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2007年6月28日 (木)

悟る

   
悟るとは、何事にもとらわれない、自由自在心になることを云う。
   
昔からお坊さんや修行僧たちは悟るために厳しい修行をしたり、俗世間を離れて山に篭ったりしていた。
   
今も時代が変わっても人は自由自在心になることを求めていると思う。
    
お金に囚われ、人間関係に振り回され、家族との不調和で悩み、病気の心配をして、将来のことに不安を感じ、人はいつも何かに囚われている。
       
囚われほど人を苦しめるものはない。
     
どんなことにも囚われなくなった時、心が自由になる。
      
ある人が覚者(かくしゃ)に 
「悟るにはどうしたらいいのですか?」 と質問した。
   
その人は
、「簡単だよ、余計なことを考えなければいいんだ」 と答えたと言う。
     
確かに人はどーでもいい事、どーにもならないことを一生懸命に考えている。
    
絶えず不安、不満材料を探している。
      
気功で人間の進化とは思いが少なくなることですと教わった。
      
思いが少なくなる・・・それは頭で考えるのではなく、自然体=心で日常生活が送れるようになることをいう。
        
人間の進化が考えなくなること思わなくなることとは何とも不思議な気がする。




                     



2007年6月27日 (水)

環境

    
環境で大切なことは、水や空気を汚さないことは勿論、自分の言葉や行為を汚さないことにある。
   
有名な話で、水に向かってバカヤローと言い続けると水の結晶は破壊され、まずい水になる。
   
反対にありがとうと言い続けると綺麗な結晶になって美味しい水となる。
   
だから環境を考える前に地球の自然に対して感謝の気持ちを持つことが先で、それだけで汚れた地球は清まって昔のきれいな星に戻っていく。
     
目に見えないことでしか地球の破壊は止めれないと思われているが、目に見える物は目に見えない波動ですべて出来ている。
     
宇宙の99.99999%は空間で目に見えないものであり、目に見えるものはないに等しい。

    
地球が次元上昇する時、地球が生まれ変わる時とは人間の心がきれいに純粋になった時だと云われている。
 
              
人は小宇宙、地球や大宇宙と一体だから人が清まれば地球も清まる。



                   


                              

幼子

   
小さな子どもを見ていると何とも心が和む。
  
子どもは何も考えていない。
  
子どもは明日のこと、将来のことも考えていない。
   
勿論、病気になったらとか、お金がなくなったらとか、死んだらどうしようも考えたこともない。
    
今、これからどうしようも考えない、一瞬、一瞬をただ、思いっきり生きている。
    
そして、100%力を出し切って遊んで、いつの間にかスヤスヤと眠っている。
     

子どもは成長するにつけ、周りから 「よく考えなさい」、「遊んでばかりいたら将来困るよ、勉強しなさい」 と云われて、心配ばかりしている、考えてばかりいる大人になっていく。
    

心配をすると心配した通りの現実がやってくる。
   
考え過ぎるとマイナスのことばかり頭をよぎる。
    

キリストは 「幼子(おさなご)のようになりなさい」 と言ったが余計なことを考えず、心をスッキリ、爽やかにすることは自分だけでなく、周りにも良い波動を与える。
 
 
子どもは存在しているだけで素晴らしい波動を与えてくれている。



                                    

                              

2007年6月25日 (月)

生涯獲得金額

            
宇宙の法則ではその人が生涯に得るお金の金額は決まっていて、一円の狂いもないそうだ。

例えば、その人が3億円の器しかないのに3億の宝くじが当たったとしたらそのお金は身に付かない。
    
それだけではなく家や財産を持っていたならそれも無くなってしまう。
    
以前読んだ本で5千万円ほしい5千万円ほしいとずっと唱えていたらほんとに5千万円入ってきた。

だけどそれは愛する妻が交通事故に遭って死亡保険金がちょうど5千万円だったそうだ。

どちらも何かを失っている。

一生懸命努力していると器が大きくなってたくさんのお金が入ってきても大丈夫になる。
  
それは宇宙(神様)が認めたお金なので減ることもなければ災難に遭うこともない。
   
今、ネットで簡単に稼げる方法があるみたいだ。
    
違法ではないとかリスクがないとか云う以前に宇宙の法則に合っているかが大事だと思う。



宇宙が味方する経営 関西アーバン銀行頭取 伊藤 忠彦 講談社インターナショナル






                      

2007年6月24日 (日)

肉体は上着のような・・・

                 
この間、生徒さんから、
「人間が死ぬってどういうことですか?」 と質問を受けた。

私は、「あなたが着ている服がボロボロになった、だから捨てた。
でもあなたは元気でどうもないですよね。肉体が死ぬ、肉体が無くなるってそういうことなんですよ」
 と答えたらすごく納得されていた。
   
つまり肉体(物質)がなくなっても心、たましいは永遠に生き続けるということだ。
    
テレビで亡くなった人を永眠されたと云っているがそれは肉体であって心ではない。

人は心が主で肉体が従だ。
     
従は無くなっても、主には関係ない。




               

求めよさらば与えられん


有名なキリストの言葉だが、実はどーしてもわからないこと、知りたいことがあったのだが寝ている時にある人?が現われて解決した。
     
ある人とは秘密で云えないが、目が覚める直前にアドバイスをして頂いた。
    
求める気持ちが強くて、そして私にとって必要なことだったので教えてくださったのだと思う。
    
   
ただ、すがって神様教えてくださいと懇願していたのではなく、自分で解決すべきだと思っていた。
    
だから、びっくりしていた。
   
自分でいうのも変だけどだから与えられたのかなぁ、期待していなかったからかなぁと思う。
   
これからも与えられることを期待せずに、だからと云って自分でなんでもやろうとせず、気張らずにやっていこうと思う。



                          




                          

この世とあの世はつながって・・・

    
この世とは私たちが生きてる3次元の世界をいう、死後の世界は次元が違うので、霊的な人しかわからないとされているが、実は3次元とあの世の境目が無くなりつつある。
   
どういうことかと云うと、3次元とあの世は螺旋階段(らせんかいだん)のようにつながっていて3次元の終わりはあの世の入り口となる。
    
地球は今、4次元へと次元上昇してきているので、もうすぐあの世とつながる。

つまり死んだ人と誰でもが会うことが出来る。
   
映画、黄泉(よみがえり)はそのことを予告していた。
   
あの映画が不思議な信じられない内容であったなら、特別な話題になっただろうが、みんな魂のレベルではありえるとわかっているのだ。
      
ただ、いつかそうなるのかな?なれば死は恐いものではないな、くらいでかなり漠然としていたのだと思う。
     
今、テレビでも守護霊のことや霊的なことを当たり前のように放送している。
    
すべてを鵜呑みにしないでそうなんだくらいの興味でみるのはいいのかもしれない。





                        

人は死んだらどうなる・・・

               
100人の人にアンケートをとって、人は死んだら肉体だけでなく、心、魂(たましい)もなくなりますか?と聴いたら何人の人がどう答えるだろうか?

