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2007年3月30日 (金)

野球


高校野球に続いてプロ野球も始まった。

私は小さい頃、野球に夢中になった。

打つよりも守ることが好きで、ボールが飛んでくる前から身体が動いて、その方向へ走って行っていた。

なぜ、そんなことが出来るかというと何も考えずに頭をからっぽにして心をニュートラルにしていると身体が勝手に反応していたのだ。

直感で動いている時は本当の自分の力が出ている。

だから、頭を使った、データ野球は直感を狂わせる。

今の野球少年は大人から守備位置を指示されて、「左バッターだから左に寄れ」 とか、「小柄だから前に守れ」 などロボットのように動かされる。

そして、指示されないと自分で判断出来なくなる。

直感で動けないことほどつまらないものはない。

それは、観ている側にも伝わる。

本当の指導者とは、直感の素晴らしさを伝えて、選手に任すことの出来る人だと思う。

自分の直感を信じてグランドを走り回っているのは、マリナーズのイチローだ。


好転反応


コップの水のなかに濁った、汚い物が入っていて、そこにきれいな水を入れていくとコップの外には汚い物が押し出されていく。

目の前に現れてくるのは見たくもない汚物。

だけど本当に美しい水にしようとしたら、汚物が流れていくのはしょうがないことだし、汚い物を見るのは一瞬であって、後は限りなく透明に近い美しい水が流れつづける。

多くの人はこの好転反応をマイナスに受け取ってしまっている。

これから善くなるはずがないと決めつけている。

せっかく悪い物(マイナス)が消えてプラスに転じようとしているのに。

だから真理を識ることが大事なのだ。

この世に顕れてきているものは全て消えて行くものであり、消えていった後は素晴らしい世界が訪れる。


私たちはただ、消え去っていくものを冷静にみているだけでいい。

これから善くなっていくんだと信じていればいい。


許すということ


例えば相手の人があることで怒っていてまだ許してくれないとする。

内容にもよるが、許してもらうことにあまりこだわる必要はないと思う。

ある男の人が年上の子連れの女性と一緒になった。

親はなんでまたそんな人と一緒にならないといけないのか?
と腹が立って2人の結婚を認めていない。

「絶対に許さない」 と云っているらしい。

自分達が納得しているのだったら、親が反対しようが、誰が反対しようがよいのではないか?

人は他人の考えや思っていることにこだわり過ぎている、気にし過ぎている。

許す、許さないは親の個人的な考えであって、その考え方を自分の都合のいいように変えさせるのは無理がある。

だから人が許してくれなくてもまず、自分を許す、自分を大切にしてあげることが大切だ。

人間は年齢は大人でも自分の感情をコントロール出来ない未熟な生き物である。

立場が上であっても目上の人であって気にすることはない。


そんなことにエネルギーを使うのは浪費である。

人としてもっとやるべきことがある。

それは自分の天命をまっとうすることだ。

人は天命を果たさなければ幸せにはなれない。










2007年3月29日 (木)

白髪が減った


人体と環境に無害のシャンプーとリンスを使い始めてから、うれしいことが起きた。

それは白髪のところが黒髪に変わってきたのだ。

最初は気のせいかな?と思っていたが毎日見ていると確実に黒髪が増えてきている。

市販のシャンプーは泡立たせたり、保湿させる成分に硫酸や石油などの有害物質を使用していて、人体のタンパク質を破壊していたのだ。

たぶん髪も影響を受けていたのだろう。

年齢的(48歳)にしょうがないと諦めていたのが、うれしい誤算だ。

白髪が減っただけでなく、髪が生き生きしてきて、こしも出てきた。

弾力性というかしなやかになってきた。

髪は外に出ている血管とも云われている。

生き返った髪をこれからも大事にしていきたい。

そして、たくさんの人が人体と地球の環境のために無害の製品を使えば良いと思う。








宇宙飛行士


宇宙飛行士は地球の波動圏から離れて宇宙の波動圏へと入っていく。

すると意識が地球意識から宇宙意識へと変わっていく。

地球の意識は対立があったりいがみ合いがあったりするので不安定な意識だが、地球から離れた宇宙は平和、調和、愛の波動に溢れているので、その波動圏にいるだけで至福の喜びに満たされる。

宇宙から帰ってきた飛行士が愛に目覚めて、穏やかな性格に変わり、人を許せるようになったり、ボランティアを始めたりして人格が変わったりするそうだ。

変わるというのではなく、元の自分、本当の自分に帰っていくのだ。

地球にいながらにして、宇宙の素晴らしい波動圏にいることが出来るようになることが本当の幸せにつながる。


調和波動気功はその方法を教えてくれる。










足の裏


私が今、日々心がけていることは、常に足の裏を意識することだ。

以前は下丹田(かたんでん)と云って、へその下(3.5cm)を意識していた。

しかし、下丹田では意識がすぐに上がって来てしまう。

なぜ足の裏を意識するかと言うと頭で考えるということは、人類のマイナス想念を受けることになるからだ。

人の頭は受信機になっていて、他人の考えや思っていることがひっきりなしに入ってくる。

あれ、なんでこんなことを考えているんだろう?

どうしてすぐに感情的になって、腹を立ててしまうのだろう?

