいうほど反発する (しつこく云わない)


 

私たちの本質は霊体(以前のブログより)

  
私たちの祖先は、けっして物質偏重の価値観を持っていたわけではありません。
 
むしろ、大昔の人々は、霊的な感受性に優れていました。
 
古代の人は自然現象やことばといった目に見えないものに霊的な存在を見出していましたし、世の中のすべてのものに魂が宿っていると認識していました。
 
それと霊的交流をして感動を覚えていたのです。
 
しかし、今の時代はこの感動を失い、ものがすべてであると考え、お金や地位といった物質社会における価値観にとらわれるようになってしまいました。
 
とはいえ、少し発想を変えるだけで、たとえ物質世界に生きていても、物質を超えた価値観を持って生きることができるのです。
 
それにはどうすればいいかというと、次のように悟ることです。
 
「私たちの本質は『肉体』ではない。
 
私たちの本質は『霊体』である」
 
つまり私たち自身においてもっとも重要なのは、形ある「肉体」ではなく、形のない魂や精神である「霊体」であるということです。

 
すなわち私たちの実在は見えない「心」であるということです。・・・







  

守護霊の声

 
出来うる限り明るく陽気に振るまいなさい。




解説

 
夜明け前が一番暗いという。
 
明るくなっていく、善くなっていく直前は、お先真っ暗でにっちもさっちもいかないと思ってしまう。
 
だが、どんなときも楽観的に必ず善くなる、大丈夫、大丈夫と心の中で唱えているとその通りよくなっていく。
 

反対にもうダメだと諦めるとやはりその通りになってしまう。 

 
心の中の心境が外へ現れるのだ。 
 
 
守護霊は心の中の想いを外に現わすことが出来る。 
  
 
そして、ネガティブな考えを夢に出させて、具現化するのを消す役目もしている。
 
 
私たち肉体人間に災難が及ばないようにいつも見守ってくれている。
 
 
守護霊、神と一緒に明るく、陽気に振るまえば、災難と共鳴することはない。






 
  

イメージすることの大切さ

 
「君の周りを見てごらん。神様がつくったもの以外、すべてだれかがイメージしたものばかりなんだよ。イメージしなくちゃ、形はつくれないんだよ。「イメージの力」こそ、神様が人間に与えてくれた最大の能力なんだよ。だから、自分の将来をイメージしようよ。こんなふうになりたいって。夢を持とうよ。夢のない人生なんてつまらないよ」


今の人はイメージすることがへただと云う。
夢を持つこととイメージを描くことは同じことなのかもしれない。
心のなかで描いたイメージは外に出ようとするんだ。
未来は描いたキャンパスの通りにやって来る。
宇宙の法則は驚くほどシンプルなんだ。
さあ、イメージしてみよう、絵に描いてみよう♪



   思いをカタチに変えよ! 渡邉 美樹 PHP








  

2007年11月19日 (月)

アラジンと魔法のランプ

 
アラジン
ディズニー映画。傑作。
 
魔法のランプの精に 
「三つのお願いをしていい」 といわれるアラジン。

ひとつは王子にひとつは偶然命乞いに、最後は流れからして当然「王様に」の場面に、彼はランプの精の自由を願う。
 
その瞬間、鳥肌が立つほどの感動を覚える。
 
自分を振り返ったとき、主語が 
「  」 でない願いをかけられるか大いに不安あり。
 
他人のために祈ることの美しさを知る。


今、読んでいる本の一説ですが、人はどんなときに感動するのだろうと振り返ってみたとき、それは自分を滅して、無くして人の幸せを想ったときであると気づく。
 
私は日頃、世界の平和を祈っているが、改めて素晴らしい祈りごとだと思う。
 

      世界人類が平和でありますように







   
思いをカタチに変えよ! 渡邉 美樹 PHP








   

木鶏(もっけい)双葉山の心

 
昭和十四年の一月場所四日目。
 
安芸ノ海に敗れ、横綱双葉山の連勝はついに69で途絶えた。
 
ほどなく、外遊で航海の途のあった心の師、安岡正篤氏に電報を打っている。
 
「イマダ モッケイタリエズ フタバ」モッケイとは、中国の「荘子」や「列子」の寓話(ぐうわ)に出てくる木鶏のこと。
 
かつて安岡氏から聞いた話として、双葉山は「修行中の私の魂につよく印象づけられた」と自署「相撲求道録」に記している。
 
闘鶏使いの名人が王に頼まれ、鶏を育て始める。
 
十日が過ぎ、「もう使えるか」と催促されると、「空威張りの最中で駄目です」。
 
その十日後は「敵に興奮します」、

さらに十日たっても「敵を見下します」。
 
それから十日、ようやく完成の域に達したと告げる。
 
「どうにかよろしい。いかなる敵にも無心です。ちょっとみると、木鶏のようです。徳が充実しました」
 
双葉山は木鶏を究極の姿に置き、敗れて道半ばの己を自覚したようだ。
 
前年の中国北部への巡業中にアメーバ赤痢にかかり、体が衰弱していたのだが、そんなことは枝葉にすぎないといわんばかりの回想である。





  

よく考えて行動・・・


「よく考えて行動しなさい」 は正しいと普通思うが、実は違っている。

この場合考えるのが先で行動が後になる。
 
つまり頭が主導している。
 
それに対し、心が主導になると考えることよりも行動が先になる。
 
何も考えずに行動したらそれが自然な、素晴らしい行為であったという状態である。
  
例えば、電車に乗って座席に座っていてお年寄りや身体が不自由な人が入ってきたとき、考えるよりも先に席を立っている。
 
それは、その人の優しさが行動に現れたことによる。
 
しかし、頭で考えて 
「あっ、お年寄りだ、席を立たないとまずいだろうなぁ、周りの人は冷たい奴だと思うだろうなぁ」 と思っていたらもうその行為は汚れてしまっている。(勿論、知らん振りをするよりずっとよいが・・・)
 