歌の題名は忘れたが私が死んでも私の魂はお墓になんかありません、だからお墓の前で泣かないで下さい。私は風になって、自由に飛び跳ねています。という歌があるそうだ。
     
アンケートの話に戻るが、8割が心も無くなる、死んだらおしまい。一割が心は永遠に生き続ける、生まれ変わって又、地球のどこかで住んだり、他の星に行ったりする。死は決して悲しいものではない。後の一割は、よくわからないけど、死んでも心は無くならないような気がする。だから誰かが死んでもそんなに悲しくない・・・私の勝手な想像だが、そんなところではないだろうか?
    
これまで人は死に対してあまりにもないがしろにし過ぎた、関心があるのに死を考えるのをタブーとしてきた。
   
でも、インターネットで色んな情報が入ってきて、知りたいと思えば本当のことをいくらでも知ることが出来る。
   
テレビで知人、身内の死に対し、号泣している人をみると、少し異様にみえる、なぜならお葬式に来ている人の何人かは知っているはずだ。

悲しいことではないと・・・
      
これからは死に対する受け入れ方も変わってくるだろうなと思う。

人は死んだらどうなるか?それは理屈ではなく、最終的には自分の心が気づくことなのかもしれない。

人は心が納得しないと本当にわかったことにはならない。




                  

2007年6月22日 (金)

わからないことは・・・

         

わからないことを無理にわかろうとするとついつい分析してしまう。

分析とは分かれを意味し、合う、つまり愛とは反対の結果を生む。

科学とは分析することなので発展すればするほど愛、平和から遠のいていく。

人に質問されても直感でわからなければどーなんだろうと頭であーだ、こーだと考えてすぐに答えをだそうとする。
  
いくら考えてもわからないものはわからない。
   
人間には素晴らしい能力があって瞬間に判断する直感とその時にわからなくていいことは直感でも頭でもわからないようにされている。
   
だから、わからないことは放っておいて時期をみて対処すればいい。
  
もしかして、生きてる間にもずっとわからないままかもしれないが、それでもいいと思う。
     
人間が摩訶不思議なのは時間が経てば都合の悪いこと、どーでもいいことは忘れるようになっていることだ。




                            

仕事

   
「今週の土曜日空いてる?日曜日は?」 と聴くとたいがいの人は 「仕事が入っている」、「まだわからない」 と答える。

みんな頑張っているなあ、大変だなあと思うが、働きすぎだろ、もっと自由になる時間があればいいのになぁ、と他人事(ひとごと)ながら思う。

日本人は働き過ぎで、常に忙しく働いていないと不安でちょっとでも暇が出来るとこのまま仕事がなくなってしまうんじゃないか?とか他人から 
「あそこはもう危ないよ」 と噂されているんじゃないか?とかいらない心配をする。
   
自分達が世の中の為になる健全な仕事をしていれば食べていくためのお金は必ず入ってくるし、将来の心配のために余分に溜め込む必要はない。
   
だから休むべき時に無理をして働いたとしても結果は変わらない。

仕事をする時はする、休みの時は休む。

それでいいと思う。



                  

沈黙は金

             
高校生の頃、授業中に騒がしくしていると先生が 
「沈黙は金だ、静かにしなさい」 と云っていた。
   
昔は沈黙が良しだったけれど、今は自分の考えは主張する、ハッキリ意見を述べる、が良いとされている。

どちらが正しいとは云えないし、ケースバイケースで云った方がよい場合とじっと状況を見守る方が良い場合があると思う。

物事がおかしくなったり、ややこしくなるのはこのタイミングを間違えた時だろう。

中国の賢者である老子は中庸(ちゅうよう)を説いた。

中庸とは自分の気持ちを常にニュートラルにしておくことにある。

かたよらないバランスの取れた不動心の状態だ。

人間は普通、感情で話したり、自分の地位や立場でものを考える。

だから自分の考え、欲望を満たしてくれるうれしがらせてくれる人を良い人、考えの違う人、耳の痛いことを云う人を悪い人と判断する。

だから自分の意見をハッキリ云う人が、中庸(ニュートラル)の状態で言っているのかは判らない。

云えば云うほど周りを混乱させるのは自分よがりで客観視出来ていない時だ。
  
客観的にものをみていたら自然と話す言葉は限られてくる(少なくなる)。




                     

2007年6月19日 (火)

スターダスト

    
私たちの身体は常に新陳代謝を繰り返していて細胞は新しいものに入れ替わっている。

晴れた日にキラキラ光って見える細かいチリのようなものは人間の皮膚から剥がれ落ちた古い角質(皮膚のカス)なのだそうだ。

数は100億。

知らない間に古いものは消え去って新しいものがやって来ている。

そして新しいものもいつの間にか消え去っている。

宇宙は常に動き続けている。

出会いも新しい出会いの数だけ別れがある。

どれだけ良い細胞も意思(残って欲しい物も)に反して切り離されていく。

この場合の意思とは執着であったり情であったりする。

別れを悲しいこと、さびしいこと、つらいことと把(とら)われると本当にしんどい。
   
あなたに会えてよかった。お陰様で私はこんなに成長出来ました。又新しい出会いが来ました。ありがとう、さようなら。 であっさりと終えることが出来たらどんなにいいだろうと思う。


私達が今日、たった今経験していることも一瞬でキラキラと舞っているダストになる。
 
  
このダストはチリではなくて光輝いている星のような気がする。




                     


2007年6月16日 (土)

留学

    
留学についての2つの意見を聴いた。
  
一つの意見は、簡単に留学を考えるものではない、語学を身に付けるのは日本でも出来る。

同時通訳の人は外国ではなく日本にいる外人に人に教えてもらった。

要はやる気であって、行けばなんとかなるは甘い。語学以外の勉強でも日本で出来るはずだ、目的をしっかり持っていないと行くべきではない。
  
もう一つの意見は、行きたいという気持ちが大切で、目を摘まずに行かしてあげれる(経済的に)のなら行かしてあげてほしい。

外国で学ぶのは語学だけでなく色んな国の友達が出来て、苦しい時に助けてもらったり、我慢して乗り越えていく貴重な経験も出来る。

行けば何とかなるし、泣いて帰ってきても良い体験になる。

どちらも説得力のある考えで正しい、違うはないのかもしれない。
    
ただ私が思うのは 「昔、歌手になりたかったんだけど親が反対したので諦めた」 「絵描きになろうとしていたが経済的な理由で大学で学べなかった。だからサラリーマンになりました。」 と夢を諦めた人が云っているのを聴くと、本当は自信がなくて諦める理由を他のせいにしていたのではないかと思う。
  

どーしてもなりたかったり、したかったら周りは関係ない。

周りの協力を頼むよりも自分でなんとかするはずだ。

強い意志を持った人は留学したいと思ったら何がなんでも行くんだ、目的はこうだとしっかりしたものを持っているので、必ず実現させる。


親とか周りにいる人は何も(協力)しなくてよいのかもしれない。





                       

