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2007年7月30日 (月)

人があなたに怒ってきても

   
私は人が私に対して怒ってくること(感情的になること)に対してなぜなんだろう?
  
自分が何か悪いことをしたのか、言ったのか・・・をずっと考えてきた。
   
そして、自分が悪いか、相手が悪い?、つまり怒ることがおかしいかを決めてきた。
   
でもなぜかスッキリしない、どちらも違う気がしていた。
   
相手の人が怒っているのは私にではなく自分で勝手に怒っていることに気づいた。
   
その人は心の中に腹を立てる怒りの種を持っていた。
   
そしてその種は爆発しようとチャンスを狙っている。
  
火種はなんでもいい。
   
都合のいいのは爆発に対して、受け止めてくれる器の大きい、大人しい人がいい。
  
だからあなたが選ばれた。
   
後腐れがなくて、自分の我がままを許してくれてる、ありがたい人、それがあなたなのだ。
   
怒るのはその人の問題、その人自身が解決しなければならないことであって、関わってはいけない。
   
必要以上に絡んではいけない。
  
相手の怒りはあなたとは何の関係もないのだから。
 
    
自分の感情の処理は自分でしなければならない。







   




   




   

世界は変わる

    
先週の金、土、日、レッスンを含んで3人の人と会い、話をした。
  
明らかに意識が変わっている。
  
波動が細かくなっている。
   
波動が細かくなるとは、霊的になって、本来のその人に近くなっているということだ。
     
  
霊的になると感動を求めるようになる。
目にみえないエネルギーがわかってくる。
神秘的なことに興味をもってくる。
気持ちが穏やかに、優しくなってくる。
その人の本当の姿が現れてくる。
直観力が増してくる。
そして、感動することが多くなってくる。
素晴らしい自分に気づくようになる。
人の素晴らしさもわかるようになる。

   

私はこのような人たちと逢っていると至上の幸せを感じる。
    
このような人たちが増えてくると 世界は変わる。




    




    

瞬間移動

   
少し神秘的な話をします。
  
昨日、オリエンタルウインドでの勉強会(定期的におこなっている)があった。
  
そこで、意識が違うところにあれば、肉体(身体)も移動するという話を出席していたある人から聞いた。
   
その人は17歳の頃が非常に霊的になっていて、高校生だったある日、彼女は学校で授業を受けていた。
   
なのに家に帰るとお母さんに 
「あんた、あの時間に〇〇にいたけど、あそこで何をしていたの?」 と聞かれたそうだ。
   
その時間は間違いなく学校にいたのだが、その時の彼女は意識がぼんやりしていてどこかへ飛んでいた感覚があったらしい。
  
その後も度々、言われたことがあって、ついに父親にも言われた時にはさすがに驚いたそうだ。
    

私たちはよく意識が飛んでるとか、心ここにあらずとか、ワープするとか言うが、どういうことかというと、意識に伴ってまず、エネルギーが移動する。
   
エネルギーだけが移動しただけでも霊感の強い人はその気配(けはい)を感じ取ったりする。
  
そのエネルギー(気配)を感じて肉体があるように思うのだろう。
    
もしかして、本当に肉体も移動していたのかも知れない。
      

この話で人間がエネルギーで出来ていて、肉体はその器であることが判る。
   
意識(心)があって、心がエネルギーになって、エネルギーが物質化する。
  
物質化したものが人間の肉体だ。
    
だから、人間が死んでも、肉体がなくなってても意識やエネルギーは残る。
   
将来的に人間はどこへでも瞬間移動できるようになるそうだ。
   

そうすれば、一瞬にして行きたいところへ行ける。
  
違う星に行くことも出来る。
  
そんな日が近い将来やってくる
。(2012年頃かな?)
   
みなさん、すごくロマンがあって、想像しただけでも楽しくなると思いません?




   
参考書籍、 光の十二日間、フォトンベルトの謎 




   




     

2007年7月28日 (土)

言葉は誤解を招く

  
言葉、文字は人の心を、気持ちを伝達するにはほとんど役に立たない。
    
人は一生懸命自分の気持ちを伝えようとメールを打っているが相手には何も大事なこと?は伝わっていない。
  
言葉は文字よりもましだが、正確に伝えることは難しい。

それは、自分の心のなかを正確に言葉に置き換えることはできないからだ。
   

言葉に変換する時には頭を使うが頭の中は信じられないほどいらない情報が入っている。
   
パソコンと頭の中はよく似ている。
   
良い情報、悪い情報、必要な情報、不必要な情報、正しい情報、間違った情報。
   
そして自分のほしい情報よりもいらない情報のほうが圧倒的に多い。
   

言葉にするとはそんなシェイクされた情報のなかから選び出しているのと同じことだ。
  
頭はもはやパンク状態、壊れる寸前なのだ。
    
だから、お釈迦さまは空(くう)になれ、キリストは幼子(何も考えるな)のようになりなさい。
  

老子は無為になせ(何々の為にしようとするな)と言ったのです。
  
言葉はごちゃごちゃの頭の中から出てくる。
   
それを相手のごちゃごちゃの頭が受け取って理解しようとする。
   
自分の気持ちが正確に相手に伝わるはずがない。
        
正確に伝わるのは心から心へだけだ。

だから、言葉はいらない

心から出てくる言葉は本物で頭で考えた言葉は偽物(にせもの)になる。

そして、相手の人が心で受け取らないと本物も偽物になる。
    

結局、言葉は誤解を招く、進化した星では言葉はない、テレパシー(心)で交信している。
 
 

自分の気持ちをわかってもらおうとしたら、あえて、何も言わないほうがいい。





   

愛と愛情

   
愛はチャリティーであり、見返りを求めない、期待しない、純粋な愛である。
   
一方、愛情は人に対するよりも自分の欲望を満たそうとする邪(よこしま)なものであり、愛とは全然違うものである。
      
だが人は愛と愛情を同じものと思っていたり愛情を愛と履き違えている。
    
純粋な愛は自分というものがない、自分が愛されたい、満たされたい、与えてもらいたいがない。
   
そして、愛したい、満たしてあげたい、与えてあげたいもない。
   
愛したい、満たしてあげたい、与えてあげたいは一瞬のうちに愛されたい、満たされたい、与えてもらいたいに変わる。
   
たいは願望であり、期待することだ。
   
愛は自然と行なうものであり、考えてすることではない。
 
      
愛は無限の深さがあるので言葉では現わせない、人は死んだ後もどこまでも愛を追及していく。




   







      