愛とよばれる行為も見返りを求めない美しい行為は自分も相手も浄っていく。
 
 
でも、悲しいかな、人は考えていく間に想念がどんどん汚れていくのだ。
 

だから考えるよりも先に自分の心をスッキリ、そして愛で溢れさせていることが大切になってくる。 
 
この状態を保つこと、それは並大抵の努力では出来ない。
 
はっきり云って肉体人間のそして、自分の努力では絶対に出来ない。
 
色んな偉い人が悟りを開こうと努力してきた、厳しい修行もしてきた。
 
だがどうしても出来なかった。 
 
それは自分の我でやろうとしたから、肉体の自分だけでやろうとしたから・・・

守護霊、神は肉体人間のもろさ、儚さをよく識っている。

だから、守るため、助けるために存在している。
 
 
とっさの行動で助けてくれているのは実は、守護霊、神なのだ。




 





 

守護霊の声

 
人の悪を聞くために耳があるのではない。
 
人の悪を語るために口があるのではない。
 
人の悪しき姿を見るために目がついているのではない。



解説 

これは死んだおじいさん、おばあさんが孫への戒め、躾のために云った言葉のように思えてならない。心にグサッと突き刺さるような言葉だ。
 
人の悪口を聞いたときの嫌な気分はなんともいえない、そして、つい悪口を云ってしまった後味も、見るものも、人の姿に腹が立ったときなどは不謹慎かもしれないが見えなかったらよかったのになんて思ってしまう。
 
これらの3つのことは自分の心の中がスッキリしていなくてイライラしているときなどに聞こえてきたり口に出たり、目についたりする。
 
つまり自分の心の中の鏡が悪を聞いてしまい、口に出て、見えてしまう。  
 
共鳴するのだ。   
 
自分の心の中に一瞬、入ってしまうのは致し方ない。 
 
人の身体は受信器なので色んな人の想いをキャッチしてしまう。  
 
そのとき、出来るだけ早く、不調和なエネルギーを出してしまうことが大切だ。 
 
それをしないかぎりは四六時中、悪と共にいなければならなくなる。
 
悪から、バリアを張って防いでくれるのは云うまでもなく、守護霊、守護神だ。
 








2007年11月17日 (土)

老子のいう無為をなすとは・・・2

 
無為を為し、空になり、全托の境地になりますと、肉体頭脳と奥深い大宇宙の根源の心、つまり宇宙のみ心が一つにすっきりとつながりまして、宇宙の智慧や能力が、そのまま肉体頭脳の智慧能力となってまいりまして、超越的な力を発揮してくるのです。
 
聖人とか達人とかいう人たちは、皆こうした超越能力をもっていたのであります。
 
それ程にならぬとも、人間が真剣に物事にぶつかった時には、瞬間的に想念が統一して、日頃は出もしない力がでてきたり、超越した能力がでたりしてくるのです。
 
これも無為や空の境地に瞬間だけでもなったことになります。
 
地球人間がいつまでも宇宙の法則に乗らずにいたら、いつかは滅び去ってしまいます。
 
ですから、出来るも出来ぬもない、絶対に宇宙法則に乗らねばならぬ時がくるのです。
 
その為に古来から各聖者が肉体頭脳の小智才覚に溺れずに、奥深い神のみ心に波長を合わせろと説きつづけていたのであります。



         
                      おしまい






 







  

老子のいう無為になすとは・・・1

  
無為とは一言にして申しますと、為にしない、ということなのです。何をしよう、かにをしよう、というように、肉体人間の頭脳でとやかく想いめぐらさないことが無為なのです。
  
そう致しますと、無為を為すとは一体どんなことをするのかという疑問が当然起こってまいります。
 
頭脳で考えないで一体なにができるのであろう、普通の人はこう考えるのが当たり前であります。
 
ここが凡夫と聖者との違いであり、道に乗った人と外れている人との相違なのであります。
 
凡夫は当然のように、この肉体をもった人間を、唯一無二の人間と想っています。
 
しかし聖人は、人間とは生命そのものであって、肉体は一つの生命の道具であり、生命の現れる一つの場所であることを知っています。
 
それは頭で知っているのではなく、事実として承知しているのです。
 
そして自己という一つの生命の流れは、奥深いところから、浅い狭いところまで、無限の段階において働きつづけていることも知っているのであります。
 
ですから、浅い狭い肉体頭脳という場所だけを駆け巡っているような想念や知識をいくら振りまわしていても、大宇宙の法則に乗り切ることはできない。
 
大宇宙の法則に乗って生きてゆかなければ、この狭い肉体世界での生き方さえ正しく行じてはゆけない。と自らの体験で昔からの聖者たちは知っていたのです。
 
そこで、老子は無為と説き、釈尊(お釈迦様)は空(くう)と説き、イエスは神のみ心のごとく、といって全托と説いていたのであります。
 

               つづく






   

守護霊の声

 
1.私は肉体を持ちあわせていないので常にあなたの心の内部に働きかけ、内部の力を増し、調(ととの)わせ、そのエネルギーを外界に現わし、そして出来るだけあなたの思うようになるよう、成就するよういたらしめているのである。


解説

 
人は死ぬと魂、つまり心だけが残る。
 
私たちの住んでいる世界は3次元、死後は幽界や霊界という異次元へいく。
 
だが、霊界へはらせん状に繋がっていて隣り合わせのところにあるのだ。
  
肉体人間では将来の未来の出来事が、少し先(予知能力)のことがわからない。
 
守護霊は霊界にいて、未来のことを熟知しており、子孫に対して助けの信号を送り続けている。

守護霊は一人の人間に少なくとも二人は付いていて、そのうちの一人は仕事等がうまくいくよう見守っている。
 
この直感や閃き(ひらめき)は守護霊からのメッセッージに他ならない。
 
そして、心の中で思ったことが外に現れる。
 
宇宙の法則として、心が調わないと外(肉体界)に形として現れないようになっている。
 
 
守護霊はそのことを識っていて絶えず私たちを調えるために働き続けてくれている。





 







  

2007年11月16日 (金)

天職とは?(過去のブログより)