常識

      
常識にも2つあって、世間の一般常識と自分の経験からくる常識だ。

一般の常識は自分を正当化するときに使われる。

「あなたの言っていることは世間の常識から外れている、そんなこと通用しないよ」

と云われると何が常識だそんなもの誰かが勝手に決めたものじゃないかと反発したくなる。
    
常識は多くの人の考えかもしれないが正しいとは限らない。

時代と共に変化していく。
   
一方、経験からくる常識は自分だけの経験で他の人は知らないことなのでなかなか理解してもらえない。
    
みんな自分の尺度(しゃくど)、ものさしでものを見ている。
     
ものさしの大きさが違えば当然違ったものに見える。
   
大きいものさしは良い物、悪い物を含んで測れるので、短絡的に悪い物と決めつけない。
   
長い目でみて善いことと判断することがある。
  
だから見た目やその時だけの状況で判断するのは危険だ。
  
直感は瞬間に大きな物差しで観れているが、常識にとらわれた物差しは大局的に観ることが出来ない。
   

人の常識はどうであれ、自分は世間の常識?に振り回されないでやって行こうと思う。







                     

切り替えの早い人

    
世の中には切り替えの早い人がいて感心させられることがある。

今起きたことはもう過去のことであってどんどん忘れて行けばいいと判っていても、その余韻に浸ったり、ぐずぐず反省したりしてしまう。
    
でも、以前に比べたら見違えるように早くはなっている。
   
目が前に付いているのは前のことを一生懸命にしなさいということで、そうでないと未来は未だ来ずです。と教えてもらったことがある。

信じられないくらい切り替え?の早い人がいた。
   
オーラ写真を撮って分析をする人だが、その人は相手の人のエネルギーがわかる人で写真を撮らなくても判っている。

ただ相手の人を納得させる為にツールとして利用していた。

その人が最初に断る(報告)のは
、「今日お会いしたことはすぐに忘れてしまいます。
だから、明日どこかでお会いしたとして、挨拶して頂いても私は判らないかもしれません。
失礼があったら申し訳ないので最初にお断り(報告)させて頂きます」
 だった。

相手のことを判るためにはここまで自分をなくして、スッキリしなければならないのか?


不純物があれば相手の鏡(かがみ)にはなれない。

驚きを通り越して感動していたことを覚えている。





                           

もう一つのブログ

    
ブログを書き始めて早や9ヶ月にもなるが自分の本当の気持ちを100%書いているわけではない。

最近、同窓生が覗いてくれるようになったので、やっぱり意識する。

ここまで書いたらまずいなとか、プライベートなことは控えようとかブレーキがかかる。

もう一つブログがあったら、グッドムーンとまったく違うことを書いている。

みんな、いい子を演じているばかりじゃなくて、だだっこみたいにすねてみたり、誰かに甘えてみたり、思いっきりいつもと違うことをしてみたりしたいと思っているはずだ。

自分の心の奥は誰にもわからないし、自分でも気づいていないかもしれない。

自分だけの日記を書いてみようと思う。

なんの制限、世間の常識、人の目は関係ない自由な世界。

そこには誰にも見ることの出来ない自分だけの聖域がある。









                         

2007年6月15日 (金)

人と会う目的

   
人と会う時には会う目的がしっかりしていなければならない。

忙しい人であったり、気心がしれてきた相手ならなおのことしっかりとした目的がいる。

ただ会いたい.だけとか会えば楽しくなるだろうでは弱い。

弱ければ弱いほど満足度は低くなる。

どうしても会わなければならない場合は気持ちが前向きになる。
  
何か強い力が引っ張っているような気がする。

そんな時は相手も同じように感じている。
   
頭で考えて会おうかどうしようかと思っている時は、時期が違っているか、もう少し待った方がいい。
  
特に相手から 
「連絡するね」 と言ってきた場合はまだかなと気を回して電話したりせずに、のんびり待っていればいい。
 
なければないで連絡される必要がなかったということなのだ。
  
相手の人も貴重な時間を割いて自分と会ってくれている。

ちゃんとした理由がなければ、お互いに無駄な時間になってしまうかも知れない。


会う時は、目的とタイミングが合っていれば完璧だ。





                        

告白

   
付き合い始めた相手に 「あなたのことが好きです」 と告白することの裏には 「あなたはどうですか?」 の質問が入っている。
 
好きとか嫌いとかはハッキリとわかることではなく、だいぶ後になってからそうなのかな?と気づくくらいだ。

だから、あなたはどうなんだ?と言われてもわからない。

言ってしまった側は返事が気になって
、「わたしもよ」と返ってくればいいが 「わからない」 と言われるとがっかりしてしまう。

というよりお互い意識し始めて
、「好きでもないのに付き合ってもしようがない」 とか 「気持ちをハッキリさせなければならない」 とか考えすぎてしまう。

うまく行く時とは余計なことを考えていない時だ。

好意がなければデートに誘ってもそれとなく断られるし、嫌だったら一緒にいても苦痛になるはずだから、焦って相手の気持ちを確かめなくてもよいと思う。
  
告白したい気持ちは判るが焦るとうまくいくものまで駄目になってしまう。

焦るとは焦る(こげる)と書くようにこげてしまったら元には戻らない。

恋愛にテクニックは必要かどうかはわからないが相手の気持ちはどうであれ自分の感情をコントロールすることは何において大事なことだ。

でも、他のことはコントロール出来ても恋愛となると難しいのも確かですけどね。





                             




               
悪いことをして逃げ回っている人は出会う人全ての人が警官に見えるそうだ。

だから気持ちの休まる時がない。

いつも意識が捕まるんじゃないかと思っているのでそのまま視覚にも影響する。

つまり、相手の顔や見えるものは自分の心を反映しているのだ。

よく怒る人は自分の心がカリカリしているので人の顔をみると腹の立つ人に見えてしまう。

それも怒る相手は後々差し障りのない人を選んでいるので、おとなしい人や歯向かってこない人はターゲットにされる。(被害者の人ご苦労様です)

相手の人が輝いて素晴らしい人に見えるのは自分も輝いているからなのかな?

相手のよいところを認めると自分も輝いてくる。





                       


孔雀

    
高校3年生の息子が茶色に髪を染めて、鏡の前で必死でドライヤーを当てている。

学校に行く時やお出掛け前は念入りにやっている。

私は年頃だからしょうがないかと半ばあきれて見ている。

確かにかっこいい、おしゃれな人は人の目を引くかもしれないが、だからと言ってモテルとは限らない。

異性を意識し過ぎるとモテタイ光線が出ているから相手に判ってしまう。

ナンパしている男はギンギンに出ている。

まともな女性はこのギンギン光線は好きではない。

そんなことに神経を使っている人はやるべきことにエネルギーが使われていない。

反対に自分の好きなことや目標に向かって努力している人は輝いているので男女関係なく、人を惹きつけて、魅力的な人となる。

だから、孔雀のようにどれだけ着飾っても逆効果だ。

街で黒髪の若い女の人を見かけると自然でいいなぁと思う。

無理に染めなくても自然のままが綺麗で美しい。

男も茶髪に染めているのを見ると孔雀に見えてくる。

もっと神経を他のことに使えよと思うのは偏見なのだろうか?