等は人の想いが写って来ている。

又は、過去の自分の想いが録音されていて、再生されて出てくるのだ。


人はこのような想念に振り回されているうちは絶対に幸せになれない。

昔から云われている気を沈める。落ち着かせる。

とは意識(こころ)を頭(肉体)から外すことを意味している。

お釈迦様が弟子たちに座禅を組ませたのは下丹田に本当の頭があることを教えていたのだ。

おへそでものを考えるなんて出来ない。

じゃあ頭はなんのためにあるの?と疑問が涌いてくる。

その答えは自分でまずやってみてからでなければわからない。








2007年3月28日 (水)

アウトソーシング


外部に委託して、そのシステム、ノウハウを導入することをアウトソーシングという。

導入の目的は、コストダウンや時間の有効活用にある。

ただ、自力でした方がいいのか?委託した方がいいのか?の見極めは難しい。

委託した方が本当にすべきことに集中出来て有効な場合と、委託したことが実は自分ですべきことだったりして、本末転倒(ほんまつてんとう)になることがある。

自分でするにしろ、委託するにしろ、自分でまずやってみることが大切だ。

委託する場合でも7~8割は判っているほうが後々役に立つ。

相手の力量も判断出来るし、後の2~3割を自分たちで出来るのか?すべきことなのか見極めも出来るからだ。

企業であっても個人であっても基本は自分ですることだと思う。


なぜなら、人や委託に頼っていてはいつまでも自分に自信が持てないからだ。

やるだけやって委託した場合は、自信喪失にはならない。

そして、時間の無駄にもならない。






犬と狼


作家の畑正憲さんが狼(おおかみ)は犬の祖先ではない。

「狼と犬は全く性質の違うものだ」 と云っていた。

犬は人間に依存して、頼って生きているのに対し、狼は絶対に頼らない。

独立心が強く、孤立している。

人間でも協調性のない人のことを
 「一匹狼(おおかみ)」 と呼んだりする。

犬のどこが可愛いかと言えば、人に同調して感情を共有できることにある。

いわゆる癒し系だ。

ところが狼は気持ちをゆるさないのでなかなか通じ合えない。

だったら、犬が良くて、狼は駄目なのか?

確かに人間と馴染めなかった狼は絶滅し、犬は生き残った。

でも私は狼にも魅力を感じる。

自分たちが絶滅しようが、又、受け入れられなくても自分の生き方を貫く。

人に頼ってばかりで、自立しようとしない人間よりずっと立派だ。

もしかしたら狼と本当の信頼関係が築けたら、神の領域に入れるのかもしれない。


だって、おお神(おおかみ)だから・・・








2007年3月25日 (日)

神と愛


人は誰でも土壇場でどうしようもない状況に立たされたら、
「神様助けて下さい」 と祈る。

神様を信じないどんな人も肉体人間の限界がわかっている。

このことは最後は神様しかない、神様はオールマイティ(完全)だ。

ということを潜在意識では識っていることを意味している。

そして神様とは愛(チャリティ)であることも識っている。

人間は欲望や嫉妬、名誉など余計なものを剥ぎ取っていくと 
 
愛 そのものとなる。

又、剥ぎ取っていくと自分と相手の垣根が無くなって同一であることに気づく。

合い(あい)は愛と同意語である。


あいうえお 
は世界各国の共通言語(原語)だそうだ。

あいうえお を発音しない言葉は存在しない。


神様を呼ぶとき愛を呼んでいる。

愛を叫ぶとき神様を叫んでいる。


かー
 みー の語尾はあいである。








客観的になること


よく客観的にみる、宇宙的視野に立つというが、どういうことなのか?

う先生は 
『肉体を外して客観的にみれている自分が、本当の自分なのです』 とおっしゃた。

人間とは肉体である肉のかたまりだけが人間でなく、心を持った霊なる存在である。

人間とは霊が主で肉体が従である。

肉体は人間を現しているもののほんの一部にすぎない。(氷山の一角)

だから、肉体から意識を外さないかぎり人間の本質はみえてこない。

お釈迦様は空になって、肉体から意識を外すことを教えた。


空になること客観視することは共通点がある。


空になることとは、自分の想念を全て宇宙に投げ入れて、全托(ぜんたく)することである。

客観視はそこまでの意識がなくても出来る。



客観視すれば自分のことや相手の人のことがわかってくる。









節制


イギリスでの宿泊は都心ばかりではなく、田舎にも泊まったそうだ。

建物は3~5百年前のものが多く、地震がないので修繕しながら大事に住んでいる。

お金持ちであっても贅沢はしないで節水、節電を心がけているそうだ。

夜遅くまで、明かりをつけているとメイドさんが消しに来る。

こちらが起きている、いないに関係なく習慣がそうなのだ。

日本は水や電気に対して節制の意識は低いと思う。

贅沢が豊かさで、節制はケチ、貧乏のイメージがある。

物の無い時代に育った親たちも贅沢な生活に慣れ、節制を忘れてしまった。

現在(いま)、地球は環境汚染で存続の危機に瀕している。

一人一人の意識が目覚めることが大切だ。


今日、書店でう先生に薦めて頂いた本を買った。

まだ全部は読んでいないがたくさんの人が読めば意識は変わっていくだろう。




不都合な真実 アメリカ元大統領 アル・ゴア ランダムハウス講談社









2007年3月23日 (金)