 
天職とは何でしょう。
その前に、まず職を得るとは、どういうことでしょうか。
人に雇われて働くということですから、まず自由が束縛されます。
好きな時にデートすることも出来ません。
人から命令されて動かされ、自由に時間を使うことが許されません。
時間が制限されるばかりではありません。
いやな人とも付き合わなければならなくなります。
いやな上司とも、適当にうまくやっていかなければなりません。
ですから働くということは、自分の思ったとおりに好きなことが出来ないし、対人関係からも逃れられません。
働くということはまずそこから始まるものなのです。
真に働くということが判らなければ、自分にふさわしい職を求めようとしても、見つからないものなのです。・・・天職とは、人のために貢献することです。
自分の命を、自分の働きを、自分のすべてを人類のために生かすのです。
そのために利己的な生き方、わがままな生き方、自分を通そうとする生き方を限りなく滅していくのです。
それが天職です。
キリスト教でも、ミッションを与えられる時に、「お前はアフリカで伝道してこい」 「いいえ、アフリカはいやです。アメリカがいいです。
芸術もあるし、文化もあるし」と言ったのでは、これはミッションではありません。
「行け」と言われれば、どこであろうと人々を救うために一生を捧げて働くのです。
本当に人のためになることは幸せとなり、喜びとなります。
本当の天職というのは、人のために役立つことです。
そうすれば、自分が人から必要とされるようになります。
ですから、主婦も立派な天職です。
普通のサラリーマンも立派な天職です。
相手と調和して、互いの長所を導き出して、昇華していく。
毎日、毎月、毎年、立派になっていく。
自分のことはあとまわしにして相手のために生きてこそ、最後に天職に到達できるのです。
初めから努力や忍耐をいとい、時間を奪われたり人から命令されたりすることを拒んで、天職を探すとか、自分に適した職業に就こうというのは、まったくナンセンスです。


                            
                     
西園寺 昌美さんの手記より







   







  

守護霊の声

 
1.自己の希望を実現しえないで人生を終わってしまう人の何と多いことか。
彼らは私の存在を少しも認めようとはしなかった。
私はどんな時でさえも常に彼らの側にあり、彼らの望みを達成し得んが為に彼らを見守り導いてきたつもりでいる。
希望の成就は肉体個人一人で出来るものではない。
常に守護霊、守護神と共に歩んでこそ成就する路なのだ。
それが真実の人生の路なのだ。



解説
 

人は潜在能力の万分の一も出していないという。
 
それは自分の存在を肉体だけだと限定しているので肉体人間としての力しか出ないのだ。
 
ところが人は同時に幽界、霊界、神界にも存在している。
 
そう、目にみえない霊力が使われていないのだ。
 
霊力を整えてそのエネルギーを外界に出してくれるのは守護霊、神である。
 
一般的にも何か物事を成し遂げようとする時、誰かの協力や助けを必要とする。
 
守護霊、神は、全知全能の強力な助っ人だと思えばいい。
 
過去に於いて、偉業を成し遂げた賢人たちは常に守護霊、守護神と共に歩んでいた。





   
    

2007年11月15日 (木)

蓮(はす)の花

 
蓮の花の下は泥水で濁り汚れている。
 
しかし、蓮の花はそんな中にあっても見事に綺麗な花を咲かせている。
 
蓮がお釈迦様の花と云われているのは、お釈迦様も人間の心が乱れていたインドに於いて真理を説き、人々を苦しみから救ったことによる。
 
どれだけ周りが汚れていても輝き続けることが素晴らしい。
 
お釈迦様の心は生き続けていて、今でも宇宙で尊敬されているのはあの状況に於いて真理を説き続けキリストと並び地球の進化に大きな貢献をしたからだそうだ。
 
今の地球もとことん汚れまくっている。

もしかしたら、お釈迦様が居られたインドどころではないかもしれない。
 
私たちの心は蓮の花の下の泥水のように汚れてしまう。
 
だが、それでも輝き続けなければならない。
 
どれだけ汚れても人や全てのものを愛し続けなければならない。
 
 
愛するときれいな心になる。

 
きれいになるとまた、余計に泥水をかぶる。

 
その繰り返しをしながら本当の輝きになってくる。
 

輝きは愛の深さに比例する。






  

神のみち

 
人はよく、
「自分は神様じゃないんだから無理だ」 とか、「人間だからしょうがないよ」 と言い訳をする。
 
だが、自分と他の人が心で繋がっていて一つであるように、人と神様も一体である。
 
 
今日、テレビでお医者さんと患者さんとの会話があった。
 
そこで医者は人間の身体の中の神経について説明していた。
 
人間の身体はなんて神秘的で繊細で美しいんだろうと私は、ふと感動していた。
 
人間の身体には神経が通っている。
 
この神経は神の経(みち)と書く。
 
そして今気づいたが、神秘的の神秘も神が伴っている。
 
人間はたった一人孤独に生きている人も決して一人ではない。
 
いつも神様と一緒に生きている。
 
だから人間は一人でも強く生きて行ける。
 
星は誰にも依存せず輝いている。
 
けれど他の星と調和が取れていなければバランスが崩れてしまう。
 
人も星もバランスを保ちながら進化する。

そして、人も星も神様と一緒に永遠に輝き続ける。






  








  

宇宙の進化

 
宇宙はどうやって進化し続けていくのか?
 
それは融合と分離の繰り返しをしている。
 
一つになったり、別れたり。
 
皮肉なことに人間の男女も気持ちや身体が一つになったり、離婚も含めて別れたりしている。
 
そして、その繰り返しをすることで愛を学んでいく。
 
最初は自分勝手な自己愛が人を想い遣る愛となり、そして見返りを求めない美しいチャリティーの愛へと進化していく。
 
だが、愛の深さは留まることをせず無限の進歩をしていく。
 
私たちが今、地球に住んでいるその目的は愛を学んでいくことに尽きる。
 
肉体の人間は100年もすれば無くなっていくが最後に残るものは愛の心だけ。
 
それだけを持って幽界、霊界、そして神に世界である神界へと昇っていく。

 
今、私たちが日常で経験していること、それはすべて愛を実践し表現していく為にある。







  

愛(以前書いたブログより)


宇宙は無限の愛にあふれています。
 
宇宙からはプラスのエネルギーが降り注いできます。
 
宇宙の波動に合わせると安心したり、幸せな気持ちになってきます。
 
宇宙はすべてのものを私たちに無償で与えてくれます。
 
昔の人は宇宙の神秘を神と呼びました。
 
神は愛であり、愛は神である。
 
かー
、みー のばすと神はになります。

ことばって不思議ですね。 





 

守護霊の声

 