                          

                         

2007年6月14日 (木)

大きいものに・・・

                
兵隊さんは日本の為に命を捨てた。武士は我が藩の為に死んだ。キリストは人類のカルマを背負って張り付けになった。

命を投げ出すことが良い悪いは別として自分よりも大きいものに意識を置いている。

私達は自分のことや自分の家族を守ることが一番だと思っている。

よその子供が病気になっても 
「あ、そう大変だね」 と少し気にするくらいだが、自分の子供が病気になると何も手に付かないくらい大騒ぎする。

「あなたの一番大切なものは何ですか?」 と聴かれた時、 「家族です」 とほとんどの人が答えるが、そーなのかなーと不思議に思う。
   

家族は勿論大切だが、家族は学校や会社の中にいる学校や会社は日本の社会の中にある日本は世界の中にある。世界は地球の中にある。

つまり世界が平和でなければいくら自分や家族が偉くなったり、地位が高くなっても意味がない。

地球が破滅すれば自分も家族も築き上げてきたものも、なーんにも無くなってしまう。

大きいものに意識を合わせた昔の人が偉かったとは言えないが、自分や家族から意識を外して宇宙的視野に立って観ると自分の存在がどんどん大きくなっていくのが感覚で判る。

4次元(本当)の世界は肉体(物体)から意識を外すことから始まる。




                          

2007年6月13日 (水)

意識はつながっている


地球の裏側でみる空も月や金星でみる空もつながっている。

日本で見る海も外国で見る海もつながっている。

それと同じように人の心もバラバラだと思っているけど、実は一つにつながっている。

だから私が今何かを想って書いているブログの内容も 

「ふむふむ、そうだそうだ、自分もそうだと思っていたんだ」 と共鳴している人が必ずいる。

そんなことを想いながら書いているとロマンが広がる。

もしかしてこれを読んだ北海道の人が大阪へ出張で来て会うことになるかも知れない。

その時は初対面でも、あっと言う間に打ち解けるだろう。

ネットで知り合った人が友達になったりするのも不思議でもなんでもない。

だって意識(こころ)はみんな、つながっているのだから。




                             

頭と心

       
頭で考えていることと、心の中は違っていることがある。

例えば、相手の人はこんなことを求めているだろうからぴったりの本をあげようと渡したとしてもさほど興味を示さない。
     
それは相手を本当に判っていない、理解していないことになる。

相手を識るのは理屈ではなく、直感でわかることなのだ。

直感は自分がスッキリした状態でないと降りてこない。

降りてこないと頭で考えようとするので直ではなく、曲がった判断になる。

おかしいな? いったい相手は何を考えているのだろう?

と又、考え過ぎると迷路に入っていく。

意識を上(頭)から下(足の裏)に降ろして気を静めると直感が戻ってくる。




             



晴耕雨読

           
晴耕雨読の意味を私は晴れた日には仕事をして雨が降ったら読書をする。

つまり、雨が降った時は仕事のことを忘れて自分の好きなことをすることだと思っていた。

確かに切り替えは大切だが、畑のことを放っておいて好きなことをしていたら畑は駄目になる。

長雨が続いたり強い雨や風が降ってきたら読書どころではない。

種を植えてから実になるまでは色んなことがある。

すべて順調というわけにはいかない。

強い雨に種や苗が流されていないか見に行ったり心を畑に向けて無事を祈ることも耕したことと同じように大切なことだ。

   
無事を祈るエネルギーは畑に届いて危機を脱する。






                     




                            




                          

大学

                 
ある有名大学の教授が生徒たちに 
「大企業に行こうと思うな。これからは自分の力で何とかしていく時代だ」 と言ったという。

大企業でもこの先どうなるかわからないとか、安定した生活を望むなということでははなくて、個の時代、つまり一人一人が個々に輝いて自立していくことが大切だと言いたかったのだと思う。

業種にもよるが企業が作り出している商品等は消費者や環境を十分考慮しているとは限らない。

利潤だけを追求したり、自分たちの立場、地位だけを守ろうとしていたらいつの間にか消費者に見放されてしまう。

だから、どれだけ大きな企業であったとしても一瞬で消えてしまう。

これからは個人が力を発揮する時代だ。

個人が発するプラスのエネルギーの波動が広がって周りに好影響を及ぼす。
   
     

映画 ペイフォワード を想い出した。





                      

2007年6月11日 (月)

長澤まさみ

    
最近、長澤まさみさんがテレビによく出ている。

ショートカットになってもかわいらしいなぁーなんてプチファンくらいかな?

彼女を初めて画面で見たのは、映画 「黄泉がえり」 だった。

ストーリーは死んだはずの肉親、恋人が突然姿を現して人々を驚かせるという内容だった。

長澤まさみは中学生か高校生の役で好きだった男の子が自殺した。

その葬式に死んだはずのその子が現れて周りは騒然とした。

しかし彼女は、冷静に受け止めて彼とのつかの間の時間を過ごした。

結局、彼はこの世には長く留まることが出来なかったので、あの世(死後の世界)へ移行して行くのだが、残された彼女は喫茶店で生き生きとアルバイトをしながらこう言った。


「短い時間だったけど確かに彼と心が通じ合った。だからこれから私は前を向いて生きて行けます」

そうだよな、時間は関係ない、一度しっかり心が通じ合えば永遠につながったことになる。

だから別れが来たとしてもそれは一瞬の別れであって永遠ではない。

やっぱり、 愛は永遠なんだ

最近そう思うようになりました。






                         




県庁の星

         
先週の土曜日メールを送った友達が
、「今県庁の星を見ながらメールを見ています」
とあったので、どこかの県庁で星を見ているのかと思い「ロマンチックでいいですね」 と返信したらテレビの番組名だと大笑いされた。

どんな番組か知らなかったのでインターネットで調べてみるとなかなか面白そうだ。

最近テレビ、特にドラマは全く見ていない。

同じようにテレビ嫌いの友達は世の中に取り残されていくと心配していた。


でも、新聞やニュースを見ていればテレビの話題についていけないのはどうでもいいと思う。

興味がないのに話題作りの為に無理をして見る必要はない。

テレビは一方通行で対話が出来ない。

私は人と話しているか静かなところで自分と向き合っていることの方が好きだ。

自分と向き合っているともう一人の自分が色んなことを教えてくれる。



どんなに忙しくても一日を振り返る時間を持つようにしている。




                          



雨の日に・・・

             
不思議な感覚だけど雨が降っているのを部屋の中や車の中で見ていると幸せな気分になる。

それも中途半端な小雨ではなくバケツをひっくり返したようなすさまじい雨の時にほっとするというか、幸せをかみしめている。
   
外はどしゃ降りなのに自分は濡れないところにいられる。

なんて幸運なんだろう・・・と
  
たぶん前世で冷たい雨に濡れて肺炎にでもかかって死んでいたか、雨の中を座禅を組んで修行をしていたかどちらかだろう。
   
潜在意識の奥の方で覚えているようだ。
   
だから自分が贅沢な暮らしをしたいとか、お金持ちになりたいとかの願望はほとんどない。
    
一回は経験してみたいと思うが、多分すぐに飽きると思う。

人間は贅沢な生活を楽しむよりも質素でつつましい生活をしていた頃の方が良かったと思うのではないか?
   