客観視


息子がイギリスから帰って来た。

しばらく家を離れると客観視が出来るようになる。

帰ってくるなり 
「うちの素晴らしさがわかった」 と云ったが色んな意味が含まれていたようだ。

実は、今回の旅は私の母と同行しており、協調することが必要だった。

息子は干渉されたくないタイプ、母はかまいたくてしょうがないタイプだ。

どちらかが辛抱しないとぶつかってしまう。

案の定、母は事細かく干渉してきて息子はずっと抑えてきたそうだ。

たぶん口から 
「ほっといて」 と云いたかったのだろう。

だがそれを云うと母が傷ついてしまうと判っている息子は云えない。


ある意味、我慢の旅だったと思う。

家では 「うるさい」 、 「ほっといてくれ」 を云っても受け入れてくれる。

立場では孫でも自分が親の気持ちにならないと関係は保てない。

イギリスの素晴らしさを孫とおばあちゃんは楽しそうに話していたが、私は息子に 
「ご苦労様でした」 の気持ちを送った。





2007年3月22日 (木)

ライオンと羊2


ライオンと羊がお互いになんの遠慮や警戒なしにじゃれ合っている姿を想像した。

相手を敵とか、強い、弱い、美味しそうだ。

そんな感覚はいっさいなく、ライオンは羊をかわいい奴だと思い、羊は大きいライオンを父のように思う。

いやそんな思いも何も無くただ、子どものようにじゃれ合っている姿は平和でいいなあと思う。


人間も仲良くすればいいのに・・・

今、地球で起こっていることはじゃれ合っている世界がそのまま降りて来ないで、歪んで降りて来ている。

真っ直ぐ、そのまま降ろすために波動調整が必要だ。

過去において、波動調整をしてきたのが、お釈迦様であり、キリストであり、聖者と云われた人たちだ。

私たちにも出来ることがある。

それにはひたすら、世界の平和を願うことだ。

世界の平和を祈ったとき、宇宙のエネルギーが流れて強力な波動調整が始まる。



May Peace Prevail on earth  

世界人類が平和でありますように






ライオンと羊


聖書にはライオンと羊(ひつじ)がたわむれている姿が本当の世界だと書いてあるらしい。

本当の世界とは天国でもあり、進化した星でもあり、未来の地球でもある。

食欲、支配欲、性欲、独占欲、金銭欲、あらゆる欲が無くなったら、今まで敵とか、欲を満たす対象としてきたものが全て自分の一部(自分自身)だと気づき、愛すべきものへと変わっていく。

ライオンの食欲が無くなれば、羊が横を通っても見向きもしない。

人間も金銭欲が無くなったら、札束が落ちていても拾おうともしないだろう。

ただ、たくさんの人は欲を満たすことを目的に生きている。

ある日突然、あらゆる欲が剥ぎ取られたら、目的を失って茫然とする人たちがさ迷うそうだ。

欲が無くなったら、こころが自由になって、ライオンや羊のようにどんな人とも仲良くなれる。

本当は素晴らしいことなのに欲を捨てきれない人たちはそうは思わない。

天国が天国でなくなる。


すべての苦しみは欲と執着からきているのに・・・








2007年3月21日 (水)

決断


今、息子は私の母とイギリスへ旅行へ行っている。

先週の木曜日から明日の木曜までの一週間の日程だ。

母は孫と海外旅行へ行けることが、かなりうれしかったらしく舞い上がっていた。

息子は相手に関係なく、イギリスへ行けることが、決め手になった。


なにせ母は年(73歳)なので、
息子に
 「あーちゃんのこと頼むで」 と云い、母にもまだ自立出来てない子どもだから 「頼んだよ」 と云い、どちらもしっかりしていない者どうしの旅となった。

イギリスでの滞在が最後になった日に自由行動出来ることになって息子は一人で行動したくなったらしい。

ただ、母を一人にするのが気にかかって、どうすればいいのかメールで相談して来た。

私は 『自分で決めなさい』 と返事を送った。

どんなことでも人に相談することは後で必ず スッキリしない 結果となる。

自分で決めて失敗したとしても責任を自分で取ればいい。

人の意見を取り入れて、結果が悪かったら、相手に責任を押し付けて自分は悪くないと勘違いしてしまう。

相談の内容にもよるが、ほとんどのことは自分で決断すべきだと思う。


子どもであっても出来るだけ早い時期から決断する習慣を付けることが大切だ。





2007年3月20日 (火)

トラウマ


人のことが理解できないことの一つに性格の問題がある。

なぜ、あの人は怒りっぽいのか?

なぜ、恐がりなのか?

なぜ、心配ばかりしているのか?