 
1.相手を解放してあげると自己の束縛から解放される。





解説 
 

短い文だけどすごく深い意味がある。
 
自分と相手は別々に存在していると思っているけど、実は海や空がすべて一つに繋がっているように人の心は一つの光から放たれている。


感動するとは、別々だと想っていた心が一つになって魂が喜こぶことです。
  

感動する瞬間(とき)って心が温かくなってなんともいえず幸せな気持ちになりますよね。
 
 
だから、相手を解放、自由にしてあげると繋がっている自分に返ってくる。
 
 
人は縛られたり、束縛されたり、強要されることを最も嫌う。
 
 
いつも自由でいたい。 
 
 
相手を大きな包容力で受け入れる、あの海や空のように・・・
 
 

それが本当の愛なのかもしれませんね。







 

2007年11月14日 (水)

気とは?(以前書いたブログより)

 
天気、元気、勇気、陽気、気象、気性、、気づき、気がする、気持ち、気丈、電気、気配、気さく、気配り、etc・・・私たちは毎日、気に関わって生きています。
 
気は人の状態や様子を表し、又エネルギーを表します。

う先生は新しい本のなかで気功とは何か?とのインタビューでこう答えておられます。
 

幽気、霊気、神気の気の働きである。
日本語の「気を付けては」は英語で「Good bye」=「God by you」であり、スペイン語で「Adio's」の dio's は神の意味である。「気」とは神の意味である。


つまり、気とはエネルギーであり、神(宇宙を創造、すべての根源)である。
 
神というと判らなくなりますが、私は、私たち人間や宇宙、星、気象、自然すべてのものを創っている根源だと理解しています。
 
気(エネルギー)は天から人間の肉体に入ってきて身体に流れます。
 
神経とは神のみち(経)という意味だそうです。
 
漢字をつくったひと?はこのことを識(し)っていたのですね。
 
大事なことは目に観えない気を整えることで目に見えることが整ってくるのです。
 
この気を整えることが大切です。

私の気功の先生であるう先生が素晴らしい本を出されました。
調和波動気功のことがわかりやすく書かれています。
紀伊国屋書店、ジュンク堂、その他の書店で発売されています。



無限なる癒し宇宙からの贈り物 メソッド&メッセージ 
                          う 寿明 星湖舎







  



神様、仏様、稲尾様

 
神様や仏様を生きている人に使うのはどうなのかは別にして、過去に野球において一世を風びした稲尾さんが亡くなった。
 
私は野球が大好きだったので稲尾さんの死は感慨深い。
 
今日、スポーツ紙を読んでいて面白い記事を見つけた。
 
それは日本一を決めるシリーズにおいて長島茂雄と対戦したとき(稲尾はピッチャー)
稲尾は絶対に打たれるはずがない自信を持って投げた球を信じられないホーム(形)で打たれた。
 
その時、稲尾は思った。
 

「長島は何も考えていない」・・・と
 

頭で考えている人間は、考えていない、つまり無、空になった人間には絶対にかなわない。
 
直感的に悟った稲尾は自分も無になるべく、ノーサインでボールを投げた。
 
こうして、その後の対戦を勝つことが出来た。
 
これは普通の人では理解できないかもしれない。

 
勝負の面白さ、深さはこんなことに現れる。


そして、その深さが人々の感動を呼ぶ。








 







   

死んだ人は生きている。

 
死んだ人は影も形も無くなってしまうのか?
 
どこか他の世界へ行ってしまうのか?
 
見守ってくれているのか?
 
素朴な疑問だと思います。
 
この間、同じ先生に気功を習っている人が言っておられた。(Aさんとする)
 
その人には妹さんがいた。
 
何年か前に亡くなったらしい。
 
その妹さんがあるときAさんの袖を引っぱったそうだ。
 
その引っぱりかたが以前の妹さんの引っぱりかたにそっくりだったらしい。
 
そのとき、Aさんは 
「妹は生きてる」 と実感したそうだ。
 
私たちはしばしば気配を感じることがある。
 
人がいるはずがないのにそこにいるような、そんな気配を・・・
 
目に見えるものに惑わされずにそっと目を閉じて気持ちを静めていくと守護霊や亡くなった人が語り掛けてくれているのがわかる。
 
これから感じるのではなく、わかる人が増えてくる。
 
本当のことは五感で感じるのではなく、心でわかるということ。
 
 
五感を超えないと本当の世界はわからない。







 

2007年11月13日 (火)

切り札(以前書いたブログより)

  
どんなに一生懸命仕事をしていても色んなことにガンバッテいても他人が評価してくれるとは限らないそれどころか強烈な批判を受けることがあります。
 
その時に相手に怒りをぶつけても何の解決にもなりません。
 
そして誰かがなぐさめてくれたとしても心は晴れません。
 
本当に自分を癒せるのは自分自身です。
 
私は対人関係で精神的にまいったとき切り札にしている釈尊(お釈迦様)の言葉があります。
 
昨日もこれで乗り切りました。
 


「沈黙しているものも非難され、多くを語るのも非難され、少しを語るのも非難される。世に非難されない者はいない。」


 
自分の信念やこころざしを持っている人は他人から理解されにくいものです。
 
人に分かってもらおうとしない、他人に期待しないことが大事ですね。






  





  

守護霊の声

 
 
あなたの希望を実現する場合、まだこの世の中に何の手ががりも見出せず、皆目何も無いところから全く新しい希望、この世に打ち出すそのきっかけを創造(つく)り出すのは、いうまでもないこの私である。
  
常に私の存在を忘れず私の名を呼びなさい。守護霊、守護神同士でお互いに交流し合うからである。






解説
 


解説する必要がないくらい素晴らしい心を打たれる文章で、私はこれを読んだときいつも感動する。
 
過去において、天才と呼ばれたり偉人、賢人と云われた人は皆、素直に心の声を聴いていた。
 
周りに惑わされたり振りまわされることなく天の声、すなわち守護霊、守護神と交流していたのだ。
 
不思議なことに自分が自分の守護霊と対話できるようになると相手の人の守護霊と交流できるようになる。
 
それもお互いの守護霊同士で話し合いをしてくれるのだ。
 
だから肉体人間同士が逢った時にはすでに話し合いは終わっている。
 
自分は大したことはしていないのに物事が不思議とトントン拍子に行っているときは必ず守護霊の助けがある。
  
人生経験を積んだ味わい深い人が謙虚に、 
「誰かに助けられているような気がする」 「私は、守られている」 と云っているのは、背後で見守ってくれている守護霊の存在を感じているのだと思う。
 