質素だと美味しいものをたまーに食べた時感激するし、物を大事にして愛着を感じられる。
     
人の優しさやこころ使いが判る、小さな喜びが大きな喜びに変わる。

つまり心が謙虚になるので感謝の気持ちが出てくるのだ。

キリストは心の貧しい者は幸なりと云ったという。

心が貧しいとはひがみやねたみ心のことではなく、奥ゆかしいとか反省の気持ちのことである。
  
人間はお金がたくさんあると自分が偉くなったと誤解したり他人をさげすんで見たりしやすくなる。
   
どんなにお金があったとしても反対に貧乏であったとしても、心は貧しかった時のままでいられたらその人はきっと、幸せな人なのだろう。




                  

2007年6月10日 (日)

勉強

                 
この間の同窓会である女性の人が
 
「今勉強したいことがあって大学へ行っています。毎日がすっごく楽しくて充実しています。学割だって使えるんですよ」 と云っていた。
    

なんの勉強をしているのかは忘れたがその人はキラキラ輝いていた。
  

年が経ってから勉強したくなるのは、若い頃には判らなかった自分にとって大切なこと、必要とすることが何かが明確になったからだろう。
  

それにしても思っていることを行動に移すことが素晴らしい。
  

勉強するのに年齢は関係ない。
  

昔に比べ多少覚えや理解力は遅いだろうが、そんなものはやる気と集中力でカバー出来る。
  
  

今回の同窓会では2人の先生に学校の教室で授業をして頂いた。
  
  

お2人とも昔を思わせる魅力あふれる語り口で生徒?たちは真剣に、そして楽しそうに聴いていた。
  


勉強の楽しさはいつ判るか判らないし、学校の勉強だけが勉強ではないだろうと思う。
   

学校で学ぶ勉強なんて役に立たない、学校に行かなくても勉強は出来る。
   

なんて思ったこともあったがたくさんの同級生たちと一緒に授業を受けていてわかった。
    

この授業が楽しいのは 
みんなと一緒だから、時間を共有(きょうゆう)してるからだ という事が・・・
  

今度はもっとたくさんの先生方の授業をみんなで受けたい。

そう思った。





                                    

 








                       

                       

ジャッジしない

                
人も自分も今現在の自分の状態で自分を評価、判断(ジャッジ)している。

だから状態がよくなければ、情けないとか、駄目だとか思ってしまう。

すると当然未来は同じような暗いものになってしまう。

これを原因があって結果があるという因果説という。

この場合、時間は過去から未来へと流れているように思ってしまう。

しかし、未来に暗い設計図を書いた為に、実は思った通りの自分が未来から流れてきたのだ。

一方、今の現状がどんなにひどく悲惨な状態でも自己批判、判断(ジャッジ)せず、明るい未来に意識を置き続けると未来の設計図がそのまま流れてきて、状況は一変する。

この考え方を果因説(かいんせつ)という。

つまり、結果(未来)が先で原因は後から伴ってくるということだ。

今までは因果説が信じられてきた、だからみんな未来に希望を持てず、人のことも過去や現在からしか判断しないのでお互いを責めたり非難していたのだ。

他人を判断する前にまず、自分をジャッジすることをやめよう。

自分を非難、駄目だと思うことは謙虚でもなんでもない。

自分を悪く思うことは人を悪く思うことと同じだ。

自分をジャッジしなくなると人もジャッジしなくなり、やがて果因説が信じられるようになる。

目はなぜ前に付いているのか?

それは前(未来)を見るためにある。




                  






                      

2007年6月 8日 (金)

男女の別れ

  
男と女の別れはきれい過ぎても後がつらく、しんどい。

私は少し前に流行っていた 「冬のソナタ」 にはまったが、純愛は感動するけど当人同士はかなり疲れるはずだ。

好きなままとか納得しないまま別れるよりもケンカしたり 「こんな人だとは思わなかったわ」 と思われて別れた方がサバサバしていいのかも知れない。

粋なプレイボーイ(懐かしい言葉です)は別れようと思ったらわざと嫌われることをするらしい。

昔、黒鉄ヒロシさんの漫画でプレイボーイが未練を持たれた女性と別れるときにベットに うんこ  サヨナラ という文字を作って去っていった場面があったが、なぜか印象に残っている。

相手をスッキリさせるには別れやすいように持っていくのも愛情の一つなのかも知れない。

また、違う話だが職場で楽しそうに、何の不満もなく仕事をしていたと思われていた人(この場合女性)が急に辞めると言い出したら上司は相当のショックを受けるらしい。
   

同じように昨日まであなたのことが大好きよ。愛していますと言っていた女性から突然、「別れましょう」 と言われたら先ほどの上司と同じようにショックを通り越して怒り、殺意を覚えるそうだ。
  

かわいさ余って憎さ百倍になるのだろう。
    

相手を傷つけない為には、それとなく示唆したり、相手があきらめられるようにしていくのも大切なのかな と思う。



                         

あゆ

      
電話で話しをしていると電話の向こう側にいる相手を想像することが出来る。

あゆは高校の時の同級生で今回の同窓会に協力してくれていた。

電話をするとお姑さんが 
「あゆちゃーん電話よー」 と言っている。

その声の響きから 「あー、あゆは愛されているんだな」 と瞬間わかった。

元々、性格は抜群にいい子でみんなから 「あゆ」 と呼ばれて好かれていた。

同窓会で 「あゆはお姑さんとうまくいっているね」 と言うと 「田舎の人だから擦れてないのよ私は何もしてないよ」 と答えていたが、いやいや、何をおっしゃいますやら 「それはあなたの人徳ですよ」 と心の中で思った。

同級生の友達が平和な家庭を築いているのがとてもうれしかった。


パソコンやインターネットはしないと言っていたので、内緒で実名(愛称)を使わせてもらいました。

怒らんといてな
 「あゆちゃん」



                        