今、読んでいる本でこんなことが書いてあった。

度胸のすわったいつも冷静沈着だと思われている人が雷が鳴リ始めると、ぶるぶる震える。

恐くて恐くてしょうがない。


それは過去世において雷に打たれて死んでいたことが原因だった。

またある母親は子どもが病気になると不安で不安でたまらなくなる。

それはやはり過去世において5人の子どもを死なせていたことが原因だった。

過去世に限らず、阪神大震災や列車事故で強烈な衝撃を受けた人が精神的なダメージを持つことは理解しやすい。

人は過去において色んな経験を積んできており、そのことが潜在的に記録されている。

そして、関連した事柄に対し反応している。

だから、簡単に性格的なことを 
批判、非難、評価 をしてはならない。

全ての出来事には必ず原因がある。


     
          
悠々とした生き方 五井昌久 白光出版





2007年3月19日 (月)

復活しました。


3日間程、風邪でダウンしていました。

寝て治すのが一番だと思い、ただひたすら赤ちゃんのように寝続けました。

風邪をひく前兆は確かにあって寒気がしたり、喉が痛くなったりしていた。

だけど自分は大丈夫、気力で乗り越えれると奢りが出て、その結果寝込むことになってしまった。

ただ、寝てる間に気づいたことは、元気なときは無駄な動きが多かったなあーということ。

どうにもならないことをどうにかしようとしたり、考えてもしようがないことを考えていたり、やっぱり人に期待していました。

物事は機が熟さないと成就しない。

焦らすにのんびりいこうと思った。

風邪はしんどかったけど、私とって貴重な経験でした。





2007年3月14日 (水)

頑張ると一生懸命


頑張るとは、我を張るという意味で力みがある。

力むと身体が硬くなって本来の力が発揮出来ない。(エネルギーが固まる)

金メダル確実と云われていた選手がプレッシャーに負けるのは力んでいるためだ。

力んでいる時は自分で何とかしようとしているので肉体の力しか働かない。

一方、一生懸命とは、自分の命を懸ける、預けるという意味で、自分が無くなって、力みが取れて、目に観えないエネルギーが働く。

肉体の力は有限で、宇宙のエネルギーは無限だ。



目に見えているものは突き詰めていくと分子や原子の集まりだ。

目に見えるものは観えないものの影である。

見えるもの(現象)の結果を出そうと思ったら頑張らず、結果や余計なことを考えないで一生懸命にやるしかない。(仏教では空という)

一生懸命にしていたら、目に観えない力が働いて全てが整ってくる。

昔の人?は目に観えない力のことを神、仏といった。


肉体人間の力では奇跡をおこせない。









2007年3月13日 (火)

デトック


何事においても良くなって行く過程として(好転反応)一見、悪く見える現象が起こる。

例えば、熱が出たとする、これは体内の体温を上げることで排出しなければならない菌(毒素)と戦っているのだ。

本当は、あわててお医者さんに行ったり、薬を飲んだりする必要はないそうだ。

安易に薬ばかりに頼ると免疫力が落ちるので、薬は風邪のひきはじめだけにするとか、副作用の少ないものを選んでいくことも大切だ。

その際も多少の熱は出さなければならない。

全く押さえ込んでしまうと菌(毒素)は消滅せずに生き続ける。

結局、長引いたり、菌を増殖させることになる。

私は今、良いものを入れ続けていくと今までの毒素があぶり出されてくる、
「デトック」 に興味を持っている。

デトックには色んな現れ方があって、症状のほとんどでないもの、少しだけ出るもの、びっくりするような形になるもの、様々だ。

最後の驚くような現象は以前よりも悪くなっているように 
みえる ことがある。

だけどそれは悪いものが現象として現れて消えていく姿である。

消えていった後は、本来の姿が現れる。

本当は喜ばしいことになる。

 地球も人も これから好転反応の時期に突入する。

消えていく姿に振り回されず、感謝で受けとめて行きたい。



2007年3月11日 (日)

拒絶反応


今、妻が完全無害のシャンプーを使っているが、頭が少しかゆくなったそうだ。

市販のシャンプーは泡立たせたり、保湿を保つ部分に硫酸等の有害物質が入っていて人体に影響を与えている。

実は人体だけでなく家庭用排水として流れていく有害物質は川や海の環境も破壊している。

さて、妻がなぜかゆくなったかというと無害のシャンプーを使うことで頭の中に溜まっていた毒素が表面に出てきているらしい。(毒素を排出することをデトックという)


普通かゆくなったら使用を止めるし裏のラベルにも止めるように書いてあるが妻は 「しばらく使ってみる」 と云っていた。

皮膚を通して入る毒素は外に出にくいそうだ。

眼科医でもあり気功の先生でもあるW先生は 
「アトピーやジンマシン等の症状は今の食生活をしていたら出ている人が普通なんです」 とおっしゃっていたそうだ。

今症状の出ていない人も出る直前の人がたくさんいる。

そう考えるとアトピーの人は決して悲観することはない。

無害の食品や商品を選んでいけばよい。


ただ、どうしても無害のものは割高なので経済的には大変ですよね。







2007年3月10日 (土)