  
人と逢う、会う、合うも愛と同意語であって男女に関係なく、よい人間関係を築きたいという願望からあうという行為(好意)が生まれる。
   
人と話をしている時、何かのタイミング、きっかけで心が交流し始める時がある。
   
人数には関係なく目にみえないエネルギーが一つになっていく。
  
それは太陽から分かれた光が太陽のもとへ戻って一つに帰るように・・・
  
その時、心がふんわりと暖かくなり、その場は心地よい空気が流れる。
    
そして、心を開いた人たちは相手を受け入れる準備が出来る。
    
仕事でプレゼンテーションや商談がうまくいく、恋愛や人間関係がスムーズにいくのは先にこの準備ができている時だ。
   
無意識にしろ意識的にしろ人は愛というエネルギーで動いている。
    
ただ、決して計算して出来るものではなく、うまくいったときはそうだったくらいしかわからない。

    
計算しては出来ないけど、いつも自分が人に対して愛の気持ちで接していれば愛の交流はいつの間にか始まっている。





                


2007年7月27日 (金)

何も考えていない

    
人と人とのすれ違いの原因はお互いが考えていることの相違にある。
   
怒るときによく 
「いったい何を考えているんだ、あなたの考えていることは理解できない」 という。
   
だが、言われた本人はそれが間違っている、おかしい、悪いことだとは思っていない。
    
というより、自分の行為をいちいち考えて行動なんてしていない。
   
だから、なんでそんなことを言われないといけないんだ。と逆に相手に腹立ちや不信感を持つ。
  
テレビのインタビューでスポーツ記者が 
「勝った瞬間何を考えていましたか?」 と質問しているが、何も考えているはずがないので、困っている。
  
一生懸命に何かをしているときは何も考えていない。
     
この考えていない間はスッキリしている。
   
寝ているときは想念が停止しているので最も良い状態だ。
   
人間関係、男女関係でおかしくなる原因は相手の考えを探ったり、聞き出すことだ。


「あなたは私のことをどう想っていますか?」
   
聞かれた方はどうなのかな?と考えてしまう。

そして意識し過ぎて関係が以前よりズムーズに行かなくなる。
       
人間は考えているようでほとんど感覚、感情で生きている。
  
だから、自分の考えすぎもよくないが相手に考えさせるのもよくない。




     



      




   

2007年7月25日 (水)

徹底すること

   
金銭欲、性欲、独占欲を無くそうとしたらその道を徹底して極めてみるのもいいそうだ。
   
お釈迦様は生まれた時はインドのある国の王子で最初からこの3つの欲は満たされていた。
   
結婚もしていて子どももいた、おめかけさんはいくらでも持てたし何不自由なく暮らしていた。
   
ある祝賀会の後、お城のなかは食べ散らかした食べ物が散乱し、着飾った美しい女たちは酔ってあらわもない姿で爆睡していた。
  
華やかなことがあった後はみにくい姿が残る。
   
王子はなんともむなしい気持ちになった。
   
そして、王子は永遠のもの、悟りを求めて、将来の王様の座を捨てて城を出る。
  
欲のむなしさ、欲の馬鹿らしさを痛感したからだ。
    
一般の私たちは中途半端で欲を捨て切れない、欲に未練が残っている。
   
だから徹底して欲を追及してみる方が欲を早く捨てることが出来る。

欲があるかぎり人間は苦しみ続ける。

だが、無くそうと思っても簡単に無くせるものではない

      
ある悟りを開いた人は善なら善、悪なら悪に徹底しなさいと言っている。
   
危険な考えかもしれないが、そこから得られることはきっと素晴らしいことなのだろう。
   
人には誰でも悪ものになりたい(何でもやってみたい)という願望がある。







                

息子

   
高校3年生になった息子と久し振りに話をした。
  
考え方がかなりしっかりしてきた。
    
去年までは目的が定まらずに色んなことに気が散っていた。
  
ほとんどの友達は進学しているので自分も大学に行ったほうがいいのか?
  
行くとしても何のために大学に行くのか?判らずにいた。
    
息子は目的がないのに何かに一生懸命になることが出来ない性格でかなりいらいらしていた。
   
  
とりあえず大学にいく、とりあえず専門学校へ行っとく、とりあえずバイトでもしながらやりたいことを見つける、とりあえず英語が話せたらカッコいいから留学する、とりあえず親のすねをかじっておく・・・そんな若い人が、いや大人でもたくさんいる。
    
目的がハッキリしないでその日暮らしをしているからニートや働かない人が増えてきた。
   
去年まで息子は完全にニート予備軍だった。
   
私は去年の秋に息子と二人で目的探しを始めた。
    

自分のしたいことは何なのか?したいことをするためにはどうしたらいいのか?
  

目的を叶えるためにはどこの学校がいいのか?
  
目的がなかなか見つからなくてとりあえず大学に行こうかなと妥協しそうになっていた息子に必死で話をした。
   

「目的は絶対に持っていないと駄目だ、無かったら探す努力をしなさい」

そして
、「二十歳になったら自立して一人で生きていけるようになりなさい」 と話すたびに言っていた。
   
息子は一人っ子なので依存する気持ちが強かった。
  
親がいつまでも面倒をみてくれるのではという甘えがあった。
     
  
しばらくして、自分の進路を探し始めた、そしてようやく探し出した。
   
今、将来の目的のために一生懸命に勉強している。
    
目的をしっかり持っている人は輝いている。生き生きしている。
   
そんな息子がたくましくみえる。
  
若い人に将来の目的を自分で決めさせるなんて酷なことだ。
   
何をするかは本人が決めるとしてもどうしたらいいのか一緒に考える、一緒に悩む、そんな共有の時間をつくったことが良かったのかなぁ と今になって思っている。







    


    

相手の気持ち

   
私たちはいつも相手の人の気持ちを考えている。

相手は何を想っているのか?望んでいるのか?そして私のことをどう評価し、どのように思っているのか?
  
考えてもしようがないことで無駄なエネルギーを使っている。
  
そして自分のこう想ってほしいという希望と相手が想っているだろうとのギャップを勝手に想像して、あーでもないこーでもないと苦しんでいる。
  
そもそも相手の気持ち、考えていることがわかったところで、相手の心の中に入っていって変えることなんて出来ない。
   
 意識を相手からすべて自分に向けるのだ。
  

毎日このことを自分の頭にインプットしようと神との対話の本の同じページを何度も読んでいる。
  
長い間のくせ、習慣はちょっとやそっとでは治らない。 
     


人間関係では、それぞれが他者について心をわずらわせるのではなく、ただただ自分について心をくだくべきだ。これは奇妙な教えに聞こえるかもしれない。あなたがたは、最も気高い人間関係では相手のことだけを考えるものだと聞かされてきたからだ。ところが、ほんとうはあなたがたが相手にばかり気持ちを向けることー相手にとらわれることーが、失敗の原因である。相手は何者か?相手は何をしているか?相手は何をもっているか?相手は何を言っているか?何を欲しているか?何を要求しているか?何を考えているか?期待しているか?計画しているか?<マスター>は、相手が何者で、何をし、何をもち、何を言い、何を欲し、何を要求しているかはどうでもいいことを知っている。相手が何を考え、期待し、計画しているかはどうでもいい。大事なのは、その関係のなかであなたが何者であるかだけである。最も愛情深い人間とは、最も自己中心的な人間だ。