まっ、いいか

                      
周りに振り回されないで自然体で楽に生きるには、まず、腹を立てないことにある。

昨日、同窓会のスナップ写真を写真屋さんで大量に現像してもらった。

実は今回は2回目で最初は別の所でやってもらったのだ。

つまり、同じ写真を2枚焼いたことになる。

ところが最初に焼いた一枚は明るく綺麗に写っているのに、今回のぶんは暗く不鮮明に写っていた。

以前の私だったら店に文句を言いに行って2枚の写真の違いを納得させて安くするようにに交渉していただろう。


一瞬、行こうかな?と思ったが現像する前にお店の人に暗い場所で撮った写真は明るくしといて下さいと頼んでなかったし、 「まっ、いいか」 とあきらめた。

なんとか許せる範囲だったこともあるが、簡単に引き下がった自分の心境に驚いた。

以前の自分と違っている。


大げさかも知れないが腹を立てていない自分がいた。

なんでもかんでも 「まっ、いいか」 ではすまされないけどお互いミスをする時もあるし、うっかりする時もある。

相手を攻めるのは簡単だけど、相手にした行為はいつかは必ず自分にかえってくる。

だから行くのをやめようではなく、何も考えずにあっさりと流せた自分の心境がうれしかった。


「まっ、いいか」 はマイブームになりそうだ。




                                                      






        

2007年6月 6日 (水)

デジタルカメラ

               
同窓会のスナップ写真を撮るのにデジタルカメラを使った。

私はデジタルカメラを持っていなかったので友人に借りたのだ。

写真屋さんで現像しているとズームしていくのに画像が荒くなる。

このカメラは何万画素かは知らないが限界があるのかな?と思った。

以前、友達にデジタルはアナログに勝てない、どんなに細かくなってもバカちょんカメラの方が綺麗に写るんだ。と聴いたことがあった。

超アナログ人間の私はそれを聴いてうれしくなった。

「そうだ、デジタルがなんだ、パソコンが使えなくたって生きて行けるんだ」 と喜んでいた。

しかし12万画素くらいになるとほとんどアナログと変わらなくなってくるそうだ。

つまりデジタルとアナログの違いがなくなってくる。


デジタル人間もアナログ人間もなくなるのだ。

お年寄りはバカちょんカメラを今まで通り使っていて、カメラ屋さんはどちらも同じように現像している。

今は古いものと新しいものが仲良く共存している面白い時代だなぁーと思った今日、一日でした。



                     

漬け物

        
妻の実家から時々漬け物が送られてくる。

私は白菜、きゅうり、高菜の漬け物が大好きでこれと白いご飯があれば後はなにもいらないくらいだ。

だけど妻の実家(奈良県東吉野村)で食べる味と大阪の自宅で食べる味は何故か微妙に違うのだ。
     
奈良の実家で食べる味は最高だ。
           

大阪でも美味しいのだが美味しーいの感嘆詞にはならない。
      

この間テレビで世界一おいしい京都のワラビもちの店を紹介していた。

その店は他の土地で仕入れてきたワラビの粉をすぐに使わずに何年も置いて京都の地になじませているという。
    
場所が変われば空気や波動も違うのだ。
   

馴染ませて、他の材料(京都で採れた)と一体になれる状態になってから混ぜ合わせる。
   

だから調和(ハーモニー)が絶妙なのだろう。
           

気功の先生である若山先生から 「違いのわかる男になりなさい」 と云われたことがある。

漬け物だけでなく、色んな物の違い(本物、にせもの)が判るようになりたい。
      

宇宙(自然)の波動に自分の意識を合わせ続けると一瞬で判断出来るようになる。




                       

                     



             

人を楽しませたらお金が入って・・・

                 
今、私の周りで何か仕事をしたい、収入を得たいという人がいる。

私もその一人だが、自分が心の底からしたいと思わなければ行動に移せない。

儲かるからとかこれから流行るからとかそんなことではない。

お金は人が喜んでくれてその代償として頂けるものだ。

「私はこんなに満足しています。だから、お金を支払います」

が理想的なお金の流れだと思う。

一番わかり易いのが音楽で、みんなを楽しませる元気にさせる音楽は聴いている人がCDを買ったり、コンサートに行くことによって自然と収入になる。

お金は人を楽しませたり喜ばせる所に集まってくる。
     

だからどうやってお金を稼ごうかと考えるのではなく、どうすれば人が喜ぶのかを考えた方が失敗せずに楽しく出来る。

人を喜ばせると自分もうれしくなってくる、そのうれしい気持ちがまた他の人に伝わる。

その連鎖反応が次々にお金を産んでいく。

ネットで収入を得るのも、物を売るのでも全てに共通している。

自分も相手も喜ぶことが収入になればそれは天職といえるだろう。



                    

2007年6月 5日 (火)

7人の仲間たち

      
先週の土曜日、同窓会の幹事が集まった。

司会、受付け、会計、駐車場整理、雑用係、みんな自分から進んで役をかって出てくれたり、二つ返事で引き受けてくれた人たちだ。

みんな一生懸命にしてくれて同窓会は大成功に終わった。

このなかの誰一人として欠けていたら、こんなに素晴らしい会にならなかったと思う。

以心伝心で集まった仲間はまるで何十年も前から知っていた身内のように話し合った。

すると親同士が友達だったとか、ずっと前に会っていたとか縁の深さが納得できる事実が次々に出てきて、みんなここにいる人たちが自分にとってかけがえのない人たちだと理解していった。

                
私は、ついこの間まで友達はいらない、一人のほうが気楽でいいと思っていた。

だけど集まった仲間と接していて考えが変わった。

         

今は、友達っていいもんだなあー幸せだなあーと実感している。



               




                               




       

世界が平和になればいいのに

       
今、地球の環境のことが盛んに叫ばれている。

私たちは自分のことだけでなく、みんなのことや地球のことをもっと大切にして考えていかなければならないと思う。

今日、私が習っている気功の教室にこんな英語の文章が貼っていた。

心にしみたのでご紹介します。

         



You can listen  to  the  earth .

You can talk  with  the  earth .
      

Because  you're  the  part  of  the  earth .
         

May  peace  prevail  on  earth .







         








                  

修行

   
時々、一人になって誰もいない所へ行きたくなる時がある。
   
仕事が嫌だとか、家族がわずらわしいとかでなく、ただ、無性に一人になりたくなるのだ。
   
昔は世間一般の生活に嫌気がさして出家(しゅっけ)する、お坊さんや女性だったら尼さんになるような感覚なのかもしれない。
   
もちろん、逃げ出して出家するのはごく一部の人だけだろうが、誰でもそんな生活を想像したことがあると思う。
       
昔から日本にはたくさんの修行僧がいて山にこもって滝に打たれ、断食をして、精神を鍛えた。
        
だが山から人のいる町へおりて来ると途端に気持ちが乱れ、又、山へ戻って行ったという。
     
つまり、山での修行よりも町中での生活の方が厳しいのだ。
       

特に人間関係が複雑でストレスに溢れる現代を生き抜いていくだけでも大変な修行だと思う。
      
まして家庭を持っている人は家族との調和を保って行かなければならない。
    
昔の人たちが今の生活を強いられたら多分、身体と気持ちがもたない(耐えられない)と思う。
     
ある本に書いてあった。

    
 