神秘的であること


昨日、調和波動気功の勉強会(オリエンタルウインド)があった。

その中で
 「真理を伝えるのは少しづつがいい」 とTさんが云っておられた。

どういうことかと云うと相手の人が真理(本当のこと)を知りたがっていても一度にたくさん伝えてしまわずに小出しにしてしばらくは何も云わない方がよい。

多くを語る必要はないということだ。

余韻を残して何なんだろう(神秘的に)?と考えてもらう。

そして、自分の中から答えを出してもらう。

これは意地悪でしているのではなく、その人なりにキチンと理解したり、整理出来てから次へ進むという意味もある。

そうすれば後につながる。

その人の自信にもなる。


学校の勉強でも判らない箇所があったまま次ぎに進まれたら嫌になってしまう。

たくさんの生徒がいた場合は歩調を合わすのは難しいが、相手が一人であったなら待つことが大切だ。


自分も伝えたい、相手の人ももっと知りたがっているとしても、話したい思う気持ちをぐっと押さえて 「引くことが大事だ」 と云っておられた。

まさしく今の私にとって一番必要なことを聴かせて頂けて感動した。

その時、誰かが 
「恋愛と同じですね」 と云っていたが恋愛だけでなく、ビジネスや教育、家庭においても人間関係では全部に云えることだと思う。

勉強会ではいつも貴重な話を聴かせて頂いている。

皆さん、ありがとうございました。



わかってもらおうとしないこと


最近不思議な現象が起こっている。

それは私があることをしている、伝えようとしている、わかってもらおうとしていることがあって、それに対して相手が理解してくれない、受け入れてくれない、ついには誤解されたとする。

以前の私だったら相手の人を懸命に説得、または議論していた。

でも今は 「そうか、しょうがないなあー」 と諦めて忘れていると相手の人が歩み寄ってくれて知らない間にうまくいっていることがある。

相手の反応に合わす(振り回される)のでなく、マイペースで淡々としていれば正しいと信じている方向へ行っている。


そう確信できることが私の周りで起こっている。

かなり前のブログで 
「わかってもらおうとしないこと」 を書いたことがある。

その時はほんとうに諦められたわけではなかった。

心の隅では少し期待していたりして100%諦めていなかった。

あっさり諦めて、何の期待もしていないところに良い知らせがあると本当にうれしい。

言葉は変だが儲かった気がする。

相手に頼る、すがる、わかってもらうことを止めたとき、初めて思ったとおりにいく。

皮肉だけどこれが真実なのかもしれない。








直感と小さな感情


最近、人が書いているブログを読んでいなかったが久々にTeresaさんのブログを覗きに行った。

なぜ読んでいなかったかと言うと読むとこんな文章もいいなあー

自分もやり方を変えてみようかなあーと影響を受けてしまいそうだったからだ。


自分の目的(ブログを書いている)は視聴率?を上げるためではなく、自分の直感だけで書くことだった。

視聴率(ヒット率)を気にすると自分の文章でなくなる。

最近、ブログを書く時間がどんどん短くなって5~10分で書き終えるようになった。

勝手に手が動いている感じだ。

だが、小さな感情は直感を狂わせる。

人の批判、批評を受けるとそうかな?やっぱりおかしいのかな?と思ってしまうし、なるほどと納得することもある。

だけど最後は自分の直感だ。

自分が 
「これでいい」 と判断するなら人の考え、意見は関係ない。

以前は影響を受けやすい私がいた。

今は他のブログを観ても評価を受けても動じなくなった。

比べるのではなくそのまま素晴らしいと思えるようになった。


自分が強くなっていくのが確認できるのはなんともうれしい。


「直感と小さな感情」 はTeresaさんのブログからヒントを頂きました。


       http://wakteresa.blog87.fc2.com/





2007年3月 9日 (金)

幼子のようになりなさい


子ども、それも幼稚園に上がる前くらいの幼子(おさなご)は何も考えていない。

何も考えていないから無邪気でかわいい。

一日の計画を立てて、きょうは○○ちゃんと遊んで、その後はママとお買い物に行くとか頭のスミにも思い浮かばない。

その場、その場で判断して、その判断が間違っていたなんて振り返ることも勿論しない。

命(いのち)そのままに生きている。

だから苦しむことがない、悩むこともない。

毎日がただ楽しくて、笑ったり、泣いたりして過ごしている。


私たちが過去を振り返って、「あの頃はよかったなあ」 と想い出すのは何も考えていなかった日々のことではないだろうか?

それならば、何も考えなければいいのか?

何も思わなければ、幼子のようになれば幸せになれるのか?

そんな簡単なことなのか?


キリストは 「幼子のようになりなさい」 と云われた。

お釈迦様は 「空になれ」 と云われた。

老子は 「無為になせ」 とおっしゃた。


賢者、聖者は皆、同じことを云っている。

またお釈迦様は「空になった時からすべてが始まる」と云われた。

それまでは迷いの世界だそうだ。



本当にすごい人は幼子のようになにもないクリスタルな人だ。





空気を読む


その場の雰囲気や状況を判断することを
 「空気を読む」 という。

日々、色んなシュチエーションがあって居心地の良い場所、悪い場所、様々だ。

敏感な人は空気をサッと読むことが出来る。

部屋に入っただけで感じ取ることが出来る。

よく、オーラが出ているというが人の考えている、想っているエネルギーが発せられているのだ。

100人いる部屋でネガティブな気持ちの人が3人居るのと、ポジティブの人が3人居るのでは全体の雰囲気は全く違ったものとなる。(あとの97人は普通の状態とする)