       

愛以外は消えていく

  
神は愛以外のものをあたかも実在するように巧みに創って、人間を進化させようとした。
  
愛以外のもので人間を迷わすものとは欲のことで金銭欲、性欲、物欲、独占欲がいつもついてまわる。
  
愛を取るか欲を取るか選択を迫られた時、どちらかを決めることで未来が決定される。
    
欲は後悔と一瞬だけの幸せ?に終わり、愛は永遠の幸せをもたらす。
    
焦って欲に走りたくなる時もある、だけど欲をつかんだら次にチャンスが訪れるのは来生(らいせい)、つまり次に生まれ変わった時になるかもしれない。
   
人間は同じ過ちを繰り返して、試験に落ちて、輪廻転生をしてきた。
     
もう何回もおバカをやっている場合ではない。
    
愛だけみて、愛深くなることだけ、愛を与えることだけ想っていればいい。
   
そうすれば必ず幸せになれる。
   
神さまは人間をそう創った。
   
神は愛であり、愛は神である。
   
かーあ、みーい



      

今日想ったこと

    

満たされない何かをコントロールしようと想ったら不幸になる。
   
ありのままの自分がありがたいと想えたら幸せになる。


 




        

2007年7月23日 (月)

陰と陽

    
お月様と太陽、山と谷、男と女、あらゆるものは陰と陽で出来ている。

だから、「いつも私は陽気で元気です。プラスしかありません」 はありえない。
   
人がたくましく、強く、それでいて優しく進化していくにはマイナス、プラス、マイナス、プラス、つまり陰、陽、陰、陽の繰り返しをしていく以外にない。
    
だからうれしくなったり落ち込んだりの繰り返しがあってもそれが自然なのだ。
   
落ち込みを気にすることはない。
   
ただ、人の奥深いところは必ず輝いている光がある。
    
その光を忘れて闇ばかりをつかんでいるとマイナス、マイナスになってしまう。
   
どれだけ落ち込んでいても奥で光っている本当の自分を信じて、プラスの言霊を唱えているとやがて幸せに包まれている、安心している自分が戻ってくる。
     
だから、落ち込んでもいいから一点の光を信じて戻ってくるまで神様(自然)に任せていればいい。
  
自分ではどうしようもない。
  
自分でどうにかしようとするから、もがくから苦しくなる。
  
人は明日の自分の命さえコントロールできない。
  
陰と陽にとらわれなくなったとき、はじめて心が自由になる。



    



               



   

あなたはどこの星の人ですか?

   
私が幼い頃ウルトラマンという番組がテレビ放映されていた。
     
地球を救うために他の進化した星からやって来て3分間だけ変身して怪獣と戦うという内容だった。
       
変身してというのは違っていてウルトラマンが本来の姿で人間の姿の方が変身していたのだ。
     
神秘的な話になるが実は、私は地球人ではないと言われたことがある。
   
金星だそうだ。
    
金星でずっと生まれ変わりをしてきて今生は地球に来ている。
    
例えて言えば、九州で生まれたが今は大阪にいる。
  
それと同じことだ。
    

我が生まれ故郷の金星は地球と全然違うところらしい。

だから地球人の考えが時々理解できないことがある。
   
不思議でしょうがないこともある。
     
でも愛を学びながら打ち解けて溶け込んでいかなければならない。
  

そのために生まれてきた。

私だけでなく、たくさんの人たちが金星は勿論、色んな星からやってきているそうだ。
   
記憶を消されているのでほとんどの人が自分を地球人だと思っている。
      
自分は人と比べて変わっているなと薄々感じながらもまさか自分が地球以外の宇宙人だとは思っていない。
    
グローバルな目を持て、とよく聞く言葉だが自分が主にどこの星で育ったか?
   
宇宙まで視野を広げて、もしそれが判ったら、そして地球よりももっと進化した星にいたことが判明したらミクロのちっちゃいことはどーでもよくなるだろう。
   
大きいものに意識を合わすと小さいことが大きい意識に包まれて消えて無くなってしまう。

そしてそこに波長を合わせると、今まで判らなかったことが次々に判ってくる。

宇宙に波動を合わせることは宇宙を識ることになる。
   
宇宙が判ればすべてのことが判ったことになる。
      
だから小さいそのことを考えずにとてつもなく大きい宇宙に意識を合わせるといい。
     

宇宙に意識を合わすなんて大き過ぎると思うことは必要ない。
   
だって宇宙は人間の故郷(ふるさと)だし、人間と宇宙は一体だから。
  
このブログをふむふむと読める人は地球人ではない。
  
近い将来こんな挨拶が当たり前になるだろう。

   
「あなたはどこの星の人ですか?」




     



        

2007年7月21日 (土)

絶対なる許し

   
私たちはうしろめたいこと悪いこと?をするとすぐにバチが当たるとか地獄へ落ちるとか言うがそのことによって自由がかなり束縛(勝手にだが)されることがある。
   
法律や人間が都合のよいように決めたルールを神様の決め事のように思って、それに違反しても何かとんでもなく悪いことをしたかのように思ってしまう。
    
神様は人を愛しているので決して罰を与えたり、怒ってこらしめるようなことはしないそうだ。

ただ、やまびこのように自分のした行為は時を経て自分のもとへ返ってくる。
     
そのことを人間は罰を与えられたと誤解しているのだろう。
   
そして私たちはいつも人を疑っている。
   
人の言うことを信じない。
   
だまされているのではないか?本音で言っているのか?今はそうでも気持ちが変わるのではないか?
    
人を信じられないのにどうして人を愛することができるのか?
  

神との対話で神は人を愛する前に自分を愛しなさいと言った。自分を愛せずしてどうして人を愛せるのだ。・・・と


自分や人を愛す前に、どんなことがあっても何をしでかしてもどんな時にも無条件で自分を癒し、愛してくれる存在がなければ絶対に安心することは出来ない。
    
子どもが何の不安もなく遊び周れるのは絶対なる親が側にいてくれる安心感だ。
  
一時的にせよ子どもにとって親が絶対なる神であるように人間にも絶対なるもの、絶対なる存在が必要だ。
  
神は私を信じなさい、絶対なる私を頼りなさいという、そして実はあなたも絶対なる神の子なんだよ。だから自分を信じることは神を信じることなんだよ。と言っている。
  
外に神を求めることも探すこともしなくていい。
     
なんという安心感なんだろう。
  
自分のすべての行為は許される。
  
これ以上の癒しはない。




     
  

2007年7月20日 (金)