守護霊、神はいっている。
 
私の存在を忘れず私の名を呼びなさい・・・と。
 
それだけでずっと以前より、あなたは守られやすくなる。










  

2007年11月12日 (月)

去年書いたブログより・・・



アインシュタインは相対性理論が有名ですが、私には難しいことはよく判りません。
ただ、ある書物で宇宙観を述べた文章が私の心を打ちました。ご紹介します。



「人間は宇宙と呼ばれる全体を構成する一部であるが時間と空間の枠に閉じ込められているために独立した自分が考えたり感じたりするものと理解する。この理解は想念に生じた一種の幻像であって、我々の意識に対して牢獄のような作用をし、我々を自分の欲していることにのみに気を配ったり、身近の人々のみ愛情をそそぐようにしてしまう。
我々の使命は自分の意識をこの牢獄から解放し、すべての生物やすべての自然をあるがままの美しさで抱擁するまで自分の愛念の及ぶ範囲を拡げることである。これは非常に難しい仕事で誰にも成就できないがその努力は自分を解放する道を歩むことであり、心の落ち着きをつちかうことである。」



私たちは自分と他人は別々に存在していていると信じて、対立したり、争ったりしていますが、本当は空が一つであるように意識(こころ)もつながっていて一つなんですね。
 
 
私たちが何かに感動する時、こころが一つになって目にみえない宇宙のエネルギーが動きだす。
 
 
私たちが忘れて眠っていた遺伝子が目覚めて喜んでいるのですね。
 

これから地球は分離の時代から融合の時代へと変化していきます。

 
宇宙はこの分離と融合の繰り返しで進化しているそうです。

 
素晴らしい時代がもうすぐ来ます。楽しみですね。♪







  






 

本当の善いこと

 
肉体人間にとっての善いこととはお金が入った、異性にモテた、いい大学、会社に入れた、子供が生まれた、家を買った、等目に見える現象的なことだと思う。
 
だが、人間は何回も輪廻転生していて前世で男も女も金持ちも貧乏も病気も人殺しも国王も乞食もあらゆることを経験している。
 
だから今、どんな状況であったとしてもその一部にしか過ぎないので取るに足ることではない。
 
一喜一憂するのではなく人間にとって何が一番大切か?本当の幸せとは何か?
人として基盤となるものは何か?をつかまないことにはただ何となくの惰性の生活を送ることになる。
 
 
人は肉体人間が本体ではない。
 
肉体を剥ぎ取った目にみえない魂、心が本当の自分である。
 
だから人間の本当の幸せとは心の浄化、浄っていくことに尽きる。
 
肉体を纏って身に付いてしまった心の汚れを綺麗に拭い去っていくこと。
 
それをし続けることが永遠の生命にとって一番大切なことだと云える。
 
肉体や目に見えるものは虚像なのでいつかは儚く消えていく。
 
永遠に生き続ける生命を磨くことを一番に考えよう。
 
そうすれば目に見える3次元は時期をみて自然と整ってくる。







  

我に帰る

 
我に帰るとは迷いの世界から本当の自分へ戻ることをいう。
 
罪を犯した犯人を吐かせるときに刑事がお母さんや故郷の話をして諭すのも本心に訴えるという意味がある。
 
人の心、本心は業想念(ごうそうねん)で覆われてしまっている。
 
業想念とは仏教用語だが、キリスト教ではカルマと言われ人間を苦しめ、悩ませる元凶である。
 
我に帰るときは守護霊や守護神がこれではいけないというときに他の人を使って諭す方法と業を消すために強烈な光を与える場合がある。
 
その時、人は急に宗教心に目覚めたり、その人に役立つ事に興味を持ち始めるという。
 
そしてそれでも光が届かない場合は幽界への移行、つまり急死の状態になる。
 
いづれにしても本人にとって一番よい方法が取られる。
 
だから、人の死は肉体界から幽界への旅立ちであって悲しむことではない。
 
肉体が無くなっても魂、心は生き続ける。
 
往生とは幽界への移行をいう。

 
往生は生きて往くと書く。





  




   

守護霊の声

  
あなたの内部の奥にじっとひそんで隠されている部分、秘密、嘘、葛藤、情欲・・・・それらのすべてを私は知っている。
私の前には何の隠しだても無用である。
ただ裸になることだ。
私にとっては肉体人間の弱さなどは百も承知の上だ。
だからこそ私というものが必要なのだ。
私の支えを必要とするのだ。
朝な夕なに私の名を呼びなさい。





解説

自分はピュアだなぁと好きになれる部分と何て情けない、不純なことを考えているんだろうと自分を責める部分がある。

私の頭の中はいったいどうなっているのか?一度心の中を覗いてみたいような・・・
 
実は自分の考え、思っていることのほとんどは人(他人)の思っていることが入って来て自分の想いだと思っている。
 
話がややこしいが例えば、ネガティブな人がたくさんいる中に自分が入っていくと気が重くなる。
 
逆に明るいポジティブな人の集まりだと気が軽くなる。
 
これは人が出している波動(オーラでもいい)によって影響を受けていることを意味している。
 
だから、頭で思っていることは本当の自分ではないと判断した方がいい。
 
上記の奥にひそんでいる、隠されているという部分も過去に想ったことが記録されている。(潜在意識)
 
ひそんでいる部分とは想いの世界、つまり幽界だ。
 
今の世の中の状態は肉体界ではなく幽界だといわれている。
 
幽界の先、奥は清まっている霊界、神界へと続いている。
 
感じる世界の肉体界、その先の幽界よりももっと奥の霊界、神界そこまでいくと本当の自分がいる。
 
守護霊と繋がるといつの間にかそこに行っていることに気づく。







  

2007年11月11日 (日)