目には観えないが一人の発しているオーラの範囲はビル一軒分の大きさだそうだ。

たくさんの人に影響を与えている。


ネガティブな雰囲気の場所に行った時に 「あー嫌だな」 とそのエネルギーに飲み込まれてしまったら、益々その場は暗くなる。


う先生は人と接する時に大事なことを教えてくださった。


自分にくるもの(エネルギー)を穏やかに、さわやかにすること。

とらわれないエネルギーにするのが一番よい。







2007年3月 8日 (木)

誕生日


高校2年生の息子が修学旅行から帰って来た。

北海道でスキーと観光を楽しんできたそうだ。

妻が旅行先で誕生日(3月4日)を迎えた息子のためにケーキを焼いていた。

家族3人で17歳になったお祝いをした。

息子は楽しかったみやげ話をしてくれた。

修学旅行の初日に誕生日を迎えた息子は夕食が終わった後、突然クラスメートが息子の誕生日を祝ってくれたそうだ。

歌を歌ってもらいケーキまで出てきた。

大阪からわざわざバレないように運んでくれて、みんなが100円ずつ出し合って買ってくれたらしい。

「こんなにうれしかった誕生日は初めてだった」
と云っていた。

なんて幸せな奴なんだろう。

きっと息子はみんなに愛されているのだろう。

立派に育ってくれているなあーと感動した。


北海道での出来事がこちらにも伝わって来た。

息子のクラスメートに感謝、感謝。





2007年3月 7日 (水)

60兆の細胞が・・・


最近、ストレッチを充分にするようになった。

身体が日に日に柔らかくなってきた。

気持ち良いだけでなく、大げさかもしれないが、60兆の細胞が喜んでいるように感じる。

細胞もさびついて老化していくのは嫌だと思う。

身体が柔らかくなると血流の流れ、すなわちエネルギーの流れが良くなる。

悪い物が出て行って、善いエネルギーが入ってくる。

ひび割れした野ざらしの水道ホースが弾力性のある新しいホースに生まれ変わる感じだ。

調和波動気功は動功(どうこう)と云って、ストレッチやヨガの原点になった運動がある。


興味のある人は是非、習ってみて下さい。


健康になる気功教室 http://orientalwind.info/


スポーツについて


人はなぜスポーツをするのか?

人はスポーツや運動することが身体にも精神的にもよいことを識っている。

効果については2つの利点がある。

一つは身体を動かすことで血流が良くなり老廃物が出て行く。

すなわち、川の流れが良くなって不純物が取れていく。

運動後、なぜかスッキリするのはこのことだ。

二つ目は運動している時は熱中しているので他のことを忘れている。

気にしていることやストレスに感じていることを一時的であるにしろ考えていない。(頭や神経を使うゴルフなどの競技は別)

考えない時間をつくる事は人間にとって非常に大切なことだ。

人間の健全な姿は常にスポーツをしている状態だ。

スポーツをやり続けることは不可能だがストレッチはどこででも出来る。

マリナーズのイチロー選手は絶えずストレッチをしていてスッキリ状態を保ち、直観力を養っている。


スポーツやストレッチは現代人に必要なものだと思う。

スポーツは単純な神経を使わないものがいい。




2007年3月 6日 (火)

30%


メールによって自分の気持ちを伝えられるのはせいぜい30%までだそうだ。

また、メールは誤解が生じやすい。

誤解が生まれたときはメールで解決するのではなく、電話か出来れば会うほうがいい。

例えば、ケンカをして、メールで 
「さっきはゴメン」 と送ったとする。

でも本当に自分が悪いと思った訳ではなくて、とりあえずだったとしたらもどかしさは消えていない。

相手の人は謝ってきたので自分は正しい、悪いのはあなただと思ってしまう。

そんな状態で2人が再会したとしたら、そして話がぶり返してきたら前回よりも事態はもっと悪くなる。


BUNちゃん先生はメールは用件、事務的な事だけにして、大事なことは電話して下さいと云っておられた。(もっといいのは会うこと)

まったく、その通りだと思う。

大事なことは自分で責任を取ることだ。

大事なことをメールにさせる、利用するのは責任を果たしたことにはならない。






あやまる


昨日、ある人を誤解して叱ってしまった。

すぐに自分の誤解だと気づいて謝った。

叱っておいて、すぐに謝るのはなんともバツが悪い。

恥ずかしい想いとなんと云おうかな?が交錯していた。

その瞬間浮かんだのは自分を無くそうと思ったことだ。

以前書いたブログで自分があるから恐いなどのあらゆる感情が生じる・・・と書いた。

自分が無ければ恥ずかしいもかっこ悪いも嫌だもなにも無い。

そう思うと謝ることがなんとも無くなった。


謝るとその人はすぐ許してくれて無事に前の状態に戻った。

めでたし、めでたし









流す、外す、消す


調和波動の言葉で 「流す、外す、消す」 がある。

もちろん、エネルギーのことだが目の前に現れてくるマイナスの現象に対しても同じことが云える。

まず、現れたことには囚われずに静観して流す、その時のエネルギーをまともに受けずにかわす、そしてそのマイナスエネルギーをそのままにせずに消していく。

現れている現象は早く消えて善い状態になりたがっている。


ここにハッピーエンドの映画が上映されている。

その人(主役)にとって苦難や試練が訪れるが、最後には素晴らしい結果が待っている。

観客は映画が終わるまでじっと静観していればいい。

気になるシーンを巻き戻して観ることも、マイナスの場面(過去の出来事)を引きずる必要はない。

目は前に付いている。

それは、過去を振り返らずに前をみて生きていくためだそうだ。




2007年3月 5日 (月)

ガン


今、癌になっている人、身内や知り合いの人が癌の人。

たくさんの人が癌で苦しんでいるだろう。

癌になると普通、抗がん剤を投与して癌細胞をやっつける。

癌を敵とみなし、消滅するまで戦い続ける。

そうすることによって何人の人がガンを克服出来ただろう?