本当の愛

   
神との対話の中で神は人間には愛か不安の二極しかないと言った。
   
これは愛を理解するには対極にある不安がなければ判らないということだ。
   
だから私たち人間はいつも愛か不安のどちからを自由に選択するようになっている。

    
不安はちぢこもり、閉ざし、引きこもり、走り、隠れ、蓄え、傷つけるエネルギーである。
愛は広がり、開放し、送り出し、とどまり、明るみに出し、分けあい、癒すエネルギーである。
不安だから身体を衣服で包むのであって、愛があれば裸で立つことができる。
不安があるから、もっているもののすべてにしがみつき、かじりつくが、愛があれば、もっているものすべてを与えることができる。
不安はしっかりと抱えこみ、愛は優しく抱きとる。
不安はつかみ愛は解放する。不安はいらだたせ、愛はなだめる。不安は攻撃し、愛は育む。つづく・・・
   

確かに私たちは、愛か不安を選択している。電車でお年よりに席を譲ろうか、でも人はどう思うだろうか、人に対して優しく接しようか、でも誤解されないだろうか、腹が立った時相手を許そうか、でも許したら相手になめられないだろうか、怒りをぶちまけようか、怒ったら相手も怒らないだろうか、お金をいいことに使おうか、貯めて不安に備えようか?
毎日、毎回、どんな時もどちかかの選択をしている。
そしてどちらかを選んだかによって心が天国(さわやか)になるか、暗く沈むかに分かれていく。
私たちは愛について学ぶことがたくさんあるように思う。




      


     

神との対話3

  
人間にはなぜ苦悩があるのか?

神様はそんなものは造った覚えはない、人間が勝手に苦悩だと思い込んでいるだけだという。
  
神様と人間の違う(見解が)ところはどこなのか?
     

神が愛すれば、神自身はそれで実現されるから、それ以上は何も必要がない。それはわかるだろう。(これは神は愛を与える続けるのみで決して見返りを求めないということ)
いっぽう、人間は投資には見返りが必要だと感じる。誰かを愛するのはいいのだが、相手からも愛が返ってきてほしいと思う。そう考える。これは「情熱」ではない。「期待」である。これが人間の不幸の最大の原因である。それが神と人間との違いである。つづく・・・・


「期待」された、つまり愛を返してほしいと言われた相手は期待に答えるためにこれまでとは違う自分を演じなければならなくなる。
  
そして演じ疲れて自分らしくふるまうとあなたは変わってしまったと言われる。
  
「期待」と「不安」は背中合わせで、かりに「愛しています」と言われても相手の気持ちが変わるかもしれないという「不安」が常について回る。
   
期待をすることは同時に不安を持つことになり、安心することがなくなる。
    
そんな精神状態で男女の関係がうまくいくはずはない。
    
これは男女の関係だけでなく、すべての人間関係にも言えることだと思う。
    
「期待」は人間を不幸にする。



 神との対話 1.2.3 ニール・ドナルド・ウォルシュ サンマーク出版




    



       



  

2007年7月18日 (水)

働くということ

     
私は晴耕雨読(せいこううどく)に憧れていると以前書いたことがあったが、この晴耕雨読は人間にとってのバランスが見事に取れている。

人は肉体と精神のバランスがうまく取れないと不調和な状態になりやすい。
   
身体を動かすことは血液の循環が良くなって気分がスッキリする。
     

その状態、その流れで静かに本を読んだり、勉強をすることは理にかなっている。

文武両道は肉体と精神のバランスの大切さを言っている。
     
だから仕事でパソコンや座ってばかりの事務仕事をしているとストレスが溜まってくる。
   

本来、人間は食べていく為の手段は狩猟民族以外は畑での労働だった。
   
長い人間の歴史では食べていくこととは耕すことだった。
     
その頃にはストレスはそんなになかったと思う。
   
肉体と精神、動と静が交互に混ざり合って偏りがなかったのだろう。
     
パソコンが出来て机上(きじょう)での仕事(ビジネス)が急増してきた。
     
でも働くという意味で言えばバランスがおかしいのでは?と思う。
   
頭を使う仕事はノルマが厳しいし、ストレスも溜まりやすい。
     
身体を動かす仕事はまだたくさんある。


みなさーん、身体を使う仕事って結構楽しいですよ。




      




    

神との対話2

   
前回のつづきで神の言葉が青字、黒字が人間とします。
今回のテーマは人間関係についてです。


      
人間関係では、それぞれが他者について心をわずらわせるのではなく、ただただ自分について心をくだくべきだ。これは奇妙な教えに聞こえるかもしれない。あなたがたは、最も気高い人間関係では相手のことだけを考えるものだと聞かされてきたからだ。ところが、ほんとうはあなたがたが相手にばかり気持ちを向けることー相手にとらわれることーが、失敗の原因である。相手は何者か?相手は何をしているか?相手は何をもっているか?相手は何を言っているか?何を欲しているか?何を要求しているか?何を考えているか?期待しているか?計画しているか?<マスター>は、相手が何者で、何をし、何をもち、何を言い、何を欲し、何を要求しているかはどうでもいいことを知っている。相手が何を考え、期待し、計画しているかはどうでもいい。大事なのは、その関係のなかであなたが何者であるかだけである。最も愛情深い人間とは、最も自己中心的な人間だ。


それはまた、ずいぶん過激な教えですが・・・。

  
よくよく考えれば、過激ではない。自分を愛していなければ、相手を愛することはできない。多くの人たちは、相手への愛情を通じて自分への愛情を求めるという過ちを犯している。・・・つづく



最も愛情深い人間とは、最も自己中心的な人間だ。の箇所には正直驚きましたが、自分のことだけしか考えない勝手な人ということではなくまず自分を大切にする。
それが他人を大切にすることにつながると言う意味だと理解しました。
でも自己中の人が何を考えて行動しているのなんて理解出来ないですよね。
だから、相手のことはどうでもよい、理解する必要なんてないとマスター(神様)は言っているのだろうと私は思いました。




 神との対話 1.2.3 ニール・ドナルド・ウォルシュ サンマーク出版






     

2007年7月17日 (火)

目の出血

    
昨日、外出から帰って来て、鏡を見たら目の中が血で赤く染まっていた。

眼球の白い部分でびっくりした。


目をかいたり、こすったりした覚えもなく、ぶつけたり、何かに当たった覚えもなかったので余計驚いた。

痛みも全然ない。
   
とりあえず目医者さんに聞いてみようとパソコンで調べたが祭日でどこもやっていない。
   
そこで、気功の先生でもあり、眼科の勤務医をされている若山先生のこと思い出して電話で聴いてみた。
    
お出掛けだったが帰って来られてからすぐに電話を頂いた。

若山先生の問診は


目をこすらなかったか?
通常の血圧は?
重たいものを持たなかったか?
血圧が上がるような気持ちの変化はなかったか?