  小聖は山に籠もり大聖は町中に住む  と
        

人に迷惑をかけずに立派に生活できている人たちは自分をもっと褒めてあげたらいいと思う。


今を生きているだけでも厳しい修行をしているのだから・・・





      




    

幸せ

    
「私は幸せでない」

「嫌なことや大変なことばかり起こっているので不幸です」


人は時々、自分は現在(いま)幸せであるのかどうかを考えてみるときがある。

だが不思議なのは、全く同じ状況にあっても幸せに感じている人と不幸に感じている人が存在することだ。

この二人を幸せ、不幸で分別することは出来ない。


自分が幸せだと言っている人に 「あなたは実は不幸なんですよ。それを幸せだなんておかしいですよ。」 と云うことはナンセンスだ。

先日行われたセミナーで隣に座っていた人が 「この世の一番の幸せは人が喜んでくれること、それに勝る幸せはないんですって」 と教えて下さった。
     

そうか、自分のことばかり考えている人は不幸?で人の喜ぶことを考えている人だけが幸せになれる。
       

今まで、気づかなかったけど私の周りの幸せそうな人、そうでなさそうな人はみんなこれに当てはまるように思う。

だから幸せは人にしてもらうのではなく、自分でなっていくものなんですね。






                       


         

2007年6月 4日 (月)

嫌なことがあっても祝福の扉が・・

        
かなり前の新聞かニュースで知ったことだったが、ある電車の運転手さんが自分の息子がどうしても運転席に座りたいとダダをこねていたので、ちょっとくらいいいだろうと運転席に入れてしまった。

ところが、会社のえらい人にたまたま見つかってしまって懲戒解雇(クビ)になってしまった。
    
勤務態度も真面目でなんとかならないかと周りは気の毒に思ったらしいが会社の規則だったのでどうしようもなかった。
    

懲戒解雇なので退職金も出なかった。という内容だった。

この場合ほとんどの人は、自分のやった行為をくやんだり、非情な会社や上司を恨んだり、罪のない息子に腹を立てたりするだろうが、私はこのニュースを聴いたときにこの運転手さんにとって転機が来たんだなあと思った。

もしかしたら運転手さんは今の仕事が嫌で辞めたかったのかもしれない。

だけど収入も安定していたし、辞めるといったら周りから猛反発を受けていただろう。

辞めたかったのではなくても、辞めることで次の舞台で活躍する道が出来たのだ。

そして、新天地で自分らしい生き方が出来たとき、電車での出来事はありがたかった出来事へと変わる。
               
あのとき辞めさせられて良かったと・・・
       

本人は嫌でつらいことでも後から顧(かえり)みるとあの時あのことがあったから、今の自分があるということはいくらでもある。            
     

だからマイナスな出来事というのは存在せず、すべて善くなるためのプロセスだと云える。
    

昨日、調和波動のセミナーでう先生が、 「嫌なことがあったとしてもそれは祝福の扉なんです」 とおっしゃった。
    

その通りだなあと思いつつ、電車の運転手さんのことを想い出した。





         

呼吸を意識する

        
普段なんの意識もしないで私たちは呼吸をしているが身体の調子がおかしい時は充分な呼吸が出来ていないことがある。(呼吸が浅い状態)
    

まず、息を吸うことは大気中の酸素を身体の60兆の細胞に送りこんでやる意味があってこの細胞に酸素が行き渡らないと細胞が正常に活動(新陳代謝)しないので、ストレスが溜まったり、血流の流れが悪くなる。
        

次に呼吸を止めた時は肉体の身体が一番強くなっている。
     

火事場の馬鹿力(ばかぢから)やすごく集中している時はかなり長い時間、呼吸は止まっている。
        

意識して呼吸を止めると自分が今何を意識してどの位置にいるのか判ってくる。
       

冷静なのか、興奮しているのか、あわてているのか?客観的に観ることができる。
   

40秒ほど止めて(無理をしないで)みると身体が熱くなっているのが判る。
   

次に吐くのは息を細く長くゆっくり吐くのがいい。
  

吐くことは身体の中の不調和なもの老廃物を吐き出す意味があって、吐き切るとまた新しいエネルギーが入ってくる。
  

この3つのなかで一番意識したらいいのは最後の吐くことで、吐き切ると充分に吸うことが自然に出来て、止めることも吐ききった時に止めた状態になる。
  

要は悪い物(不純物)を出してしまえば後は良い物(エネルギー)が入ってきてうまく循環していくことになる。
  

吐くことに意識を集中すると余計なことを考えなくなり、気持ちが落ち着いてくるから不思議だ。



          

叱ること、ほめること

          
えば叱るときは過去のことまたは現在のことに対して叱っている。

もしかしたら叱られる前の本人は反省して 
「もうやめよう」 と思っているかもしれない。

反省して気持ちが前向きに変わっているのに元に戻されて説教される。

説教された分だけ凹むので再び前向きになるにはそこからゼロに戻して、またパワーがいる。

昔、西田敏行さんが 「今、やろうと思ったのに言うんだものなぁー」 というギャグを云っていたが、子供が 「さあ、今から勉強しようか」 とした時に親が 「いつまでテレビを見ているの勉強しなさい」 と云うと間違いなく、やる気を削いでしまう。

よっぽどのことがない限り云わないほうがいい、説教する側もされる側もマイナスのエネルギーを放っている。

よい方向に行くはずがない。


一方、同じ状況であってもよいところを見つけて(無理をしてでも見つける)褒めていると褒められたことでマイナスが消えて欠点が無くなっていくそうだ。

良い状態になった子供を想像(未来に刻印)して褒めていくと未来から褒めた通りの子供がやってくる。

だから今がどれだけ腹立たしい状況であっても過去を見て叱ってはならない。

過去や現在から未来を想像してはならない。




2007年6月 3日 (日)

聴く耳を持つ


答えは自分の中にある、外に答えを求めてはいけないとある時からずっと思っていたが、そこにこだわると、自分の考えが絶対に正しい、相手は間違っていると一方的に思ってしまう。

そして、人の意見や話を聴かなくなってしまう。

これは非常に危険なことで一歩間違えると取り返しのつかないことになる。

相手の人に誤解されて攻撃されたとしても同じようにやり返したり同じエネルギーで対抗してはいけない。

聴く耳を持つとは相手の考えを受け入れるということではなく、相手が発散してくる気(エネルギー)を受け入れる、受け止めるという意味だ。


どこかで聴いたのだが、聴くとは気が来るという意味らしい。

相手の人はどんな気(エネルギー)で来るかわからない。


話の内容よりも 聴く耳を持つ その心構えが大事なのかもしれない。









2007年6月 2日 (土)