今、読んでいる本に面白い文章を見つけた。

これまでとは違う考えだと思う。




ガンは自分自身であり、ガンは自分が創ったのだということに気づき、自分の子供であるガンに愛を送り始めたのです。

これはガン細胞を殺すという抗がん剤治療とはまったく反対の方法であり概念だったのです。
ガンに愛を送ることで、その結果はなんと痛みが軽減して・・・・


寺山さんホームページ http://www.shin-terayama.jp/)


この文章は、医者いらず 老い知らずの生き方 安保 徹  
船井 幸雄 徳間書店 から抜粋しました。




2007年3月 4日 (日)

3月4日


今日は3月4日の日曜日。

実は息子翔太(しょうた)の誕生日です。

息子は1990年、平成2年3月4日に生まれました。

今、息子は修学旅行で北海道に行っています。

生まれてから17年間、私と息子の間には色んなことがありました。

そのなかでつくづく感じることは息子によって私はずいぶん成長させてもらったなあーということです。

小さい頃から 
「こいつはただものではない」 と思った私はW先生に 「自分の子どもなのにすごいと思うのです」 と尋ねると
「当たり前です。前世で、あなたの師匠でした」 と教えて頂きました。

それからしばらくは冗談で息子を「師匠、師匠」と呼んで遊んでいました。

息子のどこが素晴らしかったかというと
人の悪口は言わない、大阪で育っているのに汚い大阪弁を使ったことがない。・・・でした。

ある時は息子を尊敬のまなざしで観ていました。

師匠、これからもよろしくお願いします。


子どもは神様からの預かりものであって自分の所有物ではない。




怒られるということ


人から怒られ場合は理由が2つある。

一つ目は前世において相手を怒ったり、非難していたのでそれが返って(帰って)来ている場合。

これは自分に落ち度がなくても相手の人がなんとなく腹が立つとか怒らないと気がすまない。というケースだ。

理不尽であると思っても相手の気がある程度すまないと解決しない。

早く解決したければ相手の天命を祈って過去の業(ごう)を消すしかない。

二つ目は叱られ役というか、器(度量)が大きな人なので自分のストレス、うっぷんを消してくれる人にぶつけようとして起こる。

幼児が母親にだだをこねるのも母の愛が自分を受けとめてくれるのをわかっているからだ。


だから、「あーこの人は私にストレスを消してもらおうとして怒っているのだなあ」

「しょうがないなあ」と受け入れるしかない。

どちらも損な役割だが、平静に事態を受け入れられた時、あなたはエネルギーにおいて素晴らしい働きをしている。

大きな徳を積んだことになる。

この2つ以外で怒られるのは、自身の怠慢であったりするので謙虚になって、一生懸命に取り組むことで解決出来るだろう。











計画は立てなくてよい


よく 「計画性がない」 「計画通りに行かない」 というがそれでいいと思う。

桃太郎は山で動物と相撲を取っていたときから鬼退治の計画を立てていたか?

鬼退治のけらいはどうしようか?と考えていたか?

答えはNOだ。

目標を決めるここと計画を立てることは違う。

目標が決まればそれに向かって日々やるべき事がわかってくる。

やるべき事をしていれば次にすることが自ずとわかってくる。

その積み重ねをしていけば、一生懸命していれば次の舞台が用意されている。

だから、こうすればこうなってこうなったらこうするとかごちゃごちゃ頭で考えて計画を立てる必要はない。

先へ先へと予定を入れてスケジュールをいっぱいにするのは直感で動くことの妨げ(さまたげ)になる。

チャンスは計画通りにくるのではなく、突然やってくる。(準備が整えば)