だった、私の血圧はいつも正常であること他の問診に該当することはなかったことを云うと

 
「それだったら大丈夫です。疲れていたのかも知れませんね。」 とおっしゃっていた。
  
健康であっても目の毛細血管が切れることはあるらしい。
   
念のために目医者さんに行くことを薦められた。

大丈夫と言って頂いたのだから行かなくてもいいかな・・・なんて考えも浮かんだけど自分の方から聞いといてその指示に従わないのは失礼というよりも自分の気持ちがスッキリしないなと感じたので結果は判っていても行こうと決めた。
       
そして今日、近所の目医者さんに行って眼圧から眼球の検査を受けた。
    
言って頂いたとおり大丈夫であること、血は1週間ほどで自然と吸収されて治ると言われた。
   
昨日大丈夫と言われたが実際に検査を受けて太鼓判を押されたらやっぱり安心感が違う。
  
日頃医者嫌い、病院嫌いでめったには行かないけどたまにはいいかな・・・なんて思った。
   
みなさん、急に目から出血しても慌てずに対処するようにしましょう。



       

2007年7月16日 (月)

神との対話

   
今読んでいる本のタイトルは 「神との対話」 である、以前も読んだが又、読み返してみたくなった。
   
理由は男女の愛について本当のことが知りたかったからだ。

なぜ人は恋をするのか?そして死ぬほど好きになっても急に冷めてしまうのはなぜか?
愛は永遠ではないのか?なぜ神様は男と女を造ったのか?・・・読んでいくうちに色んなことが明らかになっていった。
   
そのうちのいくつかをご紹介します。
   
ここでは神の言葉を青字、人間を黒字とします。
          


あなたは、自分がなぜ 「恋に落ちた」 か、立ち止まって考えたことがないのではないか。自分が何に反応したのか、考えたのか?どんな必要性を満たそうとしたのか、考えたか?たいていの場合、愛は充足したいという欲求への反応として起こる。
誰でもいろいろな欲求をもっている。これが必要、あれが必要だと感じている。あなたがたはお互いに、充足したいという欲求を満たすチャンスを見いだした。そこで、あなたがたはー暗黙のうちにー取引をする。あなたが持っているものをくれるなら、わたしも持っているものをあげましょう。という取引だ。これは商取引だ。だが、あなたがたはそんな真実は口にしない。「あなたと大きな取引をします」 とは言わず、「とても愛しています」と言う。それが失望のはじまりだ。



わたしは、あなたがべつの答えをくださると期待していたのかもしれません。人間(男女)関係についてのあなたの答えを聞いていると、ロマンティックな関係がずいぶん色あせてしまう。何も考えずに、激しい恋に落ちることのどこがいけないんでしょうか?

   
なるほど、結婚相談所のしていることは完全に商取引の仲介ですよね。

恋愛も確かにそれに近いのかもしれない。

そして、恋の終わりは商取引が成り立たなくなった状態なのかもしれない。

そんな打算的な関係を超越しないと本当の愛にはならないのだと思う。




        





    

2007年7月15日 (日)

キス

   
犬と仲良くなろうとしたら、キスをするのがいいらしい。
    
それも唾液を犬のなかに入れる、もちろん犬の唾液も受け入れることになる。
   
畑 正憲さんは動物と仲良くなろうとした時必ずキスをする。
    
それはあなたと私は一つになりました。
    
あなたが私で私があなたですよ。ということだと思う。
   
精神的なものと肉体的なものが一体とならないと心は通じ合わない。
    
だから人間も精神的な愛を感じたら、キスやSEXを求める。

同性同士での握手や抱擁もその一つだろう。
      
キスやSEXは正常な自然現象だと思う。

ただ、人の場合は動物と違って、肉体と精神の順番を間違えたらおかしくなる。

精神的なことが先で肉体は後になる。
      
キスは一体となるためのプロローグ(序章)なのかもしれない。




           



      

ものもらい

     
ものもらいとは空気感染して目ばちこが人に移ることをいう。
    
これと同じように自分の考えや人の考えも互いに影響し合っている。
  
プラス思考の人が多い場所にいれば自分も明るく、前向きになれる。
   
一方、マイナス思考の人がたくさん居る場では気分も沈みがちで気持ちもおっくうになる。
    
これも一種の空気感染だ。
    
だから突然、気分が良くなっても、悪くなってもそのことに振り回されてはいけない。
    
気分が良くなるのも悪くなるのも自分とはいっさい関係ないことなのだ。
   
そして、悪くなった時も決して人のせいにしてはいけない。

あの人がいると空気が悪くなる、場がしらけるとか思ってはいけない。
   
自分もどんなエネルギーを出しているのか?人のことなんて言えない。
   
ほとんどの人は自分がどんなエネルギーを出しているのか判っていない。
      
ただ、何かのオーラを出していることは感じている。
    
雰囲気はそれに近い。
    
人は自分が出している目に観えないエネルギーにもっと注意を向けなければならない。
    
だって目に見えるものも実は目に観えない力(エネルギー)から生まれているのだから・・・




       

自分を許す

    
ある麻薬の常習者であり密売をしていた人がある人の言葉をきっかけに生まれ変わったという。
   
その一言とは 

  
「自分を非難することをやめなさい」 だった。
  
   
非難することをやめたその人は今までの自分を全て許し、受け入れてとても心が穏やかになった。

するとそんな自分を愛してくれる人が現われた。
   
自分を許せるようになったら他人に対しても優しくなって人も許せるようになった。
    
いつの間にか麻薬がなくても過ごせるようになった。
    
新しい仕事にもつけるようになった。
   
   
全ての苦悩は自分を非難することから始まる。





       

オリエンタルウインド

    
私たち気功の仲間はオリエンタルウインドを通して調和波動気功を紹介しています。
  
昨日、そのサイトを通じて生徒さんが来られました。
    
気功に興味を持っていて色んなサイトを調べたけどオリエンタルが一番自分の考えに合っていた、だから連絡しました。とおっしゃっていました。
    
どの部分が共鳴されたかというと

自分の中に答えがある、自分で病気でも貧乏でも人間関係でも心の問題でも全てのことを解決できる力を持っている。
   
だから外に答えを求めなくてもいい。自分のことは自分で解決出来るのだ・・・だそうです。
         
私たちはそのお手伝いをするだけです。(方法をお教えする)
あなたのなかの素晴らしい自分を見つけて下さい。

判り易く言えばこういうことです。

みなさんもオリエ
ンタルウインドのサイトを是非ご覧になってください。


          http://orientalwind.info/





       

台風

  
台風が去った後の空気は素晴らしく澄んでいる。
     
それは人間の汚れた想念、想いを綺麗に洗い流してくれているからだ。
     
台風も地震も雷、雨は浄化作用だ。
     
地球は人間の想念というエネルギーで出来ている。
     
だからマイナスの想いや否定、憎悪、非難する不調和な想いは、調和を保つために波動調整が行なわれる。
     
歪みを正すには矯正しなければならない。
    
地震は矯正するための荒療法と言える。
     
だから、科学で地震を予知するなんて、全くのナンセンスだと判る。
    
台風でたくさんの被害が出た、困っている人も大勢いる。
   
だけどそれは人間が原因を作っている。
     
自然は浄化してくれただけ、台風が来なかったらもっと大変なことになっていただろう。
    
私たちはもっと自然(宇宙)に感謝しなければならない。



     