守護霊の働き

 
あなたの長い間にわたる苦しみは私にはわかっている。
あなたの悲しみや痛みも私にはすべてわかっている。
そして更に今あなたの上に投げかけられている不安恐怖、今のあなたの立場ではどうしようもないのもわかっている。
私はいつでもあなたの心の叫びを聞き、訴えを聞き、その問題解決が一刻も早からんことを願い奔走しているのである。
だがあなたはこの私の心を知ってか知らないでか、常に自分自身の肉体の力でのりこえようともがいている。
だがよく聞いて欲しい、もはや肉体界でトラブルが現われはじめたということは、もう何年も、いや何千年も前に幽界で現れていたことを。幽界で浄めることが全くできなかったが為に、この肉体界に現れはじめたのであるということを。
そのためにはまず幽界を浄め去るのが先決である。
それが出来るのはこの私である。
霊なる力で、霊なる光で、幽界を浄めれば、自ずと肉体界のすべてのトラブルは自然に解決されるものである。
私に頼りなさい。私を信じなさい。あなたが夢をみているその時ですら、私は闇を光に変える働きをあなたの為にしているのです。

あなたはあなた一人で生くるに非ず、私の生命と共にあって生くるなり。






     

幽界とは?

 
幽界とは幽霊のいる世界だという知識しかほとんどの人は持っていないと思う。
 
という自分もそうであった。
 
実は肉体界は顕在意識の場であり幽界は潜在意識の場であると云われている。
 
この世に顕れてくるものは潜在意識のなかに潜んでいるものが時間を経て出て来ている。
 
そして、顕れたことに対し又、何かを思ったことが記憶(録音)されてぐるぐる回っている。
 
このことを輪廻転生という。
 
現在、起こっていることのほとんどは過去(過去世)において済んでしまったことが時間を経て現在(いま)に顕れて来ている。
 
多くの人が、初めて来たはずの場所なのに、過去に来たことがある、確かに以前見た景色であるという覚えがあると思う。
 
これは以前来た場所が幽界という潜在意識のなかに残っていて、記憶と今が重なったことを意味している。
 
幽界という想いの世界が汚れて濁っていると汚れた濁った世界がこの世に現れる。
 
肉体の人間では幽界を清めることはできない。
 
それを清めることができるのは人間を守ってくれている守護霊である。
 
 
人間の幸せを願っている守護霊にしか清めることができない。
 
 
だから、人間はいつも守ってくれている守護霊に感謝しなければならない。





   

写し世

 
自分は肉体界だけにいるのではなく同時に幽界や霊界、神界にもいる。
 
神界が素(もと)の世界、本当の世界で肉体界にはそれが写ってきている。
 
このことを写し世という。
  
テレビ局にはタレントさんがいてその姿が電波に乗って各家庭のテレビに写ってきているのと同じ原理だ。
 
ただ、テレビには、ほぼ正確に放送局の内容が伝わってきているが、神界からの放送はかなり歪み(ゆがみ)が生じている。
 
 
その歪みが戦争や病気、貧乏など、不調和なものを生み出している。
 
 
お釈迦様やキリストは神界のことを識っていて、神界にいる本当の自分を肉体界に下ろして、一般の人々に教えを説いた。
 

お釈迦様は仏様、キリストは神様と呼ばれるのはそういう意味がある。
 
 
それでは一般の人々は霊界や神界にはいないのか?というとそうではなく、自分の意識が肉体しかないと思っているので神界までいかないだけのことである。
 

進化した星の宇宙人は神界に住んでいる。
 
 
だから全てが調和し愛に溢れ人々は平和に暮らしている。

 
これから2012年にかけて次元上昇していくということは、人間の意識が霊界、神界まで上がっていくことを意味している。
 

これは理屈ではなく、地球の波動が宇宙の法則によりそうなっていくのだ。
  

現在は神界の世界が霊界、幽界を経て写ってくる間に歪んで伝わってきている。
 
 
波動が細かく、霊波動に変わってくると神界がストレートに顕れてくる。
 
 
すると地球上に天国が顕れる。






  

時代が求めている。

 
テレビも映画もそうだけど今一番世の中で伝えたいことは何らかの形で人々に伝えられるようになっている。
  
私たちは自分の目に見えるものだけが存在していると思っているが、目に見えるものは1%もなくてあとはみえないもので出来ている。
 
そして見えるものはみえないものから出来ている。
 
肉体は細胞からできているが、細胞は分子→原子→素粒子→波動
 
つまり最後は波動、目にみえない波があるだけだ。
 
肉体だけでなく全てのものはこの波動でできている。
  
こころは肉体に付随しているもので肉体が滅びる(つまり死ぬ)と心も無くなるとほとんどの人は思っているが、心に肉体が宿っているのであって、肉体に心が宿っているのではない。
  
最近、こんな歌をよく耳にする。(題名は忘れたが)
 
私が死んでもお墓には私はいない。
  
風になって自由に飛び回っています。
 
だから必要以上に悲しまないでくださいって内容だったと思う。
  
人の最大の恐怖は死ぬこと。
 
死が恐怖でなくなったら人の苦しみは無くなる。






   

守護霊

 
今、テレビのドラマで絶えず人に寄り添って、いつも助言している守護霊の姿を放送している。
 
 
たぶん、ほとんどの人はあまり違和感なく観ていると思う。
 
 
違和感がないということは漠然であってもその存在があることを識っているのだ。
 
 
頭では理解できなくても心がわかっているのだろう。
 

守護霊とは自分の祖先でもある。
 

亡くなったおじいさん、おばあさんは向こうの世界へ行って悟りを開いて孫を守れるようになった。
 
 
そして24時間寝ることもなく献身的に文字通り孫を守るために存在している。
 
 
だが、自分のことばかり、頭を使って妄想ばかりしている人間にはその存在がわからない。
 
 
自分一人になって、心の奥底へ入っていくと守護霊の存在がわかる。
 

守護霊は実はおじいさん、おばあさんでもあるが自分自身でもあるのだ。
 
 
自分も何回も輪廻転生していて自分は肉体界だけでなく幽界や霊界、そして神界にもいる。
 

だから客観視するとは霊界や神界の自分が肉体界の自分を観ていることをいう。
 
 
本当に悟った自分が未熟な肉体の自分を観ているのだ。
 
 
あのドラマでは児玉清が反町隆志を見守っているが、児玉清は反町でもある。
 
 
話がややこしくなるが、自分は自分で守れる。
 
  
自分には素晴らしい力が宿っている。
 
 
普通の人は本当に持っている力の一万分の一も出していないという。
 

それは自分が肉体の有限の力しかないと思っているから・・・
 
 
人はそれだけしかないと信じたら信じた通りにしか力は出ない。
 

しかし自分には無限の力があると信じたらいくらでも出てくる。
 

それを信じた人が次元を超えて本当の自分を識り、本当の安心立命を得て、本当の幸せをつかむことになる。






  










 

2007年11月 4日 (日)

若返り法

  
赤ちゃんとお年寄りの身体の違いは何か?
  