『計画を立ててその通りしなければ成就しない』 は違うと思う。

桃太郎の目標は人の役に立ちたい、喜んでもらいたい、世の中が平和になること だった。














桃太郎


私は小さい頃、祖母から聴かされる昔話が大好きだった。

昔話(むかしばなし)は真理を表している。

桃太郎が山で熊たちと相撲(すもう)を取ったりして力を蓄える。ちょうどその時に村の人たちが鬼の悪事に悩まされる出来事が起こる。

気が熟した桃太郎は、鬼退治に行くことを決心する。

途中で志(こころざし)を同じくしたキジ、サル、犬に出会い、きびだんごを渡し一緒に「鬼退治」 に行く。

この時のきびだんごは交換条件と云われているが、心が通じ合っていたのでなんでもよかったのではないかと思う。


この昔話は前回ブログの 成就 を現している。

気が熟した時には鬼退治に必要な準備が苦労することなく整えられていてレールに乗りさえすればいい。


自分であれこれ想い巡らさなくてもやるべきことは決まっている。








成就


物事が成就、つまり成功、成り立つにはエネルギーが必要だ。

『ローマは一日にして成らず』 というが人の想念、時期、タイミング、の全てが揃った時にエネルギーが動き出す。

自分で新しい仕事を考えている。大きなビジョンを持っていたとしても条件が揃わないと成就していかない。

その為には行動する前に自分の内にエネルギーを蓄えて凝縮していくことが必要だ。

宇宙はエネルギーで出来ている。

目に観えないエネルギーを整えることで目に観える現象が整ってくる。

エネルギーが整わないうちは成就しない。

それには心の準備(3次元的な努力も)が必要になる。

 
人は下記の3段階(あるいはその前で)の 持続させる 途中で止めたり、諦めたりする。

物事には最後の最後(ツメ)が肝心だ。

成功している人は絶対に諦めない。

最後まで自分を信じている。

人はそこまで出来ないので反対する。

「そんなこと無理だ、不可能」

否定されるのはチャンス(本物)だと云える。

エネルギーを凝縮出来たとき奇跡は起こる。


目的意識を持つ
    ↓
  集中する
    ↓
 持続(継続)させる
    ↓
  凝縮する
    ↓
  成就する




2007年3月 3日 (土)

人と人間


人と人間はどう違うのか?

どう使い分けるかというと丁寧に云う時は人(ひと)で、抽象的、世間的に使う時は人間になるように思う。

「あの人」 と云うのと 「あの人間」 と云うのでは、明らかに響きが違う。

実は人間とは人と動物の間(あいだ)と意味だそうだ。

この場合の動物とは欲望のままに生きている、弱肉強食の世界のことをいう。

お互いに食べ合って、いがみ合って生きている。

そんな世界のことだ。

人間も欲望のまま生きたら動物やそれ以下になってしまう。

だが人間の真の姿は動物ではなく、神性そのものである。


人は誰もがどうしよもない部分と、ピュアで素晴らしい部分がある。

そしてこの両者はいつも葛藤がある。

人間は向上していくと人間から人へ近づいていく。


人とは神そのものの姿をいう。







2007年3月 1日 (木)

菩薩さま


菩薩さまは男でも女でもないそうだ。

男女の性を超越しているのだ。

意味は違うけど男性なのか?女性なのか?性別判断の難しい人が街中に結構存在している。

多分その人は男であること女であることにあまりこだわっていないのだろう。

そして周りの目も気にしていない。

菩薩さまは男、女だけでなく自分の地位、名誉、お金、この世的なこと全てに囚(とら)われていない。

囚われがなくなると苦しみが無くなる。

自由自在心になる。

自由自在心とは自我がないということだ。

自分はどうなってもいいという心境になると人の幸せを祈れるようになって、人の苦しみを救う立場になる。

進化した星の人たちは菩薩のような人たちだ。

地球ももうすぐその星の仲間入りをする。



一番幸せなこと


昨日、W先生のレッスンで自分の本体とつながらないと本当の幸せ、安心立命にならないと教えて頂いた。

自分の本体とは自分(人間)にとっての故郷である宇宙のことである。

人は宇宙の法則によって生まれて、そして生かされている。

人は宇宙そのものであって無限次元に進化創造していく存在なのだ。

それをほとんどの人は適当に生まれて適当なときに死んでいくと思っている。

そう思っていたら短絡的な生き方になってむなしくなる。

素晴らしい生き方をしようとしたら自分(人)が素晴らしい存在であることを識らなければならない。


自分が素晴らしい存在であることを識っている人は最高に幸せな人だ。







自分をなくすこと


私のブログは時々一般論からかけ離れた文章になるときがある。
最初はこんなこと書いていいのかな?
ちょっと過激かな?
と思ったこともあったけどありきたりの文章を書こうとすると、違う違うおまえは本当のことを知りたがっている人に伝える為に書いているのだからそれでいいんだ。という声が響いてくる。

例によって今回も 「えっ」 と驚かれるかも知れない。
しかし心の奥では誰もがわかっている。
潜在意識ではもう識っていることです。

タイトルは 「自分をなくすこと」

今の常識では思春期に自我が出てくると喜ばしいことだと云われている。
自分の意見を持っていて相手を攻撃する人を
「自分がある人」 「頼もしい人」 「強い人」 「りっぱな人」 だと思われている。

そうだろうか?

ここで私が納得した文章を抜粋する。
意見のある人はコメント下さい。

人間というものは、自分というものが無いのが一番いいのです。
自分の名誉がどうだとか、自分の欲望がどうとか、というものが無いと、何を言われても平気のへいちゃ。
お前首切るぞ、はいどうぞ、お前これだから罰が当たるぞ、はいどうぞ、こういうわけね。何にも無いものが恐いわけがないでしょ。
自分があるから恐いのです。
自分があるから死ぬことが恐い、病気が恐い、貧乏が恐いでしょ。
自分が無いものが何が恐いか、そうでしょ。
病気も恐くない、死ぬことも恐くない、なんにも恐くありませんよ。
そういう境地にならなければ駄目でしょ。



    『魂が大きく開く時』  五井 昌久













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