みにくいアヒルの子

   
ほとんどの人は自分をアヒルだと思っている。
   
たいしたことはない、駄目だ、自信がない、他人はすごい、無理だ、不可能、身体が弱い、すぐにあきらめる、根気がない、・・・・と自分をいじめてばかりいる。
    
だけど、一方でそんなことはない、やればできるはずだ、前にも出来たことがある、自分にはすごい力がある・・・と信じたい自分がいる。
    
このどちらかが勝つことによって精神状態が決まる。
     
自信に満ち溢れて自分らしくなるのか、やっぱり駄目だと落ち込んでしまうのか。
    
童話に出てくるみにくいアヒルの子は美しい、素晴らしい白鳥だったにもかかわらず、目の前に湖という鏡があったのに自分の本当の姿を見ようとはしなかった。
    
人も自分が神(創造主)と同じ素晴らしい存在であることを認めようとしない。
     
完璧で欠陥のない、全てを創造できる、なんでもできる、スーパーマン、スパイダーマンのようになることに憧れていても自分がそうだ、そうなれるとは思っていない。
   
人は持っている力、能力のほんの数%しか使ってないという。
    
人は自分(他の人も)が偉大な存在であることを認めたとき今までとは全く違う人(神)になれる。
 


        


       

2007年7月13日 (金)

心の中(野球編)

     
A君は野球でライトを守っている、B君はレフト。
    
A君はエラーをしたらどうしよう、せっかく試合に出られたのに失敗したらすぐに換えられてしまう。いっそのこと球が飛んで来なかったらいいのに・・・来るな、来るな、来たらエラーする、頼む来ないでくれ、わぁー来たー

B君は試合前にお父さんから心のなかである言葉を唱えることを教えてもらいました。
   
だいじょうぶ、大丈夫、きっとうまくいく、大丈夫、大丈夫、きっとうまくいく を繰り返し唱え、それ以外のことは考えないようにしました。


   

この2人の結果はどうだったでしょう?
      
答えはもう出てますよね。




     



      

現象は心の中から・・・

     
コップの中に水が入っていてそこにどんどん水を注いでいくとコップから水が溢れ出る。
    
溢れ出ているのは当然水だ。
      
つまり心のなかで想っていることが外に出てくる。
   
現象となって現われる。
      
だから心の中を楽しいこと、プラスのこと、素晴らしいことで満たしているとその通りのことが起こる。
      
でも、心は不思議なもので心の隙(すき)にマイナスの想いが入ってくる。
   
駄目だ、無理だ、不可能、最悪、これらの言葉はエネルギーとなって現実のものとなる。
   
今の現状を造りだしているのは自分自身なのだ。
    
良い事も悪いことも全て自分が創造している。
       
だから良いことが起こるようにプラスのみを想わなくてはならない。
    
プラスの言葉を言い続けているとプラスが溢れ出してマイナスが消えていくことが実感できる。

    
宇宙のプラスの言霊(ことだま)49
    


無限なる愛、無限なる調和、無限なる平和、無限なる光、無限なる力

無限なる英知、無限なるいのち、無限なる幸福、無限なる繁栄、無限なる富

無限なる供給、無限なる成功、無限なる能力、無限なる可能性、無限なる健康

無限なる快活、無限なるいやし、無限なる新鮮、無限なるさわやか、無限なる活力

無限なる希望、無限なる自由、無限なる創造、無限なるひろがり、無限なる大きさ

無限なる発展、無限なるエネルギー、無限なる感謝、無限なる喜び、無限なる美

無限なる若さ、無限なる善、無限なるまこと、無限なる清らか、無限なる正しさ

無限なる勝利、無限なる勇気、無限なる進歩、無限なる向上、無限なる強さ

無限なる直感、無限なる無邪気、無限なるゆるし、無限なる栄光、無限なる気高さ

無限なる威厳、無限なる恵み、無限なる輝き、無限なる包容力



あなたはどの言霊が好きですか?






           

今、書いていること

    
今、私がブログに書いていることは未だ受け入れられない内容が多いと思う。
   
自分でもそう思いながら書いている。

不思議?なことをバンバン書こうと思っている。
       
だが、後数年、近い将来必ず理解される。
     
今、えーそうかな?飛んでるな、そんなの聴いたことがない。 とたくさんの人が思っていても波動が変われば、時期が来れば何の抵抗もなく理解できるようになる。
     
当たり前になってくる。
   
ブログのよいところは誰が書いているか前面に出なくていいし(調べれば判りますが)、誰も被害を受けない内容なのでかなり自由に書くことができることだ。
   
そしてパソコンを持っている人がいくらでもみることができる。
    
だから神秘的なこと、真実、本当のことを知りたい人は必然的につながってくる。
   
近い将来、今、書いていることが色んな人に読まれて新しい縁が出来ることを楽しみにしている。


       
   

守護霊2

   
私たちは自分の考えが正しいと思っている。
    
もしくはその道の専門家のいうことは多分正しいと信じている。
     
だから変だな、そうかな?おかしいぞ と少しは疑ってみても結局めんどくさいので疑問をそのままにしている。
    

専門家も判りませんでは食べていけないので判らなくても判っているように振舞っているだけだ。
    
今の科学で判っていることは無数にある砂浜の砂の一粒にもならないそうだ。
    
なーんにも判っていないのと同じだ。
   
だから何が正しくてなにが間違っているなんて人間同士で議論するのはナンセンスだ。
    
唯一正しいことが判っているのは神か悟った霊の守護霊、守護神だ。
    
だったら守護霊や神とコミュニケーションが取れたらどんなにいいだろうと思う。
     
昨日、知りたいことがあって以前読んだある本を読み返していた。
    
すごい、私のなかの固定観念が崩れていく。
   
自分の常識がどれだけ小さかったかが判る。
    
守護霊に注意を向けていたら多分誰でもが対話できるようになるだろう。
    
そんな日が近づいて来ている。
    
そんな気がする。
    


神との対話 1.2.3 サンマーク出版 ニール・ドナルド・ウォシュ




       