それは身体が柔らかいか硬いかの差である。
 
人間は年をとればとるほど硬くなっていく、そして身体と同じく血管も脆く錆付いたようになっていく。
 
ゴムホースを外に放って野ざらしにしていると硬く干からびていき、曲げようとするとひびが割れたようになる。
 
硬くなるということは緊張して固まっている状態であり、脆くちょっとした刺激にも対応できない壊れやすい姿になっている。
 
野球の選手が身体を鍛え過ぎて筋肉が硬くなり過ぎて鋳物のように脆く壊れやすくなってしまったのと同じでケガに弱くなっている。
 
イチローがケガに強いのは身体が柔軟で、普通だったら骨折するような衝撃にも弾力性があるお陰で事なきを得ている。
 
健康を保ち若返りたかったら今よりも身体を柔らかくしていけば良い。
 
現在(いま)ヨガが流行っているのも身体を柔軟にすることにより精神にも柔軟性を持たせる、余裕を持たらせたいという願望が潜在的に含まれている。
 
肉体と精神は連動している。
 
ただ、精神が柔軟になったからといって、身体が柔らかくなることはない。
 
だが身体を柔らかくすれば精神は柔軟になる。
 
いたずらに身体をいじめて硬くするのではなく、ストレッチやヨガのような動きを取り入れていくといい。
 
 
家で簡単で出来る柔軟法の本がある。
 
 
楽しく学べて生活にも役立つので是非、読んでみてください。
  

 

  
古武術で毎日がラクラク! 荻野アンナ 祥伝社




  






   

 
 

2007年11月 3日 (土)

肉体人間の一生は・・・

 
人の魂、心は人間として肉体を纏った今のずっと以前何十億年も前から生き続けていて、そして死んでからも永遠に生き続ける。
 

だから、肉体人間で例え百年生きたとしても永遠の生命(いのち)からすれば、瞬き(まばたき)にしか匹敵しない。

 
ほんの一瞬でしかないのにそれが全て、後がないと焦り、後悔し、自我でなんとかしようとする。
 
 
すぐに結果がでないと人を傷つけたり、蹴落としてでもなんとかしようとする。

 
どれだけ結果が出なくても、貧乏でも病気でも人に認めてもらえなくてもそんなことは永遠の生命からすればどうでもいいこと。
 

それよりも自分の本心に忠実に素直に自分らしく生きて行きたい。
  
 

自分の命を曇らせることなく輝かせて生きて行きたい。

 

それが死んでから後の未来へと繋がっていく。

 

だから瞬間(いま)が大切なんだ。

 

それが人として生まれてきた本当の意味のような気がする。







  

感じないところに入っていく

  
調和波動気功のレッスンでW先生から 「感じないところへ入っていくのです」 と指導していただいていた。
 
その意味がやっと少しわかってきた。
 
感じるとは肉体の部分をいう。
 
人間は肉体が本体ではなく、その奥の霊体(エネルギー)が本当の自分である。
 
だから 
感じる とははほんの上辺で服の部分でしかない。
 
上辺でいくら何を感じようともそれは 
幻、泡 でしかない。
  
人間はそんな薄っぺらいものではない。
 
肉体だけだとしたらそれは2次元の世界だと云える。
 
 
3次元は空間、奥いきの世界だ。

 
それを肉体だけと限定することは目にみえない 心がない と云っているのと同じだ。
  

肉体に心が宿っているのではない。

  
心に肉体が宿っているのだ。

 

主人は心、従は肉体。

 
 
この主従関係を間違えて考えていることが人間の不幸を創っている。

 

心が人間の全てである。



そして、あなたの心は宇宙に充満している。







 

リハビリはいらない

  
十数年前に腕の骨を折ったとき必死でリハビリをしていた。

そのときに先生に 「今キチンとリハビリをしておかないと後で腕が上がらなくなりますよ」
 

と脅されてかなり無理をして歯をくいしばりながらやっていた。
  
そして、今、普通に使えるようになったのはその時の苦労の賜物だとずっと思っていた。
  
だが、時々電気が走ったような感覚で力が抜けるようになったりもしていた。
  
そして、今、何事も無理をして頑張ってすることは違うということがわかってきて、無理なリハビリも意味のないことを知った。
 
自分の手足が自由に動いているのは自分が動かしているのではなく、目にみえない力が働いているからにほかならない。
 

心臓が自分の意思で動いているのではないのと同じように・・・
 
 
骨を折ったときも無理に動かさず自然に日常生活を送っていて、ある時期がくればスッと上がるようになっていたはずだ。
 

赤ちゃんが無理をしなくても自然に立って歩くようになるように。
 
 
肩のリハビリと同じようにこの世で何が起こっても頑張って無理をすることなんてなにもない。
 
頑張ることは自分の非力な力でどうにかしようとすることをいう。
 

何かが起こる、変わる時とは目にみえない力が働いて、それから現象として表れる。
 
  
 

目にみえない力は自然体の時にしか働かない。
 


だから、自分ではなにも起こせない。


何もコントロールすることはできない。
 
 
そして、無理なリハビリ、頑張りはいらない。





 




 
  
 

自然体の姿勢とは・・・

 
幕末の志士、坂本竜馬、高杉晋作、近藤勇の写真を見ると腕を組み、迫力はあるが肩をいからせていない。
 
スーと胸を落とした自然体だと云える。
  
一般的には肩をいからせて胸を張ってお尻を少し突き出した姿勢がよいとされている。

この姿勢がよいとされたのは明治以降の軍隊かららしい。
 
そして、この姿勢をずっと保っていると肩に力が入って(力む)すぐに疲れてくる。
 

力が抜けると肩が下がりなで肩となる。
 

なで肩は緊張感が抜けているわけではなく、ほどよい力が身体全体に入っている。
 
 
だから隙のない雰囲気が身体全体から出ている。
 
 
昔の剣豪は自然体を保ちながら緊張感もほどよく保っていたことがわかる。
 

これが、心技体の心と体のバランスであったのだろう。
 
 
技は心と体が整ってはじめて生かされてくる。




古武術で毎日がラクラク! 荻野アンナ 祥伝社






 