離婚


昨日、道でバッタリと知り合いの奥さんに出会った。

その人は息子が少年野球をしていた頃に同じコーチとしてお付き合いしていた人の奥さんだった。

 「お久しぶりですね。ご主人お元気ですか?」 と聴くとその人は微笑みながら、「別れました」 と答えた。

返す言葉がすぐに出ず、「そーですか、ではお元気で」 と変な挨拶になった。


私の周りでは最近、離婚している人がやたら多く、流行っているのかなあーと感じるくらいだ。


以前は独身の人や離婚した人を「一人ではさびしいだろうな」、「自分は家族がいるので幸せだな」 と今思うとなんて生意気で失礼なことを考えていたのかと反省している。


子供が小さい時やお互いに依存し合っている時は確かに家族、夫婦という関係を保ったほうがいい場合もあるが、永久にその関係を続けることは無理なことやいらない我慢を強いられることが多い。


お互い健全な気持ちを保つには別れたほうがいいこともある。


その辺の事情が理解できるようになった。


お互い理解しようとする努力は必要だが、判ってもらえないと腹を立てたり、相手をなじったりすることは違う(努力ではない)。


一緒にいることが苦痛になったら離婚してもいいと思う。




ネットで食べていく


身体を使わず(じっとしていてよいではない)に、パソコンの向こう側にいる人を相手にビジネスを考えることは面白いと思う。

とくに身体に障害のある人やどうしても対人関係がうまく築けない人はどうすれば商売として成り立つのか考えてみるのはいいと思う。

ホームページ、ブログのよいところは世界中に発信できて、思わぬところからアクセスしてくることにある。

私の書いた日記(ブログ)があらゆる場所で色んな人に読まれているなんて、そんなことが出来るなんてほんの数年前までは信じられなかった。

日記は本来、自分だけのものであって、人に公表するものではなかった。

そして公表するには本を出すしか方法がなかった。


以前はよい物を作っていても宣伝したり口コミで広げるにしてもお金と時間がかなりかかっていた。

ネットを使うとよい人(よい波長)の所へはよい人が共鳴して集まってくる。

そして波長の合わない悪いものは遠ざかっていく。

この現象は信じられないスピードで現れては消えていく。

だから自分の信じた良いものだけを発信し続けていけば、あなたと巡り合いたいと思っている人は必ずつながってくる。

お金をかけなくても自分からよいエネルギーを発信していけばいいのだ。

「今日は気分が乗らないな」 「イライラしているな」 と自分で感じたら更新したり、新しいことをするのは控えたほうがいいだろう。

ネットは正直なのであなたの不調和なエネルギーはパソコンを通じて相手の人に伝わっていく。

ネット(健全な商売)で食べていけている人はそこのところが判っている人だと思う。






2007年6月 1日 (金)

奇跡は自分で起こすもの


医者から
「あなたの足はもう駄目です。一生歩くことは出来ません」 と宣言されたとする。

ほとんどの人はそれを聞いて絶望的になり、その通りに終わるだろう。

しかし、奇跡を起こす人は自分が元気に歩いたり、走っている未来の自分を想像し 「自分は歩けるようになるんだ。大丈夫だ」 と毎日言い続ける。

すると未来に刻印されたエネルギーは未来の設計図に注がれて、現実となって今に現れてくる。

時間は過去から現在、未来ではなく、未来から今にやってくる。

この時、本当に歩けるようになるのだろうか?と疑いのエネルギーが入ると奇跡の実現は遅れるが思い直して自分の力を信じ続けると必ず夢?は実現する。

キリストが目の見えない人を一瞬で治した。というのはキリストに会った人が 「これで目が見えるようになる」 と100%信じたことにある。

キリストを信じたそれこそ目に観えないエネルギーが流れて奇跡を起こしたことになる。

信じる力は人間の常識を遥かに超えている。



人には無限の可能性がある。









永久就職


昔、女性が結婚することを永久就職と言った。

結婚すれば3食昼寝付きのおきらくな生活が送れて、めでたしめでたしだった。

だったというのは今は違うということだ。

まず、妻がそんな生活が送れるのは夫が安定していなければならない。

妻が働かなくていいだけの収入があって、定年まで勤められて退職金もたくさん貰える。

今時、そんな景気のいい会社なんてない。

今は会社はいつどうなるかわからない。

それだけでなく、収入が減るかもしれない。夫が病気になって働けなくなるかもしれない。夫が家出して帰って来ないかもしれない。とあらゆることが考えられる。

物事を悪く考えろと言っているのではない。


夫(人)を当てにせず、頼らず、何かがあっても一人で生きていけるようになることは、妻だけでなく、夫にも子供にも必要だと言えると思う。

この間の新聞に日本で家族全員の所得金額が一番高い県は富山県だと書いてあった。

富山県は家族が働いている率が高く、それぞれに自立(経済的に)していて、働かずに家にいると身体が悪いのかと聞かれるらしい。

収入が多いとかでなく自分のことは自分でする。

欲しいものは自分で稼ぐという気持ちは必要だと思う。



永久就職はもう死語になっている。









ジェネレーションギャップ2


かなり前のブログに世代のギャップについて書いたが、これが第2弾になる。

私たちが中学、高校の頃(30年ほど前)はカラオケも携帯もなかったので、主な楽しみは友達としゃべったり、音楽を聴いたりすることだった。

喫茶店やファミレスで話すことはなかったし、レコードを聴くのも擦り切れるまで繰り返し聴き、仲間でレコードを廻していたので、金額は忘れたが月1000~2000円のお小遣いで充分だったと思う。


全然使わなかった月もあったのでお小遣いを貯めて服を買ったり、映画を観に行ったりしていた。

お小遣い以外に親にお金を要求したことがなく(かなり優等生だったのかな?)頼むときはよっぽどの理由があったと思う。

だから、文化祭、体育祭、クラブの打ち上げに焼肉を食べに行ったり、カラオケに行ったりしないと友達付き合いが出来ない、みんなもらってるからと、その度に2~3000円を要求してくる感覚が理解出来なかった。

「携帯代が2万を越えてもほとんどの親が出してやっている」は信じられなかった。

時代が違うんだ、自分の感覚を押し付けてはいけないと自分に言い聞かせ、納得できないのにお金を渡してきたが、もうやめた。

納得できないものは納得できない。

子供がなんと言って来ようと、妻の援護射撃を受けようと納得できないことはしない。

余計なお金は出さない。


納得できないお金を渡すと後で必ずおかしくなる。

脅されたヤクザに一回お金を渡してしまうとお尻の毛が無くなるまで何度もむしり取られるというが、あの時は出してくれたのに今回はなぜ駄目なの?違いを説明して?説明できないんだったらくれるべきでしょと食い下がってくる。

こんなことを繰り返していたらお金が原因でお互い感情(勘定)的になってしまう。

どちらが正しい、間違っているとかではない。


親が稼いだお金は自分の考えで使い道を決めていいのだ、押し通していいのだ。

他の家庭がどうだとか一般論なんてどうでもいい。

自分の信念を持って進まないと、「時代によって考えを変えなければならない」 というもっともらしい常識の迷路に入ってしまう。

常識なんで誰かが勝手に決めたいい加減なものにすぎない。



世間のお父さん、そんなものに振り回されずにお互い頑張りましょう。





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