守護霊

     
守護霊と聴いてもあまりピンと来ないと思う。
  
自分が四六時中どんな時も守ってくれているなんて信じられない人がほとんどだと思う。
    
私も今までに
「あっ、守られている」 と実感出来たのは数少ない。
    
どんな人にも先祖の悟った霊が少なくとも3人はついて守ってくれているらしい。
    
肉体人間は将来のこと、明日のことも勿論、今からどうなるかさえ判らない。
     
だが、守護霊には未来のことが手に取るように判るのだそうだ。
    
それは霊は時空(現在、過去、未来)を超えたところにいるからだ。
      
だから、霊感、直感を研ぎ澄ませていると、とっさの危機も防ぐことが出来る。

そして、これからどうしたら幸せになれるかを教えてくれる。
      
それは、難しいことではなく、いつも守ってくださってありがとうございます。と常に感謝していればいい。
   
守護霊は字のごとく子どもであり孫である人間を守りたくてしょうがないそうだ。
  
守るためにその存在はある。
    
だから守られ易いように父母であり祖父母である守護霊に意識を向けることが大切だ。
     
これまでに偉業を成し遂げた人々はそのことが判っていて守護霊と一体になって、共同作業をしていた。
  
知らないのと知っているのは大きな違いだ。
    
人間一人の力なんて微力でたかが知れている。
    
というよりなんにも出来やしない。
   
だから素直になって守護霊様にお願いしよう。
    

守護霊様ありがとうございます。私をどうかお守りください。 ・・・と




                

2007年7月11日 (水)

挨拶

     
以前、少年野球のコーチをしていた時、親である監督やコーチが子供達に挨拶をするように口うるさく云っていた。
      
あの子は挨拶が出来ていない、家庭での教育がされていないと評論していた。
    
子供達はそんな大人が嫌いでわざと挨拶をしない子もいた。
   
私はそんな子供達の気持ちが判ったので、
 「挨拶したくなかったらしなくてもいいよ」と子供達に云ってしまったので、後で大人たちから結構ひんしゅくをかっていたらしい。
      
挨拶や礼は無秩序だった中国でなんとかましにならないものかと上流階級の人が考え出した苦肉の策だったそうだ。
       
本来、挨拶や礼は自然と相手を敬う気持ちから出てくるものであって、強制されてするものではない。
      
日本のスポーツ界には昔のしきたりや軍隊のような慣習が残っていて異様なところがある。
    

「私は挨拶したのに無視された」 「向こうの方が立場が下なので最初に挨拶するのは向こうの方よ」 とか言っているのを聴くと 「そんなことどーでもいいのでは」 と思う。
      
したかったら自分がすればいいだけのことであって、改めて、人に期待しない、何も求めてはいけないことの大切さが判った。




                           

困難な状況は・・・

   
、 困難な状況は、自らによき変化を起こすために生じる現象である。

何に対してもマイナスでなくプラスに受けとめられるようになったら、困難な状況はつらいものではなく、自分の力が無限にあることを思い出させてくれるありがたいこととなる。
   
人は何も問題がない平穏な状態にあるとついついそこにあぐらをかいてだらけてしまう。
     
波乱万丈まではいかなくても次々と何か問題が起こってその山を越えて行くくらいの方が成長しやすい。
     
困難を歓迎するのは違うけど逃げない、避けて通らないでぶつかって行くことが大切だと思う。
    
困難も通り過ぎて時間が経過すれば貴重な経験だったことに気づく。



      




   

お金

  
インターネットでも情報の9割は儲け話やお金に関することばかりが流れている。

不労所得で月に何百万稼いだとかあなたもすぐに金持ちになれるだとか・・・
  
お金を稼ぐことは悪いことではないが、お金のことをもっと判ってから、勉強してからやれば失敗もしないし、生きた(有意義な)お金の使いかたが出来ると思う。
   
日本はお金に関する教育がほとんどされていない。
   
とても大切なことなのに・・・
   
お金には心がある、そして魂が宿っている。
  
だから簡単に考えているととんでもないことになる。
     
このことが判っている人の本を読むことはお金だけでなく色んな大切なことを気づかせてくれる。
  
本田 健さん、斎藤 一人さん、このお2人の本はどれを読んでも大切な真理が書かれている。
    
古本屋さんでもかなり出回っていると思う。
    
なんでもそうだけどなにかをやろうとした時、その何かをよく識らなければ成功しない。
     
お金は素晴らしいものだし、非常に奥の深いものです。








              

人類は兄弟

   
キリスト教では人間はみんな兄弟姉妹だと言い、他人は自分を写しだす鏡だというが、自分と他の人は別だと思っていた。
      
だから考えが違えば腹が立ち、ケンカにもなれば争いにもなる。
     
ところが地球上にいる60億の人は実は一なるものから分かれた同じ生命(いのち)だったのだ。
     
太陽は地球のあらゆるものに光を与えている。
    
人間にも植物にも大地、動物、あらゆる自然、人間の造った建物・・・全てに
    
だがその光のもとは一つの太陽から出ている。
     
色んなものを照らしているが元をたどるとすべて太陽から発した光なのだ。
       
最初に人間ができたときも一つの光から始まった。

60億の人間の元も一つの光から始まっている。
    
つまり光の当たっている先が人間個人、個人になっているだけでどの光も自分自身であることがわかる。 
    

そして色んなものを照らしている一なるもの(創造主)も自分自身にほかならない。
    
人をいじめることは自分をいじめていることになる。
   
人をなぐることは自分をなぐっているのと同じこと。
   
人を憎むと自分が憎み返される。
   
反対に人を愛せば自分も愛される。
   
人はみんな一つの光から別れた生命だと知れば、すべてが納得できる。





                   

2007年7月 9日 (月)

無邪気

    
子どもがなぜかわいいかというと邪気がないつまり無邪気だということだ。

邪気とは邪(よこしま)な正しくないひん曲がった気(エネルギー)のことをいう。
  
そして無邪気とは何事にも把(とらわれ)ない、こだわらない、分別をつけない、計算をしないことでもある。
   
笑っていたかと思うと泣いて、すきなときにうんちをしてお腹がすいたらまた泣く。
    
大人の姿からは想像もできないほど自由気ままに生きている。
     
それが幼稚園へ行き、小学校、中、高と進むにつれて無邪気さは消えて行き、反対に邪気をもらってくるようになる。
     
詳しく言えば前世からの汚れた想念も併せて出てくるようになる。

だから高校生くらいになると生意気ざかりになる。
    
親や先生のいうことを聴くはずもない。
     
親がよくいうのは小さい頃は無邪気で素直でかわいかったのに・・・だ
       
大人でこの人にもかわいい赤ちゃんの頃があったのか?とそれくらい本心(もとの心)が汚れてしまっている人がいる。
        
よく初心に帰るというのは赤ちゃんのころの無邪気な綺麗な心に戻りなさいということだ。
        
人間の本来の姿とはこの赤ちゃんのような状態をいう。
     
本来の無邪気な状態になるには赤ちゃんになる前の形が無かった頃に意識を合わさなければならない。
        
形が無かった頃とは魂=心が自由に宇宙を飛び跳ねていた頃のことだ。
         
宇宙の調和した波動に意識を合わせると無邪気な本当の自分で出会うことが出来る。







                           