 


 

五十歩百歩

 
五十歩百歩の語源とは確か昔戦争があったとき恐くて逃げ出した2人のうち戦場から五十歩逃げ出した人が先に逃げ出した百歩の人を弱虫だと笑ったことをいう。
 
50も100もたいした差はない。
 
というより同等であり、相手を笑うぶんだけ小人物だといえる。
 
これと同じように地球上のどんなに偉いと云われる大統領であろうと博士であろうと人から非難される犯罪者であろうと宇宙の深さからみれば五十歩百歩だそうだ。
 
地球上で一番愛が深くて立派だと思われている人も宇宙では下っ端らしい。
 
だから他人をみて劣等感を持ったり逆に優越感を持ったりすることは全くナンセンスだといえる。

  

富士山の高い山から地上の人間を見たとき2メートルの大男も1メートルの子供も同じ大きさにみえるのと同じだと思う。

 
小さいこと、どうでもいいことに悩んでいるときは宇宙的視野でものを観ればいいというがその通りだと思う。

  

空や星、月や太陽とてつもなく大きいものに意識を合わせると自分の霊体(本体)がそこに溶け込んで同化していることに気づく。

 

五十歩百歩の有限から無限の可能性を感じることができる。


 
人間は肉体だけだと限定すれば有限となり霊体(エネルギー体)だと意識すれば無限になる。



  
  

 

2007年11月 1日 (木)

人は死ぬとどうなるか?

 
人は死ぬとどうなるか?
 
それは肉体がなくなって心だけが残る。
 
そして他の星に行ったり、また同じ地球で肉体を纏って人間をすることもある。
 
このことを輪廻転生という。
 
  
心がどんな位置にあるか、意識をしているかによって行き先が決まる。
 

汚れた心境にあったとすれば行き先は地獄のような場所になる。
 

ピュアできれいな心であれば美しい天国のような場所にいく。
  

なぜならそこが一番居心地がいいから・・・
 
 
地獄へ行く人はそこが一番自分の波長に合っている。

 
逆に地獄にいる人は天国がつらいところとなる。


光が強すぎて眩し過ぎて耐えることができない。
 

自分で自分の居場所を選択しているのだ。
 

肉体を持っている今の状況は心を変えやすい恵まれた環境にある。
  

心をきれいにして行けばいくらでも素晴らしい世界へ行くことができる。





   

一番大切なこと

 
人にとって一番大切なことは過去において何をしてきたかではなく、今の心境がスッキリ爽やかであるか?だけである。
 
だから、たった今までどれだけクダラナイ、ダメな自分があったとしてもそんなことはどーでもいいことなんだ。
  
逆に今日までどれだけ人に誇れる行いや実績を残してきたとしても、たった今この瞬間が輝いていなければそれはないに等しい。



過去はどうでもいい。



リベンジや逆転もない、ただ今この一瞬があるだけ・・・

 
今を輝くために一生懸命に生きよう。

 
人にみせるためでなく、自分自身が自分のために輝くために・・・


 
そうすれば人は必ず幸せになれる。






 









   








  

頭で考えると

  
頭で考えると想定外のことが起こったとき対応できない。


例えばリンゴとミカンを左右から同時に投げてこられたとします。このとき、リンゴを取ろうとするとミカンがおろそかになる。ミカンに気がいくとリンゴが落ちる。「人間の意識的認知は、コンピュターと同じで、二進法なんです」無心でいると、逆にヒョイ、と両方取れてしまったりする。
ヘタに考えないほうが、前後、左右、上下の三つの方向性を体の動きに取り入れられるかもしれない。そういう理解不能な動きを前にすると、人は瞬間的に凍ってしまう。
三方向の動きのヒントは地震による地滑りの映像だった。たしかにあれは、前後、左右、上下ぜんぶ同時だ。人間に災害をもたらしかねない巨大なパワーには、つい目をそらしそうになるが、地球という巨体の動きを、師匠は瞳に焼き付けていた。三次元の動きの基本は。地滑りのごとく滑っていくこと。そのためには縦の動きを保ちつつ、同時に横にも移動する。「横は意外と動きにくいんですよ」

地球は丸い。人間は、体は丸っこいが、放っておくと、心がペラペラも平面になってしまう。

 


これはある本の文章から抜粋したものだが、すごい真理が述べられている。
 
この文章を何回も読んでいるといわゆる腑に落ちる、気持ちがスッキリ爽やかになってくるのがわかる。
 
人は本当のことを求めていている、識りたがっている。
  
だから真理の言葉や文章には反応するようになっている。
 
この世は3次元なのに頭を使うと2次元つまり退化している。

「へたな考え休みに足りず」 は考えるくらいなら何もしないほうがいいと云っているのだ。
  
頭を使うことの愚かさに気がついて、そこから心で行動するようになっていくと3次元を飛び越えて4次元、そして多次元の世界へと繋がっていくことがわかる。
 



心は多次元、宇宙への入り口になっている。


だから頭でごちゃごちゃどーでもいいことを考えるのはもうやめよう。





    古武術で毎日がラクラク! 荻野アンナ 祥伝社






  






  

スターダスト

   
スターダストという映画を観に行った。

あらすじを書くのは苦手なので感想だけ書いてみたい。



現状に満足できなかったある男は禁断の壁を越えようとした。
                

今現在の環境を変えようと思ったら勇気を持って壁を越えないと何も変わらない。


魔女が魔法を使うと精気が奪われ老化が進む。
                
邪(よこしま)な行為は汚れているのでそれは外見にも表れる。



どんな危機的状況に遭遇しても神の愛を信じていれば助けられる。
                

宇宙は愛で構成されている。だからエネルギーは愛の行為に注がれる。




そんなに感動するという内容の映画でもなかったけど後からじわっと気づかされるそんな作品でした。


味のあるスルメのような・・・かな?






  







   







     







   

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