結婚詐欺師

    
ドラマで知り合った男女がそのまま本気になって恋愛したり、結婚することがある。

それは、真剣に演技をしていたら演技なのか本心なのかわからなくなるのだと思う。
  
ドラマの良し悪しは出演者がどれだけ役に没頭出来ているかによる。
   
結婚詐欺師はだまそうという気持ちは勿論あるが婚約者の役を真剣に演じるそうだ。

多分、逢っている時は本当に相手を好きになっているのだろう。
     
人をだましてお金を取ったりすることはいけないことだが人を信用させることや自分の気持ちをコントロールしていくテクニックには見習うものがあると思う。

自分が落ち込んでいる時は鏡の前でにっこり笑う練習をしていると人の前でも笑顔になれるという。
      
人はもっと役者になって色んな役を演じられたら生きるのがきっと楽しくなるだろう。






                        

2007年7月 8日 (日)

若い頃の恋愛

              
若い時の恋愛ってほとんどが錯覚だったと思う。

どちかかが最初に相手を素敵な人だと想う。(それが好きに変わっていく)


そして、 「私はあなたが好きです」 と告白する。

告白された方は嫌でなければしばらく付き合うことになる。

そのうち相手の好きだという気持ちが移ってきて自分も好きだと思い込む。

そして私もあなたのことが好きですと相思相愛になったときには相手は安心して立場が逆になる。
    
追いかけることが好きな人はこの時点で相手に対する興味は激減する。
   
そして、短い恋は終わる。

    
簡単に言えばほとんどがこの通りだと思うが安易(あんい)に人を好きにならずに冷静になることが大切だと思う。
     
慎重過ぎるのもいけないけど、簡単に人を好きになるのは自分を低くみていることになる。
    
本当の恋愛は自分も相手も尊重することだと思う。




                    



                     


もうやめた

       
今までに散々痛い目?に逢ってきているのに懲りずにしてきたことを諦めた、もうやめます。

それは何かというと子どもを教育しようとすること。
  
ある小冊子を読んでいてつくづく思った。
    

親が子を教育するのはむずかしいと、孟子(もうし)が言っています。
やめた方がいいと言い切っています。なぜなら親が子どもに正しい道を説いても、そのとおりに子どもがやらなければ親は怒るでしょう。あげくに子どもは 「お父さんだってやっているじゃないか」 と反発する。せっかくの親子なんだから、教育はほかの人に頼んで、親子の愛情の方を大切にすべきだというのです。だから孟子の時代は親同士が子どもを交換して教育したとか。人生で一番大切なことは何か、家族の幸福はどこにあるかの、孟子としての答えでしょう。孔子の逸話にも「父は子の悪事を隠し、子は父の悪事を隠してこそ直なるものである」とあります。日本の刑法105条にも、この名残があります。



この文章すべてが正解だとは思わないが、前半の部分はそうだと思う。

何が正しいとか決めつけずに色んな考えがあっていいですよね。





            









                                

古い魂(たましい)

  
年令が80歳であっても若い魂、5歳であっても古い魂があるらしい。
      
それは前世での年令、経験、生まれ変わりが多い少ないによる。
     
30億歳プラス80歳と300億歳と5歳ではこの世ではおじいさんと幼児であってもトータルでみれば雲泥(うんでい)の差となる。
    
今は特に地球が完成されていく時期なので古い、立派な魂が生まれているそうだ。
      
だから親だから、大人だからと子どもを上から、偉そうに見ていたらとんでもないことになる。
       
古い魂は潜在的に直感で正しいこと、おかしいことが判るので大人の誤魔化しやうそはすぐに見通す。
   
大人が子どもで子どもが大人なのだ。
      
子どもは大人のどこを観ているか?
       
それは心のなかで大人は何を考えて、何を想っているかだと思う。
              
正直に真っ直ぐに生きていないと子ども?は大人を冷ややかに厳しくみている。




                  




                                        



自己の本体を知る

       
今、読んでいる本に本当にそうだなあーと思った一説があったので抜粋します。
          
人間は、物心がついて、いわゆる考えることが出来るような年令になったらば、一番最初に 「自分はどういうものなのか、人間というものはどういうものなのか、自分はどうしてここに生まれてきて、どのようにして生きてゆくのがよいか」 ということが心に浮かぶのが本当なのです。
ところが世の中では、死ぬまで自分自身が何んにもわからないで、自分自身のことを探求もしないで、ただ目の前の利害損得や、つまらない喜怒哀楽だけを追っている人がほとんどです。・・・・・



       我を極める 
五井昌久 白光出版




              

2007年7月 4日 (水)

楽な生き方

   
なーんにも期待しない。
    
ありがとうの言葉もメールや電話の返事も自分がしたことの見返りも、健康もお金も地位も名誉も尊敬されたり、いい人だと評価されることも・・・みーんな忘れてゼロになってしまえば、全部がありがたいことになっていく。
    
忘れていたのに感謝された、期待していなかったのにお金が入ってきた。
    
予期してないので全てが新鮮でうれしい。

嫌なことがあっても良いことが起こる事を期待していないのでショックもない。
      
いつも心をリセットして0(ゼロ)にしておく。
    
それが本当に楽に生きられる方法だ。




          

地球という星

     
何億、何千億、無数にある星のなかで地球はかなり遅れた星らしい。
       
遅れたとは精神面のことで、進化した宇宙人からみれば理解できないことばかりだそうだ。
     
自分の損得しか考えない、自分や自分の家族さえよければ後はどーでもいい。
      
人や周りのことよりもまずは自分、自分、自分が一番大事でかわいい。
    
進化した宇宙人は自分という意識がない、欲がないからまずは人や周り(環境)のことを優先する。
  
だからケンカにもならないし、誰とでも調和がとれる。
      
まずは自分の欲を無くすこと。
     
そうすれば、周りは自然と調和していく。
    
そんな人が多くなれば地球は一段進化した☆になる。





                          

主役は自分

    
3次元でも4次元でも主役は自分だ。

人との関係で振り回されているときは必ず相手の人がいつもよりも大きくなっている。
  
自分の存在よりも大きくなっているときがある。
    
好きな人が出来たときは特にほとんどをその人が占める。
    
大きくなり過ぎて自分が見えなくなって、冷静になれなくなる。
  
家族や親子も心に占める割合が大きい。
  
大きいのでなんとかコントロールしようとして怒ったり、説得しようとする。
   
自分が主役なのに脇役の人たちを主役に立たせてしまう。
   
自分の舞台なのに自分が自由に演出できるのに逆にプロデュースされている。
     
脇役を大きくしてはならない。
    

そして好きな人であろうと嫌いな人であろうと縁の深い気になる人であろうとみんな同じ大きさにしないといけない。
      
あなたは空の高い所から地球を見ている。
      
豆粒のように小さく見えている人間はみな同じ大きさに見えるはずだ。
     
主役は自分、他の人に主役を譲ってはいけない。




        
   

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